バレンタインデーを翌日に控えた深夜のカルデアキッチン。己以外誰もいない厨房でエミヤはゆるりと息を吐き出した。
作って、しまった。
ほんの少しの後悔と、それを僅かに上回る達成感。作ってしまったな、ともう一度その事実を胸の内で繰り返してから、エミヤは机の上に置いた箱を持ち上げた。
蒼天のように青い包装紙に鮮やかな赤いリボン。とある男を彷彿とさせる色でまとめたその箱には、まさしくその男を想って作ったチョコレートが詰め込まれている。
渡すつもりがない本命チョコレートを作るというのは、どうなんだろうな。
改めて自分がやったことを振り返れば、自然と苦い笑いが零れた。馬鹿馬鹿しいことをしていると思う。けれど、随分と胸がすっきりしているのも事実であった。
エミヤが作ったのは、ランサー──槍兵のクラスで現界したクー・フーリンへの想いを込めたチョコレートだ。いつからなのかはわからないが、エミヤはランサーに恋慕ともいえる想いを抱いてしまっていたのである。その想いを、バレンタインデーに託けてチョコレートに込めてみようと思い立った結果が、目の前のチョコレートであった。
ただ、バレンタインデーに託けたものではあるが、エミヤはこれを実際にランサーに渡すつもりはない。こんな愚かな想いを伝えるつもりなど欠片もないし、嫌っている相手からこんなものを渡されたところでランサーだって困るだろう。
それでも想いを込めてチョコレートを作ることにしたのは、日ごとに増していく想いを発散させるのに丁度良いのではないかと、そんなことを思ってしまったからだった。
甘い物をそこまで好まないからビターチョコレートを使って、酒が好きだからと齧れば零れ落ちるようにチョコレートの中にウィスキーを仕込んで。渡すつもりはないが、もしランサーが食べることがあれば、きっと美味しいと喜んでもらえるだろうチョコレートを、想いを込めて作る。
ただの自己満足でしかないチョコレート作りは大変馬鹿らしくて、けれど、思った通り胸に燻る想いを発散させるのには丁度良くて、エミヤは思わず笑ってしまった。馬鹿らしいけれど、想いを落ち着かせるのに役立ったのだから十分だろう。
せっかく綺麗に包装までしたのだし、食べるのは明日の夜にするか。
ランサーを想って作ったものを誰かに押し付けるわけにはいかないため、このチョコレートは全てエミヤが自分で食べる予定である。バレンタインが終わる頃に、ランサーへの想いを込めたチョコレートを自分で食べる。その時のことを想像して、やはり馬鹿馬鹿しいな、とエミヤはもう一度小さく笑ってしまった。
けれど、その時もきっと、どこか胸がすっきりとするのだろう。
ふと思い立ってやってしまったことだが、なかなかに良い発散方法なのかもしれないな。そんなことを思いつつ、エミヤは改めて厨房とそこから続く食堂を見回した。バレンタインの前夜ということもあり、最後の駆け込みチョコ作り需要があるかもしれない、と自分でもチョコレートを作りながら厨房に留まっていたが、後数十分で日にちが変わるという時間になっても誰かが来る気配はない。
流石にもう誰も来ないと判断して部屋に戻るか。
そう見切りを付けて青い小箱と共に立ち上がろうとしたところで、食堂のドアが開く音が響いた。引き上げようとした時に現れた訪問者に、タイミングが良いなと内心笑いながら、気付かれないように箱を引き出しに仕舞う。そうしてから振り向いたところで、エミヤははたと固まってしまった。
人工の照明の下でさえ美しく光を弾く青い髪。命を感じさせる炎のような赤い瞳。つい先程まで思い浮かべていた男が、エミヤを見て目を丸くしていた。
「ランサー…」
思わずほつりと言葉が零れる。その言葉にようやく動き出したランサーがエミヤの方へと近付いてきた。
「お前、こんな時間まで厨房にいるのかよ」
「普段は流石にこの時間まではいないさ。ただ、バレンタインは明日だからな。ぎりぎりまでチョコ作りに挑もうとする者がいるかもしれないだろう?」
手伝いが必要かもしれないからな、念のために残っていたのさ。
そう片目を瞑ってみせれば、なるほどな、と頷いたランサーが食堂と厨房を繋ぐカウンターに乗り出すように手をついた。
「ちぃと驚いたが、そんなら丁度いいわ」
「丁度良い?」
おう、と口端を上げたランサーに、エミヤははてと首を傾げてしまった。何が丁度良いのだろうか。
「そういえば、こんな時間に何の用だね?酒のつまみの受付時間はもう過ぎているぞ」
「ああ違う違う、そんな理由なら丁度いいなんざ言わねえよ」
そうじゃなくて、と続けた後、ランサーはちらりと視線を泳がせた。あー、と言い淀んでから、ばつが悪そうにエミヤに視線を戻したランサーが、チョコを、と口を開く。
「チョコを……あー、その、本命チョコってやつを作りたいんだわ」
一瞬、時が止まった気がした。
本命チョコ。理解が追い付かないままに、聞こえた単語を頭の中で繰り返す。本命チョコ。義理ではなく、本当に好きな相手に渡すための、想いを込めたチョコレート。
ランサーには本命チョコを贈りたい相手がいるのか。
ようやく意味を伴って頭に届いた言葉を確かめるように言い直せば、つきりと胸の奥が痛んだ。初めから叶わないとわかっている恋だとしても、本当に叶うことはないのだと現実を突きつけられた時には、苦しくなるものなのだな。そんなどこか冷静な感想が頭に浮かんで、エミヤは何だか笑いたくなってしまった。
そうか、ともう一度胸の内で呟く。
ランサーには、想いを寄せる相手がいるのか。
胸の奥が一際じくりと痛んで、エミヤはふ、と小さく息を吐いた。
「君、本命チョコを贈りたい相手がいたのか」
知らなかったな、と片頬を上げてみせる。ランサーからはいつも通りの皮肉顔に見えるだろう。
そうやって平静を装って返したところで、はあぁ、とランサーが重い息を吐き出した。
「やっぱり、気付いてねえんだよなあ…」
「気付いていないとは何だ」
「そのままの意味だよ鈍感野郎。オレ、かなりわかりやすくアプローチしてた筈なんだぜ?なのに何の反応もねえし、脈が無いにしたってもうちっと反応があっても良いだろうと軽く落ち込んでたっつうのに、気付いてすらないってなあ…」
そりゃあその可能性が高いとは思ってたけどよ、と肩を落としたランサーが再度地を這うような息を吐いた。
何故突然、鈍感野郎などと言われなければならないのだ。そう反射的に言い返しそうになったところで、後ろに続いた言葉と、随分と落ち込んだ様子にエミヤは言葉を呑み込んでしまった。ランサーの言うわかりやすいアプローチというものに全く覚えがなく、はたと目を瞬かせてしまう。
エミヤに対してまで鈍感野郎などと罵ってくるということは、エミヤもそのアプローチを目にしたことがある筈なのだろう。それにも関わらず一切思い当たるものがないのである。
それは、アプローチの仕方が悪いのではないだろうか。
悪いとは思いつつ、そんな感想が浮かんでしまった。
普段意識することはないが、ランサーは遥か昔を生きた男なのである。時代や文化が違えば、想いを伝える方法というのは変わるものだ。古代ケルトの英雄からすればわかりやすく愛を伝える方法であったとしても、それを向けられた相手にとっては、そう察することができないものである可能性もあるだろう。
現代に随分と馴染んでいると思っていたが、そうではない部分もあるということか。
「アプローチの仕方が悪いのではないかね」
意外だな、と思うと同時に、言うつもりのなかった言葉がつい零れ落ちた。
言ってしまったと内心慌てたところで、まあそういうことなんだろうな、とランサーがゆるりと息を吐いた。
「明確に言葉にしたら逃げられそうだし、そもそも信じないだろうと思って避けてたんだよ。その分態度で示してきたつもりなんだが、その結果がこれだからな、もうはっきり愛を囁いてやろうかと思うんだわ」
「なるほど、それでチョコレートを、かね?」
カルデアでは日本人のマスターに合わせて、バレンタインは好きな相手にチョコレートを贈るイベントとなっている。カルデアという共通の場所に浸透した文化であるから、チョコレートを贈るというのは大変わかりやすくて良いアプローチの仕方だろう。
「まあ、そういうことさね」
思い付いたのがついさっきだったせいで、こんな時間になっちまったが。
溜息と共にそう吐き出した後、仕切り直すように顔を上げたランサーがにやりと笑った。
「そういうわけで、ちょいと付き合ってもらえるか?」
「ああ、勿論構わないとも」
そう言って頷いてみせる。元々そういった駆け込みチョコ作りのためにエミヤはキッチンに残っていたのである。断る理由は一つもなかった。
さて、では何を手伝おうか。
厨房に入ってきたランサーに問い掛ければ、ランサーは先程までエミヤが座っていた椅子を指差してにかりと笑みを浮かべた。
「そこに座っててくれ」
「……手伝いが必要なのではなかったのかね?」
ランサーの言葉にエミヤは思わず眉を顰めてしまった。作業台の傍に置いている椅子であるから、ランサーの作業の様子は見守れるだろうが、その程度で良いということだろうか。
「菓子作りは初心者だからな、付け焼き刃で凝ったもん作っても仕方ねぇだろ。何かあった時に意見が貰えれば十分だわ」
だからそこで座って見ててくれよ。
そう続けたランサーにエミヤはふむと一つ頷いた。
「賢明だな」
本命チョコの場合、特別なものを作りたがる者は多いが、特別なものというのは往々にして作るのが難しいものであることが多い。バレンタインまでまだ余裕があるのであれば、それを作るための練習時間も作れるが、残念ながらバレンタインはもう明日なのである。それであれば、自分が作れる範囲のものを作った方が、遥かに良いものが出来上がるだろう。
「あとはまあ、逃亡防止だな」
「…逃亡防止?」
突然出てきた逃亡という言葉に目を瞬かせた。苦手な物事に向き合う時に逃げ出したくなってしまう者というのは確かにいるが、目の前の男はそういう男ではない筈である。
何だそれは、と思わず零したエミヤに、ランサーはいやなに気にすんなよ、ともう一度にかりと笑った。
「それより、確か材料としてチョコだけはここで貰えたよな」
「あ、ああ。ミルクとビターの二種類があるが、どちらが良いかね?」
バレンタインで使う材料は各自が用意するルールだが、チョコレートだけはほぼ全員が使うだろうということで、カルデアキッチンでまとめて用意することにしていた。ただの板チョコであるため、チョコレート自体にも拘りたい者は自分で用意していたが、大抵の者が利用しているチョコレートである。
渡す相手に合わせて甘さを選べた方が良いだろうと、カルデアキッチンが用意したチョコレートはミルクとビターの二種類だ。さて、君の想い人の好みはどちらかね、とチョコレートを保管している棚を開けながらエミヤは再度ランサーに問い掛けた。
バレンタインの準備期間中に何度も繰り返した台詞を口にしていると、何となく心が落ち着いてくる。ランサーに想い人がいると知った衝撃のせいで未だに僅かに波立っていた心が、ようやく平静を取り戻して、エミヤはそっと息を吐いた。
思えば、ランサーの本命チョコ作りを手伝えるというのは、ありがたいことなのかもしれないな。
なにせ元々叶うことのない恋なのである。それならば、想い人が幸せになる手助けができた方が、遥かに実りがあってありがたいことであるに違いなかった。
運が良い、と内心笑いながら、エミヤは答えを促すようにランサーを見遣った。
「お前が好きなのはどっちだ?」
「……は?」
思わず間抜けな声が漏れた。
「いや、何故私の好みの話になる。私が訊いているのは、君の想い人の好みだ」
「残念ながら、ていうか、情けないことにそいつの好みがわからねえんだよ。いつもいつも他人の好みばっか気にして、そいつ自身の好きなもんなんて用意しねぇからよ」
眉尻を下げて苦笑したランサーの言葉に、エミヤはおやと軽く驚いてしまった。他人の好みを気にして食事を用意するということは、もしやランサーの想い人はキッチンメンバーの誰かなのだろうか。
いや、料理が出来てもキッチンメンバーに入っていない者はいるのだし、そう決めるのは早計か。
安直すぎる自分の思考に否定を入れてから、そもそもそういう話ではなかったな、とエミヤは眉を顰めた。
「お相手の好みがわからないのは残念だが、だからといって私に訊くのはおかしいだろう。わからないならわからないなりに君が考えたまえ」
「オレが考えるより、お前が答えた方が間違いがないんだよ」
な、いいだろ?と尚も頼み込んでくるランサーに眉間の皺が深くなる。私の好みで作る方が間違いがないとはなんだ、と言い返そうとしたところで、ふと気付いた。
もしや、千子村正か。
どういう運命の悪戯か、ここカルデアにはエミヤの元となった未熟者の身体を依り代として現界しているサーヴァントがいる。剣という起源が影響しているとは聞いたが、エミヤにとっては目に入る度にどうしても複雑な気持ちになってしまう相手であった。
その村正が、ランサーの想い人だとすれば。
不意に思いついたそれが真実であるように思えて、エミヤは密かに息を呑み込んだ。
中身は別人であるが、身体自体はエミヤの元となった男のものなのである。味覚の好みがどこまで身体に引き摺られるのかはわからないが、何のヒントもないまま考えるよりも、エミヤの好みを参考にした方が確かに確度が高いかもしれない。
そうか、千子村正か。
得心がいってしまった考えに、一度は落ち着いた心が再びちくりと痛んだ。そういえば、彼の御仁も料理が出来るな、と後押しのように浮かんでしまって、エミヤは小さく息を吐き出した。
「私の好みが何の参考になる、と言いたいが、まあ良いだろう。……とはいえ、あまり意識したことがないというのが正直なところだな」
「お前らしいな。んなら、甘いもんは嫌いか?」
「いや、嫌いというわけではない。普通に好きだと思うぞ」
「自分が好きかどうかを答えるのに、思う、なんつう表現が出て来るのがお前だわな」
仕方ねえなぁ、と苦笑したランサーの声が随分と柔らかくて、エミヤは思わず固まってしまった。何だその顔は、と理不尽に殴りたくなる程に優しい顔をしていて、ぐるりと目が回りそうになる。
「そんなら、ミルクでいいかね?」
「あ、ああ、良いのではないかね」
だから、お前自身のことだろ、と尚も苦笑するランサーの顔を直視できず、エミヤは急いで棚の方へと顔を戻した。いつもであれば何枚必要かを続けて訊くのだが、今のランサーと会話を続けるのは少しばかり心臓に悪い気がして、適当にミルクチョコレートを二枚掴む。
ランサーが何を作るつもりかは知らないが、簡単に作れるもので、かつ一人用だとすれば、一枚あれば十分だろう。多めに渡しておけば困ることはない筈である。
振り返る前に気付かれないように深呼吸を一つ。ほんの少し気持ちを落ち着けてから、エミヤは受け取りたまえ、とランサーにチョコレートを突き出した。
その瞬間、図らずともランサーにチョコレートを渡せたことに気付いて、エミヤは思わずぽかりと呆けてしまいそうになった。
ランサーへの想いを込めたエミヤの本命チョコレートは、今も変わらず引き出しの中に仕舞ってある。本命チョコレートは渡せないというのに、材料としてのチョコレートは渡せてしまったのだ。その事実に、思わず自嘲の笑みが浮かびそうになる。
持ち込んでいた材料を作業台に置いていたランサーは、そんなエミヤの様子には気付かなかったようで、おうサンキュ、と軽快な返事だけが返された。
気付かれなかったことに密かに安堵しつつ、エミヤは作業台に置かれた材料に視線を移した。チョコレートの隣に置かれているのはミックスナッツだけで、そこから推測される完成形に、妥当な選択だな、と小さく頷く。
「ミックスナッツをチョコレートで固めようとしている、という認識で合っているかね?」
「おう。こう、ごろごろとナッツをチョコで固めたやつあるだろ。あれを作ろうと思うんだわ」
前に食って美味かったし、あれならオレでも作れそうだからな。
そう続けられた言葉に頷きつつ、ならばと道具を出していく。チョコレートを湯煎するための鍋とボウル。ゴムベラと包丁、まな板。チョコレートとナッツを掬い上げるためのスプーンと、掬ったチョコレートを置くためのバット。それから、とフライパンに手を伸ばしたところで、エミヤははたと固まった。
「ナッツは乾煎りするかね?」
「乾煎り?」
「ああ、油などをひかずにナッツだけで炒めるんだ。やらなくても問題ないが、ナッツが香ばしくなって風味が良くなるな」
その代わり工程が少しだけ増えるぞ、と言い添えながらランサーの方を見る。
「そっちの方が美味くなるってことだな?なら勿論やるに決まってんだろ」
お前が提案してくれるってことは、初心者でもできる範囲ってことだろうしな。
エミヤから渡された道具を作業台の上に並べていたランサーが楽しそうに笑った。
ならばこれも、とフライパンを手渡す。サンキュー、と返された言葉に頷きつつ、エミヤはランサーの要望通り作業台近くの椅子に腰を落ち着けた。
「作り方は?」
「さっき聞いた乾煎りってやつだけ教えてもらえりゃ大丈夫だ」
そうにやりと笑ったランサーに、先程説明した以上の説明はないが、と前置きしてから乾煎りについて教える。ふんふんと頷いた後、わかった、ありがとよ、とランサーはもう一度笑った。
少し前から思っていたが、最近は笑顔の大盤振る舞いが凄いな。
エミヤに笑顔を向けた後、作業台に向かって手を動かし始めたランサーを見遣りながら、ふとそんな感想が浮かんだ。
正真正銘何の裏もない味方同士だからか、最近のランサーはエミヤに対してまで輝かしい笑顔を向けてくるのである。今日もこうやって作業を始めるまでに、随分とランサーに笑顔を向けられている。ランサーに想いを寄せる者としては大変ありがたいのだが、おかげで日ごとに想いが増していく原因の一つになっていて、気の好い男というやつは厄介だなと、そんなことを考えてしまう程であった。
「あのよ」
どこか楽しそうに作業を進めるランサーは存外手際が良い。この調子であれば私が口を挟むようなこともないだろうな、とぼんやりと思っていたところで、ランサーが口を開いた。
「なんだね」
「ただ見てるだけってのも暇だろうし、せっかくだからオレの好きな奴の話を聞いてくんねえか」
からからと、乾煎りされているナッツのぶつかる音が、嫌に響いた気がした。
「……君が話したいというのなら聞くが、別に、渡す相手のことを私に話す必要はないぞ」
「別に手伝ってもらってるから話したいってわけじゃねえよ。オレが、お前に、聞いてほしいんだわ」
エミヤの方を振り向いたランサーが、なぁ聞いてくれよ、と何故だか楽しそうに笑った。
ああまた笑ったな、とそんな余所事が頭を過ぎる。
「ランサー、君、最近随分と笑うな」
「あん?」
「ああいや、私相手にまで笑うことが増えたな、と…」
呆然とそこまで零してしまってから、何を言っているんだとエミヤは慌てて口を噤んだ。いや、変な意味ではなく、ただ、ふと思ったというだけで、と言い訳のような言葉を続けそうになって、はくりと息を呑み込む。そんな言葉を連ねたらますます怪しくなるだろう。
どうしたものかとぐるりと思考が回りそうになったところで、ランサーの口から呻き声が漏れた。
「ランサー?」
「お前、それには気付いてたのかよ…」
「は?」
「だから!お前に対してよく笑うようになったってやつだよ!」
額を抑えて呻いていたランサーが、エミヤを見据えて吠えた。その頬が何故か少しばかり赤く色づいていて、エミヤははたと目を瞬かせてしまった。
「お前、それには気付いてんのに、他のことには気付いてないとか何なんだよこの鈍感野郎」
「だから何故私が鈍感などと言われねばならんのだ」
反射的に言い返してからエミヤはふむと内心頷いた。ランサーはやはり味方に対しては笑顔を向けるよう意識していたらしい。気の好い男というのは本当に厄介だなと、そんな感想が浮かんだ。自分の笑顔の威力というやつを、もっときちんと認識してほしいものである。
どうせ理由とかわかってねえんだよなぁ、と何やらぶつぶつと呟いた後、ランサーははぁと溜息を吐いた。
「…まあいい。どうせ今仕切り直し中だしな」
そう吐き出してから、ランサーは乾煎りしていたナッツをバットにあけて、湯煎の準備を始めた。
ランサーの好きな相手の話などあまり聞きたいものではないが、後はチョコレートを溶かしナッツと絡めて冷やすだけである。冷やし固めるのに少し時間は掛かるが、魔術を利用すれば直ぐに済むのだし、十数分も掛からないで終わるだろう。その短い時間であれば、まあ良いか、とエミヤは小さく息を吐いた。
ランサーの本命チョコレート作りを手伝っているのだから、もう今更というやつだろう。
「それで?」
「お、聞いてくれるか?」
「君が話したいと言ったのだろう」
エミヤの方から水を向けてやれば、酷く嬉しそうにランサーが笑った。溶けやすいように刻まれたチョコレートがボウルに放り込まれる。
いやあ言ってみるもんだな、とランサーが機嫌良く言葉を続けた。
「お前がこういう話を大人しく聞いてくれる機会が手に入るなんざ、ありがたい限りだな」
「何だそれは」
エミヤは思わず眉間に皺を刻んでしまった。
確かに人の恋の話などそう聞こうとは思わないし、そもそも好きな相手の恋の話など御免被りたいところである。しかし、だからといって、それを聞くことをありがたがられるというのは、おかしな話ではないだろうか。
そんなエミヤの様子に、いや何、気にすんなよ、とランサーは片手をひらりと振った。
さて、どこから話すかね、と弾むように言いながら、ランサーがちらりとエミヤを見遣って目を細めた。
「初めはいけ好かない野郎だと思ったんだよ。嫌味な野郎だってだけでもいけ好かねえのに、こっちの逆鱗に触れるようなことまでやりやがったからな」
まあ、今もいけ好かねえところはあるが、とからりと笑って、ランサーは湯煎にかけているチョコレートをくるりと掻き混ぜた。
最初の印象は最悪だったのだな、と思いつつ、村正にそんな嫌味な部分などあっただろうかと、エミヤは内心首を傾げた。見た目はあの未熟者であるから身構えてしまうが、中身は老成した彼の刀鍛冶である。ランサーがいけ好かないと表現するほどの御仁とは思えず、はてと首を傾げてしまう。
とはいえ、エミヤは村正とは積極的には関わろうとしていないため、それで気付いていないだけということもあるだろう。
そう納得したところで、だが、とランサーが言葉を続けた。
「ひょんなことから仮初の平和の中で一緒に過ごす機会ができてな、ただの嫌味野郎じゃねえってのがわかった。頑固者で融通が利かねえし、嫌味の多い皮肉屋だが、根はただのお人好し。ひねくれているように見えて、その実どこまでも真っ直ぐな大馬鹿者。自分よりも他人を優先しちまう阿呆で、色々器用にこなすくせに、呆れる程に不器用な奴」
つらつらとランサーが言葉を紡いでいく。それらを聞きながらエミヤは呆気に取られてしまった。
嫌味の多い皮肉屋。大馬鹿者。阿呆。どれも想い人に向けるような言葉ではないだろう。
「君、それは本当に想い人に対する言葉なのかね?」
思わず零せば、残念ながらそうなんだよなあ、とランサーはくつりと笑った。ボウルの中にナッツを追加して混ぜながら、そんな馬鹿なやつに惚れちまったんだよ、とランサーは笑みを深めた。
「放っておけないと思っちまった。オレがいなくたって別に何も困らんだろうし、あいつ一人で大丈夫だってのもわかってるが、このまま放っておきたくないと思ったんだよ。不器用な優しさをオレにまで向けてくるもんだから、どうしてくれようかと何度も思ったし、滅多に笑わねえが、その笑顔が可愛いとも思っちまった」
まあ要は気付いたら惚れちまってた、てわけだ。
エミヤを横目で見遣ってからそう続けたものだから、エミヤは思わず固まってしまった。エミヤに対する言葉ではないというのに、エミヤを見て細められた瞳が随分と熱く燃えていて、どくりと心臓が跳ねてしまう。
そんなエミヤの様子に気付いているのかいないのか、手元に視線を戻したランサーが、何より、と言葉を続けた。
「運命ってやつを、感じちまったんだよな」
はくりと、息を呑んだ。
運命。ランサーの言葉を胸の内で繰り返して、エミヤはただ呆然と、凄いなと零してしまった。想い人の話をする時に、運命なんて言葉まで使って表現することなど、そうあることではないだろう。
「随分と、熱烈なのだな」
意識せず零れ落ちてしまった言葉に胸がつきりと痛んで、どうしようもないなと笑いたくなる。想い人の恋の話を聞くというのは、思った以上に苦しくなるものであったらしい。
チョコレートの海から掬い上げたナッツをバットの上に並べていたランサーが、おうそうだろ、と嬉しそうに頷いた。
「そんな相手とここカルデアで再会できたわけだ。今までの記録を持ち込めて、正真正銘味方として過ごせるなんて奇跡はきっともうないからな、この機会に貰い受けるしかないだろ」
そう言って笑った顔が獲物を追い詰める狩人のようで、エミヤはこくりと唾を呑み込んだ。
言葉だけでも随分と熱烈だなと感じていたというのに、貰い受けると言い切った赤い瞳の中で炎が燃えるのが見えた気がして、関係のない筈のエミヤまで頬が熱くなりそうであった。
ランサーは本当に相手のことが好きなのだな。
呆然と胸の内で呟けば、同時に胸が苦しくなってエミヤは笑いたくなってしまった。
バットの上にはもう十分な数のチョコレートが並んでいて、この時間がもうすぐ終わることを示していた。そのことに少しばかり安堵の息を吐きたくなる。
ルーンでさっさとチョコレートを冷やし固めたランサーが、機嫌良くチョコレートを袋に詰め込んでいった。仕上げに赤いリボンを結べば、ランサーの本命チョコレートは完成だ。
完成してしまったな、とほんの少しばかり残念がる自分がいることに気付いて、エミヤはひそりと息を吐き出した。どうしようもないな、と先程も思ったことが胸を過ぎって、内心苦笑してしまう。
ランサーはこの本命チョコレートと共に村正に愛を囁きに行くのだろう。ランサーの恋がうまくいくかはわからないが、運命だなどと表現する程なのだ。胸はどうしたって苦しいが、うまくいけば良いなと、エミヤはもう一度ゆるりと息を吐き出した。
エミヤの本命チョコレートは未だに引き出しの中で眠っている。ふと、本命チョコレートを自分で食べるというのは、失恋記念に丁度良い方法だったのかもしれないな、とそんな馬鹿げた考えが浮かんだ。馬鹿げているが、そう思って食べれば随分と胸がすっきりとしそうで、エミヤはやはり笑いたくなってしまった。
「アーチャー」
不意に投げかけられた言葉に思わず小さく肩が跳ねた。ランサーがまだいるにも関わらず、随分とぼんやりとしていたことに気付いて、エミヤは慌てて顔を上げた。
一体何だね、といつも通り眉を顰めながら返そうとしたところで、はたと、固まる。
すぐ目の前に立ったランサーが、赤い瞳を炎のように燃やしながらエミヤをひたと見据えていた。
「オレの想い、全部聞いたよな?」
酷く真剣な顔をしたランサーに気圧されつつ、エミヤは素直に頷いた。ランサーはエミヤが思わず熱烈だと零してしまう程に、強い想いを抱いているのだ。改めて確認などされずとも、そのことはもう十分嫌になるほど理解していた。
なら、とにやりと笑ったランサーが、何故かエミヤの右肩に手を置いた。逃がさないと言わんばかりに掴まれて、一体何なんだと眉間に力が入った。
「ランサー一体何のつもりだ」
「さっきも言っただろ、逃亡防止だ」
何が逃亡防止だ、と盛大に顔を顰めようとしたところで、ずいと目の前に何かが差し出された。
はたと目を瞬かせる。
ごろごろとした茶色い塊。ところどころ覗くナッツの淡い乳白色。チョコレートを絡めて固めたナッツたち。袋を結んだ赤いリボン。
何度目を瞬かせても、目の前にあるのはつい先程ランサーが作り上げた本命チョコレートで、エミヤは、は?と間抜けな声を漏らしてしまった。
「なんだ、一体…?」
何故ランサーの本命チョコレートがエミヤに向けて差し出されているのかがわからず、疑問符が頭の中で飛び回る。
「オレの、本命チョコレートだよ」
「いや、それは、知っているが…」
何故私に見せつけてくるのだ、と疑問のままに呟けば、見せつけてるわけじゃねえよと目の前の男がにやりと笑った。
「見せつけてんじゃなくて、受け取ってくれっつってんだよ」
「……は?」
「さっきのアレは全部お前のことなんだわ。だから、オレの本気はもうわかっただろ?なあ、受け取ってくれよ、オレの運命さんよ」
息が、止まった。
次の瞬間、ばくりと心臓が跳ねて、へ、と意味のない言葉が口から零れ落ちた。
いや、待て、何を言っているんだ。
混乱のままに静止の言葉を紡げば、待たねえよ、と目を細めた男が笑った。
「あんなに真っ直ぐ好意を告げたら絶対お前逃げるだろうし、バレンタインのチョコなんてのも、本気を感じ取ったら受け取らずに済むように逃げるだろ。お前を苦労せずに捕まえられるなんてありがたい機会を待ってやる義理なんてねえよ」
「冗談を…」
「オレの想いを聞いて熱烈だなんて感想を零したのはお前だろうが。オレが本気だってわかったから、熱烈だなんて言ったんだろ?」
逃げんなよ、アーチャー。
そう告げた男の視線が真っ直ぐとエミヤを射抜いて、エミヤは口を開けたまま固まってしまった。
確かに、ランサーの言葉を聞いて、エミヤは思ってしまっていたのだ。ランサーは本当に相手のことが好きなのだな、と。
そう思ってしまったことは、覆しようのない事実で、そして、それはエミヤのことなのだと告げるランサーの瞳もまた、本気としか思えない炎を燃やしていて。
爆発したのではないかと思う程に、大きく心臓が飛び跳ねた。全身の血が沸騰して、ぶわりと身体中が熱くなる。
はくはくと口をわななかせることしかできないエミヤを見遣って、ランサーが酷く嬉しそうに笑みを深めた。
「なあ、弓兵。そんな反応されると期待するぞ?」
期待も何も、すぐそこの引き出しにはお前宛の本命チョコレートが眠っているのだぞ!
言葉が発せられる状態であったのならば、エミヤはそう叫んでやりたかった。
Comments
Twitterで拝見した時からこのお話大好きです!
September 25, 2022
おもしろかったです。 途中の「もしや千子村正か」にさすがエミヤさん…と大笑いしました。素敵な作品をありがとうございました。