猫になった弓兵の話
タイトルまんまです。
目指せハートフルストーリー
可愛いお猫様を目指したつもりですが、いかんせん犬としか過ごした事のない私にはとても難産でした・・・
猫はこんな事しない!と思われたら申し訳ありません。寛容なお心を持ってして生暖かい目で見守ってやっていただけると幸いです。
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かつて憧れだった才ある美少女が天才少女と言い切れない理由はもはや遺伝レベルでもあるうっかりのせいだった。それは成長しても消えることがなく、そして今日も突然それはかつての弟子に降りかかるのだった。
「・・・にゃぁ」
遠坂邸のダイニングで一匹の雄猫が不服そうに鳴く。
「ごめんなさいアーチャー・・・すぐに戻してあげるから、ねっ!?だからそんな顔しないで・・・」
その猫の前に座り込み、必死にお願いをするのはこの屋敷の主である凛だ。白い毛並みと鉄色の瞳をもった猫は大層機嫌が悪いのか尻尾をぱたぱたと絨毯の上で遊ばせている。
「にゃ」
まるでため息をつくように一声なき、猫ーもとい、猫となったアーチャーは己の姿を見れる範囲で眺めた。真っ白い毛並みとまるっこい前足、くるりとかえしてみれば見慣れた褐色をもった肉球がそこにあった。。せめてここがピンク色ならまだ愛らしいものを、実物のカラーリングをここまで留めるとは・・・と、余計なことが気に触ってしまう。
「念話!念話はどう?」
「・・・にゃう・・・」
魔術の失敗でサーヴァントを猫へと返信させてしまった凛はなんとか愛しのサーヴァントと意思疎通を図ろうとするが、念話も相手がまるでいないかのごとく通じない。かろうじて言葉は通じるようで、アーチャーは凛の言葉には見事反応してみせるのがせめてもの救いだった。
だが頼みの綱の念話が通じず、流石にアーチャーも気落ちする。するとその感情は思いの外素直に表面にあらわれる。
「ああ!しょんぼりしないで!耳ぺたんってしないで可愛いっ」
ぺしょりと力なくうなだれてしまった耳の愛らしさに凛がさらにうっかりと胸キュンしてしまう。
「フー!!」
「あっ!違うの!ごめんなさいそうじゃなくて、ちょっと!?どこへ行くのよアーチャー!?」
この状況にご立腹なアーチャーは身を襲う魔力不足からくる倦怠感と戦いながら魔術を行っていた凛の地下室ではなく、凛の部屋へと向かう。そこには宝の持ち腐れとなったスマホが充電器と繋がったままそこに鎮座していた。そしてそれを起動させーもちろんパスワードなどかけられていないーメモ帳を起動させる。
「え?スマホ?え、なに、あんたフリックできるの!?」
まだ私もできないのに!と驚く凛を尻目に、筆談も出来ないアーチャーは器用に肉球でぷにぷにとフリックをしてゆく。
『君の言葉を理解することは可能が、念話がまだ出来ない。魔力不足と思われる』
その画面に記載された文字をみて、凛の顔色が変わる。
「うそ、貯蔵してた魔力までぶっとんじゃったの!?」
「にゃあ」
アーチャーはコクリと頷いた。
「やばいわ、このまま魔力切れになったらどうなることか・・・現界出来ないのも怖いけど、ただの猫になっちゃう可能性も・・・ああやばい!なんとかしなきゃ!とりあえず宝石をっ!」
「にゃー!」
ばたばたと慌てた凛がアーチャーに食べさせる宝石を取り出すためにバタバタと机の上をひっくり返す。焦ったときこそ慎重に行動しろ!と叫ぼうとしたが口からでるのは只の鳴き声。本日三度目のうっかりをしてしまった凛は相性の悪い不安定な宝石同士をうっかり接触させてしまい・・・
閑静な住宅街に響く爆発音とガラスが割れる音、そして盛大な悲鳴が響き渡った。
バイト帰りのランサーは酒のツマミを差し入れしてもらい本日大満足だった。もはや住み慣れた我が家となったテントへ戻ろうとしたところでいつもと違う光景に気がつく。
「・・・あ?猫か?」
いつもは素通りする公園の入り口にぐったりと横たわる白猫がいた。ただ猫が寝転がっているのであれば何の問題もない平凡な一日だが、鋭い嗅覚はわずかに香る血臭を捉えていた。
近づいてみればところどころ切り傷があり、白い毛並みが赤く染まってしまっている。意識を失っているのか目は閉じられているが、呼吸は荒く今にも死んでしまいそうだった。
「おー・・・、お前さん派手にやったな」
今日は機嫌もいいし懐も温かい、ここで見なかったふりをすることも出来たがそれではどうしても夢見が悪くなるというものだ。もっともサーヴァントは夢など見ないが・・・。
「しかたねぇな」
ガサガサと騒ぐビニール袋の音でも目を覚まさない猫をひょいと抱え、ランサーは先程より少し歩くペースを遅くしてねぐらへと帰ることにした。
帰ってすぐに行ったのは傷口を洗うことと虫がついていないかのチェックだった。大分衰弱しているらしく猫は濡れたタオルで傷口を拭ってもぴくりともしなかった。幸いにも虫もいないので改めてテントの中へ入れてやり、近所のおばさまからもらった家で余ってしまった引き出物といっていたタオルを箱から出し丸く簡易ベッドを作り、その中にその身を横たえてやる。
滴るほどに湿ったタオルを口元に当ててやれば、喉が乾いていたようで白猫はうっすらと口を開けそれをちゅうちゅうと吸い始めた。まるで子猫のようだが自分で嚥下する力があるのであれば問題ないとランサーは判断し、ゴロリと猫を抱え込むように横になった。
血が流れば人でも体温が下がってゆく。猫の平熱がどのようなものかわからないが、温かいほうがいいだろうと考え腕の重みで潰さないよう気をつけながらそっと猫を抱き寄せた。
手当された白猫は意識ないまま甘えるようにスリと抱き寄せてきた腕に頭をこすらせ、そしてまたくったりと眠りについた。
「・・・よく休め」
手当をしている間にとっぷりと日はくれている。ランサーはそのまま己も仮初の眠りにつくことにした。
ぽかぽかとした暖かさにくるまれ、気持ちがよかった。その暖かさがふっと近くなり、優しく身体を触ってくれた。それが離れていこうとするのが惜しくて両手でそれを掴んで引き寄せた。思わず喉が鳴る。頭を撫でるそれをがっちりと両手でつかみすりすりと頭を擦りつければ、それはさらに優しく頭を包んでくれて耳の後ろをかりかりとこすってもくれた。
ふふ、そこは気持ちがいい。
くるくるくると喉が鳴る。
『・・・ん?』
喉がなる?今までにない感覚を当たり前に行っていることに不思議をおぼえアーチャーはふわふわと意識を浮上させた。
「・・・ふにゃ?」
「お?起きたか?」
何か声をかけられたきがする。体が怠くて瞼が重い。それをこじ開けるようにしてやっとの事で目を開けたその目前には、神々しいほど整った大英雄のドアップがあった。
「ぎにゃ?!」
「うぉ?!飛んだ?!」
猫特有の驚異的なジャンプ力でランサーの腕から文字通り飛び出したアーチャーはそのままシュタッと華麗に着地し、パニックを起こしてくるりと反対に全力で駆け出した。
「まてっ!!」
ランサーの止める声も聞かず、眼を見張る早業でテントから飛び出そうとし
「ふぎゃん!!」
アーチャーはきっちりと閉じられてテントの入り口に頭からつっこんだ。
そのままころりんとひっくり返り、強かに擦ってしまった鼻面をふにゃふにゃ言いながら両前脚で庇う。もはや何が起こったのかよく理解していないアーチャーはひたすら今鼻面の痛みと全身の引きつるような痛みに悶絶するしかなかった。
「あーあ、傷開いたらどうすんだよ」
落ち着けたわけと頭から声がふってきて、ひょいと身体が持ち上げられる。
すっぽりとそのまま逞しい腕に抱きかかえられ、ようやくアーチャーは自分が猫になってしまったことを思い出した。
「んにゃ」
改めてあたりを見回せば、サイズ感こそまだ慣れないもののテントの中だとわかる。そしてテントの中で寝泊まりする物好きなどおそらくこの街に一人しかいない。
否、先ほどドアップで顔を見てしまったのだ。ケルトの大英雄の心臓が止まりかねないほどの美しい顔を。
胡座をかきその中に座り込むようにしてすっぽりと抱えられてしまった体勢のまま、そろりとみあげればやれやれと言った呆れ顔が己を見下ろしていた。
「ガミガミ言われてたおかげでちゃんとチャック閉めてて良かったぜったく・・・鼻面擦りむいてねぇか?病み上がりってかまだ傷も閉じてねぇのによく動けたもんだ」
それでもどこか優しげに掛けられる声と、ナイロンの布に強かに擦ってしまった鼻先をいたわるように両方の頬をよしよしと撫でられる。いや、これは摘まれるといった方が正解か。
キョトンとしてると、そのまま毛繕いのごとく身体中を検分される。
あらぬ行為にジタバタと暴れても器用な両手はそれを簡単に避けてしまい、そのままさも当然のごとく検分は続けられる。全身をボサボサにされ、むしろそれを加速させるかのごとくぎゃんぎゃん喚きながら大暴れし、散々毛を撒き散らして力尽きて塗ったりしたところでようやくそれは終わりをみせた。
「・・・んなんな・・・」
ボサボサの毛並みを直すこともできず、ランサーの胡座の中でぐったりとしながらせめてと抗議の鳴き声をあげ続けることしかできない。
「怒るな、傷口が開いてないかを見てただけだ」
「に」
「あー、傷口はまだ繋がったばっかりだが、やっぱ血がこびり付いてるな・・・ちと待ってろ」
「・・・にぅ」
もう好きにしてくれと言わんばかりにされるがままのアーチャーの毛並みはボサボサにされる前から酷いものだった。
ある程度昨晩ランサーが濡れたタオルで拭ってはくれたがそれでも夜のうちに滲み、そして固まった血の塊が皮膚だけではなく毛も巻き込んでしまっている。
ただでさえ全身が切り傷で痛いのに、さらにそれに毛も引っ張られているのだから暴れれば暴れる程ぷちぷちとそれにつられ毛はちぎれ、そして傷は開いてしまう。ようやくそれをアーチャーが理解して暴れるのをやめても時すでに遅し、痛みはより酷くなりもう頭に来るくらいだった。
「みにゃっ!!」
また身体をひょいと持ち上げられる、少し熱めの濡れたタオルが傷口にそっと当てられ、アーチャーは驚いて変な悲鳴をあげた。
「ほーれ、とりあえず傷口綺麗にするから落ち着け、猫じゃ風呂は嫌だろうからよ」
猫は包帯巻けるのかー?毛が邪魔だよなぁなどと不穏なセリフを吐きつつも、ランサーは甲斐甲斐しくアーチャーの傷の手当をする。
今度ばかりはアーチャーもじっとしてそれを受け入れる。
業腹だが今の自分は手負いだし、手当も自分ではろくに出来ない、魔力もほぼ枯渇しており唯一頼れるのは目の前にいるランサーだけなのだと頭が痛くなりつつも理解する。
『凛が爆発を起こさなければせめて・・・いや、そもそもうっかりさえ発動しなければ・・・』
ここまで傷だらけなのは訳がある。
凛の爆発に巻き込まれガラスを突き破りついでに嘘のようなタイミングで外を走っていたトラックにのってしまい、このままでは何処に連れて行かれるか分からぬと慌てていたところに、急カーブで曲がった遠心力に逆らえずぽーんと放り出され、そうして結果車から振り落とされる形で地面に叩きつけられ気を失ったのだ。
流石幸運E
むしろ命が無事だったことが不思議なくらいだ。
納得いかないとふにゃふにゃと文句を呟きつつ、アーチャーはまるで湯船に浸かってるような温かさにまた瞼が重くなる。今は休戦中とはいえ、敵のサーヴァントの手の中で眠るわけにはと思うのだが、歩み寄る睡魔には敵わない。
結局、アーチャーはランサーの腕の中ですやすやとまた眠りにおちていった。
「・・・あーらま、可愛いことで」
首を預けくったりと手にもたれてしまい、少し布で拭ったくらいではピクリともしない猫をかかえランサーはため息をついた。
「あんだけ暴れたらそらまた眠くなるわな」
眠気の次は飯か?とガサゴソと備蓄の中を漁る。猫が好きそうなのはやはり魚かとツナ缶や味噌煮などを用意しやはり猫用の物ではないとダメなのかと首をかしげる。
いかんせん生前でも縁があったのはやはり犬なので、猫の扱いなと勝手がわからない。肉食ではあるのだが生肉を用意してやる訳にもいかない。
仕方がないのでランサーはスヤスヤと眠る猫を置いて出かける事にした。
パチリと目がさめる。
先ほどよりも大分意識がクリアだ。そして周りが少し暗くなっている事にもきがつく。そして自分が大切な物のように毛布に包まれていることも知る。
「にゃんにゃー?」
ランサー?と呼びかけても、相手からの返事はなかった。
痛む身体を引きずりながらテントの入り口まで這いずってゆくが先ほども行く手を阻んだジッパーは到底開けられない、すわこじ込められたかと呆然としていた時だった。
「おー、起きたか?メシ食うか?」
じゃりっと入り口が開かれ、外には屈託のない笑顔がアーチャーを待ってい。
「まだ辛そうだな、ほれ、無理して動くな」
「なぉーぅ」
またひょいと持ち上げられる。
そしてルーンで編まれた焚き火の周りには、いくつかの猫グッズとその説明書が散らかり、簡易で作られた調理スペースでは離乳食の様なものな作られていた。
「あんま俺は料理得意でなくてな、俺の作ったものよりやっぱこっちの方がいいか?」
抱きかかえられた目の前に差し出されたのはツナ缶だった。
アーチャーはふんふんとそれの匂いを嗅いだ後、ぺしんと尻尾でツナ缶を持つランサーの腕を叩く。
「みゃぁおん、みゃぁぁん、なぁぁう、んなんな」
『たわけが、猫さんにはツナ缶の油はキツイのだ、貴様がつくった物をよこせ』
猫語が通じる訳はないが、ぺしんぺしんと尻尾で叩きつ続ければ拒否の姿勢は流石にランサーへと通じたらしい。
「んぁ?ツナ缶は嫌か?贅沢な奴だなー、美味いんだぜこれ」
「にゃうん」
『それは否定しない』
果たして通じたのかは別の話とし、ツナ缶を己のツマミとする事にしたランサーは仕方ないかと言わんばかりに作った病人食、この場合病猫食をスプーンにすくって口元まで持ってする。
スンスンと匂いをかけばそれはとても食欲をそそるもので、アーチャーはペロリとそれを舐めてみる。
「!」
その美味さに驚き耳がピンと立つ。
程よい塩気と魚の素材の味が詰まったそれは俗に言う猫まんまと言われるものだが、今の魔力が枯渇したアーチャーは急に空腹感を覚え、がつがつとスプーンにかじりつくように夢中で食べ始めた。
すぐに小さなスプーンの中身は空となり、口周りをペロペロと舐めながら前足でちょいちょいとランサーの腕をつついてお代わりを催促する。
「っくはは!気に入ったか、ほらたくさん食えよ」
口をもごもごさせながら次を強請る様子が愛らしくて、ランサーは吹き出し笑いが止まらない。作った食事がお気に召していただけたのであればと次は小皿に盛ってやり、そっと抱き上げた腕から降ろしてやればアーチャーは小走りでそれに近寄り、まるで顔ごと突っ込むようにしてそれを平らげていった。
焚き火にあたりつつ夢中で食事をするその猫の姿は心和むもので、ランサーは頬杖をつきながらそれを安心しながらじっと見ていた。
山盛りの食事がなくなり、それでも皿を綺麗にするかのように舐めるている途中でアーチャーはようやく視線を感じ、顔を上げた。
夜も更けた深夜、焚き火の明かりだけがこの場にいる二人の姿を闇夜に浮かばせる。
ようやく人心地ついた時に見上げた先にいたのは、今まで見たことの無い穏やかな微笑みを浮かべたランサーだった。
どうしてそんな嬉しそうな、幸せそうな顔をするのかとアーチャーは不思議になる。
「・・・にゃん?」
どうしたとかけた言葉は猫の鳴き声となって夜空に吸い込まれていったが、意図はどうやらうまくは伝わっていないようで。
「んー?どした、満足したか?足りないならいつでも追加するからな」
言いながらも、アーチャーがもう満腹である事を分かっているランサーはお代わりは用意せず、アーチャーに手を伸ばし頬についたご飯粒をぬぐいとってやる。
その動作がまるで自然の動作だったので、アーチャーはそれをとってもらってランサーがその手を拭うのをみて初めて、自分が無防備であることに気がつき、うろたえた。
いくら相手が自分のことに気がついていないとはいえ、接近と接触を許したなどどうかしている。
猫になって判断能力も失ったのか?!いや野生動物のほうが鋭いのではと自問する。
固まってしまった相手に苦笑し、ランサーは先に終えていた自分の食事の後片付けを簡単なすましついでに猫用の皿も下げてしまう。それと代わりに差し出されたのはミルクで、猫である今のアーチャーにはとても良い匂いで美味しそうな飲み物に思えた。
よくよくパッケージを見れば仔猫用とあり若干ムッとしたものの、あまりに芳醇な香りにゴクリと喉が鳴る。塩気のあるものを食べたせいか喉が渇いたのだ、きっとそうだと自分に言い聞かせながらすぐにぴちゃぴちゃと音を立ててそれを舐め始めた。
横目でランサーを見れば、やはりあの穏やかな笑顔。
この男が英雄であることを忘れてしまいそうになる程、穏やかなその笑顔は見ていると何故だか心がざわついた。
ランサーの手が伸びてくる。
今度は一瞬緊張する。
その手はそれに合わせるように止まりはしたが、すぐに警戒をさせない為かよりゆっくりとまた動き出し、アーチャーの小さな頭を、白い毛並みをそっと撫でた。
「ここなら傷の治りも早いだろう、ゆっくりと休め」
慈愛にすら満ちたその言葉をあえてただの音として受け流し、アーチャーはランサーから目を離さないままミルクを飲み続けた。
なんというか、そのまま言葉を聞いてしまったらその後の沈黙に耐えられない気がしたから、あえて聞かないふりをした、つもりだった。
頭を撫でる指はとても優しげで、無骨な槍を操るものととても同じだとは思えないほど繊細だった。
気を紛らわせるためにミルクを飲んでいたのに、だんだんその気持ち良さに意識がとられてしまう。
耳がぺたんと倒れ、くっと喉が上がる。もっとと強請るようにその手に頭を擦り付けてしまい、自然とミルクを舐める動きがとまり喉がくるくるとなる。
アーチャーは、これでは確かに仔猫ととられても仕方ないだろうという程に気持ちいい事を全身で表してしまっていた。
「ふふ、お前食べるのも飲むのも下手くそだな」
顎の周りまでミルクを飛ばしてしまっている様子が愛らしいとランサーは笑い、先ほどのように指で拭う。その指についたミルクを拭う布をうろうろと探しているランサーの指を、アーチャーはとても自然な動作でぺろりと舐めた。
「お?」
驚いた顔のランサーを尻目に、アーチャーは本能に従って一心不乱にミルク味のその指を舐めた。たまにちゅっちゅと仔猫のように吸ったり、前足でふみふみとしてみたり、アーチャーにもわからないがそれがとても今したくて、とても落ち着くのだ。人間であればこの男の指を舐めるなど言語道断。むしろ切り落とすくらいの認識なのだが、今は猫なのだ。
しかも残念ながらだれがどう見ても仔猫なのだ。
「・・・やっと、警戒心はとれてきたか・・・?あまったれ」
ランサーはその様子を頬杖つきながら穏やかにながめていた。ザラザラとした舌で舐められるのはくすぐったい。時折指にまたミルクを浸してやれば、がっしりと前足でホールドしながら舐めてくるこの猫との時間はランサー自身ですら驚くほど穏やかで癒される時間だった。
パチパチと火花が散る音が静寂を遠ざけ、炎が夜の冷気を払い暖かく二人を包み込む。
その日から、一人の英霊と一匹の猫になった英霊の奇妙な距離感は近づいていった。
「にぁああああん!!!」
ぴょーんと小さく丸い白毛玉がテントの中を駆ける。
「ほれほれほれ、こっちだ!ほーれ!!」
「ふにゃん!」
鈴のついた猫じゃらしをランサーがふる。最初はそんな物、私は本来猫では無いと突っぱねていたアーチャーだが、ランサーの子供のような笑顔とそのふわふわと目の前を横切る物体に次第に視線が釘付けとなる。そしてついに前足でたしりとそれを掴んでしまったときの、快感。
『こ、これは・・・!!』
途端、猫としての本能がぱあぁと広がる。獲物を捕まえた達成感や喜び、追いかける楽しみがどっと押し寄せてきて、そのあとはもうランサーの手元しか見えなかった。
怪我もだいぶ治り、はげていた傷跡も産毛が生えてきたくらいの体はようやく全力で走ることができる。全身にみなぎる力を発露するかのようにアーチャーは本気で猫じゃらしを追いかけた。
対するランサーも最速の英霊と謳われるだけある。容易にアーチャーに猫じゃらしは取らせない。たまにアーチャーが焦れて不満そうな顔し始めた時に少し手を抜き、掴ませてやり、ようやく捕まえた猫じゃらしとまるでプロレスでもやっているかのようにじゃれる様子を本当の楽しそうに、笑いながらながめている。
「甘えたで負けず嫌いなんて、お前ほんと面白れぇのな」
小さな囁きは全力で遊ぶ仔猫には届かない。アーチャーはすっかり猫としての喜びに没頭していた。
そして全力で遊んでいる最中襲うのは突然の眠気。小さな体で飛んで跳ねて、疲れ知らずの英霊と戯れているのだから当然体力は尽きる。それも突然、まるで電池が切れたかの様に。
「んな・・・」
急にスピードがおちとぼとぼと歩く、猫じゃらしに前足は伸ばすもののバランスは取れずこてんと倒れこみ、前足でそのままこしこしと目を擦る仔猫。
「お?疲れたか?」
そんな様子をすぐに察知したランサーはすぐさまアーチャーをすくい上げ、腕に抱く。呪いの朱槍を扱う無骨な手が意外なまでに繊細な動きで柔らかい猫の体を慈しむように撫でる。背中、耳の裏、腹や喉元、どこを触られてもふわふわと夢見心地で気持ちがいい。
ごろごろと自然に喉はなり、暖かい腕の中で猫になったアーチャーは何の不安も戸惑いもなく幸せな眠りについた。
「・・・いい夢を、な」
そっと額に降りたキスに気がつかないまま、アーチャーはにゃうんと小さな寝言を呟いた。
日中ランサーがバイトの時はマナ溢れる日向で昼寝をして体を休め、ランサーが帰ると共に食事をし、焚き火に照らされながらブラッシングしてもらったり、力つきるまで遊んでもらう毎日。自分が人類の守護者である事も、ランサーが元は敵である事も頭の片隅にはあるものの、その穏やかで平和な日々はとても心が満たされるものだった。
みたことのないランサーの微笑みや、優しい手つき、案外料理は上手い事も知ったし、猫の自分に話しかけてくるその内容は皆面白い。
猫だから、今は猫だから、少しだけ、もう少しだけ、このままで。
そんな細やかな祈りは募るばかりだが、そんな楽しい時間だからこそなのか、終わりはあっけないほどすぐにやってきた。
満月の夜、いつものようにランサーの腕の中で丸まって眠っていたアーチャーはノイズのような感覚を受信し目を覚ました。
『アーチャー?アーチャー聞こえる?!』
頭に響くマスターの今にも泣きそうな声。
ああ、漸く彼女と繋がれたという安堵と、この日々が終わってしまうという寂しさが胸に同時に広がった。
『凛、すまなかった。ようやく聞こえるようになったようだ』
『アーチャー!!よかった・・・本当に、ごめんなさい、私っ』
『謝る事はない、不運が重なっただけだ、私も怪我で直ぐに戻れなかった。不甲斐ないサーヴァントだ、言い訳の余地も無い』
『ううん、そんな・・・、早くあなたの顔が見たいわ、体を戻す方法もわかったの、戻って来れそう?』
『・・・了解した。明日には戻れるハズだ。帰ったら真っ先に紅茶を入れよう。リラックス出来るものをな・・・君、その分だと寝ていないだろう?』
『そんな事ないわよ!休憩も大切です。と言いたいところだけど、流石にそんな気分にもなかなかなれなくてね、ご名答よ。楽しみにしてるわ、私のアーチャー』
『ではまた明日』
『ええ、また明日。お休みなさい』
『おやすみ、凛』
念話の終わりと共に、アーチャーはむくりと体をおこした。
ランサーのテントのある場所は遠坂邸からは少し遠い。猫の足ではどれくらいかかるのかも不明だから早めに行動を開始しなければと考えたのだ。
だが、起き上がったのはいいが何故だかなかなか足が動かない。
「・・・珍しいな、起きたのか?」
優しい掛け声と、そっと頭を撫でる温もり。振り向けばランサーが欠伸を噛み殺しながら、あのアーチャーが人間の時には見たことのない慈愛のこもった笑みを浮かべている。
「・・・なぁう」
頭を撫でる手のひらに甘えるようにすりすりと頬を寄せる。何度も本能にかまけて舐めて吸った、指の先をぺろりとまたひと舐めし、そして
「っ・・・どうした?」
少しだけ、強めに噛んだ。
初めて噛まれたランサーが怪訝そうな顔をする。
後ろ髪を引かれるとは、こういう事を言うのだったなと懐かしい気持ちになる。久しくこんな人間らしい感情を思い出す事はなかった。それほどランサーとの日々は何の憂いもなく、幸せに満ちた日々だった。
もう一度、噛んだ指を労わるようにぺろりと舐めてから、アーチャーは振り向いてテントの入り口をかりかりと引っ掻いた。
「・・・行くのか」
ランサーも猫の様子がおかしいのに気がついたのか、少しだけ寂しそうな微笑みを浮かべながらもテントを開けてやる。
「きぃつけろよ」
「にゃうん」
挨拶するように尻尾を一振りし、アーチャーは未練を断ち切るようにして夜の森を走った。
結局遠坂邸についたのは朝で、ようやく人の姿に戻った時には凛は泣き出し謝り倒して宥めるのが大変だった。猫だった時の傷の後も無く、直ぐにいつもの日々は戻ってきたように思えた。
商店街で買い物を済ませたアーチャーは帰り道にある公園でランサーを見かけた。
それは人間に戻ってから始めて見かけた姿だったが、ベンチに座りぼんやりと空を眺めるその様子はいつに無く心ここに在らずといった薄い気配だった。
脳裏に浮かぶのはあの屈託無い笑顔ばかりで、その差が心に引っかかった。
「・・・ランサー?どうかしたのかね?」
気がついた時には、アーチャーは自分からランサーに近づき声をかけていた。
「あ?お前から声かけてくるなんざ珍しいな」
「・・・っ」
声をかけた直後、アーチャーはそれを後悔した。戻ってきたのは何処か不機嫌そうな声で、アーチャーという敵に声を掛けられた事への疑心が含まれた硬いものだった
それも当然だとアーチャーは直ぐに思い直す。ランサーが助けたのは名もない小さな白猫であって、アーチャー自身ではない。あの優しい微笑みや温かさはアーチャーに向けられたものでは無い。
今も昔も、我ら二人の間にある関係は敵対関係以外はあり得ないのだという現実が突きつけられる。
「なに、君が余りに腑抜けた面をしているのでね。何か悪いものでも拾い食いしたのかと思ったのだよ」
彼は敵だ。そう思えばこちらも皮肉の一つや二つは搾り出すことができる。ずんと鳩尾の辺りが重苦しくなるような、まるで心が傷ついたような感覚は気のせいだと自分に言い聞かせたを
「・・・けっ、言ってろ・・・こっちだってたまには傷心する時だってあらぁ」
「ほぅ、それは本当に珍しいな」
「だろぅ?俺自身も驚いてらぁ。なぁアーチャー、ここらで白い猫を見かけなかったか?まだ小さいやつだ」
猫の話題を振られ、心臓が跳ね上がる。何とか表情に出すのは堪え、アーチャーは自然体を心がけるのに精一杯だった。
「猫さんか?見ていないな」
「そおか・・・怪我ぁしててな、テントでしばらく面倒みてやったんだが、この前出て行っちまってよ」
ベンチに座り、天を仰ぎながらランサーはぽつぽつと話をして行く。アーチャーは何か、何か叫びだしたくなるような気持をぐっとこらえるのに必死だった。
「この前の満月の晩に出て行ってそれっきりだ、今でも元気でやってるか気になってな」
「・・・猫さんが自分から出て行ったなら、恐らくは二度と会えないだろうな・・・だが猫さんは命を助けて貰った恩は決して忘れないだろうよ」
ああそうだ、忘れないとも。
助けて貰った恩も、あの柔らかい微笑みも、暖かい腕の温もりも。目を瞑れば直ぐに思い出す事が出来る、奇跡の数日間。
ハタとアーチャーが目を開けると、そこにはいつの間にか立ち上がったランサーが正面にいた。
まるで猫を撫でていた時を思い出すように、右手を掲げてみせる。
「粋なやつでさ、挨拶なのか最後の最後に指噛んでったんだが、跡がまだ消えないのがいじらしくてな」
「跡?」
そんなに強く噛んだか?猫さんになってしまって加減がわからなくなってしまったのかと、アーチャーはランサーの手を覗き込み、噛んだ人差し指に手を伸ばして検分する。しかしそこには傷跡など無く、滑らかで形の良い指があるだけだった。
「跡などどこにも、っ?!」
がしりと逆に腕を捕まれ、アーチャーの心臓が再び飛び上がる。
「ランサー?」
「なぁアーチャー、俺は右の人差し指を噛まれたなんて言ってねぇぞ」
「なっ?!」
先ほどの哀愁の余韻など一切無く、まっすぐと確信を持った強い眼光がアーチャーの瞳を貫く。自分の愚かな言動に、アーチャーは冷水を浴びせかけられたかのような衝撃を受けざるをえなかった。
「その猫が瀕死だった事も、な。やっぱりあれはお前さんか?」
「・・・何のことだかわからんな、サーヴァントが猫になるわけもなかろう」
動く必要など無いにもかかわらず擬似的な動きをする心臓の鼓動がどうにも激しくなる。ええい止まれ、いっそ止まれ、ランサーに聞こえでもしたらとアーチャーは自分の心臓の鼓動を今直ぐにでも止めたくて仕方がない。逃げ出したいのに、繋ぎとめられた腕が払えない。
一度覚えてしまった、温もりを持った掌を振り払えない。
「おおかた嬢ちゃんのうっかりだろ、好き嫌いはも激しいしやけに人間くさい上に、魔力の残り香がある猫だから何処ぞの使い魔かとは辺りをつけてはいたんだぜ」
ランサーが掴んでいる力は強く、全く剥がせない。ぎりりとアーチャーは歯ぎしりをしてランサーを睨んだ。
「貴様、最初からわかってたなら!」
「わかっちゃいねぇよ、あたりはつけてたがな。だから今カマ掛けさせてもらっただけだ。自白したのはてめぇだ間抜け」
「フン!大英雄にしては趣味が悪いな。さぞ滑稽な事だろう。殺さなかった事を後悔でもしてるのかね?」
「まさか、正体がわからないとはいえ傷ついたやつをほっとけるかよ。それに助けて良かったと今はよりはっきり思ってるぜ?」
「・・・はっ、博愛主義かね、恩を売れたと、で、も」
不毛な押し問答。とてもランサーの顔をまともに見れないアーチャーは腕を掴まれ逃げれないならせめてと顔を背けていたのだが、ふと近くにランサーの気配を感じしかたなく顔を向け、そしてその思いもよらない程近い距離にまた心臓が跳ねた。まるで猫のジャンプのように。
「ラン」
離れろだとか、近すぎるだとかは何故だか口に出しづらい。アーチャーこの距離に慣れてしまっているのを絶望的なまでに自覚した。この距離、猫の体を丸めてランサーと眠るときと同じ、人間の時とは比べ物にならないほど近くて、お互いの呼吸を感じるほどの近さ、なんの心配も無く眠れる安心する距離。
「そういうお前はどうだった?魔力が充填されてもなお俺のテントから出なかった理由は?多少なり心を許してくれたと自惚れてもいいのか?全てを忘れた猫じゃなくて、、お前さんとして自我があった状態でテントに居てくれたんだろう?」
その声には何処か願うような真剣さが混じっている。そしてその顔に浮かんでいるのは、少し困ってはいるがあの何度も見て心安らぐことができた、慈愛すら浮かんでいるあの笑顔。
「お前に噛まれた指が今でも疼く。帰るとき、名残惜しかったんじゃねぇのか?」
アーチャーを掴む手がするりと離れ、そしてまるで祈りのようにランサーはアーチャーが噛んだ指に軽くキスをした。そしてその指がアーチャーの目の前に掲げられる。大切なものなのだと見せつけられるように。
頭がらくらくらする。
「たわけ・・・弱っていた時によくある気の迷いだ、自惚れるな・・・駄犬」
もはや赤い顔も、ずっと喧しくなり続ける心音も隠すことはできない。自分はこの敵に絆されてしまったのだ。
敵である自分へ向けられていると思っていなかったそれが、間違いなく自分へ向けられて居たという事の衝撃は計り知れない。
せめて一矢報いたいという執念が突き動かしたのか、アーチャーは掲げられた指をそっと首を横にしながら、かぷりと噛んだ。
痛みなど微塵も感じない、まるで猫のような甘噛み。
予想外の反撃に声も無く驚き目を丸くするランサーの隙をつき、アーチャーはするりと
身を翻してその場から逃げ出す。
サーヴァントとしての身体能力を使い全力で逃げる背を追うこともせず、ランサーはしばらく呆然とした後、ふっと微笑んだ。そしてまた疼きがひどくなっ人差し指の噛み跡を
と撫でた。
「絆されたのは俺か・・・やつか・・・。俺は逃す気はねぇからな、弓兵」
そう笑う男の顔はどこまでも優しい。会うたび喧嘩ばかりの相手との思わぬ同居生活は楽しく、警戒しつつも少しずつ心を許してくる姿は愛おしさすら感じた。全力でじゃれついてくる時、人間の姿ではどんな顔なのかが見たくなって堪らなくなった。それを想像して惚けていたら本人から声をかけられ、本当は心底驚いていた。猫になった時の記憶があるなんても思っていなかったがわずかな希望をかけカマをかけた甲斐があったというものだ。
ランサーはアーチャーが逃げた方向へとゆっくり足をむけた。
真相がわかってしまえばこっちのものだ。アーチャーを手厚く保護したことを凛に伝えればそれはそれは感謝されるだろう。今日のアーチャーの様子を見ればランサーのことを憎からず思っていることはわかった。ゆっくりゆっくりと、あの白猫を手に入れるための外堀を埋めていく算段をつけていく。
くつくつと楽しげに響く笑い声が青空に飲み込まれていく中、どこか人恋しげな猫の鳴き声が響いた気がした。