135 商人の息子ラシード
『……その人物、確かにラシードと名乗ったのか、リーン』
リンネブルグ王女は集落を取り囲んだゴーレムの大群が去った後、小型化された携帯用の『神託の玉』を宿の個室の机に置き、王都のレイン王子と連絡を取っていた。
「はい。彼は自分がお兄様に会いたがっていた、と伝えて欲しいと」
『……こちらとしては最も会いたくない人物だったのだがな。特にこのような場面では。話を聞く限り、その人物は俺の知っているラシードで間違いないだろう。奴がサレンツァ家の長男というのも本当だ。と言っても、我が国とは少し考え方が違い、数多くいる異母兄弟の中で最も早く生まれた者、というぐらいの意味らしいが』
「ミスラの留学時代、お兄様と学友だったと伺いました」
『……俺と奴が学友と言える関係であるかはともかく、二年間一緒に過ごしたのは確かだ。どれも思い出したくもないような想い出ばかりだが』
レイン王子は『神託の玉』が宙に投影する映像の中で、苦い顔をした。
「……彼はそれほどに厄介な人物なのですか?」
『ああ。出来ることなら今後一生、会わないまま済ませておきたかった。遭遇のタイミングも想定の内で最悪だな』
「すみません。私の考えが甘かったばかりに」
『……いや。『湧水の円筒』を持ち込ませることを許可した段階で、サレンツァ家との接触は時間の問題だった。それに関しては王の判断の結果であり、お前に責任はない。とはいえ、こんなに早く奴と当たるとは思いもしなかったが』
レイン王子は小さくため息をつきつつ、深く椅子に腰掛け直した。
「……恐らくなのですが。獣人の集落に設置した『湧水の円筒』の存在はもう、彼には気づかれてしまっているのではないかと思います。何もなかった場所に突然『水源』が出現したことに、不自然なまでに触れようとしませんでしたから」
『……だろうな。お前から聞いた通り、奴が現在『時忘れの都』の管理者を務めているとするなら、奴はサレンツァ領内での『湧水の円筒』の管理者ということになる。その重要性は誰よりもよく知っていることだろう。それがどれだけの富を生むかも。真っ先に思い至っていない筈がない』
「『時忘れの都』にも、『湧水の円筒』が?」
『先代の王がサレンツァに提供したものの中の一つが街の建設の基盤に使われているらしい。その主たる使い道は、富裕層向けの娯楽施設、という話だが』
「当時の遺物がそこに……?」
『ああ。まさか入国早々、お前達がそんな場所に立ち寄ることになろうとはな』
「……はい。明朝、彼と『裁定遊戯』を行う為に『時忘れの都』に行くことになっています。私たちのうち何人かは、円筒を設置した集落を離れるべきではないでしょうか?」
『そうだな。一気に問題が山積みになって頭が痛くなりそうだが……少し、考えさせてくれ』
王子は少しの間沈黙し考えに耽ると、小さく首を横に振った。
『……いや。おそらくだが、その集落に人を残す必要はないだろう。あれが一旦、「『水源』にかける税を賭けの対象にする」と言ったのなら、それに関連する物事は動かない。むしろ、深夜に大量のゴーレムを引き連れて危機感を煽ったのも、お前達を分断できれば儲けものぐらいに考えているのかもしれない。奴の目的が『湧水の円筒』にあるかどうかは疑ってかかるべきだ』
「他に目的があると?」
『ああ。もちろん、賭けの対象にした『税』などでもない。奴のことだ、簡単に推測できる所に本当の目的は置かない。あいつはいつも、大事なことは誰も目の届かない場所に隠そうとする。逆に匂わせている範疇にはない、と考えることもできるが』
「……匂わせている範疇にない?」
『単なるあいつと対峙したことのある者の経験則だ。深く考える必要はない。だが、お前達に持ちかけた勝負も、宣言通りに行われると見ていいだろう。奴は口にしたことだけはきちんと守る男だからな。逆に言えば勝敗の結果が出るまでは、『湧水の円筒』は安全と考えてもいい』
「口にしたことを守る……? ということは彼はある程度、信用できる人物なのですか?」
『いや、違う。全く逆だ。あいつが口に出した言葉以外、一切信用すべきでない、という話だ』
「……? それは、どういう意味でしょう」
王女は一連の王子の発言の意味を図りかね、小さく首を傾げた。
『すぐに理解するのは難しいと思うが……あれは『商人は信用が第一』などと言って一旦口にしたことを守りはする。だが、その守り方の全てが詭弁に等しいのだ。奴の口にした言葉を気にする必要はあるが、言葉の表面に惑わされるな。きっと腹の底ではお前と違うことを考えている』
「……は、はい……?」
『悪いが奴について助言できるのはそれが全てだ。あいつの言動は考察を重ねるだけ泥沼に陥る。とにかく、何があっても対処できるような心構えだけはしておいてくれ』
「……はい。わかりました」
『それにしても────よりによって奴との『裁定遊戯』か。本当に厄介な事に巻き込まれたな』
王子は再び椅子に座り直して姿勢を正し、眉間に深い皺を作った。
王女もその表情の意味はわかっていた。
「それについても、すみません……あの時、獣人達を巻き込んだ戦いを回避する為には、それしかないように思えましたので」
『現場での判断はお前を信じよう……だが、現時点ですでにかなりのリスクを背負ってしまっていることは認識しておいてくれ。『時忘れの都』の中に入ってしまっては、こちらからではすぐに支援の手も打てない。それはサレンツァに入国した時点で変わらないのだから、今更の話といえば今更だが』
映像の中で頭に手をやりながら、王子は再び深いため息をついた。
「私にはあまり聞き覚えがありませんが……その『裁定遊戯』というのは正式に存在するものなのでしょうか」
『ああ。サレンツァに古くからある裁判の方法だ。公正なルールを設定した上で、当事者同士に争わせるという決闘形式のな。大勢の目の前で行い、衆目がその証人となる、という理屈らしいが』
「公正なルールの下での決闘的な裁判、ですか」
『名目上はな。だがその実際は『公正なルール』とは程遠い、なんでもありの醜い争いだ。ある意味、武器を使った血みどろの決闘よりずっとタチが悪い』
「それほど熾烈な内容なのですか?」
『内容自体は至って普通の『遊戯』だ。だが、公平・公正を謳っておいて、イカサマ、事前の仕込み、なんでもありだ。いかに悪事を露呈させずに汚いことを行うかが知恵なのだ、と言わんばかりにな。奴らはそれらを含めて『公正なルール』と呼んでいるらしい。赤子と巨漢を隣り合わせ、堂々と殴り合わせるようなことも平気でする。故に、行った先でまともな勝負が行われるとは考えにくい────が、それでも最低限、お前達は提示されたルールは遵守するべきだ』
「……なぜですか?」
『奴らは自らの提示したルールだけは頑なに守る。それがないと相手に『約束』を履行させる正当性がなくなってしまうからな。自分に優位な状況を作って結ばせた『契約』こそがあいつらの力の源なのだ。だが……見えない場所でなら、あらゆる手段を使って陥れにくる。お前達がこれから向かうのはそういう場所だ。心して行け』
「……はい。お父様はこの件について、なんと?」
『王は事の収束はお前に任せたから、自分の力で解決してみろ、と。外交面についてはこちらで全ての責任を持つから、あの男にもよろしく言っておいてくれ、と』
「はい、ありがとうございます。ノール先生にもお伝えしておきます」
そうして王女リンネブルグは『神託の玉』に込める魔力を断ち、深夜の王都との通信を終えた。