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【今西和男 我が道23】Jリーグ初Vにカープナインも喜んでくれたのがうれしかった

[ 2026年2月23日 07:00 ]

94年第1Sで優勝し選手、スタッフをねぎらう
Photo By 提供写真

 1993年(平5)Jリーグが開幕し、広島も凄い盛り上がりだった。サンフレッチェ広島は開幕戦でジェフ市原(現千葉)と対戦し、風間八宏のゴールなどで2―1で勝ったが、そこから調子が上がらなかった。

 第1ステージは6位、第2ステージは5位。ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)は1次リーグ最下位の7位。チームの強化責任者だった私は「いい選手を集められた」と自信を持っていたが、考えていた通りにはならなかった。開幕直前にW杯米国大会アジア1次予選があり、日本代表に選ばれていたMF森保一、FW高木琢也、GK前川和也がチーム全体の練習に参加する時間がほとんどなかった。10月にはW杯アジア最終予選のために第2ステージが一時中断され、日本代表の3選手と韓国代表FW盧廷潤が招集されて、コンディション調整の難しさにあえぎながらの戦いだった。

 それでもシーズン最後の天皇杯は準決勝まで勝ち進み、優勝した横浜フリューゲルスに延長で敗れたものの4強に入ったことは大きな自信になった。オフの補強も、大規模にはできなかったが、チェコ代表MFイワン・ハシェックを獲得し、攻撃力をアップさせた。私は翌年へ向けて大きな手応えを感じた。

 Jリーグ2年目の94年、私の予感は的中した。第1ステージで、広島が初優勝した。開幕から6連勝、この間、盧廷潤が4得点と絶好調だった。4月中旬から5連勝、最後は6月に3連勝して磐田スタジアムで優勝を決めた。私はJリーグが開幕した時から「何でもいいから一つタイトルを獲りたい」と言っていたので、うれしかったし、ホッとした。広島の人たちが喜んでくれただけでなく、プロ野球の広島カープの人たちが一緒になって喜んでくれたことは何よりうれしかった。

 第2ステージは4位、ヴェルディ川崎(現東京V)と対戦したチャンピオンシップは2試合とも0―1で敗れ、日本一になることはできなかった。それでも、Jリーグの盛り上がりは「プロスポーツといえばプロ野球か大相撲」と言われていたところに、サッカーが加わることができたと実感することができた。

 1年目、2年目はピッチ外も含めて凄い盛り上がりだった。どの試合もほぼ満員で、グッズも飛ぶように売れた。選手も「サッカーで食べていける」と実感したと思う。一方で、スタッフも増え、選手の年俸や出場給、勝利給などもかさんだが、新たなスポンサー探しは簡単ではなかった。次第にピッチ内外の熱が冷め始め、観客動員もグッズの売り上げも伸び悩み、クラブの経営は厳しさを増してきた。サンフレッチェ広島も95年以降は、なかなか優勝争いに絡むことはできなくなった。

 ◇今西 和男(いまにし・かずお)1941年(昭16)1月12日生まれ、広島市出身の85歳。広島市立舟入高から東京教育大(現筑波大)を経て東洋工業(マツダ)入り。俊足とハードタックルが武器のDFとして活躍。日本リーグ42試合、日本代表11試合出場。引退後はマツダの監督、総監督を務め、日本初のGMと言われた。サンフレッチェ広島の設立に尽力、日本サッカー協会強化委員、FC岐阜社長などを歴任。

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