『10DANCE』1巻 ©︎ 井上佐藤/講談社
さて、「理想の男」のガイドブックに「男と恋愛する方法」の項目はない──それゆえにふたりは戸惑う。「男役」の美学とは、端的に言ってしまえば支配であり征服だった。「女役」を従わせ、自分が美しく主導権を握る。自分の身体を使って相手に欲情することとは、誰よりも「男」を演じてきた杉木と鈴木にとって、相手を「リード」する行為そのものだったのだ(*2)。だからこそ、ふたりは向き合って途方に暮れる。支配はお互いが同時にそれをやろうとしたってうまくいかない。どちらかは必ず、受け身になる必要がある。頭では相手を受け入れてもいいと思っても、フィジカルな衝動は壁として繰り返し立ちはだかる。人間としての自分の想いと、「男」として鍛え上げられた身体のパフォーマンスが、次々と矛盾を抱え込むのだ。
杉木がかつて引退を考えたときのトラウマ的エピソードを聞いた鈴木が、誰よりも杉木への想いを膨らませた慈しみの目で「俺が潰してやる」と考えるシーンは、あまりに白眉だろう(3巻15話)。「帝王」杉木信也を競技の世界において万力で潰し、その役割を破壊すること。その先にある人間としての杉木に出会おうと試みること。支配と慈愛はたんなる押韻ではない。杉木に欲情して征服したいと願い、同時に杉木の傷──それはまさしく「支配」に関するものだった──を自分が癒してやりたいとも感じ始めた鈴木の行動がそのような方向へ収斂するのは、まさに彼が知るすべての言語を介した愛の伝達、鈴木信也の人生を懸けた告白にほかならない。
そんなに深い愛があるなら、ふたりは大丈夫なのか?──そうはいかないのが『10DANCE』の魅力である。はっきり言ってしまえば、ふたりは一度破綻を迎える。相手を壊すことは、そんなに簡単な話ではなかった。相手の「理想の男」のパフォーマンスを剥がしとれば、「帝王」は死んでしまうだろう。性は確かに演技にすぎないが、生きるための技法としてしばしば存在に深く食い込むからだ。生き方を変えようとした。それでもどうしようもなく、ふたりはダンサーだった。そうであることをやめられなかった。ダンスのほかに愛の言語をほとんど持たない、心細い人間であった。心の底から惹かれあっているからこそ、ふたりは誰よりも終わりを理解していた。
ひとつの恋は終幕、それでも物語は終わらない。ふたりは一度つないだ手を離し、新たなステージへ突き進むことになる。ようやく本気で世界の舞台と向き合うつもりになった鈴木は、スタンダードの元世界チャンピオンであるノーマン・オーウェンとの決死のレッスンへ。いっぽうで鈴木にも出資することを条件に新しいスポンサーであるマックス・マルダーを受け入れた杉木は、アメリカ屈指の大富豪であるマルダー家から場を掌握・支配するための帝王学を受け継ぐ決意をする。ふたりはふたりの世界を抜け、他者に遭遇し、そこで新たな言語を受け取ってきた。「その先」のふたりがどのように出会い直すのか? 男性性と人間性との葛藤を深く抉ってきた本作だからこそ描けるふたりの新しいロマンスは、ぜひ原作で見届けていただきたい。
『10DANCE』は2025年現在ヤンマガWeb上で連載中、コミックスは最新8巻が発売中だ。また、12月にはNetflixにて映画版が公開予定である。いよいよ触れ難いほどの熱を放ちながら展開されていく本作を、未読ならばいますぐ手に取ってほしい。全身を使って愛を伝え合うことの困難と美しさが、ここにははっきりと、「在る」。
*1──出産をするのは女性に限られないが、ここでは社会通念を含めて戯画化した形で「女性扱いを受け入れ、そのダンスにおいて女性に〈成る〉こと」をそのように表象している。
*2──ここでいう「リード」が必ずしもセックスポジションの話ではないことは、作中で杉木の旧友・アーニーによって明言されている(5巻27話)。