「一歩踏み出せるきっかけを作りたい」元巨人・小笠原道大氏が身体障がい者野球チームを創設した理由
今夏甲子園で一人の球児が、高校野球ファンに多くの感動を届けた。県岐阜商の横山 温大外野手(3年)だ。 【画像】工夫のあとが見える横山温人のプレーシーン 生まれつき左手の指がほとんどないハンディがありながら、名門でレギュラーを勝ち取り、打っては4試合連続安打を記録した。大会を通じて5安打3打点。鍛え上げられた右腕で、人一倍重ねた努力を証明してみせた。一方、守備でも準々決勝で頭上を越えそうな打球を好捕。送球も右手のグローブでボールを取り、素早く握り変える。その一挙手一投足に大衆の視線が注がれた。 横山は健常者に混じってスタメン出場していたわけだが、体に不自由を抱えながらプレーをする選手は「身体障がい者野球」のチームに所属していることがほとんど。全国で39チームあり、春には選抜、秋には選手権が行われ、甲子園同様に頂点をかけたアツい戦いが繰り広げられる。 なかでも千葉県内で唯一の身体障がい者野球チーム「千葉ドリームス」は、身体障がい者の野球日本代表メンバーも所属し、全国大会まで勝ち上がる実力集団だ。その立ち上げに携わり、現在GMを務めているのが小笠原 道大氏。日本ハム、巨人、中日の3球団で活躍し、代名詞でもあるフルスイングで人々を魅了した球界のレジェンドである。名球会入りを果たした強打者はなぜチームの創設に携わったのか。その背景と思いに迫った。
「きっかけ」を作りたい
ことの発端はジャイアンツに移籍してきて2年目の2008年。テレビの企画で障がい者野球チームに訪問したことがきっかけだった。 「障がい者野球チーム『神戸コスモス』の人工股関節で生活をしている女の子から手紙が届いたのが始まりでした。チームを訪問した時に見た風景がいい意味で一生懸命だったんです。楽しそうに目を輝かせながら、バットを振っていたのを見て、衝撃を受け、心に響くものがありました」 当日はキャッチボールやノックで交流。現役のプロ野球選手だった小笠原氏にとって、無邪気に白球を追いかける姿は心を震わすものだった。 「私も初心に帰りますよね。エネルギーがたぎるじゃないけど、子供の頃はやりたいことができるときに、すごく楽しそうにプレーするじゃないですか。そういった感覚をさらに再認識させてもらった場所でした」 チームの中には後天性の選手もいれば、先天性の選手もいる。様々な境遇でも野球をしたいその一心を持った選手が神戸に集まっていた。地元・千葉に帰るとこうしたチームがないことを知り、「前を向いていけるようなもののサポートをしたかった。神戸でやっていて、千葉でもできないかと思っている人がいる。その活力の場所を提供したかった」とチーム創設に向けて動き出したのだ。 立ち上げはそれから3年経った2011年。町でチラシを配布するなど、代表を務める笹川 秀一氏の尽力もあり、7、8人が集まった。それでも試合をするのにもう1人足りないといった規模だ。 「最初入ってきた人は人と接するのがあまり得意ではなく、心配する声も多く寄せられましたが『とにかく野球だから一緒にやってみて』と言ったところからのスタートです。キャッチボールすればすぐに馴染んでくれます」(笹川代表) 当初は他のチームから人を借りたり、一緒に混じって参加したりと周囲の協力をえての活動だったが、その後は全国大会出場を果たし、SNSでの発信で人数も増えていった。 小笠原氏も「自分の中で閉ざしてしまう、人付き合いも内向的になってしまう人のために、手を差し伸べて一歩踏み出せるきっかけを作りたかったんです」と話す。こうした思いには、現役時代に腰の怪我で手術を経験したことも影響している。 「2007年のオフに手術を経験して、膝が思うように動かせない時がありました。直後は曲がらないし動かない。トイレも管を通してなかったので自力でいくしかなかったんです。ほかにも骨折して片手の自由が効かないことも経験しましたが、結局は考え方次第ですよね。動かないからこのままでいいわけではないですから。復帰した時に向けて出来ることをやろうとしてやったら、出来ることもありました。チームが大変なハードルを越すジャンプ台のような存在になればいいなって思っています」 地道な人集めで今では30人が在籍。選手それぞれが、新たなきっかけを求めて参加している。