【竹島】19世紀末、韓国高官は鬱陵島の認識すら無かった
※このnoteは2026年2月17日付け『山陰中央新報デジタル』が報じた、「19世紀末の大韓帝国の高官が、鬱陵島を日本の呼称「松島」と呼び、日本領と認識していた記録が発見された。」という記事と、それに関する島根県のプレスリリースを保管する事を目的とする。
要するに、鬱陵島すら自国領だと知らないなら、「いわんや竹島おや」という話です。
山陰中央新報デジタル: 【独自】大韓帝国の高官、鬱陵島を日本領「松島」と認識 19世紀末、九州大教授が記述を発見 韓国、竹島領有の根拠揺らぐ
2026/2/17
19世紀末に大韓帝国の高官が鬱陵島(ウルルンド、韓国)を日本の呼称 「松島 (まつしま)」と呼び、日本領と認識していた記録を九州大韓国研究センター(福岡市) の永島広紀教授(56)=日韓関係史 =が発見した。
韓国側は竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島(トクト) について、1900年の勅令を領有の根拠の一つとしているが、実際はその直前まで竹島どころか、鬱陵島の認識すらなかったのを裏付ける資料となる。この記録は1896年、ロシア皇帝ニコライ2世の戴冠式に大韓帝国の特命全権公使として派遣された閔泳煥(ミン・ヨンファン、1861~1905年)の随行員で、二等書記官の金得錬 (キム・トゥンニョン、1852~1930年)が記録した「環璆(かんきゅう)日記」 (1896年)と「赴俄記程」(1905年以降に作成)。いずれも使節団の公的訪露記録で、訪露を終えて海路で釜山に南下する際、東側に 「大きな山」を確認し、この山を「名マツシマ(原文はハングル) 此日本島」と明記していた。〔以下略〕
1900年の勅令とは『勅令第41号』のことで、
勅令第41号は、鬱陵島からの建議書に応じて大韓帝国政府が出した勅令。その該当地方は縦80里(約32km)横50里(約20km)で、独島/竹島は含まれていない。
その内容は、鬱陵島を鬱島郡に、島監を郡守に格上げし、同郡の管轄区域を「鬱陵全島と竹島、石島」とする。 ⇒ 韓国側は、ここで言う「竹島」は竹嶼(韓国名:竹島)の事で、「石島」を全羅道方言の「独島」だと主張するが、それを示す証拠は出せていない。 石島は観音島の韓国名
以下に紹介する、この件に関する島根県のプレスリリースにより詳しい説明がありますが、漢文で書かれた日記に、「松島」は「마쥬시마(マツシマ)」とハングルで書かれているので、我々日本人が外国語の発音を表記する時にカタカナを使うように、「マツシマ」という ”音” をハングルで示したのだと思われます。
1900年前後は日本での呼称が、
鬱陵島:竹島→松島、
竹島(韓国名ドクト):松島→りゃんこ島
などと変わり、混乱があった時期です。
1905年に竹島を領土に編入する際には、竹島は現在のように「竹島」となります。
島根県『Web竹島問題研究所』
韓国の「松島(マツシマ)=鬱陵島」認識に関する新史料について


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