投手起用の球団史・巨人編(2016〜2025)
巨人編2006〜2015から続く
11 2016〜2025 令和の投手陣
■菅野智之、エースの悲哀
高橋由伸が監督をつとめた16〜18年の3シーズンは、広島カープの3連覇と重なっている。巨人の順位は2位、4位、3位。唐突な現役引退と同時に就任した新監督は、悩み多い日々を送っていたことだろう。
この苦しい時期に投手陣を支えたのは、不動のエースに成長した菅野智之だった。16〜18年の状況を、まずは先発陣中心に見てみよう。
9勝に終わった16年の菅野は、その数字だけを見ると「エース」と思えないかもしれないが、防御率2・01、奪三振189、完投5はいずれもリーグ1位で、投球回183回1/3はランディ・メッセンジャー(阪神)の185回1/3に次ぐリーグ2位。「勝利数は打線の援護次第」というケースの典型だった。
この16年から18年まで、菅野は3年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得した。17年の防御率は1・59、18年は2・14。巨人では77〜78年に新浦壽夫、89〜90年に斎藤雅樹が2年連続で同タイトルを獲得しているが、3年連続は菅野だけだ。それを含めて、16〜18年に菅野が獲得したタイトルをまとめておこう。
菅野のキャリアを通観しても、この3年間が「全盛期」といえるだろう。だが前述のように、この間に巨人は優勝できなかった。個人の状態とチームの結果がシンクロしない──この時期の菅野は、そんな「エースの悲哀」を体現していた。
15年から先発投手陣に加わったマイルズ・マイコラス(88年生まれ、ノパサウスイースタン大〜パドレス〜レンジャーズ)は、その時点ではメジャー実働3年で通算37試合(先発10、救援27)、91回1/3、4勝6敗、防御率5・32と、さしたる実績を有していなかった。
だが、マイコラスは日本で確実に「何か」をつかんだ。15年は11連勝を含む13勝3敗で最高勝率のタイトルを獲得し、オフに2年契約を結ぶ。16年は肩痛を発症して14試合の登板に終わったものの、契約最終年の17年は投球回数、先発数ともチーム最多となる奮闘を見せ、14勝をマーク。17勝の菅野とともに先発の軸となったが、オフにカージナルスと2年総額1550万ドル(約17億5000万円)で契約し、メジャー復帰を決める。巨人も複数年契約と大幅昇給を提示したが及ばなかった。NPB球団間のマネーゲームなら強さを誇る巨人も、メジャーとの争いでは役者が違ったというわけだ。
メジャーに復帰した18年に、マイコラスは大ブレイクを果たす。32試合に先発して200回2/3を投げ、18勝4敗でナショナル・リーグ最多勝投手となったのである。
日本でつかんだものは何だったのか。メジャー復帰後の取材に、マイコラスは以下のように答えている。
「日本で成長できたのはまずはメンタル面だったね。先発ローテの座が保証されている。目先の結果にこだわらず、チームのためにどうすれば一番貢献できるかを考えた。マウンド上だけでなく、生活も含めて、すべてにおいて自身をコントロールする術を学んだ」[1]
巨人在籍の3シーズンに登板した62試合は、すべて先発だった。
高橋由伸の監督就任と同時にブレイクしたサウスポーがいる。
13年ドラフト3位で入団した田口麗斗(95年生まれ、広島新庄高)は、2年目の15年、まだ19歳だった4月11日のヤクルト戦(東京ドーム)で先発に抜擢され、7回1失点で初登板初勝利。同年は13試合の登板にとどまったが、16〜17年は先発ローテーションの一員としてフル稼働し、エース・菅野と遜色ない成績をマークした。菅野との年齢差(6歳年下)はあるものの、V9時代の堀内恒夫と高橋一三のような「左右の両輪」誕生かと思わせたが、18年に不振に陥ると、原辰徳が監督に復帰した19年はリリーフに転向。20年に先発に戻ったが100イニングに届かず、21年3月に廣岡大志との交換トレードでヤクルトへ移籍した。
先発向きなのか、リリーフ向きなのか。それが田口につきまとう命題だ。ヤクルト移籍後はリリーフに定着したことを考えると後者だったのかもしれないが、デビューが鮮烈だっただけに、先発投手としてのキャリアが不完全燃焼に終わった感は否めない。巨人のサウスポーの系譜でいうなら、先発、リリーフの両刀使いで〝便利に〟使われた後、東映へ移籍した伊藤芳明(3章参照)に通じるものがある。
■「スコット鉄太朗」解体以降
高橋由伸監督時代、16〜18年の救援陣はどんな状況だったか。
前時代を席巻した「スコット鉄太朗」のうち、西村健太朗は15年の故障を境にピークアウトし、山口鉄也は9年連続年間60試合登板を達成した16年を最後に第一線から退いた。この3年間を通じて主力として稼働したのはスコット・マシソンのみである。
西村健太朗に代わる守護神をつとめていた澤村拓一が17年に肩の故障で離脱したことにより、新たなリリーバーの補強が急務となった。
アルキメデス・カミネロ(87年生まれ、ブエンパストール大〜マーリンズ〜パイレーツ〜マリナーズ)はメジャー実働4年、「149試合/155投球回」という数字が示すように全てリリーフで登板した。来日前年の16年はパイレーツ、マリナーズの2球団で57試合に登板して60回2/3を投げ、マリナーズ在籍時に球速164キロを計測。同郷のドミニカ共和国出身のペドロ・マルチネスが憧れで、スリークォーターの腕の角度がそっくりだった。
17年は澤村の離脱で開幕からクローザーをつとめ、57試合に登板して29セーブ、防御率2・42と健闘。カナダ出身のマシソンからドミニカ共和国出身のカミネロへ、この年の巨人の勝ちパターンは国際色豊かな継投だった。翌18年6月14日のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)で球速162キロを計測して08年にマーク・クルーンが出した「巨人歴代最速」に並び、16年に大谷翔平(日本ハム)が出した165キロに次ぐNPB歴代2位タイとなった。ただし、高速化が進む2020年代に入ると、クルーンやカミネロの記録は次々と更新されていく。結局、この直後に肘痛を訴え、登録を抹消されると復帰することなく退団した。
18年は、43歳になった上原浩治がメジャーから10年ぶりに復帰し、中継ぎで起用された。そして、7月20日の広島戦でホールドを記録して「日米通算100勝100セーブ100ホールド」を達成する。この〝トリプル100〟はMLBでもトム・ゴードン(138勝158セーブ110ホールド)しか達成していない。
18年の登板数上位3人は、30歳で故障明けの澤村、43歳の上原、34歳のマシソンである。「リリーフ陣の新陳代謝」という課題を抱えたまま、19年から3度目の監督就任となる原辰徳にバトンが渡された。
■菅野を追う戸郷
「第3期原政権」は19年から23年までの5シーズンにわたる。就任早々の19年に5年ぶりのリーグ優勝を果たし、20年も連覇。川上哲治の11回に次ぐ、巨人監督歴代2位の優勝9回となったが、日本シリーズではソフトバンクに「2年連続4連敗」という屈辱を喫した。そして、24年から捕手出身の阿部慎之助が監督に就任する。
この間、徐々にではあるが先発陣の世代交代が進み、新たな「エース候補」が台頭する。2010年代のエース・菅野智之の「日本最終年」である24年までを見ていこう。
DeNAからのFA移籍で17年に加入した山口俊(87年生まれ、柳ヶ浦高〜横浜/DeNA)は、19年のリーグ優勝に先発投手として最大級の貢献を果たした。
だが、移籍当初の山口は散々だった。故障で出遅れ、初登板は6月。その直後、7月11日に暴力事件を起こしてシーズン終了まで出場停止処分を課された。ここで終わっていれば巨人の補強史に新たな〝黒歴史〟が加わることになっただろうが、山口は翌18年に復活。通年でローテを守って菅野智之に次ぐ154投球回を記録し、7月27日の中日戦(東京ドーム)でノーヒットノーランを達成した。
19年は開幕から4連勝と快調なスタートを切り、終わってみれば170投球回で15勝4敗、防御率2・91、188奪三振。最多勝、最多奪三振、最高勝率の3冠を獲得し、ベストナインと最優秀バッテリー賞(小林誠司とのコンビ)を受賞した。この年に限っていえば、大黒柱は菅野ではなく山口だった。本人は「19年はDeNA最終年の16年の感覚に近かったですね。こうしたいと思ったら全部できる感覚でした。(中略)ほかの選手の投球動画をランダムで見て『このカーブすごいなあ、どういうふうに投げているんだろう』ってマネしたら思いどおりに投げられて」[2]と回想する。
20年にポスティングでブルージェイズへ移籍したが1年で自由契約となり、21年に巨人に復帰。22年限りで引退した。
C.C.メルセデス(94年生まれ、ヌエバエスペランサ高〜レイズ傘下ルーキーリーグ)は16年オフに巨人の海外トライアウトに合格し、17年に育成選手として入団した。18年7月に支配下登録され、5勝をマーク。「第3期原政権」がスタートした19年から通年で先発ローテに加わり、22年まで在籍した。シンカーを武器とするサウスポーで、19年の120回1/3、8勝が巨人での最高成績だから目立つ存在ではなかったが、巨人での通算投球回数466回2/3は、在籍外国人投手ではバルビーノ・ガルベス(751回)に次ぐ数字であることを記しておく。
2018年夏の甲子園が終わった後、U18アジア選手権に出場するため、高校ジャパンチームが結成された。吉田輝星(金足農)、根尾昂(大阪桐蔭)、藤原恭大(同)、奥川恭伸(星稜、2年)ら甲子園を沸かせたスター集団だ。高校ジャパンは宮崎で合宿を行ない、地元の宮崎県選抜と練習試合を組む。そこで注目を集めたのは、並み居るスター選手ではなく〝調整相手〟の宮崎県選抜の投手だった。救援登板し、5回1/3を投げて9奪三振を記録した戸郷翔征(00年生まれ、聖心ウルスラ学園)である。同年秋のドラフトで前記のジャパンメンバーたちが1位指名される中、戸郷は巨人から6位指名を受ける。支配下では最下位の指名順位だった。
同期入団の面々が伸び悩む中、いち早く飛び出したのが戸郷だった。2年目の20年に19試合に登板し、エース菅野に次ぐ投球回数、先発数、勝利数をマークすると、翌21年から24年までチームトップの投球回数を記録。22年と24年に最多奪三振のタイトルを獲得する。菅野が24年オフにメジャーへ移籍したことで、戸郷は名実ともに「令和の新エース」を襲名することになった。
テイクバックで大きく右腕を背中側に入れ、スリークォーターの角度で投げ込む戸郷のフォームは、いわゆる〝アーム式〟に近いもので、伝統的な日本の投球指導では忌み嫌われている。だが、戸郷がブレイクした20年にそのフォームを分析した桑田真澄(当時は評論家。21〜25年に巨人コーチ、二軍監督)は、特徴的な右腕の使い方について「肩関節が柔らかいからできる」「内旋(注・右腕を捻って手のひらをセンター方向へ向ける)をしていないので故障につながらない」「体重移動と胸の張りが素晴らしい」と高い評価を与えている[3]。
堀内恒夫、江川卓、槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄、上原浩治、内海哲也、菅野智之。ドラフト制導入後の巨人のエース級投手は、ほとんどが1位指名もしくは逆指名で入団したエリートである。そんな中、ドラフト6位からの叩き上げでエースに上り詰めた戸郷は、ドラフト外で入団した西本聖に比肩すべき存在ではないだろうか。
順調にキャリアを重ねてきた戸郷だったが、25年は不振に陥ってしまう。5年ぶりに規定投球回に届かず、防御率は4・14と悪化した。
戸郷に代わって先発ローテの軸になったのは、大卒5年目の山崎伊織(98年生まれ、明石商〜東海大)だ。
2020年以降、巨人の投手で規定投球回をクリアしたのは菅野、戸郷、山崎の3人だけである。98年生まれの山崎と00年生まれの戸郷を両輪としつつ、後続世代の台頭を待つ。それが令和の巨人先発陣の現状だ。
■「球団通算100セーブ」は誰が達成するのか
前述したように、19年からスタートした「第3期原政権」は、リリーフ陣の世代交代という課題を抱えていた。「スコット鉄太朗」の後継となるリリーバーはどのように人選され、どのように起用されたか。
19年から21年までを見よう。
サウスポーで、スリークォーターの腕の角度。連投を厭わないセットアッパー。中川皓太(94年生まれ、山陽高〜東海大)は、あえて失礼な表現をすれば〝山口鉄也のコピー〟のような印象で登場した。15年ドラフト7位で入団。18試合に登板した17年が実質的な一軍デビューで、17年は山口が一軍で登板した最後の年だから、まさに入れ替わりの形だ。
「第3期原政権」初年度の19年はまだブルペンが未整備だったが、中川は登板数、セーブ数、ホールド数すべてチームトップの数字をマークして、リーグ優勝に貢献。投球回64回2/3は自身のキャリアハイである。ここから21年までの3シーズンはセットアッパーとしてフル回転したが、22年春季キャンプ前に腰痛を発症。同年は全休し、育成契約を強いられてしまう。
大きな挫折を味わった中川だが、23年5月に支配下登録されると、44試合に登板して14セーブ17ホールド。数字が示すように、故障で離脱した大勢(後述)の代理でストッパーもつとめた。25年はチームトップの63試合に登板してキャリアハイの36ホールドをマークするなど、完全復活を遂げている。通算ホールド数120は、山口、スコット・マシソンに次ぐ球団歴代3位に浮上した(25年終了時)。
高梨雄平(92年生まれ、川越東高〜早稲田大〜JX−ENEOS〜楽天)は中川と同じサウスポーで、腕の角度はサイド。大学時代に東大戦で完全試合を達成し、17〜19年に楽天で164試合に登板したが、20年7月14日に若手投手の高田萌生との交換トレードで巨人に移籍する。同年はコロナ禍のため開幕が6月19日に延期され、シーズンが始まったばかりだった。
高梨は新天地で44試合に登板、チームトップの21ホールドで防御率1・93と見事な働きを示した。以降はワンポイントの登板も含めてブルペンに欠かせない顔となり、22、23年はチームトップの登板数。在籍6年で巨人での通算ホールド数が119となり、中川に1個差の球団歴代4位である(25年終了時)。
鍵谷陽平(90年生まれ、北海高〜中央大〜日本ハム)は高梨と同じ移籍組で、この時期のブルペンを支えた。19年6月に複数トレード[4]で巨人に加入し、20年、21年はともにチームトップの登板数を記録。20〜23年の登板数チーム1位は「鍵谷、鍵谷、高梨、高梨」だから、この時期の巨人ブルペンは移籍組の献身に支えられていた。
このようにセットアップ陣には多彩な人材がいたものの、クローザーを確立しきれないのが19〜21年の巨人だった。3シーズンで年間20セーブ以上の投手がいないことが、それを物語っているだろう。19〜22年に在籍したルビー・デラロサ(89年生まれ、エルボニートデサンイシドロ高〜ドジャース〜レッドソックス〜ダイヤモンドバックス)は4年間で33セーブ、20〜22年に在籍したチアゴ・ビエイラ(93年生まれ、カントリーキッズ高〜マリナーズ〜ホワイトソックス)は3年間で19セーブに終わっている。
そんな中、22年にブルペンの救世主が現れる。強烈な球筋を誇るルーキーである。
21年のドラフトで、巨人は西日本工業大のサウスポー隅田知一郎を1位指名したが4球団競合で入札できず、〝外れ1位〟で翁田大勢(99年生まれ、西脇工〜関西国際大)を指名。登録名を大勢として入団した。
サイド気味の腕の角度から投じるスピードボールが身上で、大学4年秋に球速157キロを計測。成長曲線を描いた状態でプロ入りした大勢は、22年の中日との開幕戦(東京ドーム)で2点リードの9回表にマウンドに上がり、初登板初セーブを記録する。そのまま守護神の座を譲らず、57試合に登板して37セーブをマーク、新人王を受賞した。「新人で30セーブ以上」は与田剛(中日)、山﨑康晃(DeNA)、栗林良吏(広島)に次ぐ史上4人目で、巨人では初の快挙だ。
23年はコンディション不良で成績を落としたが24年は29セーブと持ち直し、入団から3年で通算80セーブに達した。74年のセーブ制導入以降、巨人は13球団(現行12球団+近鉄)で唯一、球団通算100セーブを達成した投手がいない。だが大勢の出現で、ついに100の大台を突破する守護神が現れた──と思われた。
だが、25年に巨人は新たなクローザーを補強し、大勢をセットアッパーに配置転換するのである。
ライデル・マルティネス(96年生まれ、エイデデピナルデルリオ高〜キューバ・ピナルデルリオ〜中日)は17年に育成選手として中日と契約し、18年に支配下登録された。19年途中から抑えとなり、24年までの6シーズンで166セーブを記録する。22年、24年に最多セーブのタイトルを獲り、22〜24年の防御率は0・97、0・39、1・09。NPB最強のクローザーとなったが24年オフの契約交渉が不調に終わり、自由契約に。その直後、巨人と4年総額50億円以上の契約を結んだ。単純な年俸換算で12億5000万円。前年の中日での推定年俸は2億円だ。久々に「巨人のえげつない金満補強」が発動したのである。
25年のマルティネスは期待に違わず46セーブをあげ、3度目の最多セーブ。西村健太朗の42セーブ(13年)という球団記録をあっさり塗り替えてしまった。一方、セットアッパーに回った大勢は及川雅貴(阪神)と同数でリーグ最多の46ホールドを記録。大勢→マルティネスという8〜9回の継投は、ほぼ無双状態だった。
前述したように、巨人最初の「球団通算100セーブ」を達成するのは大勢だろうと思われていた。だが、マルティネスがこのまま健康で投げ続ければ、27年中にあっさりとその数字に到達してしまうかもしれない。(了)
(資料1)投球回数ランキング
(資料2)登板数ランキング
(資料3)先発数ランキング
(資料4)勝利数ランキング
(資料5)セーブ数ランキング
(資料6)ホールド数ランキング
参考文献・資料
『読売巨人軍75年史』(株式会社読売巨人軍、2010)
「ジャイアンツ栄光の70年」(ベースボール・マガジン社、2004)
「ジャイアンツ90年史」(ベースボール・マガジン社、2024)
「日本プロ野球80年史」(ベースボールマガジン社、2014)
「THE OFFICIAL BASEBALL ENCYCLOPEDIA 2004」(ベースボールマガジン社、2004)
森岡浩編著『プロ野球人名事典2001』(日外アソシエーツ、2001)
坂本邦夫『プロ野球データ事典』(PHP研究所、2001)
宇佐美徹也『プロ野球記録大鑑』(講談社、1993)
個人年度別成績 日本野球機構
日本プロ野球記録
週刊ベースボールONLINE「外国人選手たちの現在地」2018年7月23日
週刊ベースボールONLINE「山口俊 引退惜別インタビュー」2023年4月26日
スポーツ報知「戸郷翔征の投球フォーム解剖」2020年7月22日
註
[1] 「外国人選手たちの現在地」
[2] 「山口俊 引退惜別インタビュー」
[3] 「戸郷翔征の投球フォーム解剖」
[4] 日本ハムから鍵谷と藤岡貴裕、巨人から吉川光夫と宇佐見真吾が移籍。



ありがとうございます。セから始めているのでパはだいぶ先になりそうですが……。マガジンの「ポジション系譜学」(野手編)は全球団公開していますので、よろしければ。
毎回楽しみに拝読してます 個人的には、オリオンズ→マリーンズ、ライオンズ(福岡→埼玉)あたりが読んでみたいです