152 【星穿ち】のリゲル 1(中)
長いですが前話とひと繋がりのエピソードとして読んでいただければ幸いです。(「後」もあります)
◇◇◇
かつて、獣人たちは自由に平原を駆け回る者たちであり、砂漠を取り囲む水の流れる豊かな土地を見守る『森の民』であった。
彼らの生活は長い間変わらなかった。
毎年、決まった場所で狩りをし、祭りで土地の精霊に感謝の祈りを捧げ、実りを蓄えてまた次の年に備える。厳しい自然と対峙する生活ではあったが、獲物を獲る技術さえ身につければ何不自由なく暮らすことができた。
それは良く言えば平穏で争いごとが少ない社会であり、悪く言えば変化に乏しい閉鎖的な世界だった。
その閉じた世界に変化が訪れたのは、外から人が頻繁に出入りするようになってからだった。
いつからか遠方から土地を渡り歩く商人が訪れるようになり、聞いたこともない薬や、物珍しい装飾品を持ち込んだ。
外の世界との交流が乏しかった獣人たちはすぐに彼らに興味を示した。
最初は考え方の違いもあり小さな衝突も起こしたが、すぐに和解し、彼らは利益を共有する仲となった。
当時、獣人たちはその土地を支配する『強き者』であった。
厳しい自然に磨かれた優れた肉体を持ち、どんなに硬い魔物でも仕留める強力な弓を操り、彼らの庭である豊かな森で気ままに獲物を取って生活をする。
十分な獲物が取れた時、困窮した者に施すことが彼らの誇りであった。
一方、商人たちは守られるべき『弱き者』だった。
獣人たちからすると、彼らは森のことを何も知らず、放っておけばいつでも道に迷ってしまう無防備で知恵の乏しい者たち。
商人たちは獣人たちの領域のどこかを旅する時、必ず土地の古老に教えを請い、或いは若い獣人たちを案内人として雇い、謝礼として外の地の珍しい品物を贈った。
彼らはそれぞれ考え方の違う存在だったが、そうやって互いの領域を侵すことなく利益を分け合うことのできる良き隣人として共存した。
そんな関係に変化が訪れ始めたのはとある旱魃の年だった。
その年は天候が荒れ、雨も降らず、獲物も作物もろくに取れなかった。
ある獣人たちの集落の周辺では一滴も雨が降らず、頼りにしていた水源が枯れ果て、困り果てた獣人たちは古老の教えにより『水が豊かに湧き出す地』に一時的に移動することにした。
その土地では旱魃は稀にだが、あることだった。
だから、その集落には代々古老のみが知る特別な土地があった。
そこは頻繁に洪水が起きて長く住むには適さないが、このように乾いた年には水の恩恵にあずかれる、決して水が枯れない土地。
彼らは古老の導きに従い数十年ぶりにその地を訪れた。
だが、移動した先で見慣れぬものを目にすることになった。
そこには、古老たちにとって全く見覚えのない家々が数十軒と立ち並んでいた。
それは獣人たちの家ではなく、商人たちの家だった。
老人たちは商人の家を訪ね、どうしてこんなところに住んでいるのかと尋ねた。
家から出てきた者は言った。
この地は開拓により、自分たちの所有地となった。
もう随分前から住んでいるし、今更立ち退けと言われても困る、とその土地の「権利書」を古老に見せつけた。
獣人たちはそんな紙切れが何の証明になるのかと疑問に思ったが、皆で話し合った結果、彼らを放っておくことにした。
先祖代々使ってきた大事な水場が使えないのは残念に思うが、それは本来、自分たちだけで独占するべきものではない。
きっと『弱き者』である彼らは、生きるのに困ってこのような住みにくい場所にしがみついているのだろうから、他で生きる知恵のある自分たちが我慢して他の場所に移れば良いだけだ、と。
広い大地には限りがない。
少し移動すればきっと他の水場はあることだろう。
温厚な獣人たちは何も抗議することもなく、笑顔で商人たちに手を振ってその場を譲り、その年は別の場所で何事もなく快適に過ごした。
その翌々年も、大きな旱魃が起きた。
またもや彼らは水が豊富にある土地に移動することになったが、同じ場所を訪れると商人たちの家が驚くほどに増えていた。
一昨年使っていた水場にも頑丈な柵が設けられ、簡単には立ち入れそうもない。
獣人の古老はそこに住む者と話し合うことにした。
新たにこの土地を訪れたお前たちは知らないかもしれないが、ここは先祖代々、皆で譲り合って使っていた場所だった。
だから、そこをどけとまでは言わないから、我々にも一部でいいから水場を使わせてくれ、と。
だが商人たちは言った。
急にそんなことを言われても困る。
こちらには正当な土地の権利書があるし、水の利用権もきちんと買い取って適正に使っているのだから、とさまざまな紙束を古老の前に出してみせた。
そして「そちらには何の証明があるのか」問われると獣人たちは「何もない」と言う他なかった。そこは古来から皆で利用してきた場所であり、元々、そんなものは必要なかった、と。
もちろん、金も持っていない、と言うと、それならここの水は譲れない、と商人たちは首を振り、獣人たちは渋々その場を後にした。
古老は憤る若者たちを慰めた。
もし、商人たちと力で争えば当然、我々が勝つだろう。
だが『弱き者』である彼ら相手にそんなことをすれば、先祖の霊が我々を恥じ、多くの誇りが失われることになるだろう、と。
あくまでも自分たちは知恵ある『強き者』であり、貧しき者に施すのは当たり前のことだから、我々が譲れば良い話だ、と不満を持った若者たちを諭しつつ、その年、彼らはその場を後にした。
そしてすぐに水場を見つけ出し、快適に過ごした。
また十年後、同じことがあった。
酷い旱魃の後、獣人たちは古老に連れられ以前のように水の豊富な土地に移動したが、そこには目を疑うものがあった。
そこには見上げんばかりの高い石の壁が築かれていた。
硬そうな金属製の門があり、武装した門番が待ち構えている。
壁の前で狼狽える獣人たちを目にした商人たちは、彼らに近づくと武器を携えて取り囲み、こう言った。
「許可証は」と。
獣人たちがそんなものはない、と言うと次は「通行料を出せ」と言った。
昔はそんなものは必要なかったはずだ、と言うと、昔はそうだったかもしれないが、今は法でそう定められている。
法に背けば、罪人として牢に繋がれることになる、と言って壁を抜ける為の料金表を差し出した。
長旅で疲れた獣人たちは渋々、皆の分の金を払い石の壁を通り抜けた。
だが、そこにあったのはただの枯れた水源だった。
あの溢れんばかりの水はどこにいったのだ、と古老が狼狽えながら聞くと、そんなもの、とっくに売りに出されたと言われた。
とても良い質の水であったので、それに見合う価値をつけて買う者のところに行ったのだ、と。
今後は、それを取ろうとするものは同じだけの『適正価格』で買う必要がある、と。
獣人たちはその決まり事、彼らの言うところの『法』に従って高くて濁った水を買ったが、金がなくなった途端にその土地から追い出され、他に行くべき場所も見つけられず、すごすごと自分たちが住んでいた元の乾いた土地へと戻った。
そうして、彼らはやっと気がついた。
今や、獣人たちが自由に立ち入ることのできる土地が、数えるほどに減っていることに。
その頃までに流れ者だった商人たちは誰のものでもなかった土地を細分化し、権利を割り当てて新たに土地を訪れる商人たちに販売していた。
彼らはあらゆる土地を売り、それを元手に富を増殖させ、何もなかった土地を開拓し、更に大きな土地を持つようになっていった。
獣人達は自分たちの預かり知らぬところで起きていた変化に憤慨した。
どの土地も、先祖代々、皆で助け合いながら使うものだった。
水も空も大地も誰のものでもなかったはずだと主張した。
だが、商人たちは顔色ひとつかえず「ここに権利書がある」と言うだけだった。
これは多くの者に認められている正当なものだが、
何も持たない獣人たちは争いごとを避け、土地を明け渡して別の土地へと移り住むことになった。
だが、まだ他の場所がある、とはもう言えなくなっていた。
商人たちに不満を覚えるものは急速に増えた。
中には不当に奪われたものは奪い返すべきだと主張する者もいた。
彼らは闘えば当然、獣人の方が強いと思っていたが、多くの獣人たちはその力を商人たち相手に振るおうとはしなかった。
怒りに任せ暴力を振るうことは彼らにとって最も恥ずべき行為であり、人が人を傷つけることは最も忌むべきことだった。
だから、多少生活が苦しくなろうとも耐え、誇りと尊厳を維持しながら地道に話し合う道を選ぶことにした。
だが実際のところ、彼らにはそれほど時間は残されていなかった。
先祖代々護ってきた土地でもう水も飲めなくなり、新たな土地で獲物も取れず、残された土地も森を切り開かれ荒れていく。
かつては何不自由なかった集落で、ついに衰弱して死んでいく赤子が出始めた。
不満と緊張は高まり続け、ついに若い獣人たちが古老の反対を押し切り、弓を片手に徒党を組んで商人たちの街に向かった。
いつも自分たちの声に聞く耳を持たない商人たちも、自分たちの『力』を示しながらであれば、話ぐらいは聞くだろう、と。
だが、妻子を飢えと乾きから守る為に始まった若い獣人たちの抗議はすぐに終わった。
商人達は土地を奪った自分たちに対して獣人たちが大きな不満を持っていることを十分に理解しており、その来るべき時期を予見し、きちんと『備え』をしておいた。
その日、商人たちはとても冷静だった。
若い獣人達はいざとなれば何日でも居座り、話し合いを拒めば力で吊るし上げようと思っていたが、突然、見たこともない巨大な人形に包囲されて驚いた。
獣人たちはその時、まだ存在を知らなかったが、それは『忘却の迷宮』から商人たちが発掘した『ゴーレム』と呼ばれる機械人形だった。魔石を食わせさえすれば壊れるまで命令通りに動き続ける、疲れを知らぬ殺戮兵器。
力と力で競えば決して負けることはないと思っていた獣人たちは、巨大なゴーレムの腕に振り解けない力で押さえつけられ、戸惑った。
勝てると思っていた力でも決して勝てないと悟り、誇りを捨てて謝り出す者もいたが、商人たちはそんな獣人たちの様子を眺めながら冷静にゴーレム達に命令を与え、彼らをあっという間に血と肉の塊に変えた。
────それまで獣人たちは大きく勘違いをしていた。
自分たちは彼らよりずっと強く賢く、逞しい者だったのだと。
対して彼らは知恵がなく弱き者であり、庇護を必要とする者たちである、と。
だが、実際は逆だった。
彼らは単に弱い者のふりをしていただけであり、みくびられることを良しとして、見えないところでじっと力を蓄え続けてきた。
知恵を持ち、道理を弁えているつもりだった獣人たちはむしろ、知性が弱く、毟れるだけ毟ってもまだ自分たちが強い気でいる、騙しやすく愚かな者たちと見下されていた。
そんな『弱者』が相手なら、いずれ簡単に全ての資産を剥ぎ取ってやれるに違いない、と。時間をかけ、地道に準備を整えていけば、優れた身体能力を持つ彼らごと、というのも決して不可能な話ではないだろう、と。
そうして、ようやく商人たちにとっての『準備』が整った。
獣人たちの『襲撃』があった翌日、商人たちは言った。
残念ながら獣人たちは我々に牙を向いた。
よって、隣人として共存してきた時代はもう過去のものとなる。
定められた法を守らず、理不尽な暴力に訴える危険な種族に対しては今後、自衛の手段を取り、決して容赦することはない、と、手始めに『襲撃者』の村を数百体のゴーレムと共に訪れ、そこにあるもの全てを焼き払った。
商人たちに抗議に行った獣人たちの集落は『ゴーレム』によって、一瞬にして灰になった。
例外として泣きながら許しを請い、生き残った者もいたが故郷を失った彼らに残ったのは罪なき商人に危害を加えた汚名と、賠償という名の借金だけであり、結局、彼らは奴隷として身を落とすことになった。
争いの一部始終を傍で見守っていた他の集落の者は憤慨した。
だが、忍耐強い彼らは湧き上がった怒りを抑え、腹の中に呑み込んだ。
商人たちの行ったことは許し難いことだが、彼らに手を出した集落の者にも非はある。
彼らは力に訴えようとして道を大きく誤ったのだ。
我らも同じ道を行けばより多くの犠牲を出すことになるだろう、と。
古老は古来から教訓を幾つも持ち出し、若い獣人に決して戦わないよう自制を呼びかけた。
そうして先祖が伝えた苦難を耐え忍ぶ知恵により、その後も獣人たちの共同体は商人たちの『善き隣人』の立場に留まることを許された。
だが、その代償として自らの手で糧を得る為に必要だった川や湖などの大部分が商人たちが書き上げた『権利書』で取り上げられ、定められた『法』により目の前に広がる森を訪れることすらできなくなった。
結局、生活に使える領域が小さくなるに従って、彼らの生活は日に日に貧しくなっていった。
商人たちとの交易はこれまでと変わらず続けられたが、立場の弱くなった者に更に強く出るようになり、弱き者を助ける風習を持たぬ彼らは困窮した相手から容赦無く搾り取った。
交渉の後、獣人たちの手元に有益なものが残ることは稀だった。
今や、どこでも生きていくには必ず金が必要になっていた。
だが、食うにも困り満足に教育も受けられない獣人たちの中で商才を得る者は稀だった。
子供が飢え、知恵を蓄えた老人も病にかかり亡くなることが多くなり、古来からの知恵を伝える機会も失われていった。
そうして、かつて広大な地域を管理した彼ら『森の民』は砂漠の隅に追いやられていき、年々立場が弱くなり、たった一、二世代の間にただ弓が得意なことだけが誇りの僻地に住む少数民族に成り下がっていった。
一方、獣人たちの数が減るより速く、商人たちの数は増えていった。
彼らの生活は急速に豊かになり、若い獣人たちは商人たちに連れられている奴隷を見て、「奴隷の方がまだ良い生活をしている」と羨むようになり、故郷の集落を出て街に向かったが、そのようなはぐれ者はいつも騙され、最後には借金奴隷に落ちることになった。
しばらくすると、商人たちの街で『奴隷』として扱われる獣人たちを見かけることは珍しくなくなった。
そうして街中で獣人たちは奴隷として扱われるのが日常になっていったが、一部の獣人たちはその事実を肯定的に受け入れ、いつしか『誇り』とすら思うようになった。
────確かに自由のない奴隷となれば苦しいこともあるが、働きさえすれば十分な食事と住処は与えられる。
ならば、その中でより良い暮らしを求めればいい。
どうせ故郷にいてもろくに獲物は取れず、金にもならない。
奴隷の子は親の借金を引き継いで奴隷として生まれるが、自分たちは貧しい故郷に残った彼らより、きっといい暮らしをしているはずに違いない。
厳しい環境にも耐えられ、並外れて順応力の高い獣人たちは奴隷として市場でも非常に高く評価されている。
それはむしろ、誇りとしても良いことなのだ。
だから……自分たちは決して、不幸ではない。
そう、信じきる者も少なくなかった。
それは多くの場合事実ではなかったが、奴隷に落ちた獣人たちが自分たちを慰めるのには都合のいい『真実』であり、商人たちにとっても利用価値のある積極的に広めるべき物語だった。
そうして獣人たちは商人たちの間で従順で力も強くなかなか死なない頑強な奴隷、という非常に価値の高い商品として取引されるようになった。
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