吉本新喜劇の最古参メンバー、桑原和男(くわばら・かずお=本名・九原一三)さんが10日、老衰のため、神戸市内の病院で亡くなった。87歳。61年、吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」時代に入団。69年に座長に就き、72年に退いた。89年の世代交代を経ても、後進育成に努めてきた。「ごめんください…ありがとう」の一人芝居、ひざまずいての「神様~」などギャグ多数。胸をさらけ出した「和子ばあちゃん」キャラを定着させ、半世紀以上にわたり新喜劇を支えてきた。通夜、葬儀は近親者のみで執り行う。

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大阪の伝統芸、吉本新喜劇の“生きた教科書”がついに力尽きた。桑原さんは18年5月18日、よしもと西梅田劇場(当時)を休演。以後休演を重ねていたが、同年秋、19年秋のコヤブソニックへは復活登場し、19年3月には「60周年だよ! よしもと新喜劇」に出演。20年10月の「よしもと大笑い祭り寄席」が最後の舞台になったが、昨年11月には本拠地の大阪・なんばグランド花月(NGK)へ来場し、車いすで観劇した。

乳房を取り出すギャグの「和子ばあちゃん」、ひざまずいての定番ゼリフ「神様~っ」、やたら前方に傾いた姿勢で「ごめんください、どなたですか…お入りください、ありがとう」。穏やかな風貌、安定感のある芝居運びで、新喜劇の精神的支柱でもあった。

桑原さんは、以前から不整脈を抱え、00年には急性心筋梗塞で入院。それでも、吉本新喜劇公演や、イベントにも出演を重ね、17年11月、吉本興業が主催したイベントに出演。初の女性座長、酒井藍らとともに舞台に上がり、名物の乳房ギャグを披露していた。

桑原さんは、小倉の漁師の家に生まれたが、船酔いが強く、家業継承を断念。夢路いとし・喜味こいしの漫才に魅了され、大阪へ出て、弟子入りした。何度か漫才コンビを組んだが、成功せず「わしは人に合わせるのが苦手。1人の方が気楽」と言い、吉本新喜劇が生まれる前の「吉本ヴァラエティ」へ加入。笑福亭松之助や、平参平とも共演し、花紀京、岡八郎時代を経て、89年の「やめよっカナ!?キャンペーン」も乗り越えた最古参座員だった。

穏やかな風貌、性格も温厚。年齢の上下に関係なく接する人柄で、後輩からも慕われた。同時に、九州男児らしい一本気な性格で、漫才をやめて、新喜劇へ転身したことについて「師匠(いとし・こいしさん)に申し訳ない」との気持ちを生涯、持ち続けた。

以前、取材に「いつかはもう1度漫才をしたい」と答えたことがあったが、それは師匠への謝意の表れだった。その思いは70歳を過ぎるまで消えなかったといい、桑原さんは「70歳を超えてやっと達観。若手の手本になろうと思えるようになった」と話していた。不屈の闘志で何度も復活を重ねたが、ついに力尽きた。【村上久美子】

◆桑原和男(くわばら・かずお)本名・九原一三(くはら・かずみ)。1936年(昭11)2月23日、福岡・小倉(現・北九州市)生まれ。夢路いとし・喜味こいしに弟子入りし、56年に漫才師として初舞台。61年「吉本ヴァラエティ」に加入。吉本新喜劇では69年に座長に昇格し、72年に退き、後進に道を譲った。89年「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」を経て、花紀京、岡八郎らが退団し、世代交代が図られたが、池乃めだからと残留。重鎮として、新喜劇を支え続けてきた。