負傷を押し、監督に頭を下げて出た都市対抗はプロ入りのラストチャンスだった・小笠原道大さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(48)
プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第48回は小笠原道大さん。通算9シーズンで打率3割+30本塁打を記録したバットマンが2度目のご登場です。地元の千葉県に障害者野球チームを立ち上げた理由や、プロ入りの決意の源について明かしてくれました。(共同通信=栗林英一郎) 【写真】「写真を載せ、何人目は美人、ブスと」 集中力が必要なスポーツなのに… みだらな文言とともに、実名もさらされ アスリートへの隠し撮りが問題に 深く傷つく女性たちを取材 21年
▽エネルギッシュに生きている人たちの力になりたい 巨人時代に、神戸で障害者野球をしている女の子に会いに行く企画がありました。すごく一生懸命というか、はつらつというか。目の前で見て感銘を受け、何か刺さるものがありました。前を向いて生きている、すごいなと。調べていくうちに、千葉には(障害者チームが)なかった。チーム数が元々少なく、関東でも限られて数える程度なんです。そこで「千葉ドリームスター」の設立を考えました。 私の姉は視覚に障害があります。身近に接してきた中で、そういう人たちほどエネルギッシュに頑張ってる、生きてるなっていうのがあり、障害者野球の女の子を見て、改めて何か力になれないのかなって。野球をやりたいけど、やる場所がないっていうのも耳にしていました。周りの方が協力してくれて、今があるんです。メンバーが頑張って、日本代表に入れるような選手が出てきました。(2023年の世界身体障害者大会に出場した)土屋来夢っていう選手です。(地元への貢献は)愛着なのか、つながりというかですね、自然に。親も勝浦と東金の出身で、私も高校(暁星国際高)、社会人(NTT関東=現NTT東日本)と千葉が拠点ですし。
▽高校時代は自分たちで考えて伸び伸びプレーした 野球を始めたきっかけは、やっぱり父親なんです。父は家の関係でプロには行けなかったんですけど、ドラフトにかかるような選手だったらしいんですよね。その思いが強かったのかなと。そんな中で暁星国際高の五島さん(五島卓道さん。後に木更津総合高監督に就き、甲子園の常連校に育てる)の下でプレーさせてもらえる時間をいただけた。新しい環境になって、高校生からすごく変わりました。中学を卒業してから、寮でみんなと共同生活。全てが新鮮で、初めてのことでの刺激がありました。 五島監督は社会人出身(川崎製鉄神戸)。社会人の監督とかやってて、いきなり高校の監督になった1年目だったんです。当時では珍しく「あれやれ、これやれ」はないんです。多分、監督自身の経験に基づいて、まずは様子を見てみようっていうものだったと思うんですよね。選手の動きを見たいって。あんまり「あれやれ、これやれ」の指示がなかった。