174 宿の朝
「いやあ、売れた売れた。笑いが止まらないね」
ガレンが用意してくれた宿の大きなベッドで気持ちよく目覚めた俺は、部屋で朝食を終えた後に出発の準備を整え、皆が集合する予定のロビーに予定より少し早めに到着した。
すると、そこにはリーンたちはまだいなかったが、代わりに何やら紙の束を片手に上機嫌で笑っているラシードがいる。
脇にガレンとリゲル少年がいて、三人は何やら話しているようだった。
「どうかしたのか、ラシード。随分と楽しそうだが」
「ああ、ノール。例の空っぽの奴隷商館が一つ残らず良い値段で売れてね。儲けが倍になって返ってきたんだ」
「まさか、また金が増えたのか?」
「ああ。約束通り、儲けは全部君のものだ」
「……もうそんなにいらないんだが?」
「ま、そう言わないでとっておきなよ。良いものが手に入ったから。ガレンの商館に積んであった現金も全部これに入れておいた。どうぞ」
俺は笑顔のラシードから小さな板切れのようなものを受け取った。
不思議な模様が刻まれたそれは、見てみると俺の手のひらよりも少し大きいぐらいのサイズの二つ折りの財布のような見た目だった。
確かに金を入れるのには良さそうだが、とてもあの山のように積まれた現金が入るようには思えない。
「全部これに? どういうことだ?」
「これは『山込めの財布』と言ってね。巷で言う『魔法の鞄』の一種だ。見た目はコンパクトだけどある程度の重さまでなら色んなモノを詰め込めんで持ち運べる」
「それは便利だな。ちなみに、どれぐらいまで入るんだ?」
「一般的には名前の通り山一つぐらいは入る、なんて言われているけど、ちょっと大袈裟かな。大きな荷馬車5台分程の物量は余裕だと思うけど、名前を真に受けてあまりにも重いものを入れてしまうと、途端破裂してしまうから注意してね」
「……わかった。気を付ける」
色々入ると言われて早速、試しに『黒い剣』を収納してみようかと思ったが、やりすぎると破裂するとのことで思いとどまった。
「君が手にしているそれは大昔に『忘却の迷宮』から発掘されたサレンツァ国内にも数えるほどしかない品だからね。代わりのモノはあまりないんだ。それと『裁定遊戯』の時に君宛てに発行した『小切手』も、リゲルが現金化してそれに入れておいてくれたそうだよ」
「これに?」
「……勝手なことをしてしまい申し訳ありませんが、基本的には現金にできた方が使い勝手がいいということはリンネブルグ様からも言われておりまして。銀行に立ち寄って換金できるタイミングがあったので可能な限り現金に換えてさせていただきました。もしご都合が悪ければ、すぐに証券等に戻して参ります」
「いや、それで大丈夫だ。ありがとう。リゲル」
この子は本当に目玉が飛び出るぐらいに優秀だなと思う。
同じ年齢だった頃の俺にこの子の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものだが……まあ、飲んだ所で俺は俺のままなんだろうなと思う。
というか、今の俺にもこの子の頭の良さを十分の一でも分けてもらいたい。
「なので、うっかり落とさないよう気をつけて」
「……そうだな」
要するに今、この小さな財布状のものに俺のほぼ全ての財産、考えるもの億劫なぐらいの金額が入っているということになるのだが。
どう考えても俺個人の手には余るモノだった。
あまりにも使い道が思い浮かばないのでこの際、どこかにうっかり忘れたフリをして誰かに渡してしまうか……? などとも考えるが流石に額が大きすぎて拾った方も困惑するだろう。それにこれはリーンやリゲルが一生懸命管理してくれたお金でもあるので、俺の一存で何処かに放り投げてしまうわけにもいかない。
でも、使わなければ使わないで大きな金の流れを堰止めてしまうようなモノなので、それもよくないということは聞いている。
元は土産物を買うぐらいのつもりで気軽に持ち込んだつもりだったのに、この金の持つ意味がどんどん重くなっていく。
こんなはずではなかった。
────もう、いっそ全てを忘れて街中にバラ撒くか?
「……ちなみに。中身を取り出す時はどうすれば良いんだ?」
「基本は取り出したいものを念じながら口を下に向ければ勝手に出てくるんだけどね。一つ注意点としては、決して手を突っ込んだりしないこと」
「どうしてだ?」
「迷宮遺物だから詳しい原理は解明されてないんだけど、その中には決して生き物は入れないようになっている。まあ、厳密には入れはするんだけど、出られないっていうか。出る時は死体になってる」
「…………なんだそれは」
「その『山込めの財布』はそんなに入口のサイズがないから人間が丸ごと入るような心配はしなくていいけど、うっかり指や手を突っ込んだ場合、その部位はもう諦めた方がいい。便利だけど、取り扱いには十分に注意してね」
「……なるほど。わかった」
その情報は何よりも早く欲しかった。
何も聞かなければ普通に開いて何気なく指を突っ込んでいたかもしれない。
便利さに浮かれかけたが、思ったよりも怖い道具だった。
「しかし、どこからこんな貴重なものを……?」
「それ、とても小型で容量もあるから、財産隠しで税金逃れをするような一部の商人の間でとても人気がある『魔法の鞄』なんだけど。どういうわけかガレンの部屋にあってね。でもまさか、そんなことのために持ってたワケじゃないよね?」
「も、もちろんですともッ!! 使っていないモノが、たまたまあそこにあっただけで!」
「というわけで、使ってないらしいから昨日の騒動のお詫びにってことで君に譲ってもうことになったんだ。ねっ、ガレン」
「は、はひぃっ!? ノール様のためなら、よ、喜んでェ……!!」
「悪いな? 大事に使う」
「ぐぎぎィ……! ど、どうぞお気遣いなくゥ……!!」
顔には愛想の良い笑みを浮かべつつ、今にも血管が切れそうな複雑な表情をしているガレンを横目に、俺はリゲルから昨日晩の結果の報告を受ける。
「ノール様。首都サレンツァから出発した皆は滞りなく『時忘れの都』に到着したようです。先ほどメリッサ様より受領の旨、『機鳥郵便』が届きました」
「もうか。早いな」
「早さと丁寧さが売りの業者に依頼したらしいからね。その分、コストは嵩んだらしいけど」
「助かった、リゲル」
「いえ。他にも何か御用命があれば何でも」
「いや。もう仕事はいいから、昨日の話通りもうリゲルとミィナは『時忘れの都』に向かってくれ」
「承知しました。業者には依頼済みなので、ノール様が発たれたら僕ら二人も出発しようと思います」
「頼んだぞ」
宿の入り口を見ると運送屋の従業員らしき髭面の人物が待機している。
さすがリゲル。手際が良いな、と俺が感心していると。
宿の奥からリーンがイネスとロロ、シレーヌと一緒にやってきた。
後ろには大荷物を抱えたミィナもいるが。
「ノール先生。遅くなりました」
「いや、俺も今きたところだ」
「私たちも準備を整えて参りました。すぐにでも出発できます」
「わかった。ところで、ミィナが背負っているそれは……?」
「あ、あれは……?」
「……ご、ごめんなさい……あ、朝ごはんはいくらでも、お弁当に包んでもらえるって聞いたので……?」
リーンの横で若干頬を赤らめたミィナが申し訳なさそうに俯くが、彼女が動くたびに背中の巨大な包みが揺れ、中から美味しそうな匂いが漂ってくる。
「まさか、それを一人で?」
「……いえ。彼女は自分だけ美味しいものを食べているのが申し訳なくなったらしく、『時忘れの都』にいるはずの知り合いの人にもぜひ分けてあげたいということで、厨房の方が気を利かせてくれたんです」
「なるほど」
てっきり、あれが全部彼女のお弁当かと思ったら違ったらしい。
見れば広い廊下の奥で料理人らしき数人の人物が疲弊した表情ではあるが、やりきった充実感のある笑顔をミィナに送り、ミィナも満面の笑顔でそれに応えている。
まあ、何はともあれミィナが元気になったようで何よりだと思ったが。
ふとその姿に目をやると、リーンがいつも肌身離さず持っている短刀を、ミィナが腰につけているのに気がついた。
「リーン、あれは?」
「護身用です。使う時が来なければ良いのですが」
「そうだな……リゲル。ミィナを頼んだぞ」
「はい。と言っても、道中は僕が守ってもらう側ですが」
「大丈夫です! リゲルはちゃんと私が護りますっ!」
ミィナはそう言って元気よく片手で巨大な包みを持ち上げると、反対の手でリーンから借りた短刀をしっかりと握ってみせた。
正直子供二人で旅立たせるのは少し不安ではあるものの、彼女は子供といえどかなりの腕力を持っており、昨日の買い出しの時に俺がうっかりどこかの店に『黒い剣』を置き忘れたところ、引き摺りながら俺のところに持ってきてくれたぐらいなので、まあ、リーンのあの短刀があればきっと大丈夫だろう。
少なくともリゲル一人でいるよりは心強いだろうし、あの山賊めいた風貌の髭面の運送屋もどこか頼れそうな雰囲気だった。
そもそもリゲルが俺などよりずっとしっかりしている。
「じゃあ、行くか。リーン」
「はい」
ガレンが用意してくれた宿はとても良い宿だった。
所有者であるガレンは若干あくどい感じだが、ここで働く人たちは皆、気の良い人たちだった。機会があれば是非またここに来たいな、と思いつつ俺はリゲルとミィナに別れを告げると、早速、宿を出て商都サレンツァの中央部に向かった。