165 商都サレンツァ 3
(2023 6/27 21:49 追記:誤字等、ご報告ありがとうございます。またラシードのセリフ周辺を少しわかりやすくなるよう修正しました)
「ノール先生、ご無事で……先ほど、その子の怪我を治療されていたようですが、私にも診せていただいても?」
「ああ、応急処置は済ませたつもりだが、後のことはリーンに頼みたいと思っていた所だ。頼めるか?」
「はい、もちろんお任せください。さあ、痛いところを見せてください……もう大丈夫ですからね」
リーンは蹲っている少女を街路の脇に連れて行くと、そのまま優しく声をかけながら傷の治療を始めるが、周囲の人々はそんな様子を我関せずと素通りしていく。
つい先ほどまで騒ぎで人だかりができていたのに、まるで何事もなかったかのように人が流れていく様子を俺が不思議に思いながら眺めていると、すぐに少女の治療が終わったらしく、リーンの声が聞こえてくる。
早速歩いて近づいていくと、リーンの手で身体に残った血の跡も拭いてくれたようで顔も綺麗になっている。
だが────
「……これで大丈夫なはずですよ。立てますか?」
「ひっ。ごっ、ごめんなさい」
顔を上げた少女は、再び何かに怯えるように身を固くした。
「……貴女が謝る必要なんて、ありませんよ? もう怖い人はいませんから、どうか安心してください」
「……えっ。もう、いない? ご、ご主人さま、は……?」
「あの人はもう貴女のご主人様じゃありませんよ。貴女を痛めつけていた悪い人はみんな、逃げていきました。だから、もう誰かの顔色を伺う必要なんてないんですよ」
状況がいまいち飲み込めず混乱している様子の少女だったが、優しく声をかけるリーンに次第に表情が和らいでいく。
そうして、しばらくするとはっとした表情でリーンに向き直った。
「……! あ、あのっ。じゃあ、あなたが新しい私のご主人さま……ですか?」
「いいえ。貴女の『ご主人様』となると、そちらにいらっしゃるノール先生、ということになるかと思いますが」
少女はリーンの視線につられて俺の方を向くと慌てて立ち上り、いそいそと頭を下げた。
「あっ、あなたが私の新しい、ご、ご主人様ですね! なっ、何でもいうことを聞きますから……! だ、だから……! ……ひっ。 ……ごっ、ごめんなさい。もうしません」
「……? 急にどうしたんだ? 俺は何もしてないぞ」
「ノール。彼女、男の人が怖いみたい」
「男の人が、怖い?」
不意に背中から届いた声に振り向くとロロがいた。
「うん。大人の男の人を見るとつい、殴られるんじゃないかって思っちゃうみたい。僕も前はそうだったんだけど」
「……なるほどな?」
「多分、しばらく一緒にいればわかってもらえると思う。ちょっと時間はかかりそうだけど」
「まあ、そうだな」
ロロの言う通り、彼女はどうやら俺が近づくだけで怖いらしかった。
そんなわけで俺はそれとなく彼女から距離をとり、代わりにリーンが優しい口調で声をかける。
「大丈夫ですよ、ここには貴女を殴る人はなんていませんから。まずは自己紹介させてください。私はリンネブルグと言います。世間的には少々長い名前なので、お気軽にリーン、と呼んでくださいね」
「……リーン、様?」
「様はいらないですよ。私も貴女と同じく、そちらのノール先生にお仕えする立場ですので」
「お、同じ? じゃ、じゃあ、お姉ちゃ……リーン、も、あの人の奴隷……?」
「いいえ。私は奴隷としての立場ではなく、単に従者として勉強の為にノール先生にお仕えしている形ですので。むしろ、私から無理を言ってご一緒させていただいている、というような感じです」
「じゅ、じゅう……しゃ?」
「要するに、貴女とそんなに変わりませんよ、と言う話です。よろしければ、貴女の名前を教えてくれませんか? むしろ、ぜひ教えてもらいたいです」
少女はまだ何かを警戒している様子だったが、リーンの笑顔の勢いに押されたのか、しばらく皆の顔色を伺うと少しずつ話し始めた。
「……ミ。ミィナ。お、おかあさんからもらった、名前、です」
「そう、ミィナさんって言うんですね。すごくいい名前だと思います」
「でっ、でも。獣人らしい名前で、頭の悪そうな名前、って……よく、言われます」
「全然、そんなことはありませんよ。ほら、そこにも貴女と同じ獣人のお姉さんがいますよ。彼女はシレーヌさんです」
「……お、お姉ちゃんも、獣人? じゃあ、お姉ちゃんは、あの人……ご、ご主人様の奴隷……?」
シレーヌの姿を視界に入れて目を丸くした少女だったが、少女に「奴隷」と言われ、シレーヌも思わず目を丸くして俺と顔を見合わせる。
「違うわ、私のご主人様はそっちのノールさんじゃなくて、こっちのリンネブルグ様。だけど、私は奴隷じゃなくって、単に就職先がそうなってるってだけで……これ、どう説明すればいいんだろう。とにかく、私は奴隷じゃなくて。ただの従業員なの。わかる……?」
「……獣人なのに? 奴隷じゃない?」
「そう」
「……じゅう、ぎょう……?」
シレーヌは少女と同じ目線になるようにしゃがみ込み、しばらく少女と無言で目を見合わせ互いに耳をピコピコと動かしていた。
俺からは彼女たちが何をしているのかはわからなかったが、それで少女は何か通じ合うものがあったらしく、とりあえず全てを理解はしていない様子ではあるもののシレーヌが奴隷でないことに納得したようだった。
「……う、うん、わかった。お姉ちゃんは、リーン、の奴隷だけど……ぜんぜん奴隷じゃない。じゅうぎょう、いん、っていう……全く新しいタイプの奴隷」
「違うけど」
まだ多少噛み合っていないが、自分と同じような姿をしたシレーヌを見て少女は少し安心したらしかった。
「それにしても、ノール。彼女を身請けしたは良いけど、これからどうするんだい? 何か世話のアテはあるのかい」
「いや。正直、何も考えていなかったな」
「まあ、だったらこれから考えればいいよ。君の身の回りを世話する召使いに育てるなり、いろいろと技術を身につけさせて自分の為に働かせるなり。好きにするといい」
「そうは言ってもな……?」
ラシードは彼女を奴隷としてどう育てるか、と言う話をしているらしかったが、俺としては元から彼女を奴隷として扱うつもりはない。
むしろ、正直なところ、本人の好きなように生きてほしいと言いたいが、先ほどの出来事を見る限りはそういうわけにもいかないだろう。
少なくとも彼女がこの街で一人で生きていくのは難しそうだった。
「……なあ、ラシード。さっきみたいなことはこの街ではよくあることなのか?」
「今みたいに公衆の面前で暴力を振るう奴なんて滅多にいないけどね。でも単に表沙汰にならないだけで、どこにでもある話だと思うよ。彼ら『獣人奴隷』は誰にも庇護されない、弱い立場の人間だからね……何をされたって文句は言えないんだ。それがたとえ、自分の命に関わることだとしても」
リーンたちと会話して少しだけ元気が出ているらしい少女の姿を眺めながら、俺とラシードは会話を続ける。
「……どうして、そんな扱いに?」
「それはね、簡単に言うと、街がそれを望んでいるからだよ」
「街が?」
ラシードは俺の疑問に答える代わり、街を行き交う人々を指し示すように手を拡げた。
「……ほら、君もさっき、その目で見ただろう? あの子を殴ろうとする男を笑いながら見守っていた奴らの顔を。あの男の仲間だけじゃない。あいつらは理不尽で横暴に見えるけど、彼らがあのように振る舞えたのは周囲が容認しているからさ。あの横暴を支えているのは実際、周囲で無関係を装って楽しんでいた奴らだよ。自分にも家族や大切な人がありながら、他人の大切な人だったらどうでもいい。むしろ、自分が得をしたり、日々の娯楽や刺激を与えてくれるんなら、他人なんてどんどん不幸になればいい────ってね?」
そう言って賑わう街を眺めながら、ラシードは愉しそうに笑った。
「……でも、誰が彼らを責められる? 彼らが従っているのはこの街の規範であり、常識であり、良識さ。商売なんて勝つ奴もいれば負ける奴もいるし、同情なんてしてたらキリがない。それに、誰しも得をする側に回りたいだろう? 多くの者は勝つ見込みがある奴に肩入れし、負けそうな奴には見向きもしなくなる。この商業の都はそもそも、そういう弱い者への『無関心』を前提として成り立っている。その最たるものが、彼女たちのような『獣人奴隷』ってわけさ」
「……負けそうで、弱い、か?」
「というより、むしろ、彼女たちは最初から『負けること』を期待されているんだよ」
「最初から?」
ラシードの視線につられるようにして、俺はリーンたちと会話している獣人の少女に目を移す。
「……商売の世界というのは残酷なぐらいに平等でね。誰かが大きく『得をしたい』のであればその分、必ず『損をする』役回りの者が必要だ。そんなわけで、彼女たち『獣人奴隷』は生まれた時から周囲に体良く搾取されることを望まれている。彼女たちは生まれつき身体が頑丈な上、とても素直で従順だからね。どんな仕事についてもよく働き、市場価値をつけて取引を行う者にとってはうってつけの、生まれながらの『高級商材』となるのさ」
「……人が、高級商材か」
「この街ではね、彼女たち獣人は所有者に莫大な富をもたらす大事な商品なのさ。時として、彼女たち自身もそのことを誇りに思い、不憫なことに、大人になってからも『従順な下僕』であることが自分の存在意義だと考える」
「……流石に、誰かは疑問に思ったりしそうだが……?」
「そういう奴もいるにはいる。でも、彼女たちは特別な場合を除き、ろくな教育は受けられないからね。大人になっても大半は読み書きもできず、書物から知識を仕入れることもない。他の選択肢なんて、ほとんどの者は思いつきもしないんだろう……本当に、気持ちがいいぐらいのお人好しばかりだよ。でも、その結果が、能力もないくせに自分を『得する役割』に固定したい奴らに利用されたいだけされるだけの────なんとも不憫な一生を送る『無知の集団』、ってわけだ」
ラシードはそう言って笑いながら大袈裟に肩を竦め、首を振った。
「……ま、そんなことはどうでもいい話さ。そんなことで一喜一憂してたらこの街は楽しめない。面倒な揉め事も片付いたし、仕切り直して気楽に買い物といこう。確か、まずはゴーレムの工房を訪れるはずだったね。店にはここをまっすぐ進んでいけばすぐに着くけれど」
「ああ、確かにそうだったが……」
「ノール。ちょっとだけ、行くのを待ってもらっていいかな?」
「ロロ?」
「……おや、魔族の少年。何か、行き先に異論でもあるのかい」
「ううん、異論ってほどでもないんだけど。まだその子、僕らに言ってないことがあるみたいだから。弟さんのことで」
「……弟?」
「うん。心の中ではずっと考えてたみたいなんだけど……ボク達に遠慮して、言えなかったみたい」
俺たちが一斉に少女に視線を向けると少女はビクリ、と肩を震わせた。
そして一旦口を開こうとするも、まだ何事か悩んで言い淀んでいるらしい少女に、リーンが屈んで優しく話しかける。
「……誰も怒ったりしませんから、よろしければ貴女のご家族のことを、私たちにも教えてもらえますか? 弟さんがいらっしゃるんですね?」
少女はどうやら俺の顔色を伺っている様子だったので、俺が遠巻きに小さく頷くと、意を決したようにポツポツと話を始めた。
「……お、おとうさんと、おかあさんは……私が小さい時、いなくなりました。でも、でも、弟は……ずっとずっと、一緒にいました。小さい頃から……さ、さっきまで」
「さっきまで?」
「……弟、私よりずっと体が弱くって。いつも、すぐ病気になっちゃって……おくすり代も、いっぱいかかって。だから、あの人は「いらない」って言って。買われたのは私だけで────で、でも。その時には、弟……もう、すごく弱ってて」
最初はしっかりとリーンを見つめながら話していた少女だったが、話を続けるうち、顔が地面を向き、声が弱々しくなっていく。
見れば頬からは涙が流れ落ちていた。
「……わ、私が、お店を出て行くときに。お店の人が、「もう売り物にならない」って、別の部屋に連れて行って。そ、それで……それでっ……!! あとは、もう……わからないです……! ごっ、ごめんなさい……!」
少女はそこまで言うと俺たちが最初に見た時のようにその場に蹲り、動かなくなってしまった。
「……う、うぅ……ごめんなさい……! ……ごめんなさいぃ……!」
「……ありがとうございます、もう大丈夫です。辛いことを思い出させてしまって、すみません」
涙で声を詰まらせている少女をリーンは優しくなだめていたが、どうやら、彼女が先ほど路上で蹲っていた理由には、その辺りのことがあるらしかった。
「確か、弟が病気だと言っていたな」
「……ええ。彼の居場所がわかればいいのですが」
「ふぅん。なるほど、ねぇ……?」
深刻そうな表情をするリーンの横で、ラシードが薄く笑う。
「ラシード? 何かわかるのか?」
「……ああ。彼女の首に嵌まっている黒い首輪。どこかで見たような刻印があると思っていたけれど、彼女が買われてきたのはどうやら、先ほどの『ガレン商会』が経営する『奴隷商館』の一つらしい。僕の記憶が間違っていなければ、場所もここからそう遠くない」
「……奴隷商館? そこに行けば彼女の弟がいるわけか」
「ああ。そういうことになるね」
先ほどから何やら不気味な微笑みを浮かべているラシードだったが、俺は隣にいるリーンと目を合わせ、互いに無言で頷いた。
「……リーン。これからゴーレムの工房に行くという話だったが、行き先を変えてもいいか?」
「はい、もちろん。なるべく急いだ方が良さそうです」
「悪いがラシードも、それでいいか?」
「ああ、君たちがその方がいいと言うなら反対する理由はない。どうせ使うのは君のお金だし……むしろ、案内する予定だったゴーレム工房なんかより、ずっと楽しい買い物になりそうだ」
そう言って、ラシードは先ほどよりも更に悪い笑顔になった。
「では、ラシード様。場所をご存知でしたら、ご案内いただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろん、構わないですよ、リンネブルグ様。『ガレン商会』には私の旧い顔馴染みもおりましてね。旧交を温める丁度いい機会になりましょう」
「では。急ぎましょう……イネス、すみませんが彼女をお願いできますか?」
「畏まりました。では、私の背中へ。鎧で少々硬いが我慢してくれ」
「……ふえっ? お、お姉ちゃんは……?」
「私はリンネブルグ様の従者、イネスだ。よろしく」
「……い、いね……よろ……?」
「じゃあ、行くか」
俺はイネスが少女を背中におぶるのを眺めつつ、路上の真ん中に置きっぱなしになって街の通行を妨げていたらしい『黒い剣』を拾い上げると、ラシードの案内に従って街の奥へと進んだ。