161 黒いローブの男
「……あの、馬鹿息子どもめがぁッ……!!」
首都サレンツァに無数に存在する遊興用の屋敷の中に、金色に輝く椅子に腰掛けた巨躯の男の苛立つ声が響く。
その男はサレンツァ家当主、ザイード。
商業自治区サレンツァで絶大な権力を手中にする男であり、そんな男が苛立ってひとつ物音を立てるたび、館中の使用人が怯えて小さく悲鳴をあげている。
ザイードの苛立ちの原因は度重なる身内の失態だった。
「……よりによって、身内の争いで一万二千ものゴーレムを浪費しただと……? 『始源』のゴーレム一体の発掘費用が幾らすると思っているのだ────!? いや。そもそもあの馬鹿共は、あの一体がどれだけの富を生み出せる代物なのか、まともに理解すらしておらん。あれが我が家の歴史にとって最も重要なモノだと何度言えば……!」
アリとニードの状況を知らされたザイードは頭を抱えていた。
息子たちに貸し与えて破壊されたゴーレムは、数で言えば国内で運用している内のごく一部だった。サレンツァ家が所有する巨大な地下倉庫に人知れず保管している数を考えれば、現状、そこまでの痛手ではないとも言えるが、とても看過できる類の話ではなかった。
「その上、与えたものを綺麗に一体残らず全滅させた、だと……?? 逆にどんな神経をしていればそんな器用なことができるのだ……!」
なすすべもなく滅ぼされた『始源』のゴーレムは、並の兵器でもなければ単なる武器でもない。古くから『サレンツァ家』に絶大な富と権力を与える、代えの利かない大事な道具であった。
ゆえにサレンツァ家は古くから独占契約を結んだ『発掘業者』と結託し、強力なゴーレムは流通を厳しく制限して決して親族以外の者には渡らないようにしてきた。
他人に売るとしたら、一段も二段も性能の落ちた紛い物。
それを最高級品と嘯き、本物の最高は自らの手元に確保して、一族は有利な地位を保ち続け、繁栄の時代を築いてきた。
専門の発掘業者への発注費用は法外なまでに高かったが、得られた『始源』のゴーレムは十二分の利益を産み出した。
サレンツァ家は元々金貸し業を営む一家だった。
ゴーレムを手にしてからは、どんな相手に金を貸しても取り立てに苦労をすることがなくなった。それどころか、どんなに高い利子で貸しつけても確実に回収することができた。
最悪、金を回収せずともよくなった。
支払いを拒む者を機械人形に命令して物言わぬ死体に替えれば、借りた金を返さぬ者の哀れな末路を見た者はそれ以降、どんな場合でも必死に利子を収めるようになっていったからだ。
ゴーレムが生み出す質の良い暴力は、あらゆる富、権力────果ては法と秩序という極上の財産をサレンツァ家に与え、砂漠の一商人でしかなかった家族を絶大な権力者へと押し上げた。
最早、相手が個人であろうと国を跨ぐ大きな商会であろうと、それが一国の主であろうと、ゴーレムがもたらす恐怖の前には何の区別もいらなくなった。
そうして周囲に自分たちとまともに競争できる相手がいなくなると、サレンツァ家はあらゆる場所から富を吸い上げ、自分達の富を際限なく増殖させるようになった。
代々の『サレンツァ家』にとって、ゴーレムとは魔石さえ喰わせれば無限に富を生産できる『永久機関』であった。思うがままに他者の利益を剥ぎ取ることができ、体よく己の懐に収めることができる収奪の為の機械。
いわば、ゴーレムとは『商業自治区サレンツァ』という秩序の象徴でもあった。
────それが今や、一方的に破壊されているという異常事態。
「……いったい、クレイス王は何をよこしたというのだ……!?」
息子の部下が取ってきたという『遠見』の映像に、ラシードの部下と共に映る男。
あれが新しい『時忘れの都』の経営者であるという。
ザイードがあれだけ手を焼き、遠く手の離れた場所に追いやるしかなかったラシードを『賭け』で負かして大損をさせた男。それでいて、あれだけの『始源』のゴーレムを以ってしても手に負えない暴力を単身で振るうことのできる者。
男の素性は不明だが、その二つだけとっても異常、という他ない。
その主人であるというリンネブルグ王女と、その護衛の【神盾】イネスも脅威ではあるが、そちらの対策はしてあるつもりだった。
素性がある程度知れているあれらは、まだ、やりようがある。
だが……全く情報すらないあの男を止める算段が、ザイードには全く思い浮かばない。
これから、あれは首都にやってくるのだろう。
つい先ほど、サレンツァ家の名前でラシードと共に首都に出頭するよう手紙を送ったばかりだった。
最初は単に未知の実力者への不快感であったのが、今や、単に恐ろしい。
首都を守るためのゴーレムは周辺地域のあちこちに配備してある。
それこそ、当主のザイードは息子たちに渡したのとは比べ物にならない数を今すぐにでも動かせる。
だが……ここまで得られた情報からすると、それでも無防備に等しい、ということになるのではないか。
今の状況は紛れもなく、これまで『サレンツァ家』が長い年月をかけて築いてきた『秩序』の崩壊の危機であった。
そして、それはクレイス王国という厄介この上ない国に関わった時点で、そんな危機が訪れる可能性を十分に予見していたザイード自身が招いたことでもある。
今回の件は息子たちの失態に収まらない。
そもそもが、あれを国内に引き入れる判断を下したザイード自身の失態だった。
今まで『始源』のゴーレムを簡単に破壊できるような『力』など、国内はおろか、周辺国中のどこにも存在しなかった。
たとえ存在したとしても、芽を見つけ次第、必ず大きくなる前に叩き潰してきた。
例えば、いつまでも時代遅れの弓で戦おうとする、あの知能の足りない獣人たちのように。
ザイードは事前に敵の能力を調査し、潰す為の計画を十二分に練り、準備を整えた上で争いごとを起こして相手を一方的に無力化し────結局、相手の全てを支配して余すことなく『富』に変えた。
用意周到に危うきは遠ざけ、障害の芽は出る前に潰し、できるだけ競合を作ることを避けて着実に、己にとって居心地のよい『秩序』を築くことを心がけてきた。
それこそが、サレンツァ家という一族が辿った歴史そのものだった。
だが────
今や、不意に入り込んできた名前も知らない男のせいで全てが台無しになろうとしている。
今となっては、商人としての自らの直感を信じるべきだったと激しく後悔する。
ザイードにとって、商人に必要な資質とは勇猛さとは全く逆の性質だった。
少しでも勝ち筋が曇る勝負はなんとしてでも避け、わずかな障害でさえ全て潰した上でなければ、ザイードは決して勝負には出なかった。
時に臆病と言われても誰よりも慎重に進むことで、最後には必ず大きな利益に繋げてきたという自負がある。
……ならば、今回も臆病に徹し、どこまでも逃げ回るべきだったのだ。
あくまでも、ザイードはクレイス王国とは距離を保ち続けるべきだと考えていた。
仮に攻めるならば、もっと情報を集めた上で何年かかってでも慎重に行うべきだと主張した。
なのに結局、柄にもなく挑んではならない勝負に挑み、みすみす大きなものを失う危機を作り出したことに苛立ちを覚えるが。
……当然、これは自分だけの失態ではない。
確かに、周囲の判断を鵜呑みにした自分にも反省すべき点はあるが、いつもの自分なら、こんな無様な判断はしなかった。
────最も重い責めを負うべき者は、他にいる。
「……ルード! ルードはいるかッ!!」
己の過失を認めることに不慣れな巨躯の男は震える手で金の酒盃を握り締めると、一人の人物の名を呼んだ。
そうして使用人たちの身を竦ませるような大音声の呼び声が屋敷中に響き渡り、その後、程なくして部屋に黒いローブに身を包んだ男が現れた。
それは表向きには国内有数の優良商材を抱える『奴隷商』として。
そして、長きに渡って専属契約を結んでいるサレンツァ家にとってはゴーレムの『発掘業者』として知られる、ルードという男だった。
「お呼びでしょうか、ザイード様」
「……お呼びでしょうか、では、ないわァ!!」
男が部屋に現れると同時に、ザイードは手にしていた金色の盃を投げつけた。
金の盃は男をすり抜けるようにして背後の壁の絵画に突き刺さり、小さな穴を開けた後、床に高価な酒を撒き散らしただけだったが、部屋に控えていた使用人たちは悲鳴を押し殺し震えていた。
一方、怒りを露わにする当主の前で何事もなかったかのように平然と佇む黒いローブの男に、ザイードは思わず舌打ちをする。
「……おい。お前たちは外せ。儂は此奴と二人だけで話がある」
「「……は、はい……!」」
今までに見たことがない程機嫌が悪い当主に呼び出された哀れな男の行く末を、息を呑んで見守っていた使用人たちはその場から逃げるようにして立ち去った。
「ルード。何故、儂がお前を呼んだかわかるか?」
「……私の提案で、クレイス王国の者を国内に招き入れた件でしょうか」
「……そうだ。我が家に長く仕え一度も約束を違えたことのないお前だからこそ、儂は敢えて、お前の要求に便宜を図ってやったのだ。お前は、クレイス王が発掘したあのカビ臭い遺物を得る代わりに、もっと価値のある財宝を寄越す、と約束したな? そして、仮にその過程で障害が生じれば、お前たちの責任で取り除く、と。なのに……全く、話が違うではないか?」
「確かに。言われてみればそうですね」
悪びれる様子もなくあっさりと自らの非を認めた黒いローブの男に、ザイードは大きなため息をついた。
「……まるで他人事だな。この失態、元を辿ればお前の責任なのだぞ? 儂はお前の進言通り、クレイス王への書簡に誰にも立ち入りを許さなかった『忘却の迷宮』への侵入を認めると書いた。その上、お前たちが我ら一族にすら所在を明かそうとしない『魔族』の居場所を教えると嘯き、散々、撒ける餌をばら撒いて、小生意気なクレイス王に一泡吹かせる算段だった。だが……今や、この有様だ。一体、どう責任を取るつもりなのだ? ルードよ」
「────その前に。例の遺物は、本当に国内に持ち込まれているのでしょうか」
あくまでも自分のペースを崩さない黒いローブの男に、ザイードは苛立たしげに舌打ちをする。
だが、それが男の通常の態度だと知っているザイードは、それ以上は何も言わずに自らが座る黄金の椅子の仕掛けに触れ、部屋の中に掲げられた大きな『物見の鏡』に準備していた映像を映し出した。
「見るがいい。息子の部下が取ってきた『遠見』の記録だ。あれがクレイス王が『還らずの迷宮』から掘り起こしたという『黒い剣』と見て間違いなかろう?」
「……確かに。間違いなさそうです」
そこには黒い剣のようなモノを持つ男の姿が映し出されていた。
黒いローブを着込んだ男の表情はフードに隠れて見えなかったが、しばらくの間、顔の見えないローブの奥から映像に見入っている様子だった。
「……何事にも無関心なお前が、あんな小さな遺物に随分と執着すると思ったが。確かに、それだけの代物であることは認めざるを得んな。見た目はいかにも貴様ら『耳長族』が好みそうな、古臭い骨董品でしかないが。しかし……こうなってしまってはもはや、簡単にお前に渡してやるわけにもいくまいな?」
「……当主?」
「なんだ、儂の判断が不満か? だが、いかに曽祖父よりも前の代から我が家と『契約』を結んだお前といえど、今回ばかりは十分に損失の埋め合わせをしてもらってからでなければ約束の報酬は────……ぬ゛ぁっ?」
次にザイードが気がついた時、黒いローブの男は無言でザイードの目の前に立っていた。そうしてそのまま饒舌に語るザイードの顔を片手で鷲掴みにすると、その巨体ごと持ち上げた。
「あがっ!? ……ルッ、ルードッ!? 貴様ッ!!? な、何をするッ……!? ────ぁがぁっ!?」
苦痛の呻き声をあげ、万力のような力で顔面にめり込む青白い指を必死に引き剥がそうとするザイードだったが、太った手脚をバタつかせると余計に指が顔面に食い込み、首周りについた贅肉が寄せられて呼吸すら阻害する。
「ぐ、苦じ……い゛ッ!? あ、あがぁっ!? ……や、やめ゛っ……!?」
苦悶の表情を浮かべたザイードが精一杯暴れて抵抗するも、黒いローブの男は意に介することなく片手で巨体を吊り続け、ローブのフードの中にしまわれた特徴的な長い耳で、冷ややかに頭蓋にヒビが入る音を聞いていた。
「あ゛っ……!? あ゛っ、あ゛っ、あ゛っ……!? い゛あ゛ッ!?」
「『契約』、か。確かに、我々は『契約』を交わしている。我々から貴様らに惜しみない援助を提供する代わり、『我々の名は決して口にしない』という内容の」
「あ゛っ」
「そして、契約を履行できない場合────貴様ら一族の滅亡を以って贖うという内容の」
青白い手の中で頭蓋骨がくしゃり、と潰れる音がした。
贅肉で膨れた顔面には五本の細い指が深々とめり込んで、その隙間から赤い血が噴き出て白く磨かれた床に飛び散った。
途端に先程まで苦しそうにもがいていたザイードの手足は力を失い、全身から血の気が引いていく。
「その約束はつい、二百年前の話だ。忘れたか?」
ローブの男は深いため息を吐きながら、自分の片手にぶら下がったままの、白目を剥きながら血の混じった泡を吹いている男に言い聞かせるように言った。
「……忘れるのだろうな、お前らは。短命ゆえに、記憶が浅い。忘れるが故に、与えられただけのものを己が力と勘違いし、自分の立ち位置すら理解できなくなるから簡単な約束すら守れない────本当に、関われば関わるほど不快な生き物だ」
黒いローブの男が血まみれの顔を掴んでいる手を離すと、巨躯の男は顔面から硬い床に叩きつけられ、ゴトリ、と部屋中に響く鈍い音を立てた。
そのまま自分に跪くように足元に崩れ落ちた巨体を見下ろしながら、黒いローブの男は吐き捨てるように言う。
「短い寿命に足りない知恵。己の欲望のままに増え続けては同族同士で僅かばかりの財産を奪い合う。こんな生き物、いっそこの地上から全て滅んでしまえばいいと、これまで何度思ったことか」
顔の見えないローブから漏れたのは淡々とした、しかし、憎々しげな実感の籠った声だった。
「……それどころか、あれに大した価値がない、だと? 短命で無知な弱者に過ぎないお前たちが、いったいどうやってあれの価値を量る? ……いや、その前に。お前たちは、お前たち自身の価値すらまともにわからないのだろう? あれに比べれば、お前たちが数世代かけて築いたつもりの塵の山など、そこらで煩く飛んでは潰される羽虫の存在意義とそう変わりない、ということも」
黒いローブの男は物言わぬ男に幾つもの問いを発したが、当然、潰れた顔を血塗れの床に押し付けたままの男からの返事はない。
「……あれと比べれば、お前たちの数千年の営みすら無に等しい。むしろ、放っておけば勝手に滅ぼし合うようなお前らの命など、道端で獣に足蹴にされる小石にも劣る価値しかないのだと、何故、そんな簡単なこともわからない────?」
苛立たしげに問いかけを続けるローブの男だったが、既に相手の男の意識はなく、呼吸も止まっていた。
特徴的な長い耳ですぐに心臓も鼓動を止めようとしていることを感じ取った男は、面倒臭そうに顔を上げてゆっくりと息を吸うと、再び憎悪の篭った吐息を吐き出した。
「……本当に、忌々しい。俺は何故、こんな屑を生かさねばならないのだ。こうして生かす機会を与えるのすら口惜しい。だが……まだだ。まだ、こいつは利用するに値する。駆除の手順は、その後だ」
黒いローブの男は自分自身に言い聞かせるような言葉を唱えると、倒れている男の陥没した頭部を片手で掴んで持ち上げた。
「────さっさと、『治れ』」
そうして黒いローブの男の手のひらから、青白い光が放たれる。
すると、巨躯の男の凹んだ頭が見る間に再生を始め、辺りの床に散った血液が宙に浮き、まるで時を遡るようにして男の体内に戻っていく。
同時に止まりかけていた心臓が正常に脈打ち、青ざめていた顔がみるみる血色が良くなり、死の淵にあった男は咳き込みながらも即座に息を吹き返した。
「────が、かはっ!?」
「……ご気分はいかがですか、当主」
黒いローブの男は強引な治療を終えると、床に座り込む男に顔を寄せて耳元で小さく声をかけた。
だが巨躯の男は黒いローブの男を見るなり、悲鳴をあげて後退りを始めた。
「ヒィッ!? ル、ルードッ!? ……い、いったい、今、何を!? わ、儂にあのようなことして、た、ただで済むと────あがッ!?」
だが、黒いローブの男は逃げ出そうとする男の頭を再び強引に鷲掴みにして動きを止めた。
「……うっかりしていた。最初に記憶を消すのが正しい手順だった」
「あ゛がっ!? い、いだいっ……!? なァ!? 何をッ!?」
「煩い。その臭い口を閉じろ。これ以上、無意味な手間をかけさせるな」
「────あ、あがぁっ!?」
再び男の頭蓋がぱきり、と割れる音がする。
だが、すぐさま黒いローブの男の手のひらが青白く光り、ザイードの顔面の傷は瞬時に再生していくものの、再生した瞬間に再びルードの強力な握力で頭蓋が握りつぶされていく。
黒いローブの男、ルードは自らの手のひらの中で大した意義もなく繰り返される破壊と再生の光景を忌々しげに眺めながら、再び面倒そうに口を開く。
「今あったことは────全て、『忘れろ』」
すると、今度は赤い光が男の手のひらから放たれる。
奇妙にうねるような赤い光が暴れる巨躯の男の頭部を覆うと、途端に苦痛で手足をバタつかせていた男は目を見開き、大人しくなった。
そうして、黒いローブの男は自分の手の中にある顔の表情が落ち着いたのを見届けると、ゆっくりとそこから手を離し、再び耳元に顔を寄せて囁いた。
「ご気分はいかがですか、当主」
それはつい先程と全く同じ台詞だった。
だが、黒いローブの声を聞いたザイードは、今度は少しも取り乱さなかった。
代わりに虚ろな目を泳がせ、必死に何かを思い出そうとしている様子だったが……その努力はどうも上手く実を結ばないようだった。
「……ぐっ、頭が……痛い? わ、儂はここで、何を……? 何故、床などに座っておる……?」
「いつものご持病の発作です。お薬をどうぞ。気分が良くなります」
「そ、そうか……? い、いつもながら悪いな、ルード……?」
つい先ほど黒いローブの男に頭を潰されたばかりの男は、同じ男が差し出した気付け用の魔法薬を受け取って一気に飲み干すと、礼を言った。
「……ぷはっ。た、助かったぞ、ルード……お前がそばに控えていてくれて、本当によかった」
「いえ、いつものことですので」
対して黒いローブの男は何の感情も込めず、冷たい床に青い顔で座り込む大男を見下ろした。
「……そ、それで。なんの話だったか……? 儂は確か、何かを話し合うためにお前を呼んだ筈だったが。どうも気を失っていたせいか、記憶が曖昧だ」
「お呼び出しは例のクレイス王国の来客の件です。我々、発掘業者が提供した『始源』のゴーレムでは歯が立たず、当主は更に強力なゴーレムをご所望、と」
黒いローブの男は相変わらず何の感慨も含めず、淡々と床に座り込む男を見下ろしてそう言った。
「……そ、そうであったか。だが、『始源』よりも強力なゴーレム? そのようなものは初耳だが……どうしてそんな大事なことを、今まで黙っていた?」
「逆に問いますが。何故、それを教える必要が?」
「……そっ、それは……?」
黒いローブの男の声が帯びた僅かな怒りの感情に、ザイードは思わず怯んで言葉を失った。
それはサレンツァ家当主にあるまじき、屈服の感情の萌芽だった。
「我々は必要に応じ、必要なだけ支援を行う、という契約をしたまでですが。それ以上のことを望まれても困ります」
「……そ、そうか。そうであったな?」
「ですが……今は、その支援が必要な時かと」
ザイードは『物見の鏡』に映る男の姿を再びじっと眺め始めた黒いローブの男に、疑問を投げかけた。
「……だが、本当にあれをなんとかできるのか? 少しばかりの違いでは話にならんぞ?」
「ご心配には及びません。迷宮に眠る『巨人』の力を用いれば、どんな外敵であれ、必ず一掃できることをお約束致しましょう」
「それはお前が、そこまでいうほどの力なのか?」
「……ええ。『忘却の巨人』はその付属品たる『始源』のゴーレムなどとは比べるべくもない、我々が知る中でも最高の力の一つです。当主さえよろしければ、これから私はすぐにでも巨人を動かす為の『鍵』を迷宮まで取りに行って参りますが」
「……『鍵』だと?」
「はい。『忘却の巨人』の起動は、所有者となる者が『鍵』を手にして行う必要があります。当主はそれを持って、『忘却の迷宮』に向かっていただければ」
「なるほどな。それさえあれば『巨人』は儂のいうことを聞くということか」
「……ええ。あれこそ、まさにこの地を地を遍く支配する貴方に相応しい武力と言えるでしょう」
「そ、そうか」
人前では豪胆に振る舞う人一倍臆病な性格の男、ザイードは今や、自身が顔の見えない男に大きな怯えを抱き、身体を震わせていることを自覚する。
絶対的な権力を手にしているザイードにとって、他人にそんな感情を抱くことなど、初めての経験であるはずだった。
でも……そんな記憶は一つもないはずなのに。
自分はこの男の前ではいつもこうしていた気がする。
────何度も、何度も、何度でも。
体の奥底から湧き上がる、得体の知れない恐怖の感情がザイードを支配する。だが、記憶に空白を持つ男はその一連の感情が湧いてくる理由がわからない。
「それと、当主。よろしければ、こちらを」
ルードが小さく片手を上げると、混乱するザイードの前に虚ろな目をした血色の悪い少年少女が進み出た。
「それは……もしや、お前が管理していた『魔族』、か?」
「ええ。僅かばかりですが、今回の失態の補填として、差し上げます。どの道、我々には不要のモノとなりましたので。どうぞゴーレムに喰わせる『石』とするなり、奴隷とするなり存分にお役立てを」
「……そ、そうか。ならば気遣い、ありがたく受け取っておくとしよう」
「では、私はこれより、『忘却の迷宮』に必要なものを取りに行って参ります。それまで、どうか当主はクレイス王国の者どもを逃さぬよう、できる限りの足止めをお願いいたします。せっかく力を手に入れても、振るう相手がいなくなっては興醒めでしょう」
「……あ、ああ。お前には期待しているぞ、ルード」
冷たい石の床に座り込んだままの姿勢で、精一杯の威厳を保とうとする当主を置き去りにし、黒いローブの男は豪奢な装飾のなされた部屋を立ち去った。
そうしてしばらく薄暗い廊下を進んでいくと、男は急に何もない所で立ち止まり、壁に向けて声を掛けた。
「ザドゥ、そこにいるな」
「……あァ? なんだ、ルードの旦那かァ。何か、俺に用事かァ……?」
壁の中から男の声がした。
途端に屋敷の廊下が陽炎のように歪み、煙のような靄が辺りに渦巻いたかと思うと、その中から顔に黒い包帯のようなモノを巻いた、腰に幾つもの短刀を括り付けた奇妙な出立ちの男が現れた。
「近々、『忘却の迷宮』を動かすことにした。その前に一つお前に依頼がある」
「あァ、なるほど。ってことはもう捨てるのかァ────? この拠点」
顔が黒い包帯で覆われた男は、特に感慨もなさそうに広い廊下の窓から街の風景を見下ろした。
「そうかァ。そこそこいい武具も出回るし、結構、気に入ってたのになァ────? でも、もう使えなくなるんだなァ?」
「出発前に痕跡らしい痕跡は全て消していく。その間、お前には例の遺物の回収を依頼したい」
「……あァ。例の『黒い剣』ってやつかァ」
「そうだ。すぐそこまで来ている。なるべく早めの回収を頼みたいところだが……今回に限り、報酬は後で支払うことになる」
「なんだァ? 急がせる癖に後払いかァ? 旦那にしては珍しくケチ臭いなァ?」
「資産の大半は『郷』に移転済みだ。向こうに行ってからであれば上限を気にせず、望むだけの報酬を与えられるという話だ」
黒いローブの男の話に黒い包帯の男はニタリ、と笑った。
「……そうだなァ? 普段は後払いの仕事なんて受けねェんだが……他ならぬ旦那の依頼だしなァ? 特別に割増料金ってことで受けてやらァ」
「では遺物を入手次第、俺のところに持ち帰れ。その後、『忘却の迷宮』に向かう」
「それじゃ、依頼成立だなァ────? 早速、その『黒い剣』ってヤツに会いに行ってくるかなァ────?」
奇妙な風貌の男はそう言って舌を出して嬉しそうに笑うと、その場からゆらり、と微風に立ち消える煙のように姿を消した。