君の欲望を教えて
えふご時空。
マスターに「普段押さえつけている隠した欲望を見せろ」と令呪によって命じられたエミヤが取った行動とは…?
ラブコメです。
垢移動につき上げ直しました。
前作ブクマしてくださった方、感想くださった方ありがとうございました!!
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そこはカルデア―――人類最後のマスターと、数多の英霊たちが暮らす閉じた世界――、そんなカルデアの一室で、人知れず繰り広げられる、夜の会合があった。
「あ~今日もモテモテだったでござるな、エミヤどの」
「もう食堂の主だもんね。今やブーディカやタマモキャットからも一目置かれてるし」
「まぁ、エミヤ殿の作る料理は間違いなく美味であるしな」
集まっているのは黒髭、佐々木小次郎、レジスタンスのライダー。そしてその中心にはマスターの姿もある。
「ちっ、いいやつぶりやがって。ああいう手合いを見ると腹の虫がおさまらねぇ、売りさばきたくなる」
「まぁあの家政婦スキルを見る限り奴隷にすれば高く売れるだろうなあ」
「おっとー。マスターもそんな意見を出すようになったでござるな。だいぶかぶれてきたでござる」
「そりゃあこんだけ悪属性にまみれてたらね……」
僕だって慣れるよ。そう言って、マスター・藤丸立香は苦い顔をしてフッとニヒルに微笑んだ。
現在、このカルデアに召喚されているのは、他に燕青、酒呑童子、メフィストフェレス、新宿のアーチャーなど、見事に悪属性のサーヴァントばかりであった。勿論悪属性じゃないサーヴァントも複数いるのだが、そういったサーヴァントは放っておいても害をなすようなことはしない。問題なのは勿論彼らの方で、夜な夜な行われる悪属性による「悪だくみ会議」を見張っているうち、すっかりそのメンバーの一員になってしまったマスターなのである。
悪だくみ会議と言っても、たいていは婦人の井戸端会議のような、その場の話だけで終わってしまうようなものが多い。(ちなみに、カルデア「悪人会」という悪属性サーヴァントたちの別サークルも存在する)
今日の議題もまさにそれで、話のテーマは「食堂にいるママみの強い赤いアーチャーが、聖人然としていて(かつ女性に囲まれていて)気に食わない」と言ったようなものだった。
「いやしかし、確かにいつも女子供に囲まれてズルいでござるな」
そう佐々木小次郎が言うと、
「そうだ!取り澄ました顔しやがって!」
と意味なくレジスタンスのライダーが憤慨する。さらに黒髭が同調し、
「皮肉屋のフリしたツンデレおせっかいお人好しとか、属性モリモリ狙いすぎでござる~!ガチムチ色男でありながら実は童顔、さらにあふれ出るママみと良妻属性も卑怯ナリ!」
と、僻みと嫉妬と憧憬(?)の混じった台詞を口にする。
立香はそれにうんうんと頷くと、
「僕も、正直エミヤはズルいと思うんだ。だって、あんなにかっこいいし、身長高いし、声も良いし、現代人なのに英霊になんてなっちゃうし、何より……」
「…………」
そこにいるサーヴァント全員が、立香の次の言葉を待つ。
「絶対、童貞じゃないんだろうなっていう雰囲気が……ズルい!!!!!」
その瞬間、その場にいたサーヴァントは全員、同情のこもった眼差しをし、(いや俺たちも全員違うけど……)と思いながらも我らがマスターの頭を撫でた。
その日、「悪だくみ会議」にて決まった作戦はこうだ。
「あのお綺麗な正義の味方だって元は人間、しかも現代人。腹の奥に醜い欲望の一つや二つ隠し持っているに違いない。それを暴いてやろう」作戦。
長いうえに内容がそのままなので説明は省略する。つまりそういうことである。
佐々木小次郎はおそらく単なる興味本位で、レジスタンスのライダーはおそらく嫌がらせで、黒髭はおそらく萌えによって、マスターは矮小な自分を安心させるためにそれを決行することに決めた。
決めたが早いのが若者の特権である。立香は「人類最後のマスター」などという重責を背負う身ではあるが、特別頭がいいわけでも策を巡らせることに優れているわけではない。
思いつく作戦など単純なもので、「令呪を使う」それくらいが関の山だ。
しかし、これ以上に効果的な手段もない。それがわかっているから、夜な夜な会議を繰り広げているサーヴァントたち――便宜上「チーム悪だくみ」と呼ぼう――は、特に反対もせずマスターを後押しした。
しかして。
「なんだねマスター。こんな時間に急に呼び出しとは。また特異点でも発生したのか」
館内放送にて呼び出されたエミヤが、立香のマイルームに呼び出された時。そこに集まっている面々を見て、エミヤはそんな台詞を吐いた。
どうやら今からレイシフトにでも行くと思ったらしい。時間は夜の二十二時を回っている。確かにこんな時間に、武闘派のサーヴァントばかりがマスターの部屋に集まっているとなればそう思うのもおかしな話ではない。
しかし、立香は状況を説明しなかった。今からこの、人の良い英霊に対して、あまりにも人でなしな命令をすることに自分で少しビビッていたからである。
「……エミヤ、僕はあなたが好きだよ」
「?なんだね藪から棒に。しかしその言葉は光栄だと言っておこう。サーヴァントとして、マスターの信頼が得られているというならばこの上なく喜ばしいことだ」
立香の顔を見ながら、表情ひとつ変えずサラッと気障な台詞を口にする。その言葉を聞いた瞬間、立香は心の中で決意を固めた。
「そういう……、そういう、ドンファンみのあるところが……僕は……僕は……」
「?どうしたマスター。肩が震えているぞ。寒いのかね。英霊の身では実感がないが、外は極寒だ。カルデアでは空調が効いているとはいえ、生身の体はわずかな気温の変化にも敏感だろう。無理せず上着を羽織りたまえ。………ん?」
その瞬間、エミヤは立香がプルプルと震えながら、何故か右手をあげて手の甲をこちらに向けていることに気づいた。
右手の甲――そこにあるのは、言わずもがな、令呪である。
「おい、どうした、マスター……」
心配げにエミヤが立香の肩に手を置くよりも早く、立香はキッと顔をあげると、エミヤに向かってその手の甲をかざし叫んだ。
「令呪をもって命じる!エミヤ、あなたの中で最も激しく押さえつけられている、最も秘すべき願望を解き放って!」
シュピーン!
と高い音とともに、マスターの右手の甲にある赤い痣の一画が消える。
途端、エミヤの足元から頭の先まで、かまいたちが走ったかのような衝撃が走った。
「な……、何を……マスター!」
「ふふん。自分の内面から目を背けたって無駄だよエミヤ。あなたの中にある醜い欲望を見せて、僕たちモテない男の心を慰めてくれ」
「何の話だね!?」
マスターが何を話しているのか全く理解できずに周りを見回すと、周りを固めるサーヴァントたちは、(まぁ俺たちも生前は女に不自由していなかったけど……)という空気を醸し出しながら、うんうんと満足げに頷いている。
状況は全くわからないが、嫌な予感しかしない。
そして、マスターを問い詰めるよりも早く、エミヤは身の内に、自分でもどうしようもない猛烈な衝動が沸き上がってくるのを感じた。
「う……っ、なんだ……これは、体が……勝手に……ッ」
体の奥の方から、抑えがたい欲求が沸き上がってくる。
全身から力が抜けるようだ。エミヤは自らの体を抱きしめるように腕を組み、がくりと膝を折って蹲った。
――これは、いけない。
と、本能が危険信号を鳴らす。
今まで押さえつけていた――決して表に出すまいと誓っていた感情が増幅する。
アレがしたい。アレが欲しい。これをせずにはいられない。そんな利己的な、非常に自分勝手な欲望が、沸き上がってはエミヤの体を苛んでいく。
(なんだ、これは)
英霊となり、抑止力となってすっかりと捨て去ってしまったもの。
(――――欲、望……?)
「う……、ぐ……っ、あ、アア……ッ」
まるで炎に呑まれるような、激しい熱が全身を焼いた。そしてエミヤは、ぽたり、と一滴の汗を床に落とすと、その後はまるで鋭利な刃物のような顔つきになって、すっくと立ちあがると、マスターには見向きもせずにマイルームを後にしたのである。
「せ、成功したの……かな?」
エミヤが消えた後、開いたままの扉を見つめて立香が呟いた。
令呪が具体的にどういう作用を及ぼしたのかはわからない。だが、あの抑止の使者に、彼が望まぬ衝動を植え付けたことだけは、確かにわかった。
「むむむ~、これは思った以上に大変なことになるかもしれませんぞ!マスター殿」
ひょっこりと背後に現れた黒髭が、その見事な髭を撫でさすりながら呟いた。
「え?何、大変なことって」
「ああいう真面目なタイプは意外にムッツリと相場が決まっていますからな~!もしかしたらとんでもない欲望を日ごろ押さえつけていたのかもしれませんぞ!」
「えっ、えっ、……例えば?」
「例えばー、パラケルススに強烈な媚薬を作らせてカルデア中の女サーヴァントに飲ませた挙句、ジル・ド・レェ殿の海魔を奪ってとんでもない卑猥な用途に使ったりですな!エロ同人みたいに!エロ同人みたいに!!」
「いやエミヤに限ってそれはないでしょ。それは単に黒髭の好みの妄想でしょ」
呆れたように言う立香に、黒髭は自身満々に首を振った。
「確かに拙者の好みではござるが、これはあながち妄想だけとは言えないですぞ!なぜなら!二次創作に携わる者にとって洞察力は必須スキル!行間を読んでナンボ!普段は真面目なあの人に限って~~~そんな裏の顔を見抜く力は誰よりも優れているでござる!」
拙者の勘が告げているのだ!エミヤ殿はムッツリ助平であると!!!!
あまりに自信満々にそう黒髭が告げるので、さしもの立香も不安に襲われた。そも、立香は性の経験がない。ファーストキスすらしたことがないのだ。あれくらいの妙齢の男性で、色々と経験もありそうで一見真面目そうな色男が、そのうちに秘めた欲望がどれほど激しいかなど、推し量るのは不可能というもので。
「え……本当に……?僕はてっきり、エミヤは嫌いな相手に出すお茶に雑巾のしぼり汁入れたり、一回床に落とした残飯を皿に盛りつけたりする程度だと思っていたんだけど……」
「マスターの中のエミヤ殿像もなかなかでござるな」
「でもでも!もし本当にそっち方面の欲望なら大変なことになるよね!?カルデアの女性サーヴァントなんて下手に手を出したら鐘の中に閉じ込められて燃やされたり、何十本もの槍で串刺しにされたりするのがオチじゃん!!このままじゃエミヤが死んじゃう!!」
「うーん、暴走したガチムチ男に襲われるかもしれないのにマスターに心配されない女性サーヴァントたち……この話を当人たちに聞かれないことを祈るばかりナリ。合掌」
黒髭が窓のない壁に向かって手を合わせているその隙に、「こうしちゃいられない!エミヤが殺されちゃう前に止めないと!」と、立香は慌ててマイルームを飛び出した。
勿論、チーム悪だくみの面々を代表して黒髭も後を追う。理由は一つ。「面白そうだから」である。
そして、彼らは、令呪に支配されたエミヤの所業を知ることになるのだった――……。
「おっ、おかあさん!?」
突然部屋に現れたエミヤの姿に、真っ先に気づいたジャックが高い声をあげた。
「あら?どうしたのかしら?」
同じくこちらに気づいたらしいナーサリ―が、立ち上がって首を傾げている。どうやら二人でトランプをしていたらしい。
エミヤは女性――さらに言えば子供の部屋にずかずかと入り込むと、表情一つ変えず、ジャックの腕をつかんで立ち上がらせた。
「やっ、何、おかあさん、痛いよ!」
「ジャック、こっちに来るんだ」
「いや、何、怖いよ!どうしたの、おかあさん!」
それを見て、後ろから追いついたマスターが血相を変える。
「エッ、エミヤ!何する気!?」
「ワーオ、真っ先に向かうのがジャックたんのところとは、エミヤ殿とは心の友になれそうですなあ~。しかし拙者を差し置いてジャックたんに手を出すとは万死万死!」
「うるさい黒髭!それどころじゃない!まさか、まさかエミヤがそんな……日頃かいがいしく世話を焼いていると思ったら、まさかそんな淫らな下心を年端もいかないジャックに抱いていたなんて……!」
「マジレスすると、ジャックたんは概念だから実際の年齢関係ないですぞ」
「見た目の問題だよ!ていうか概念は概念でも『生まれることを許されなかった子供』っていう概念だろ!子供じゃん!」
「たはー!こりゃ一本取られたナリ!」
「だからそれどころじゃないって!」
立香の目の前で、エミヤはジャックの腕をつかんで強引に立ち上がらせると、その手に何かを投影し始めた。
「え、エミヤ、落ち着いて……、何やって……」
「投影――開始!」
エミヤが低く掠れた声で詠唱を開始した。
途端、ぼん!という音とともに、ジャックの下半身にかわいらしいフリルのスカートが生まれる。
「わあ、かわいい」
その姿を見て、ナーサリーがきゃらきゃらと宝石のように煌めく笑い声をたてた。
「……前から思っていたんだ。差し出がましいとは思うがね、子供がそんな露出の多い服装で過ごすのは良くない。いや、このカルデアは立派な英霊が多い場所だ。まさかそんな不埒なことを考える輩がいるとは思わないし、誰がどんな格好をしようが個人的なことであり自由だ。だが、どうにも子供が薄着をするのは風邪を引きそうで見ている方が落ち着かない。それを着ていたまえ」
エミヤは氷のように冷たい目で淡々とそう告げると、くるりと踵を返して驚いたままのジャックとナーサリーを残して部屋を去っていった。
「あれが……エミヤの……」
「押さえつけられていた……欲望……」
ママじゃん……。
と残された立香と黒髭は口を開けたままその姿を見送った。
「…………」
「いや、いや、まだでござるぞマスター殿!!これはきっとおそらくまだ序章!エミヤ殿の隠された欲望はこの後に待っているに違いない!」
じとっと暗い目を向けてくる立香に、ハッと我に返ったように黒髭が叫ぶ。
「本当に……?」
「ほっ、本当でござるよー!そんな、心に押し込めた欲望をさらけ出せって令呪で命令したのにこんなことで終わるはずないですぞー!だって人間だもの!」
「まぁ……そういわれれば確かに……。エミヤも生前は現代人だったんだもの、いくら正義の味方だからって、心に押し込めた欲望が『寒そうな子供に服を着せる』だけだなんて……そんなこと、あるわけ、ないよね……」
うん、そうだ、そうに違いない。
あれはドンファンの皮をかぶった醜い欲望を持つ普通の元人間!根っこの部分は僕と同じ「男」という馬鹿でくだらない生き物のはず!頼むそうだといってくれ!
と、何かにすがるように目を閉じると、立香は拳を握りしめ、「いざ!エミヤの駄目なところを見つけにいくぞ!」と最低な願いを口にしながらさらにエミヤの後を追った。
「ここは……」
「どっからどう見ても食堂ですな」
次にエミヤを追って二人がたどり着いたのは、カルデアの食堂だった。
何をしているのだろう。などと、一目瞭然すぎて問う方が馬鹿げている。二人の目の前で、
エミヤは、相も変わらず氷のような冷たい目をして、一心不乱に料理をしていた。
「何……、作ってるんだろう」
「うまそうな匂いですな」
ジューッ、と香ばしいバターの香りが食堂中に広がる。
カルデアではとっくに夕飯の時間も過ぎていて、周りに人影はない。
誰もいない食堂で、エミヤは黙々と何かを炒めているのだった。
「あれは……、卵?」
「バターに卵、フライパンときたらオムレツでござるかなあ」
「でもなんか、トマトの匂いもする」
エミヤの料理見てたら、夕飯食べたのに腹減ってきちゃった……。
ぐるるる、と腹の虫が鳴るのを感じながら、立香が声もかけられずにその様子を見つめていると、立ち上る匂いにつられたのか、廊下から一人の英霊が姿を現した。
「ああ、こんな時間に懐かしい料理の匂いがすると思ったら、やはりあなたでしたか」
現れたのは、青い服を身にまとった、金の髪をした美しい少女――騎士王・アルトリアだった。
「とても良い匂いです。これは、オムレツですか?」
「オムライスだ」
「……おお」
それは楽しみです。
そう言って、アルトリアはさも当然といわんばかりにエミヤが料理をしているすぐ目の前のカウンターに腰を下ろした。
「それは、私が頂いても?」
「無論だ。君のために作っている」
無表情のまま、そう答えるエミヤ。
「嬉しいことを言う。アーチャー。わざわざ匂いにつられて部屋から出てきた甲斐がありました」
そう言って幸せそうに笑う騎士王を、エミヤはじっと見つめて、わずかに目を細めた。
「ほら、完成だ」
「おお」
とん、と、その表情とは裏腹の優しい手つきでアルトリアの目の前に皿を置く。そこには、香ばしく炒められたチキンライスと黄金色の玉子、みずみずしいトマトソースが美しく盛られていた。
「ふわとろオムライス――……、ですね」
いただきます。
と、礼儀正しく手を合わせて、アルトリアはスプーンを手に取った。ナイフで切るように、玉子の塊に割れ目を入れていく。す……、っと切れた隙間から、トロトロの半熟が溢れ出て、みるみるうちにチキンライスを覆った。
それをスプーンでひとすくい。
湯気が立ち上るそれを、ふう、とかすかに吐息をかけて冷まし、口に入れる。
途端にアルトリアの端正な顔が、幸せそうに溶け崩れた。
「あなたのオムライスを食べるのは二度目ですね。ありがとうございます。――やはり、優しい味がする」
そんなアルトリアの顔を見ながら、エミヤはぽつりと呟いた。
「……あの時のことを、後悔していてな」
「え?」
「あの時…。せっかく君が褒めてくれたのに、私は君から目を逸らしてばかりいた。どうして私の料理を美味しいと食べてくれる君の様子を、もっと見ておかなかったのだろうと」
「――アーチャー……」
「だからこれは単なる私の望み。私のやり直しだ。君が礼を言う必要はない」
そう言って、エミヤはアルトリアの顔を正面から見つめた。
アルトリアはエミヤの視線を受けても動じることはなく、じっとオムライスに向き合った。そして彼の目の前で再度スプーンを使うと、とろりと蕩けた卵と赤く色づいたチキンライスを救い、自らの口に放り込む。
そして、花のようにその顔を綻ばせた。
「……口に合ったようで、良かった」
「ええ、ええ。アーチャー。また作る時は呼んでください。あなたの料理であれば、私はどこからでも飛んできましょう」
「……覚えておこう」
目の前で、アルトリアはみるみるうちに皿を平らげた。そして行儀よく手を合わせると、「ごちそうさまでした」と満足げに告げる。
エミヤはその顔を見て、彼女に気づかれぬように一瞬だけ目を弛ませると、わずかに浮かびかけた笑みを消して、彼女の皿を奪い取り流しへと突っ込んだ。
「アーチャー、美味しいものを有難うございます。今日のあなたは食事当番ではなかったはず。何かお礼をしなければ」
「いい。君のその顔が、俺にとって褒美のようなものだから」
アルトリアの顔を見てそう告げると、エミヤはまた無理やり作ったような冷たい表情に戻り、背を向けて食堂を後にした。
「なにあれ……」
「アーサー王をすごいナチュラルに口説いてたござる」
去っていったエミヤの背中を見ながら、立香と黒髭は茫然と呟いた。
「あんな美味しそうな料理を手間暇かけて作って、『君のために作っている』とか言っておいて、『礼を言う必要はない』???『君のその顔が褒美』??何それ???」
「しかも恰好いいこと言うだけ言って颯爽と去っていくとは……令呪に操られていても見事なドンファンっぷり」
「え?あれマジなの??あれがエミヤがずっと心の奥底で隠して押さえつけていた激しい欲望なの???素敵な彼女に料理してあげて、その美味しそうに頬張る姿を正面から見るってことが???ずっと我慢して押さえつけていたのがそれなの????」
「言ってやるなマスター!!!それが!!男の純情ってやつですぞ!!!」
しかし、そう横からフォローを入れた黒髭も、焦燥感に脱力感が襲ってくるのを感じていた。
今までのエミヤの言動を見ていた結論は「聖人にもほどがある」である。これでは、自分の情けなさとモテなさに打ちひしがれ、「どうせ僕なんて」と落ち込むマスターに、「あんなに良い男だって一皮向けば僕と同じなんだ!」と思わせてやることが出来ない。
どころか、「やっぱり僕なんて……『良い男』とは生まれから、潜在意識のレベルからして違うんだ……」などと余計に落ち込ませる羽目になる。
そして黒髭自身も腑に落ちなかった。これでも、人生のあらゆる荒波を潜り抜けてきた海賊である。人間の醜さやくだらなさは嫌というほど見てきている。こんな、毒のない、利己的な欲望など持ち合わせていないような人間がいるはずがない。もしいるとしたら、そう――……、それは人間としての欠陥品か、もしくは黒髭の大好きな二次元の中だけだろう。
(エミヤ殿は……まさか二次元の英霊……!?)
黒髭の頭の中に、どこぞの有名探偵の顔がピカーッと閃いた。英霊ホームズは物語の主人公であると同時に、「探偵」という存在の概念の結晶だという。とすれば、つまり。
(エミヤ殿は日本の英霊……。つまり、日本で発生し研ぎ澄まされたオタク文化、『二次元』という存在の結晶なのでは……?)
黒髭は自分の大好きな二次元コンテンツが、「英霊」という結晶となっていることに感動を覚えた。確かに、あのガチムチわがままボディに「髪を下ろせば童顔」設定、あふれるママみに皮肉屋気質と相反するおせっかいさ、実はいい人属性と、これでもかというほどに盛りに盛られた設定は三次元のリアルな人間としては不自然なほどだ。そうか、そうだったのか――そしてやっぱりオタク文化はSAIKOUだ、と黒髭は感動した。
しかし、そんな黒髭は気づく由もなかったのである。
エミヤの正体は二次元の結晶などではなく、「人間の欠陥品」の方だったということを――……。
その後も、立香と黒髭が見守るその中で、エミヤの「普段押さえつけられている欲求」の開放は続いた。
やれ風呂場のカビ取りを一人で本格的に行ったり、調子の悪い空調機を修理して回ったり……。普段から甲斐甲斐しい男だとは思っていたが、これほどとは。まるで何かに追い立てられるように徹底的に施設や機械の管理に気を配り、身を粉にして他人に尽くそうとする様は、まるで病的にも思えた。
「エミヤって……エミヤって……何だろう、見てたら涙が出てきたんだけど……何だろうこれ……」
「さすが二次元の結晶、『おしん』もかくやという健気っぷり……徹底されているでござるな……」
「待って黒髭、二次元って何?そしてなんで『おしん』知ってるの?」
「マスター的には『若女将は小学生』の方が良かったでござるか」
「いやそういう話じゃないんだけど」
人の役に立つために立ち振る舞い、誰が見ていなくても身を粉にして働く――……。二人の目の前で、エミヤは今も、誰もいないキッチンの床に這いつくばってゴキブリホイホイを設置していた。すでに時計は夜中の一時である。
「……もう部屋に帰りましょうマスター。これ以上見ていても、マスターが落ち込むだけでござる」
「うっ…、エミヤみたいな色男にだって、きっと心の中では醜い欲望や浅ましい感情があるはずだって……そう思ったのに……!!」
「まぁまぁ。これはこれで健康な男子の欲望としては非常に残念でござるが……。まぁ二次元だから仕方ないですぞ。汚い感情なんてありませんっていう花で例えるとマーガレット系清純派が二次元の嫁の王道。人選ミスでしたな」
黒髭が何を言っているのか一割も理解できなかった立香だが、エミヤが普段自分の中で押さえつけ隠しいていたのが、汚い欲望などではないことだけはわかった。
「まぁそう落ち込むことはないでござるマスター。たまたま人選が悪かっただけ。英霊の欲望が見たいなら、明日は風魔小太郎殿あたりに令呪を使ってみてはどうかと!きっと素敵な母子相姦かつ機械姦を繰り広げてくれますぞ~!」
「待ってそんなガチなやつ見たくない」
立香は、引き続き換気扇の掃除にまで手を出そうとするエミヤの後姿を見ながら、心の底からのため息をついた。
「もうこんな時間だし寝てほしいけど……、でも、あれが抑えつけられていた『彼が本当にしたいこと』なんだったら、させてあげた方がいいよね……エミヤ溜め込むタイプみたいだし」
明日のレイシフトは、エミヤは外してあげればいいか。
そう思って、マスターは令呪を解消することなく、黒髭を伴って食堂を後にした。
さすがにもう、眠かった。
誰もいなくなった食堂で、エミヤはその場に蹲った。
荒くなった息がこぼれる。
マスターがいなくなったことを悟って、安心したように、脱力したように膝をついた。
様子がおかしいのは自覚していた。
そしてその状態は今も続いている。
エミヤは、手早く調理器具と食器を洗い掃除用具を片付けると、足早に自室へと戻って扉を閉めた。
はぁ、はぁ、と自分の荒い息が自室に籠った。
(何故だ……!)
眉間に皺を寄せて、エミヤは自問した。
どれだけ露出の多いサーヴァントに衣服を着せても、腹ペコ王に料理をふるまっても、普段はあえて気にしないようにしていたカルデア中の汚れを掃除して回っても、一向に令呪の強制力が収まる気がしない。
(くそ……っ)
原因は、悔しいが思い当たる節がひとつだけあった。
心の奥の、さらにその奥に――誰にも知られてはいけない、決して表に出してはいけないと思っていた欲望を、表に出すことを禁じているからだ。
マスターの令呪による強制力はずっとエミヤを苛んでいる。それを、全力で拒み続けているのだ。今も。
(これだけは……、だめだ。正気を、失っては……)
いかに令呪の強制力があろうとも、決して表に出してはいけない欲望。それにエミヤは死ぬ気で抗っていた。逆に言えば、「それ」以外の、押さえつけていた欲望は全て開放し、それで何とか令呪の効果を消そうとしていたのだ。
だが、令呪の効果は時間がたとうと、いかに他の欲望を開放し満たそうとも、消える気配はない。
いっそ残された最後の欲望すら解放してしまいたい、という強い欲望と、これだけは解放するわけにはいかない、という葛藤で、エミヤの精神はギリギリと締め上げられているのだった。
(何とか……、抑え……、こまねば……)
しかし、エミヤの抵抗は叶うことがなかった。
同じ時間、別の部屋で、自室に戻ったマスターが、ベッドに入って目を閉じる傍ら、手をかざして不意に命じたのである。
「エミヤ……、もしまだ我慢してるものがあるなら……、これを機会に解放しちゃいなよ……」
シュピーン!
すでに半分夢の中に入っていそうな寝ぼけた口調で、立香が令呪を使ったのである。
「地獄に……、落ちろ……、マスター………」
かくして、エミヤは最後の砦であった理性を手放し、「本当の欲望」を開放することになったのだった。