時の琥珀 柊通信社Ⅰ

アキ


        序


 くらい昏い、闇よりも昏いどこかから。

 ふい、と深淵の端を切り取ってきぬのようにふわりと落としたなら、このようなものができただろうか。

 そんな存在だった。

 それは、ビルディングの天辺てっぺんから帝都を見下ろす。

「──動いている」

 そっと、風に紛らわせ散らすように、つぶやく声。かすれたそれはなおも所々に艶を残し、一瞬の黒光りを見せる。

「動いている。が、まだだ。まだこの街を壊すには──程遠い」

 それは、若い男の姿をしていた。まだ二十歳に届かないであろう、少年の面影を残した美貌。深夜の風に吹かれ、漆黒の衣をひるがえしてたたずんでいる。

 瓦斯がす灯が照らしていた夜の街も今は暗く、往来には何の影もなく。新月闇は慎ましく東京の眠りを守っている。

「壊れてしまえ──いや、壊してしまうには惜しい──ならばいっそ、今、壊してしまえ……」

 守られた眠りを見つめる目は、闇を穿うがったような漆黒。

「いや……」

 ひょおう、風が鳴る。

 しばし、それは沈黙する。

 二重回しの外套がはためく。夜は深くなる。

 やがて、それはふと息をつく。

「……いや」

 ふと、闇の濃い気配が薄れる。

 どれだけの沈黙が続いただろうか。風の音だけが、き、おめき、そして荒れていた。

「兄上……」

 つぶやきは風に打ち消され、発した者の耳にすら届かなかった。

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