聖なる狂気を纏って生きる。
東京在住の女性A様から「散々頭を働かせて生活のためには稼がなきゃとか考えていたら死にたくなって、自分は何がしたいのか考えたらとにかく遊びたいって思いが湧き出して来たから一緒に遊んでください」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。合流直後、A様は「海に行きたい」と言った。待ち合わせ場所まで一時間かけて行った私は、海に行くために更に一時間移動するのは嫌だなと思って「海か」と微妙な顔をした。
不穏な空気を察知したA様は戸惑い、かと言って別案を用意していた訳ではなかったので強行突破をしようとした。電車に乗る直前、私は「遊ぶって二人が楽しむことだと思う。このままだと二人とも死ぬと思う。海に行ったら最高なものが待っているなら別だが、大丈夫なのか」と言った。A様は「私もどうしたらいいのかわからない。また自分のことばかり見て相手を見ていなかった。海に行きたいのではなく、ぶつかりたい。自分をぶっ壊したい。坂爪さんと決闘したい」と言った。
海に行くまでもなく、駅のホームで決闘となった我々は開始十分で血を見ることとなった。だが、血を見たことでスッキリして「海に行かなくていいね。適当な喫茶店で茶でも飲もう」となった。言いたいことを言わないで、微妙だと思うことを続けると行きたくない方向に行ってしまう。自分が言えばいいだけなのに、何も言わないであとから「人といるのは疲れるから一人がいい」などと言って引き籠るのは最悪。嫌われることを恐れない。自分の気持ちを正直に言う方が誠実である。
A様は「尊敬していた吹奏楽の先生が普通が一番難しいと言っていた。自分のことを普通だからとかどこにでもいる人間だからとか言ったり思ったりすることは傲慢なんだなと思った」と言った。その通り。普通とは、ことごとく優等生になることである。そんなのは土台無理な話。やめよう。誰かを好きになるのは、優等生だからではない。一緒にいると面白いからであり、一緒にいると自由な気持ちになるからである。真面目と遊びは正反対。自由な人は、一緒にいる人も自由にする。
生きているだけでいいよとか、チープな慰めの言葉が蔓延している。これは、人間が家畜になった証拠である。飼い主からして見たら、家畜に勝手に死なれたら困る。飼い主が死んで欲しいタイミングで死んで欲しいから「死なないで」と言うだけに過ぎない。真の自由とは、死ぬ自由である。神は私たちに寿命を授けた。あらかじめ、私たちは神に殺されていると言っても過言ではない。すでに殺されているのだから、恐れることは何もない。生きようとすると死ぬ。死のうとすると生きる。君に必要なものは狂気だ。聖なる狂気を身に纏う。やってごらん。命が花開くのを感じるよ。
言えば良いんだ!!って気づけてよかった!!
ぶつけてみればいいんだね!!
今までずっとコミュニケーションすることを面倒くさがって諦めてた!!でも、ぶつかってみたほうがいい感じだね!!
勇気いるけど、そのほうが誠実だと思ったから、これからそうしていきたい!!
あとからあー言えばよかったってなるの悔しすぎ!!負けた!!
瞬発力!!!!!
一緒に話せて歩けて、いいもの見れて楽しかった!!ありがとう!!また殴り合いしよう😺💥
おおまかな予定
2月23日(月・祝日)東京都中央区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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