中島貞夫さん、映画にかけた情熱 〝第2の故郷〟京都では京都映画祭の発展に尽力 

  • 京都国際映画祭発表会見に出席した中島貞夫名誉実行委員長(前列左から4人目)ら(2019年9月撮影)

肺炎のため、11日に88歳で亡くなった映画監督の中島貞夫さんは、東映京都撮影所に配属されたことをきっかけに京都との縁が深まった。

1994年に京都市文化・芸術振興計画委員会委員、04年には京都映画祭総合プロデューサーとなり、06年の同映画祭において、日本映画の発展に寄与した映画人を表彰する牧野省三賞を受賞した。

同映画祭を引き継ぎ、14年に創設された京都国際映画祭では、第1回より実行委員長に就任。映画だけにとどまらない文化・芸術全般の発展に寄与した。

映画人生の集大成として、20年ぶりにメガホンをとった「多十郎殉愛記」(19年公開)が、18年の京都国際映画祭でクロージング作品として上映され、主演を務めた高良健吾らと登壇。「映画を作り続けた町、日本映画のふるさとで作品を発信しなければと思い、やっとできた。ヤッターという気持ち」「ええ年こいたおっさんばかりじゃダメ。孫のような年齢の俳優さんでちゃんばらを撮りたかった」などと作品への情熱を語っていた。

映画作り、業界への思いは深く、後進の育成にも熱心。リニューアルされ、総合エンターテインメント事業として、活性化した「京都国際映画祭」への熱量も高く、実行委員会として従事する関係者は「中島さんは『こういった事業は続けていけることに意味がある』とおっしゃっていた」と言い、しのんでいた。