禍話リライト 犬を捜す女
留守番って怖いよねっていう話です。
知人の女性、Aさんとしましょうか。彼女が小学生くらいの時分の話だって言うんですけど。
土曜日、学校が終わって帰ってきたら(当時は土曜は昼まで授業があったんですよ)、自宅に鍵がかかっていて、どうやら両親がいない。そこでAさんははたと思い出した、そういえば朝ごはんのときに、今日はお父さんもお母さんも用事があって家を空けるって言ってたっけ。生返事で聞き流してしまったけれど。
まあ、鍵のありかはわかっています、慌てることはない。Aさんの自宅はありふれた二階建ての住宅です。鍵を隠しておく場所もありふれていて、玄関脇の植木鉢の下と決めてありました。
Aさんは首尾よく玄関の鍵を開け、二階の自室に荷物を置くと、台所に用意してあった昼食を食べ、おやつをつまみつつ、リビングで宿題をしたりテレビを見たりして過ごしていました。出かけた両親からの書き置きなどは特にありませんでしたが、まあ夕方には帰ってくるだろうということで、何も心配することはなく、留守番役を務めていました。
それはおそらく午後三時くらいのことだったんじゃないか、と言います。
外の門扉が、きいーと音を立てました。誰かが入ってきたようです。
当時はセキュリティの概念がゆるくて、町内会の人だったり訪問販売だったり、家の敷地に他の人が入ってくるみたいなことは今よりも多くありましたから、それ自体は特に不審なことでもありませんでした。だからAさんも、誰か来たなあ、今大人の人がいないのでわからないです、って言っておけばいいかなあ、くらいに考えていました。
間を置かず、ぴんぽーん、とチャイムが鳴りました。鳴らされたからには応対しなければ。Aさんは、一応チェーンをかけたままドアを開けました。
はあい。
「ああ、すみません」
そこに立っていたのは、ごくごく普通の、大人の女性でした。知らない人です。町内では見たことがありません。服装にも、顔立ちにも、とりわけ目立った特徴のない、別れたらそのまま忘れてしまいそうな人でした。
「▓▓さんですか」
Aさんの苗字を言ってくる。表札を出していましたから、それは別に不思議なことではありません。
まあ、でも知らない人ですから。Aさんは、
はい、▓▓ですが。ごめんなさい、いま、お父さんもお母さんもいなくて。あたし一人で。
と答えました。
で、こう来たら普通、そうでしたか日を改めます、ってなるじゃないですか。でも、そうならなかったんです。
女性は、Aさんの言葉をなんにも聞いていないかのように、
「大事に飼っていた犬が、逃げ出してしまいまして」
こう、唐突に、脈絡ないことを言い出したんですよ。
Aさん、ぽかんとしてしまって。でも、女性はまったくお構い無しで続けるんです。
「わたしね、毎日毎日捜してるんです。毎日毎日。大事に大事にしていた犬ですから。
あのね、おたくにね。似たような犬が入っていくのを見たんです。似たような犬が。確かに」
いや、いやいやいや。
このあたりでAさんは怖くなってきてしまって。
もちろん、Aさん、犬なんて見てないんですよ。
Aさんの家はそんなに広いわけじゃありません。庭もありますが、それこそ猫のひたいみたいなものです。犬なんていたら帰ってきた時点で気づきます。それに、Aさん宅では何も動物を飼っていませんから、それを見間違えたということもありえない。だいいち、Aさんが帰宅するまで玄関には鍵がかかっていたし、窓もすべて閉まっていた。虫やネズミならともかく、犬が入り込める隙間なんてない。
そういうことを、小学生ながら一生懸命に女性に説明するんですが、女性のほうは納得しない。それどころか、
「それなら、あのう、この目で確認してみないと。家の中を。はるばるここまでやってきたんですから。確認しないと。わたしを家に上げてください。どうぞ、家に上げてください。上げてください」
とかなんとか言いながら、チェーンの長さだけ開いた玄関扉を掴んで、さらに引き開けようとすらしてくる。Aさんはもちろん抵抗しますが、女性とはいえ成人の力にはかないません。押し問答ですよね、文字通り。
Aさん、もう半泣きになってしまって。いくら必死にだめだ、って言っても、お父さんもお母さんもいないので、って言っても、知らない女性がわけのわからないことを言いながら家に上がり込もうとしてくるんですから。
ほとほと困ってしまって、なんとか状況を打開しようと、Aさん、
それなら、あのう、どんな犬なんですか? 種類とか、お名前とか。
って、訊いてみたんですって。そしたら、その女性の顔が急に、怒ったように強張って、
「言えません」
って。
Aさんびっくりして固まってしまったんですね。それほど強い口調でした。
「あなたたちとは、そこまで深い関係じゃないでしょう。言えません」
と、女性はさらに続けます。Aさんの目をまっすぐに、睨みつけるように見ながら。
Aさんはいよいよ怖くなってしまって。
とにかく、とにかく! だめです! だめですからね!!
って叫ぶように言って、渾身の力で女性の手を押し戻して、ドアをばあん! と閉めたんです。すぐに鍵をかけて、リビングへと走って逃げ戻りました。
そこで終わればよかったんですけど。
外から、またその女性が何か言ってくるんですよね。けっこう大きい声で。
「わたしにはいくらでも時間があるから、ここで待つことにします」
って。
Aさん、うわあってなってしまって。
あのう、お父さんもお母さんも、もう帰ってきますよ! すぐ帰ってきますよ!
って、Aさんも必死で言い返したらしいんですけど。
「ああ、じゃあ、それまで待ちますから。大人同士で話せば、すぐに済みますからねえ」
って、ぜんぜん動じない。これはもうだめだ、と思って、Aさん、リビングで震えるしかありませんでした。
で、その間も、女性はなんかずーっと、同じようなことを一人で話しながら庭をうろうろしてるんですって。
大事な犬が逃げてしまったから、はるばるこんなところまで捜しに来ただの、ここに入るのを見たから間違いないんだだの、だから確認させてほしいだけなんだだの、なのに子供相手だと何もらちが明かないだの。
リビングに、庭に面した窓があったんですけど、そのすりガラスごしにずっとその女性の影が見えるんですよ。行ったり来たりしてるのが。Aさん、生きた心地もしませんでした。
警察を呼んだら良かったんですけど、そうは言っても、Aさんはまだ小学生でしたし、そういう知識というか、発想がなかったって言うんですよね。たしかに不審者ではあるけど、たとえば窓を割って押し入ろうとしているわけでもないし、とか。
まあ、困りすぎてというか、恐怖のあまりにそれどころじゃなかったというのもあるでしょうし。
どれくらい経ったのか、Aさんはずっと黙って震えてたんですけど、女性の方も、話し疲れたのかいつの間にか静かになってたって言うんですよね。といって、いなくなったわけではない。いまだに、すりガラスごしにうろうろしてる影が見えましたから。
いやだなあ、早く諦めてどこかに行ってくれないかなあ、と、Aさんが何度目かももうわからないことを思ったときです。
突然、
「犬、見つかったあ?」
って、声がしたんですって。ぜんぜん知らない声です。さっきまで聞こえていた女性の声でもない、なんというか、Aさんと同じくらいか、ちょっと上くらいの年頃の、男の子の声みたいだった、ということでした。
あれっ、と思っていると、もう一度、
「犬、見つかったあ?」
どうやら、門扉の外の道路あたりから、声をかけてきています。
で、女性の声が、
「いや、まだ見つからないんですよう」
って。
敬語だ、と思いました。
そしてまた男の子の声が、
「犬、見つかったの? 見つかってないの?」
と訊いてくる。ずいぶん横柄というか、上からの口調です。苛立っているようでした。
それに対して女性の声も、
「いや……すみません。ごめんなさい」
こう、なんというか、ものすごくへりくだった感じで謝っているんです。ひどくぺこぺこしているというか。実際、すりガラスの向こうの影も、何度も頭を下げているように動いていたんですって。
Aさんが見ている間に、男の子の声は、
「見つかったか、見つかってないか、訊いてるの」
と続く。そして女性の声が、
「わかりません!!」
って、はじかれたように、わりと大きな声で答えて。
もう、異様ですよね。Aさんはすりガラスのほうから目を離せずにいたんですけど、やりとりはずっと続いてて、
「大人なのに、なんでこんな簡単な調べ物もできないんだ!」
とか、
「見つかったか見つかってないか訊いてるんだから、返事はそのどっちかだろう!」
とか、男の子の口調はどんどん強くなる。で、女性のほうも、
「すみません!」
とか、
「ごめんなさい!」
とか、それに対して必死で謝ってるんですよ。
年齢的には、お母さんと息子くらいの差があるような雰囲気なんですよ、女性と男の子の声の感じからして。だから、その声の主はほんとに男の子……子供、だと思うんですよね、Aさんは姿こそ見てないけど。その子供の声が大人の女性を叱責している。
庭先でこんな騒動を聞かされているAさんはもうパニック状態ですよね。リビングの隅で固まって、誰か知り合いが通りかかってくれないかな、二軒お隣のご主人は体が大きいから、あの人が通りかかってくれたら騒ぎが終わるかな、とか、そんなことを考えることしかできませんでした。
そのときです。二階から、
がたん。ごん。どん。
みたいな音がして。
えっ? と一瞬、庭先から気が逸れました。
家には誰もいないんですよ、自分以外。お父さんもお母さんも。誰もいないのに。
と、もう一度、今度は、
どん。だん。どん。
と音がして。
なぜか、Aさん、思ったんです。何か、三ツ足か、四ツ足のものが、二階の廊下に出てきている。
どん。でん。どん。
廊下に出てきて、階段に差し掛かる。
と思う間に、
どだどだどだどだ!!
って、ものすごい音がして、落ちた。
ええっ、と思って、庭の騒ぎも構わずに、Aさん、階段のところに行った。それはもうすごい音でしたから、反射的に行っちゃったわけです。
階段の下から見上げた、踊り場のところ、そこに。いたんですって。
まあ、まじまじと見たわけじゃないから、はっきりとは言えないけれど、ということなんですが。
何と言うか、こう、手足が逆方向についてるみたいだった、らしいです。で、首もなんか、変な方向を向いている。そういう、おそらく、男の人? おっさん? みたいな人が。踊り場に、まさに今、上から階段を転がり落ちて来ました、みたいな体勢でいて。そんなだったから正確にはわからないけど、背丈はずいぶん小さいようでした。子供みたいな……Aさんと同じくらいか。でも、顔は完全に成人男性というか、おっさんなんですって。
当然ですけど、Aさん、動転してしまって。思わず、
だっ、誰?!
とか言っちゃったんですって。もっと言うことがあったかもしれないけど、とっさのときに口から出るのってそんなものですよね。
そしたらその、何でしょう、おっさん? ですかね? その人、笑いながら、
「へ、ひっ、ひ、い、いぬうううううー!!」
って、言ったんですって。
で、そこからAさん、何も記憶がないんですって。
はっ、と気づいたら、Aさんの自宅から歩いて十五分くらいのスーパーに、裸足でぼうっと立ってたらしいです。漬物売り場のとこだった、ってのは覚えてるそうで。
そこでたまたま買い物に来ていた知り合いのおばさんに、Aちゃんこんなとこで何してるの、なんで裸足なの、って声をかけられて、我に返ったそうなんですけど。
Aさん、さっきまでのことを思い出して思わず泣き出しそうになりながら、家に、家に変な人が、変な人がいっぱいいて、って必死におばさんに訴えたんですって。それで、大変だ! ってなって、おばさんとそのご主人と、連れ立って家に戻りました。
Aさん宅の玄関は開けっ放しで、両親はまだ帰っていなかったそうなんですが、おばさん夫妻と恐る恐る家に入ると、なんかもう、中がものすごく臭かったんですって。生ごみみたいな臭いが充満していて、たまらなかったそうです。Aさんのお母さんは几帳面な人で、生ごみの処理もきちんとしていましたから、こんなに臭うはずがないんです。
あまりの臭いに、おばさんとご主人が慌てて家中の窓を開けて回ってくれましたが、もちろんというか、家の中には誰も、何も、いませんでした。
そのあと、ほどなくして両親が帰ってきましたが、Aさんは一連の出来事を話すことはできなかったそうです。あまりに異様だったし、怖かったし、わけがわからなすぎて、うまく話せるとも思えませんでしたから。
そのまま何年かが過ぎて、Aさんが中学生になったころのことです。
その日、家族でちょっと遠出して、大型のスーパーに買い物に来ていたんですね。業務用スーパーというか、そういうとこです。ふだん行っているスーパーでは見ないような食材とか、ものすごい大袋のお菓子とか、いろいろ珍しいものがあって、楽しくはしゃぎながら買い物をしてたらしいんですよ。
で、Aさんも陳列棚を見て回って、色鮮やかな外国のお菓子かなんか見つけて、カートに持っていこうとしたときです。
とんとん、と肩を叩かれたんですね。あっ、お父さんかお母さんかな、と思って振り向いたら、
「あのときは、どうも」
って。
ぜんぜん知らない女性だった。ごくごく普通の、服装にも、顔立ちにも、とりわけ目立った特徴のない人。
その人はその一言だけ言って、すぐ人混みにまぎれて見えなくなってしまったそうです。何だろう、あの人? と思ったAさん、はっと思い出した。
その女性、あの日、留守番をしていたAさんが玄関を開けた先に立っていた、あの女性だったそうです。
まあ、そのあとは、何もおかしなことは起きてはいないんですけどね。
という、Aさんの話でした。
出典:「元祖!禍話 第十一夜 加藤よしきがやたらと褒めてきた回」(46:30あたりから)
(タイトルはドントさんが考えたものに準じていますが、漢字変換のみ変更させていただいています)


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