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NHKアナウンサーおはよう日本 井上 二郎アナとホルコム ジャック和馬アナ対談 報道の最前線で働く“原点”

NHKアナウンサーの就活⑩井上二郎アナ・ホルコムジャック和馬アナ
  • 2026年2月24日
  • 井上 二郎
  • アナウンス室/おはよう日本キャスター

テレビやラジオに出演するNHKアナウンサー。
学生時代はどんな就職活動(就活)を行っていたのか?
就活中の学生の皆さんに送るメッセージは?

今回は『NHKニュース おはよう日本』でキャスターを務める井上 二郎アナウンサーとホルコム ジャック和馬アナウンサーによる対談を前編・後編の2本立てでお届けします。
前編では、アナウンサーとしての土台をつくった“キャリアの原点”について語ってもらいました。

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お互いの印象は?

ホルコム ジャック和馬アナウンサー
二郎さんとは『おはよう日本』という番組で一緒に仕事をしています。ホルコム評はいかがでしょうか?

井上 二郎アナウンサー
改めて聞かれると恥ずかしいんですけど、ひと言でいえば「ものすごく頼もしい後輩」です。根がまじめで、その中にちょっとしたユーモアがある。そのバランスがいいんですよね。
『おはよう日本 首都圏』の最後に3分くらい天気のコーナーがあります。僕らはそこでは映らないので、少し離れた場所でスタンバイしているんですが、その合間にホルコムくんとちょこっと話すのが実は楽しみで。家族や仕事、きょうの放送のことなどをマイクをオフにして少ししゃべる。その時間がけっこう楽しいんです。2時間くらいの生放送で緊張している中で「今日も最後にホルコムと話せた」と思うと、ふわっとほぐれる感じがある。そんな存在ですね、ホルコムくんは。

ホルコムアナ
私にとって二郎さんは、入局当時から“NHKの報道といえばこの人”という存在でした。アナウンサーとして初めて災害現場に向かったのが九州北部豪雨でした。そのとき福岡から情報を伝えていたのが二郎さん。私はラジオの担当でしたが、二郎さんが伝える様子を見ながら、何をどう伝えるべきか、どんな情報を拾うべきかを必死にメモしていました。

東京に異動してからは、二郎さんが担当するニュースを見学して、起きた出来事の“焦点は何か”を見抜く力や自然と人の心に響くことばの紡ぎ方などを学ばせてもらいました。
『おはよう日本』での二郎さんは、スポーツになると一気にテンションが変わるのも魅力です。特に福岡のプロ野球チームの話題になると熱量が止まらない(笑)。

井上アナ
本当は公正中立をむねとしてるんですけど、そこだけはちょっと……(笑)。

ホルコムアナ
ちょっぴり偏っちゃってる(笑)。
同じ番組内でもニュースはわかりやすく、楽しい話題は思いっきり明るくと、硬軟を織り交ぜられる二郎さんのようなアナウンサーは、私の目指す姿であり憧れでもあります。

報道キャスターとしての原点

ホルコムアナ
私たちは今、報道番組を担当していますが、これまでに忘れられない仕事や原点となる経験はありますか?

井上アナ
僕は初任地が沖縄放送局だったのですが、そこで最初の年に『NHKスペシャル』の取材班に入れてもらう機会がありました。テーマは「安保と基地」。そこで僕に与えられたミッションが“基地に一番近い小学校出身で、基地に勤めている。だけど内心は基地に違和感を持っている人”を探す、というものだったんです。最初は「そんな人いるのかな」という妄想のような設定から始まった取材で、3カ月ほど地域を歩き回って、1軒1軒ピンポンして……。すると、1人だけいたんです。
「この人だ!」と思って先輩に報告したら、「大事な取材だから、(取材交渉に)一緒に行く」と言ってくれて。どしゃ降りの中、2人で傘をさしながらその方の家に伺ったんですね。先輩は熱を込めて「絶対にあなたに出ていただきたい」と語り、そしてなぜこのテーマを扱っているのか、どんな思いで取材しているのかを丁寧に伝えました。僕はそれが出演交渉だと思って見ていたのですが、その後、先輩が何を続けたかというと「ただ、出ていただくには、こういうデメリットがあります。あなたが不利益を被るかもしれない」と出演することのデメリットや想定される厳しい視線なども包み隠さずに、すべて伝えたんです。結果、その方は取材をお断りされました。番組に出ていただくことはなりませんでした。

沖縄Nスぺ制作部屋で佐野哲也カメラマン(左)とともに悩む井上アナ(右)

井上アナ
3カ月歩き回ってやっと見つけた人だったので、僕はもう本当に落ち込んで。「僕の力不足で、半年もかかって成果を挙げられずにすみません」と言ったら先輩はこう言ったんです。「違うんだ、二郎。私たちの仕事はいい話を伝えるだけじゃない。あやふやな対応をして、人をだまして出ていただくなんていうことは私たちの仕事ではない。私たちの仕事っていうのは“向き合うこと”なんだよ。向き合うってことは、お互いの覚悟をちゃんと確かめることなんだ。だから、相手にメリットもデメリットもしっかりと伝えたうえで、出る覚悟を持ってもらう。そのときに初めて相手から“本物の言葉”が出てくるんだ」と教えてもらいました。取材って、“向き合う”って、そういうことなんだと涙が出ました。簡単に「私は向き合います」とか言っちゃいけないし、僕らも覚悟を持って取材しなきゃいけないんだって。

ホルコムアナ
確かにそうですね。放送の後もその方の生活、人生は続くわけですから、デメリットを伝えずに出演していただくことは、メディアとしてあるべき姿ではないですよね。

井上アナ
そう。僕らの仕事はその場の口先だけでやるものじゃない。今ホルコムくんが言ってくれたように、放送の瞬間だけでなく、その人の人生すべてに向き合う覚悟をしないと、やっぱりやっちゃいけない仕事なんじゃないのかと突きつけられた気がしてね。私は今でも、うそをつかないということが仕事の原点かなと思いますね。

ホルコムアナ
私は初めて赴任した岡山放送局で西日本豪雨を経験しました。そのとき入局3年目で、少し仕事が分かってきた頃でしたが、あれほどの災害になるとは誰も思っていなかった。忘れもしない金曜日、夕方のニュースで高校野球の注目校を紹介していると、その時間以降、一気に状況が悪くなっていったんです。
そして発災直後から中継に行き、その後2カ月ほど、ほぼ毎日中継を行っていました。
家を失った人、大切な人を失った人にカメラやマイクを向けることは本当にいいのか、すごく悩んだんです。放送のために勢いで避難所に入って話を聞くようなやり方は絶対にしたくなかった。避難所を一人で歩いて話を聞いて、その上で「もしよければ…」と取材をお願いする。そのような日々でした。
あるとき、避難所で出会い、話しを重ねるなかで知人のような距離感になった方が「ここ、生理用品や毛布が足りないんだよね」と話していたんです。そこで、詳しく話を聞かせてもらい、全国放送の中継で状況を伝えました。すると、翌日行ったときには全国から物資が届いていた。初めて“放送が人の役に立った”という経験をしたんです。
正直、災害直後の私は「放送に何ができるんだろう」「むしろ誰かを傷つけてしまうかもしれない」と自問自答していたので、“役に立つ”という実感が持てたことはとても大きかったです。それ以来、どんな放送でも「どうすれば人のためになるのか」「いま困っている人のために放送は何ができるか」を考えるようになりました。その原点が、西日本豪雨の取材でしたね。

井上アナ
僕らはアナウンサーで、人前に立つ仕事だけれど、原点にあるのは“取材でどう向き合うか”と“どう役に立つか”なんだよね。カメラの前じゃなくて、その前段階にこそ本質があるというか。

ホルコムアナ
本当にそうですね。結局、人と向き合って得た経験が、今の自分たちの基礎になっているんだと改めて気付かされます。

「県民になる」という感覚

井上アナ
初任地の岡山県は、縁があったの?

ホルコムアナ
いえ、全くなかったんです。出身地でもないので、本当に“ゼロ”からのスタートでした。

井上アナ
ああ、それは僕も同じだな。沖縄に縁があったわけじゃない。でも、地域に赴任すると「あ、この土地いいな」って思う瞬間ってあるよね?

ホルコムアナ
そうですね。例えば2局目の大分は大好きになって、毎日温泉に入っていました(笑)。
おもしろいのが「温泉県おおいた」なのに、温泉が湧かない自治体があるんです。そのひとつが豊後大野市というところなんですが、そのかわり水資源がものすごく豊富。そこで地域の若者たちが「水があるなら、自分たちはサウナで勝負しよう!」と立ち上がった。おもしろそうだなと思って取材に行ったら、「ホルコムさん、実は豊後大野には日本最古のサウナがあるんです」という話が出てきて、「本当ですか!?」と一緒に見に行ったんです。それが「辻河原石風呂」という、しょうぶの葉を敷いた蒸し風呂のような場所で、彼らはそれを“サウナ”として定義していたんですね。そこから“サウナの街”としてイベントを企画し、私はそれを『おはよう日本』でリポートするなどしました。その後も、たびたび取材をしていたら、徐々に規模も大きくなり、自治体も「サウナの街でいきます!」と本気になっていっているんです。

大分県でサウナのリポートをしているホルコムアナ(中央)

ホルコムアナ
取材しながら一緒に地域を盛り上げる役割を担っている感覚があって、それが楽しくて楽しくて。そこで出会った人たちとは今でも連絡を取り合っていますし、年に一度は会いに行ってサウナにも入る。かけがえのない出会いになりました。二郎さんもそういった経験はありますか?

井上アナ
そうですね、僕は沖縄局のとき、春のセンバツ高校野球で“ふるさとリポート”を担当するのが新人の仕事でした。当時、沖縄尚学が出場するということで一生懸命取材していたんですが、あれよあれよとチームが勝ち上がって、甲子園の決勝へ。沖縄県はそのときまで準優勝が最高位で、優勝は県民の悲願だったんです。だから県全体が大盛り上がり!沖縄放送局からも甲子園へ人を派遣することになりました。そして先輩から「お前、取材してたよな? 明日から行ってこい」と言われ、急きょ決勝戦へ行くことになりました。で、行ったらなんと優勝した。そのスタンドでリポートしていて驚いたのが、関西のウチナーンチュ(沖縄の人)の熱量。試合の間、喜納昌吉さんの『花』が流れて、みんなが大合唱するんですよ。僕もそれを歌いながら、うわーっと声を上げて泣くくらい涙がこぼれてきて…。沖縄に縁もゆかりもなかった僕が、「県民になっている」という感覚があった。「県外出身者なのにウチナーンチュにちょっと近づけるかもしれない」と。
県民として、甲子園とは何なのかを突き詰めたいという思いから、その夏の甲子園でも大阪市西成区や大正区に暮らす沖縄の人たちを取材しました。差別の歴史や、その中で甲子園に自分たちの思いを託して応援する人たちの姿を追っていくうちに、沖縄がどんどん自分の中で深くなっていく。そういう経験をしたことがありますね。

沖縄本土復帰30年で「ゆく年くる年」の中継を担当しました

ホルコムアナ
わかります。私も実家に帰ったとき、赴任していた岡山や大分の話題がテレビで出てくると思わず解説しちゃって、親に「(地元は)どっちなの?」なんてツッコまれて(笑)。でもそれくらい、その土地で生活して、県民として日々を過ごすと、誇りのようなものが芽生えますよね。

井上アナ
そうなんだよね。住民票の記載だけじゃなくて、取材や人との出会い、ホルコムくんみたいに“地域の成長と一緒に歩み発信する”経験って、なかなかできないもんね。いや~楽しかったな。

後編では、NHKアナウンサーを目指したきっかけや、ふたりがどのように就職活動と向き合ってきたのかを語ります。ぜひ後編もお楽しみに。


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井上 二郎

アナウンス室/おはよう日本キャスター

1998年入局
(沖縄➡神戸➡東京➡福岡➡東京)
「正午ニュース(土日)」「ダーウィンが来た」「先人たちの底力知恵泉」などを経て、現在「おはよう日本(金土日)キャスター」「新日本風土記ナレーター」

ホルコム J和馬

アナウンス室

●2016年入局(岡山→大分→東京・アナウンス室)
●「おはよう日本」キャスター
●これまで「サタデーウオッチ9」、「所さん!事件ですよ」のほか「経済バックヤード」番組MCなどを担当。

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