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作:綾小路君をTSヒロイン化した作品がみたい
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25話


 占いに行った日の翌朝。

 

 目が覚めて、少しだけ天井を見つめる。 昨日のことを思い出して、なんとなく頬が熱くなる。

 

 その時、スマートフォンが震えた。

 

『おはよう創。体調はどう?』

 

 

 

綾小路さんからメッセージが来た。

 

タイミングが合うあたり今日はいい日なのかもしれない。

 

創は小さく息を吐いてから、返信を打つ。

 

『おはよう。もう大丈夫だよ。心配かけてごめんね』

 

 少し考えて、もう一文。

 

『綾小路さんは?』

 

 すぐに既読がつく。

 

『私は問題ない』

 

 

 

 淡白な返信だが、綾小路さんらしい返事に笑みを浮かべる。

 

創は少しだけ画面を見つめたまま、次の言葉を探す。

 

ふと、今日は何をするのか気になりメッセージを送る。

 

『今日は何するの?』

 

 ……今思うと、無神経だろうか。女性の予定を聞くのは紳士的でない行動ではないかと反省する。

 

謝って発言を取り下げようかと行動に移そうとしたとき返事が来る。

 

『図書室に行く予定』

 

『借りていた本を読み終えたから返却しに行くつもり』

 

 図書室と聞いて、昨日のエレベーター内でのやり取りで本を読むことを言っていたことを思い出す。

 

けれど、それ以上は何も知らない。創は少しだけ考えてから、打ち込む。

 

『どんな本、読んでるの?』

 

『よく図書室って行くの?』

 

送信してから、少しだけ間が空く。

 

『ジャンルは特に決めていない』

 

『目についたものを読むだけ』

 

『図書室は……たまに』

 

どうやら、嫌がっている感じではないように思う。もう少し踏み込んでみる。

 

『読書って、楽しい?』

 

 

 

送信してから、会話の流れが止まったように感じた。思えば抽象的で答えにくい質問の気がした。

 

 

 

……少し長い沈黙。

 

何か別の質問をしようか考えていると返信が届く。

 

『……楽しいかどうかは、分からない』

 

『私にとって本を読むことは習慣になっていたから』

 

その言葉が、妙に引っかかる。

 

楽しいからではなく、当たり前の習慣。

 

創は画面を見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。

 

『それは昔から?』

 

少しの間もなく返事がくる。

 

『ええ』

 

その返事で時間がまた止まってしまう。

 

理由も、背景も続けないようだ。

 

聞こうかと思ったが、なぜか無理に聞く気にはならなかった。

 

創は一度、画面から目を離す。

 

楽しいかどうかは分からない。

 

でも、やめていない。

 

『じゃあ、好きとか嫌いとかでもないの?』

 

少し踏み込む。

 

 

 

『……少なくとも嫌いではない』

 

『…私にとって読書はどこか安心感を覚えるんだと思う』

 

安心感。

 

その言い方が、やはり少しだけひっかかる。 綾小路さんは何かに縋るイメージがなかったから意外性を感じる。

 

画面を見つめたまま、指が止まる。もう一言、聞こうかと思う。

 

けれど、それは違う気がした。代わりに、ふと天井を見上げる。

 

静かな場所。

 

本を読む時間。

 

それが彼女の“安心”になるのなら。

 

『図書室って、普段どんな場所? クラスでの勉強会のときくらいしか利用したことなかったから』

 

自分でも少し唐突だと思いながら送る。

 

『普段は落ち着いていて静か。今は夏休みだから、人も少なくてより静かだと思う』

 

情景を想像してみる。

 

誰もいない棚の間で、本をめくる音だけが響く空間。 

 

悪くないかもしれない。

 

『俺、まだ利用したことなくてさ』

 

『ちょっと気になってきたかも』

 

送信してから、少し間を置く。

 

『……一緒に行ってもいい?』

 

『俺も読書をしてみたいんだ』

 

既読がつく。

 

…踏み込みすぎただろうか。 鼓動がわずかに速くなる。

 

やがて、返信が届いた。

 

『構わないわ』

 

『本を返すだけだから、時間もかからない』

 

『見ていて面白いことではないけど、それでもいいなら』

 

創は小さく笑う。

 

『ありがとう、綾小路さん』

 

『ロビーで待ち合わせでいい?』

 

すぐに返事が来る。

 

『ええ』

 

『20分後に集合で』

 

スマートフォンを置く。ベッドからゆっくりと立ち上がる。

 

図書室。静かな場所。

 

彼女が安心できる空間。

 

どんな顔で本を選ぶのだろう。

 

そんなことを、ふと思う。

 

――少しだけ、楽しみだ。

 

創は図書館へ向かうための準備を素早く済ませ部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前の図書室は、思っていたよりも明るかった。

 

窓から差し込む光が机の上に広がり、埃がゆっくり漂っているのが見える。利用者は数人だけで、空気は静かだが重くはない。

 

清華は返却カウンターで本を手続きに出し、そのまま奥の棚へ歩いていく。

 

創は少し遅れて隣に並んだ。

 

「いつもここ来てるの?」

 

「そうね。棚を回って目についたものをとる感じかしら」

 

清華は足を止め、文庫の棚を見上げる。その横顔は、わずかに柔らかく見えた。

 

創も背表紙を追ってみる。

 

正直、違いは分からない。

 

タイトルを読んでも、内容が想像できないものがほとんどだ。

 

「どうやって選んでるの?」

 

「何度か読んだことのある作家の作品を選ぶことが多いわ」

 

そう言って、清華は一冊の本 レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』を手に取る。

 

そして、本を開き文字を追う。

 

静かな動作。

 

創も真似して、ふと目についた本をとってみる。 

 

同じ著者のレイモンド・チャンドラー『長いお別れ』という本だ。どこか難しそうで初心者の自分が読むには難しいのではないかと思ったが、なぜか手に馴染み引き込まれる。

 

そのとき少し離れた場所で、靴が擦れる音がした。

 

視線を向けると、一人の女子生徒が上段を見上げている。背伸びをしているが、あと少し届かないらしい。

 

踏み台はすぐ横にあるのに、なぜか使わない。

 

妙な意地を感じる。

 

少し考え、創は驚かせないよう慎重に近づいた。

 

「余計なお世話かもしれないけど、どれかな?」

 

声をかけると、彼女は驚いたように振り向く。

 

「あ……ありがとうございます。右端の、青い背表紙の本です」

 

創は言われた通りに本を取る。

 

思ったよりも分厚い。

 

「どうぞ」

 

「助かりました」

 

丁寧に受け取り、軽く頭を下げる。

 

そう言って本を抱え直したひよりの視線が、ふと創の手元に落ちる。

 

「……チャンドラー、ですか」

 

創は一瞬、自分の手元を見る。

 

「ああ、これ?」

 

表紙を軽く持ち上げる。

 

「なんとなく、目に入って」

 

正直に言う。

 

少女は本のタイトルを確認し、小さく頷いた。

 

「『長いお別れ』。素晴らしい作品ですね」

 

「読んだことあるのか?」

 

「はい。何度か」

 

その言い方に、創は少しだけ圧倒される。

 

「正直、読むの難しそうだなって思ってね」

 

「最初はそう感じるかもしれません。でも、読み進めると不思議と引き込まれます」

 

創は無意識に表紙を撫でた。

 

「……なんか、持った感じがしっくりきたんだよな」

 

言ったあとで、自分でも妙だと思う。

 

少女は首を傾げる。

 

「それは、きっと相性がいいんですね」

 

相性。

 

本を読むのにそんなものがあるのかは分からないが、否定する気にはならなかった。

 

「創」

 

不意に、後ろから声が落ちた。

 

呼ばれ慣れた声なのに、どこか硬い。

 

振り向くと、清華が立っていた。

 

いつの間に近づいたのか気づかなかった。

 

その視線はまず創に向けられ、それから隣に立つ少女へと移る。

 

ほんの一瞬、目が止まる。

 

「……何をしているの?」

 

声はいつもと変わらないはずなのに、わずかに硬い。

 

「ああ、この人が上の本取れなくて困っていたんだ」

 

創が軽く答える。

 

少女は丁寧に会釈する。

 

「はい。この方に助けてもらいました。 …せっかくですから、あなた方の名前を聞いても? 私は椎名ひよりです。1年Cクラスです」

 

「ああ、俺は神楽坂創。1年Bクラスだ。 同級生だったんだね」

 

「………」

 

…あれ、自己紹介を交わす流れだが綾小路さんの反応がない。

 

思わず創は横目で清華を見る。

 

その視線に気づいたのか、清華はわずかに瞬きをした。

 

「…綾小路清華。1年Dクラス」

 

淡々とした声音。

 

名乗るまでの間がほんのわずかに長く感じた。

 

それでもひよりは、穏やかに微笑む。

 

「綾小路さんというのですね」

 

視線が、ふと清華の手元に落ちる。

 

「……『大いなる眠り』」

 

声が少しだけ柔らぐ。

 

「チャンドラーのマーロウ第一作目ですね」

 

清華は本を持つ手をわずかに締める。

 

「ええ」

 

短く返す。

 

ひよりは嬉しそうに続ける。

 

「私も、そのシリーズが好きで。初期のマーロウは少し荒削りですけれど、言葉の選び方が鋭くて」

 

創は二人を見比べる。

 

会話の速度が一段上がった気がした。

 

「そういえば」

 

ひよりは小さく首を傾げる。

 

「神楽坂くんは『長いお別れ』を手に取っていましたね」

 

「...?、そうだね」

 

創が頷く。

 

「つまり同じ棚から同じ作家の本、それも同じシリーズを取っているということは」

 

ひよりは本を抱えたまま、穏やかに続ける。

 

「仲が良いのですね、お二人は」

 

空気が、ほんのわずかに止まる。

 

創は一瞬だけ視線を落とした。

 

それから、ゆっくりと顔を上げる。

 

「……そうだね」

 

強くもなく、弱くもない。

 

考えてから選んだような声。

 

「仲良くできてる、とは思う」

 

照れでも冗談でもない静かな本心を告げる。

 

「そうありたいとは俺は思ってるよ」

 

ひよりは小さく頷く。

 

「それは素敵ですね」

 

創は少しだけ肩をすくめる。

 

言ってから、ほんのわずかに横を見る。

 

勝手に言ってしまったが、綾小路さんはどうだろうか。

 

彼女の視線とぶつかる。

 

数秒。何も言わない時間ができる。清華はまばたきを一つ。

 

「……ええ」

 

短い返事。 だが先ほどより、ほんの少しだけ柔らかい。

 

「私もそう思いたい」

 

その言い方は淡々としているのに、

 

創の胸の奥に小さく響く。

 

ひよりは二人を見て、穏やかに微笑む。

 

「お二人は、思いやりのある良い関係なのですね」

 

その言葉が静かに落ちる。

 

棚の間を抜ける微かな空調の音。

 

「……長居してしまいましたね」

 

ひよりが、ふと本を抱え直す。

 

「せっかくですから、一緒に少し読んでいきませんか?」

 

視線が二人へ向く。

 

「よろしければ、あちらの席で本の感想だったりを交わしたいです」

 

ひよりの提案で、俺たちは少し図書室へ滞在することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「綾小路さんは、マーロウのどこに惹かれますか?」

 

清華は数秒、考える。ページの文字を一度なぞってから、静かに言う。

 

「わからない。正直私は惹かれるという感覚がわからない」

 

ひよりが瞬きをする。

 

「……そうなのですか?」

 

「作品として評価はしている」

 

淡々と。

 

「構成も、人物の配置も、無駄がない」

 

ひよりは少しだけ戸惑う。

 

「では、読んでいて楽しいと感じる瞬間は……?」

 

清華はすぐには答えない。

 

ページの端を指で押さえたまま、わずかに視線を落とす。

 

「楽しい、というのは」

 

言葉を選ぶ。

 

「時間を忘れること?」

 

ひよりが小さく頷く。

 

「はい。例えば、次のページを早く読みたくなるとか」

 

清華は数秒、沈黙する。

 

それから静かに言う。

 

「……それも、よくわからない」

 

「ただ、理解したいとは思う」

 

ひよりの瞳がわずかに揺れる。

 

「何を、ですか?」

 

ほんの一瞬、清華は一瞬だけ創の方を見る。

 

すぐに視線を本へ戻す。

 

「……昔、これを好んで読んでいた人がいた」

 

「その人が、何を面白いと感じたのか」

 

「私はそれを知りたい」

 

その声は淡々としているが、どこか静かな熱意が滲んでみえた。

 

ひよりは小さく頷き、そっと微笑んだ。

 

「そうなのですね……なるほど」

 

創はその横顔を、意識せず視界の端で追う。

 

なぜか胸の奥が少しだけざわつく。

 

――そのとき。

 

……ぐぅ

 

思いがけず、創のお腹が鳴った。

 

「……ごめんなさい」

 

清華は創を見て、どことなく雰囲気を和らげる。

 

唇の端がわずかに緩んで見えた。

 

ひよりは思わずくすりと笑った。

 

「大丈夫ですよ。 …もうこんな時間でしたか」

 

優しい声が、図書室の静けさをそっと和らげる。

 

創は小さく息を吐き、胸の奥の力がふっと抜けるのを感じた。

 

ひよりは本を片付け、少しだけ間を置いて言う。

 

「……もしよろしければ、この後、お昼ごはんをご一緒しませんか?」

 

自然な提案に、空気が少しだけ柔らかくなる。

 

清華はしばらくページを押さえたまま考え、ゆっくりと顔を上げる。

 

「……ええ、そうね」

 

淡々とした声で応える。

 

創は少し照れくさそうに笑い、頷く。

 

「わかった」

 

三人はそっと席を立ち、図書室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食堂に着くと、夏休みだからか普段より活気は静かだった。

 

机の上には柔らかい光が差し込み、生徒の話し声や食器の音が、控えめに響く。

 

ひよりが悩まし気に券売機を見つめて言った。

 

「……私、実は食堂は初めてで、何を選べばいいのかちょっと分からなくて」

 

創は軽く微笑み、空いている席を指さす。

 

「そうなんだ。じゃあ、簡単に案内するね。注文はあっちのカウンターで、トレーを持ったまま席に戻る感じ。今は混んでないから、メニューをゆっくり選べるよ。個人的には日替わりのメニューとか美味しくて好きかな」

 

ひよりはほっとしたように小さく頷く。

 

注文を済ませ、その後トレーを受け取ろうとした。

 

だが、図書館から持ち歩いていた大きめのカバンを抱えたままなので、少しバランスを崩しそうになる。

 

 

 

創はすっと手を差し伸べた。

 

「鞄、持とうか? トレーを持ったままだと大変そうだし」

 

ひよりは少し躊躇したが、やがて小さく頷く。

 

「……ありがとうございます」

 

創がカバンを受け取ると、予想以上にずっしりと重かった。

 

「ずいぶん重いね。これも借りた本が入ってるの?」

 

「はい……少し多めに本を持ってきてしまいました」

 

ひよりは少し照れたように微笑む。

 

3人はトレーを持って空いている席へと向かった。

 

清華は創の隣に座り、ひよりは2人の間に対面する形で座った。

 

ひよりは少し緊張しながらも、箸を手に取り定食に向かう。

 

創も自分の食事を取り、二人分のトレーを支えた手を少し緩める。

 

「……いただきます」

 

ひよりが小さくつぶやき、三人は静かに食事を始めた。

 

最初はぎこちない沈黙だったが、箸の音や食器を置く音が、逆に落ち着いた空気を作る。

 

創がそっと話題を振る。

 

「どう、味は大丈夫?」

 

「はい、美味しいです」

 

ひよりは箸を進めながら笑みを見せる。

 

「普段はコンビニで済ませることが多いので、こうして作り立てのご飯を食べるのは新鮮ですね」

 

創は頷き、窓の外を見やる。

 

「そうだろうね。今は夏休みだからか静かだし、ゆっくり食べられるのもいいところだ」

 

少し間を置いて、ひよりは小さな声で続けた。

 

「……あの、綾小路さんのことなんですけど、図書室でよく見かけていて、一度お話してみたかったんです」

 

創はふと清華を見る。清華は特に反応せず食事をしている。

 

気にせずひよりはさらに続ける。

 

「読書仲間が欲しかったんです。一人で読むのも楽しいのですが、誰かと感想を交わせたらもっと面白いんじゃないかと思って……」

 

創は自然に頷く。

 

「確かに読書をしてみたが、誰かと話しながら読むと見え方も変わって面白かったよ」

 

ひよりは少し安心したように微笑む。

 

「はい。だから、今日こうして一緒に話せるのは、嬉しいです」

 

創は箸を止め、少し笑みを浮かべる。

 

「俺も、こうして話している時間は楽しいよ。…綾小路さんはどう?」

 

清華はゆっくり箸を置き、端的に答える。

 

「…悪くないと思う」

 

創はその言葉に少しだけ肩の力が抜け、笑みを深める。

 

ひよりは小さく微笑み、箸を口元に運ぶ。

 

「そう言ってもらえると、私も嬉しいです」

 

ひよりは箸を置き、少し恥ずかしそうに笑みを浮かべる。

 

「……もしよろしければ、読書の話とか、またできるように連絡先を交換しませんか?」

 

創は自然に頷き、スマートフォンを取り出す。

 

「もちろん、いいよ」

 

清華は淡々と箸を置き、短くだけ答える。

 

「……そうね、わかった」

 

ひよりの顔がぱっと明るくなる。

 

「ありがとうございます!」

 

その後、本の感想を共有できるようグループを作成したりして食事を終えた三人は席を立つ。

昼下がりの食堂には、柔らかな空気がそのまま残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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