「待っている幸福」
保育所の教室で一人、母を待っていたのを覚えている。同じクラスの子たちに次々とお迎えが来る中、最後まで残っていたのは毎回ぼくだったように思う。
そうして待ちわびたお迎えの瞬間は、それはもう嬉しいものだった。一心に体に飛びつくぼくを抱きとめる母。仕事終わりのざらついた温かい手。ささやかな化粧と薄い汗の混ざったやさしい匂い。
幸福だった。
――かがんで手を合わせた姿勢から、ぼくは立ち上がった。
母の墓前から振り返ると、娘を抱いた妻と目が合う。娘の大きな瞳もぼくを見ている。
「お待たせ」
ぼくは微笑混じりに言って、彼女たちへと歩み寄る。
いま、母と同じ温かい手が、母にどこか似た大きな瞳が、ぼくを待っている。
幸福だ。
(300字/タイトル・スペース除く)