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【往復書簡】恋は子宮を救う。

壇珠さんの記事へのお返事です。

壇珠さん、おはようございます!!小生、この記事をスマホで書いております。パソコンははるか昔に捨てました。理由は重いからです。電源や充電が必要なものは持ち歩きたくないため、選びに選び抜いた結果スマホだけ残りました。通常の記事は三十分程度で書きますが、往復書簡は五時間かかります。ガチです。本気と書いてガチです。聖なる狂気です。鬼気迫る俺です。できないなんて言わせない。俺は俺に弱音を吐くことを許さない。できるできないじゃない。やる。やるっきゃないからやるんだよ。小生、今日もやります!!

圭吾さん、おはようごじゃいます!!年は2026年に突入して、我々のこの往復書簡が新しい年にまたいで続いていることが、大変嬉しゅうございます。前回の書簡から少し間が開いてしまいましたが、私の大学生の娘が朝も夜も平日も休日もなくひたむきに勉学に励むという生活をしており、これにより私は「娘の邪魔にならぬよう家の中で静かに過ごす」という制限を設けて暮らしており、この制限に真っ向から挑む日々を送っておりました。

この制限を、不自由だと言ってしまうのは簡単なことです。しかし、それは私的にはあまり格好良くなくて、ハッキリ言ってダサいのです。私は自ら選んでこの制限の中にいるのだから、不平を言うのはとんちんかんなことだと思うのです。そこで、むしろ静かにしつつも自分を満たして生きることに、挑戦することにしました。静かな時間を想像してみると、私にはムクムクと、編み物欲が湧いてくるのです。それで早速濃霧の中を歩いて生活用品店まで行き、輪編みの道具を買ってきて、編み図も見ずに自分で作りたいように編んでいます。それから、手書きでものを書くことを始めたらハマってしまい、ノート4冊をそれぞれ別の目的で使うことにして、ものすごい勢いで書きたいことを書きたいだけ書いているのです。

他にも、静かなまま楽しめることは思った以上にいくらでもあって、ストレッチを始め、ついでに筋トレを始め、散歩をし、知識欲に任せてあれこれ勉強したりして楽しんでおり、我はこの静かなる挑戦を制しました。これにより、また自分の自由度が増したことを嬉しく思います。制限が現れた時、そこから離れるなり逃げるなりして自分の心地よさを保つのも、ひとつの選択です。しかし選択肢はそれだけではない。その制限とともに幸せでいることを選ぶこともできます。私は、制限があるなしという外的要因に、自分の幸せを左右させてたまるもんかと思うのです。

ダサさ回避に命をかける。それが我々風神雷神。制限を愚痴るのはおこちゃま。制限を楽しめたら風神(雷神も可)。俺たちが書くこと全部聖典。壇珠さん、あたしゃこの往復書簡を現代の聖典と思っております。令和の聖書であり、今を生きるバガヴァッドギーターであると思っております。常日頃から私はバガヴァッドギーターを愛読しており、あまりにも愛読するあまり「クリシュナは俺である」と言う聖なる誤解を生きておるのですが、これがまた最高に気分の良いことなのです。

よく、人は「誤解されたくない」と言います。しかし、クリシュナ(俺)に言わせると「バカなことを言うな」となります。理解されてどうする。真に自分を生きたら、誤解されるのは当たり前。理解と言うものは、時代時代の常識が「こう考えるのが正解ですよ」と言っているものをなぞっているだけ。正論は無価値。当たり障りないゴミ。真実は常に辛辣に響くものであります。だからこそ、名文に出会った時に「ぶっ刺されました」みたいなことを我々は言うのだと思います。傷つきたくないなんて嘘。本当は、傷つきたいのです。

私たちには、鳥の翼もなければ、魚のエラもありません。人間の体を与えられた時点で、とんでもない制限を生きております。そして、死にます。遅かれ早かれ絶対に死にます。なんと言う制限。だが、制限があるから「やーめた」とはならないのが聖人。制限を生きる。制限を生き切る。壇珠さんの如く制限に真っ向勝負で挑む。ぶつかる。波に乗る。そして気付く。ああ、制限こそが遊びだったのだと。生きるとは、遊びだったのだと。

私たちは、常に好きに向かう意思が問われていると思います。嫌なことを嫌々やるのは私的にはあまり格好良くない。ハッキリ言ってダサい。ダサいことはしない。自分にダサいことをさせない。クリシュナ(俺)は許さない。愛や感謝に逃げない。聖人たるもの狂気一択。愛に生きない。恋に死ぬ。金をかけない。命をかける。正確には、本当にいいと思ったものに金も命もかけまくる。惚れたもののために、命を投げ出すのであります。

毎朝嫌々起きて嫌々家を出るのは最悪。会社に行くなとは言わない。行き方を変えろと言いたい。寒風摩擦を思い出す。意思一つで、風邪を引く要因にもなれば、健康になる要因にもなる。人生は気分が十割。全部気分。嫌な人と付き合うと不正出血に見舞われて肌も子宮もボロボロになる。肌を守る。子宮を守る。恋は子宮を救う。嫌な人とではなく、好きな人と付き合うのです。そのためなら死んでもいい。惚れたもののために死ねるなんて幸せだよ。俺はずっと幸せだよ。死んでも良いんだよ。関係ないんだよ。ギーターに生きてギーターに死ぬ。それが、俺たち聖人であります。

私はヴェネツィアから近い北イタリアに住んでいます。冬の北イタリアは、南イタリアよりもずっと寒くなります。先日もマイナス6度まで気温が下がりました。我が家は相変わらず煙突とパイプの修繕工事をする人が来ず、暖炉が無いまま年を越しました。大きなレンガ造りの家で、小さなヒーターを点けて過ごしています。こういうことを言うと、壇珠さんは日常生活が天国だとか言ってるけど、どこが天国なんだよ!寒冷地獄にいるくせに!と思う人がいるかも知れませんが、チッチッチッ、甘ぇぜ。家が寒いだの温かいだの、あるいは他者が私を好いているだの嫌っているだの、他にもたとえば自分がブランド品に囲まれているかどうかだのということと、私が天国にいるかどうかということは、まったく関係が無いのです。そういうことは、ぜんぶ私の外側のことなので、天気とか季節とかと同じようなものだからです。

だったら自分の気持ちはどうなんだ、それは内側のことだから影響するんじゃないのか、と思う人もあるかも知れませんが、ブブー、これもまったく関係がありません。壇珠さんが悲しんでいるだとか喜んでいるだとかということすらも、私が天国にいることとは関係が無いのです。壇珠さんが悲しんでいても、わたしは天国にいます。なぜってそれはやっぱり、自分の気持ちだろうとなんだろうと、私が観察することができる以上は、私の外側のことだからです。

なにより、わたしにとっては、壇珠さんが死んだあとの魂の感覚になると、哀しかったとか辛かったとか寒かったとか暑かったとか、憎かったとかムカついたとか焦ったとか疲れたとかいうあらゆる生命体験の感覚は、愛しく、面白かったことなのです。今すでに、とても懐かしいのです。その感覚でいると、今世でのヤバい状況なども楽しいのです。俺たちの魂は、ただの無垢な好奇心でできているので、自分が苦しんでいるときにすら「こういう状況での苦しみって、こういう感じなんだー!」と、それを体験できたことを喜んでいます。私たちが遊園地にいて、お化け屋敷に入って恐怖を味わったり、ジェットコースターに乗って恐ろしいスリルを味わったりしても、それを苦だとは考えず、遊園地でエンジョイしている、と考えるのと同じです。

聖人たるもの、昨日は前世。明日は来世。ブラジル人は、好きな人に好きだと言う時「サウダージ(あなたが懐かしい)」と言うそうです。目の前に相手がいるのに、あなたがすでに懐かしいと言うのです。なんと素敵な感性ではありませんか。俺たち風神雷神の自尊心及び自己肯定感及び自己評価は半端ないため、あらゆる自分が懐かしいです。そんな時代もあったねと、微笑と共に思い出される地獄の宝石箱。それが、天国であります。

だからこそ、クリシュナ(俺)は言いたい。問題が起きたら、喜べ。へこたれるようじゃ、ダメ。問題を歓迎する。なぜならば、問題こそが遊びなのだから。問題だと思われる出来事に遭遇しても「かえってよかったじゃありませんか」と言う。一旦言う。しのごの言わずに言う。すると、本当にそう思えてくるからあら不思議。問題に負けると死にたくなる。問題に「面白くなって来たぜ」と真っ向勝負で挑んで行くと、人生を変える遊びになる。自己破壊こそ最高の遊びだと知ります。

チャンスはピンチの顔をしてやって来る。思い出そう。人生を大きく動かす転機となった事件は、一時的には最悪に見える形で訪れたはずだ。家を失う。金を失う。会社を失う。恋人を失う。家族を失う。健康を失う。信頼を失う。その瞬間は最悪に見えた出来事こそが、さらなる飛躍を生み出す契機になっていたことが、君にもあるだろう。だから、喜べ。問題が起きたら、喜べ。変わるチャンスだ。自由度を拡張する絶好の機会なのだ。

そんな私にとって、圭吾さんとのこの往復書簡は、その遠い遠いところにいる存在との会話のような、とても自然で心地よいものです。それから、今はお互いに地球人をやっているけれども、地球人の皮を被ったなにか同士だよね、本当は。みたいなイタズラ感がいっぱいで、スピリット同士の好奇心を満たす、でっかい喜びの伴うものです!!まあウダウダ言わずにひと言でいえば、めちゃくちゃウキウキワクワクすることであります。我々はこの往復書簡でいきなり勝手に風神雷神を名乗りだしましたが、それは我々が坂爪圭吾や壇珠であることと並列の、真実です。人は自分の名乗ったものであり、それを勝手に設定して生きる自由があります。

なぜかといったら、元々の俺たちはスピリットで、スピリットは何者でもないからです。これを読むあなたも、試しに自分を風神雷神だと思ってごらんよ!!自分が万が一風神雷神だったのなら、なにを思うだろうかと、そこに感覚をもっていってみてくれよ!!え?なに?それは本当の私じゃないって?なにを寝ぼけたことを言っているんだよ!!君はスピリットなんだよ!!だからそのあなたではない。だから心配無用なんだよ。どうせ今は地球人の皮を被っているんだから、その上からさらに猫なんか被っていないで、全部を脱いで風神雷神を被ってみてくれよ!!なんだか人間社会のくっだらねえチマチマとしたことが、バカみたいに思えてこないかい!!我は風神なり(雷神も可)!!と思いながら過ごしてみてくれよ!!頼むからやってみてくれよ!!

ママ友に「子どもが家事の手伝いをしないの。口酸っぱく言ってもダメで困っちゃう。どうしたらいいかしら~」などと言われたときに、いつもの君はそれを深刻に捉えて、一緒にその悩みに同調してしまう。しかし、もしも君が風神(雷神も可)だったなら、一体なんと思うだろうか。「おやおや、そうして俗世間の洗脳に染まって母親らしくヤキモキしちゃって。いかにも地球人らしい体験ができて、良かったじゃないの!!」だとか、「あなたがそもそも嫌そうに家事をしているんだもの、子どもがやりたいと思うわけないじゃない。自分こそ家事を楽しんでみなさいよ。言うならそれから言えっつーの」などと、深刻さとはほど遠い、相手に言ったら絶交されるかも知れないようなことを思うかもしれない。

イタズラ感!!俺の大好きな言葉!!死ぬまでふざけていたいよ俺は!!聖人になんかなりたくない!!クソガキのままでいたい!!君が笑ってくれるなら、いくらでもとぼけてやりたい!!昨日の自分は今日の他人!!自分が言ったことを自分でひっくり返す爽快感!!癖になる!!やめられない止まらない!!止まり出したら走れない!!俺は俺であることを止めることはできない!!矛盾の塊!!イッツ・ミー!!矛盾こそ生命!!俺は矛盾を肯定する!!君の矛盾を肯定するよ!!

変幻自在の俺たちは、神にもなればゴミにもなります。一般的には「ゴミになるよりは神になりたい」となるのでしょうが、器の大きい俺たちは違います。まず、犬死にを肯定します。犬死にしたっていいじゃないと、犬死にすることを肯定します。畳の上で死ねなくてもいいのです。志半ばでもいいのです。否、志半ばこそが本当なのです。見果てぬ夢を追いかけて、おままごとに命をかける。それで死んだら「後は任せた」で雲散霧消。何も残らなくていい。全部忘れてくれて大丈夫。誰かが死んだ時は「後は任せろ」でナイスキャッチ。聖人は、生きている者のためにも死んでいる者のためにも嘆かない。ただ、命を燃やすのみ。

俺たちは犬死にさえも肯定する。畳の上で死ねた者だけではなく、野垂れ死んだ者にも同様の敬意を払う。同情はしない。尊重をする。レジェンドと呼ばれたロックバンドのドラマーが脳腫瘍でこの世を去ったとしても、聖人は嘆かない。後は任せろでナイスキャッチ。レジェンドは死なない。心の中で生き続ける。死者を殺さない。死者と共に生きることで、死してなお生き続ける。生まれて来て、生きて死んだ。そのことのいったいどこが悲しいんだ。俺たちは悲しまない。嘆かない。

私にとっては、瞑想状態から抜けて、電車の降りる駅を意識しておくとか、約束した時間に間に合わせるとか、そういった現実的な物事に対処することのほうが難易度が高いことだと感じられます。ちょうどまるでスポーツのように、心技体をひとつにして、目的を形にすることだからです。世の中には、瞑想の練習をする人がたくさんいますが、私は反対に瞑想から抜けて現実世界で暮らすことを練習しています。それがそのまま修行といえるほど、そのほうがずっと難しいのです。圭吾さんも、もしかしたら私と同じような感覚なのかなと思いましたが、どうでしょうか。

私は、時間を決めて取り組む瞑想や、無になることを目的とした瞑想、座禅を組んだままやる瞑想などはできません。面倒くさくなって、秒でやめてしまいます。時間を設定するのも、目的を設定するのも、姿勢を設定するのも、私にとっては不要なことだからです。つまり、勝手な瞑想をしているわたくしめですが、主体と客体が消えている感じと、普段外に意識を向けて生活しているときの感じとは、あり様がまったく違っているのはわかります。

瞑想をしようにも気が散ってしまうという人から、瞑想に入るためのアドバイスを聞かれたのですが、気が散ってしまうことを気にせず、ただ気が散った状態を観察していればいいと言いました。瞑想に入るとか入らないとか、そういう概念自体も、ただ思ったり忘れたりさせておけばいいと思います。これでいいのかなとか、瞑想って難しいなとか、こんなことしていても意味がない気がするなどと思いながら、いる。ただそういった現象をそのまま野放しにして、万華鏡を見るときのように、テレビを見るときのように、眺める。なにかに達するためにやることなど、なにもないと思います。

圭吾さん、これって人生に似ていると思いませんか!!俺たちは、自分のことを野放しにしていい。時間も目的も姿勢も、設定しなくていい。勝手にやってみればいい。その間、焦ったら、焦る。怒ったら、怒る。そしてそれは眺めるだけでいい。たとえば私は、生きているとつい、ドラゴンボールの孫悟空とおなじ理由により、オラは強くなりてえと思(っちま)います。やるべきことなどないのですが、自分が強くなると嬉しいため、強くなるためにやるべきことを勝手に設け、勝手に四苦八苦して、いい気になっているのです。そして、そういう現象を、ただ野放しにしています。四苦八苦しているので、私は四苦八苦しています。しかし、四苦八苦しているのを眺めているので、苦しんではいないのです。だから私は、生きているのは、瞑想と同じようなものだと思います。

そうして野放しにしている感覚をあえて言葉にしてみると、壇珠さんが、他人なのです。私は壇珠さんのことを、圭吾さんがレザーの鞄を可愛がるのと同じように、可愛らしく健気な存在だと感じます。そのとき、主体も客体も溶け去って、矛盾するようですが、その他人の壇珠さんは、自分です。私はこうした感覚で生きることを、とても安楽だと感じます。苦しくとも安楽。辛くとも悲しくとも安楽。嬉しくとも安楽、面白くとも安楽です。コアが安楽で、安楽に人間の肉体を着せて活動中。喜怒哀楽はスパイスです。『安楽の人間巻き・人生によるグリル~喜怒哀楽を添えて』みたいな感じです。

これを読む君も、自分が思ってしまうこと、自分が考えてしまうこと、自分が起こす変な反応、なんでも放っておけばいい。やらせておけやらせておけ。いちいち小言を言うな。小言が思いついてしまうのだとしたら、それもやらせておけやらせておけ!!それをいちいち、軌道修正しようとしなくていいんだよ!!そうは言っても軌道修正したいと思うなら、それもやらせておけやらせておけ!!思いたいだけ思わせておけ!!いいかい、君が自分だと思い、自分のものだと思い、自分で好きなように制御しようとしているその人物、そいつは他人だぞ。他人のことは放っておけばいいんだよ!!

そんな乱暴な話があるかって?私が乱暴なんじゃないんだよ。心に勝手に思いが湧いて、それをこちらの思い通りに変えたり止めたりできないのであれば、それは自分ではない。他人なんだよ。他人だし、外の桜だし、風だし、雲なんだよ。勝手に現れ、勝手に去ってしまうのだから。だから、そうして湧いてくる思いを、そのまま水に流せと、あるがままにさせておけと、どこまでも自然現象として扱えばいいと、言っているんだよ。それは、乱暴どころか、神の愛なんだよ。

自分のことを批判し、責め、自分の思い通りにしてやろうというあんたのほうが、ずっと乱暴者なんだよ。ものすごく凶暴なんだよ。意識の扱い方において、凶悪犯なんだよ。その乱暴を止めて、湧いてくるものをそのまま味わい眺めてそのまま流すんだよ。水に流すんだよ。自分の怒りも悲しみも苦しみも、灯籠に乗せて流すんだよ。自分の思いに対して、真心から成仏を願ってごらんよ。この諦め、この手放し、この預け任せる態度から、自分を愛していくんだよ。自分の思いの成仏を、祈るってことなんだよ。

聖なる狂気の長文引用!!ここまで読んだ君は偉い!!君は俺だ!!俺たちの文章をここまで読める根気と勇気と度胸があるなら、君と俺は同一人物!!俺=クリシュナ=君!!おめでとう!!君は今日から神様だ!!ずっと薄っすらそんな感じもしていたと思うけど、今日、確定しました!!狂文をあなたが読んでくれたから二月二十五日はクリシュナ記念日!!おめでとうございます!!

瞑想から抜け出すことのほうが修行になる感覚、わかる気がします。通常、人は天国を目指すものだと思います。しかし、俺たち風神雷神は、天国ではなく地獄を目指しているような気がします。天国を知らないと言う前提で生きると、どこかに天国があるはずだと、天国を求めて彷徨います。しかし「自分はすでに天国を知っている」と言う前提に立つと、何が起きてもいつだって天国に帰って来られると言う安心感に包まれて、安心して地獄に遊びに行くことができるようになります。

私たちは、大人になるほど「あれもできなきゃいけない」「これもできなきゃいけない」と言われるようになり、やりたいことをやるよりも、やっておいたほうがいいことをできるように頑張るようになります。しかし、私たちのような落伍者は「興味がないことはできない」と、やる力ではなくやらない力をフルで発揮することによって、己の中にある聖域を守って来たのだと思います。そのため、大前提として天国にいるのですが、社会的な諸々をやる時だけ「よし、地獄に遊びに行こう」と、おままごとをはじめるのだと思います。

多くの方々は「自分を変えるためには人間性を変えなくちゃいけない」と思って、苦しんでいるように見受けられます。しかし、人間性なんて変えられるものではないし、怠け者の人は怠け者である必要があるから怠け者なのであり、怠け者でなくなったら魅力もなくなるのだと思います。変えるべくは人間性ではなく社会性で、社会性なんてものはなんとなく周囲に合わせておくくらいで問題なく、適当に済ませたらあとは己の人間性を磨くことに全力投球をすればいいのだと思います。

瞑想の正解はこうだとか、生き方の正解はこうだとか、正解を求めると教条主義者になるのだと思います。私は、シュタイナーは好きですが、シュタイナー教育は嫌いです。シュタイナーは自由を愛しました。しかし、シュタイナー信者は「シュタイナーはこう言っている!!だから、こうあるべきだ!!」みたいなことを言って、シュタイナーを教祖にします。最高な個人が、取り巻きの連中によって祀り上げられて、退屈なものに成り下がるサマは、見るに耐えません。あらゆる偉人は「俺も最高。お前も最高。俺みたいになるな。俺は俺になる。お前はお前になれ。俺の真似をするな。俺のコピーになるな。お前はお前になれ。最高な個人になれ」と言っているのだと思います。

圭吾さん、俺たち風神雷神、調子に乗ってますねとか、自信あるんですねとか、いい気になってますねとか、世の中でそう言われるような行動にこそ、むしろ頭頂から突っ込んで、銛のように突き刺さっていきやしょう!!未熟なままで怖くともスタートを切り、不出来なままで恥ずかしくとも堂々とし、わからないままガクガク震えて冒険に出る。調子こくと痛い目に遭うぞと言われても、調子をこく。そのように生きていると、ホームをレスしたり、ストリートの歯抜けとなったり、皆に笑われたり、蔑まれる確率が爆上がりします。しかしこの世は正負の法則が働いていますから、それと同時に反対の可能性も同じだけ起動されて、ホームをゲットしたり、シティーの人気者となったり、皆に畏怖されたり敬愛される可能性もまた、爆上がりします。

ボロを着ても心は錦。武士は食わねど高楊枝。俺たちゃ己の尊厳のためなら、意地でもポーカーフェイスを作って、地獄の果てでも「マジいい感じっス」と言うんだよ。いくら負けてもいいから、勝ったフリをするんだよ。ここに全自分を注ぐんだよ。こういうことを言うと、じゃあ自分が困っているときに助けを求めないってことですかと言い出す人がいる。違ぇって!!なんだそのひね曲がった根性は!!そうじゃないっぺ?!地獄の果てにいるなら、これこれこうで、自分にはこれがなくて、こういう力が必要だから、誰かやれる人来てくれ!!頼む!!と言うんだよ。それにより助けを借りて気分をアゲて、「マジいい感じッス」って言うんだよ!!

ボロを着ていて歯抜けで腹が減っていても、射止めたい女子とライバルの前では、マジで調子いいフリをするんだよ。どう見ても困った状況っぽいのに、意味不明に機嫌が良いから、なんかミステリアスで末恐ろしいんだよ。人は未知の穴を覗きたくなるから、そういう人には人が寄ってくるんだよ!!だから、愚痴るんじゃなくて、救助を得る間口を開けるんだよ。どこでも誰にでも、愚痴をこぼして不平不満を垂れ流して、ああじゃないこうじゃないと騒がないんだよ!!それから、ひたすら苦しみ耐えて、誰かが助けてくれるのを待ってもダメ。これが最悪。そうじゃなくて、「あ、どもども、俺今ですね、地獄の果てにいるんですけど、ちょっと地獄なだけあって物資が足りなくてですね、なんとかここまで食べ物とか送ってくれませんかね」って言うんだよ。これは愚痴じゃないんだよ。わっかるかなあ~!

そして、「俺は地獄の最果てにいる。俺の心は今、輝いている」と言って、イイ感じッス感を放つんだよ。ここは、ハッタリでかまわねえの!!そういうことを言ってるんだよ!!死んでも尊厳を崩さねえの!!君もなぁ、今これを読んでいるという運命の波に乗りたまへ!!その遠くから届くさざ波のような、胸の高鳴る調子に乗って、いざ覚悟を決め腹をくくって、武士になるんだよ!!ママチャリに乗っていても、フェラーリに乗ったやつと同じドヤ感と余裕を醸し出すんだよ!!そうすると、ホームをレスするところがなぜかゲットするほうに、ストリートの歯抜けとなるところがなぜかシティーの人気者になるほうに、皆に笑われたり蔑まれるところが、なぜか畏怖されたり敬愛されるほうに、コロッと転がってしまうんだよ!!

あちょー!!引用に困る!!どうしても長文引用になってしまう!!壇珠さん、俺たち、すでに一万人分くらいの遺書を書き残しましたねここに。しかも、さらに書き続けようとしている往生際の悪さ。俺たちに老後はない。今が一番若い。今が一番老いている。生まれた時から隠居の爺さん婆さん。風神雷神の隠居は山奥ではなく、都会派。死ぬまで暴れて、死ぬまで調子をこきまくる。死ぬまで元気を貫いて、死ぬまで意地を張り倒す。これが隠居だ。まいったか。君も俺たちに続け。

不正出血をしている場合ではない。肌を守る。子宮を守る。愛に生きるな。恋に死ね。恋は子宮を救う。本当に好きなもののために生きる。これがいいなと思ったら、一旦決める。一旦決めたら調子に乗る。何を言われても「すんません。あっしはこれで行くと決めたので」と、飄々と生きる。金をかけない。命をかける。正確には、本当にいいと思ったものに金も命もかけまくる。まともになろうとか思わない。それは打算。それは損得。死んでもいい。死んでもいいから、やりたいことをやる。好きに向かう意思を純粋に爆発させる。

問題が起きたら喜ぶ。絶対に乗り越えられる。へこたれるようじゃダメ。チャンスはピンチの顔をしてやってくる。自分を特別不幸だと思わない。みんな普通にやっていること。問題が起きた時は「かえってよかっじゃありませんか」と言ってみる。そして、言った直後に「なぜなら」と理由を考える。問題は問題の顔をしたチャンスである。問題が教えてくれたことがある。そこから学びを得れば、私たちはさらに自由になる。さらに美しくなる。磯の波飛沫が俺の化粧水。貧乏不遇が俺の美容液。危険が、俺たちを若返らせるのさ!!

だから・・・しのごの言わないで死ね!!俺たちだけに死なせるな!!これを読んでいるお前も死ね!!死ね死ね今日死ね!!死ねば死ぬほど元気になる!!金をかけるな!!命をかけろ!!バガヴァッドギーターを読め!!本が無理ならアーユルヴェーダを学んでそこから得た知識を俺たちに共有しろ!!湯を沸かせ!!ザクロを飲め!!愛に生きるな!!恋に死ね!!恋は子宮を守る!!恋をしろ!!ギーターと書いて恋と読め!!愛に逃げるな!!感謝に逃げるな!!恋だろ、恋!!恋をしろよ!!ギーター(恋)に生きてギーター(恋)に死ねよ!!別にバガヴァッドギーターじゃなくてもいいんだよ!!俺の場合はバガヴァッドギーターだったってだけの話だから!!お前のギーターのために生きて、お前のギーターのために死ねよ!!いいか!!わかったか!!わかったらゴー!!地獄の果てまでいってらっしゃい!!

【風神雷神と恋する子宮ツーリズム】愛に逃げない。恋に死ぬ。恋に恋する俺たち乙女。地獄の果てからこんにちは。ここで会ったが運の尽き。不正出血なんのその。ここが僕らの墓場で天国。恋に落ちたら地獄に落ちた。地獄が僕らの天国でした。※子宮にまつわる問題は、至急な対応をよろしくお願いします。企画・運営:(株)風神雷神

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坂爪圭吾 ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!

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