大企業辞めて農家になった話(自己紹介編)
こんにちは。お天道農園代表の安孫子 陽平と申します。2022年の4月から地元山形県の山辺町で「お天道農園」という農園を開き、農業を営んでいます。5年後にさくらんぼ狩り観光農園を開くべく、0からさくらんぼ畑を育てている傍ら、アスパラガス、小玉すいか、白とうもろこし、さつまいもを主に栽培して販売しています。
これまでの経歴。
1992年:山形県山辺町のさくらんぼ農家の孫として生誕。
2010年:上京。早稲田大学国際教養学部に入学。
2014年:東証一部上場の総合商社に入社。営業部門で7年間勤務。
2020年:ベンチャー企業と農業法人の2社に入社。独立の為の修行。
2022年:開業。
自分で言うのもアレですが、ザ・田舎のエリート君です。27歳で年収900万くらい稼いでました。親族や友達から都度都度すごいね~!なんて言われる対象でした。こんな経歴なもんで、
「なんでいい会社辞めて農業なんか始めるの?」「安定収入を捨てて農業やる意味が分からない!」「バカだねぇ~!」
と散々聞かれてきました。このエントリでは、田舎のエリート君がなんでいい会社辞めて農業なんか始めるのか、安定収入を捨てて農業やる意味がどこにあるのか、お話ししていきたいと思います。
地元で農業で起業した理由。
激務で身体と心を壊したのが最初のきっかけ。
新卒で入社した商社では、飼料系の商材を輸出入を扱う部署に配属されました。ちょうど新しい事業を立ち上げる為に設立された部署で、「人は少ないけどやる事は死ぬほど無限に湧いてくる」タイプのまあまあブラックな職場環境でした。
9時に出社して終電まで働く。時には2時にタクシーで帰宅して、翌日8時に家を出る。食事はほぼコンビニ弁当とレッドブル、といった生活を当たり前に送っていました。
2年目になるとこれに海外出張が加わり、月の半分は東南アジア諸国を飛び回って商談と接待の繰り返し、残り半分は引き続き終電前後まで働く、という生活を7年目で退職するまで送っていました。
品質チェックしてみたり、
損害賠償請求してみたり、
こんな生活を送っていると、人間、精神も身体もぶっ壊れます。まず精神がぶっ壊れます。
「なんで自分だけこんな目に遭わないといけないのか」
「なんで他の人間は楽しそうに生きているのか」
「自分以外の全員に腹立つわ」
…と割と常に本気で思っていました。口を開けばため息と愚痴ばっかり。自分が惨めで、他人が羨ましくて、たまらなかったです。
そして身体もぶっ壊れます。社会人3年目、40℃の高熱で倒れ、救急車で病院に運ばれました。大腸憩室炎という、大腸に窪みができ、そこに便が溜まり、膿んで炎症を起こす病気でした。幸い10日間の入院で治りましたが、医師からは
「この病気は40歳以上の年齢の方がかかるもので、君の様な24歳の若者がかかる病気じゃない。原因は激務でかかった過剰なストレス。」
「もう少しで腸に穴が開くレベルまで症状が進行していた。もし穴が開いていたら、そこから菌が全身に回って、敗血症で死んでいたかもね。」
と言われました。よもや自分が若干25歳の時に死に掠るとは思いませんでした。「もし死んでいたら何を思って死んだだろうか」とふと考えると、
「この世の全てを呪って死んでやる」
「どうでもいいことに命を削って、何をしたい人生だったんだろうか」
「惨めだな」
と思って死んだだろうなと。凄く悲しくなって、バンコクの牛角で、1人で肉を焼きながら涙が出たことを今でも覚えています。
「自分を惨めにしたくない」
「死ぬ時に満足して死ねる様な人生にしたい」
「自分が情熱を注げること、命を削ってもいいと思えることをして生きたい」
これが最初のきっかけでした。
「地元で起業」が最適解。
とは言ったものの、当時「これやりたい!」と言えるものは全くありませんでした。今の状況から抜けだしたいけど、具体的にやりたいことが無い。とりあえず転職活動をしてみるものの、やりたいことが無いことを見透かされて全く上手行かず。どうしたもんかと悩んでいました
「やりたいことはわからない。じゃあ代わりに「こうありたい!」はあるだろうか。自分がどういう状態なら満足なのか、幸せなのか。はなんだろうか。」
自分の「こうありたい」はいくつか見つかりまして。
自然豊かな場所で暮らしていきたい。田舎が嫌で上京したけど、暮らしてみて、都市で人とビルに囲まれて生きるよりも、広い空や田園風景に囲まれながら、四季の移り変わりを感じながら生きるほうが好きだと思った。
故郷で生きていきたい。自分のルーツを失いたくない。
仕事は自分で全て決めたい。責任も結果も全て自分で負いたい。他人に決められたくないし、コントロールされたくない。
しっかりお金を稼ぎたい。最低でも、自分が親にしてもらったみたいに、自分の子供が食うのに困らない、自由に進路を選べるような経済力が欲しい。
これらを満たす選択肢は
地元山形に戻る。
起業する。
だな、という結論に至りました。
なぜ農業を選んで起業したのか。
「地元で起業する」まで決まりました。次は「何で起業する」のかを決めねばなりません。またしてもどうしたもんか、と悩んでいた所、祖父母がさくらんぼ農家であったことや、幼い頃にじいちゃんに連れられて、さくらんぼ畑で遊んでいて楽しかった記憶を思い出しました
すごくフワッと、何となく農業はどうだろう
か?と思い至りました。
農家の孫だけど、農業のことは殆ど知りませんでした。
「農業は儲からない」と良く聞くけど本当にそうなのか?
農業で食っていけるのか?
自分は農業が好きか?農業ができるのか?
農業を学べる所はあるだろうか、と検索すると、社会人向けに週末に開講する農業大学校があることが分かり、商社で働きながら2年間通いました。農業界の現状、農業経営のケーススタディ、農作物の栽培、販売…etc
色々学ばせて頂きました。その結果、
自然の中で働くことが、自分にとってすごくいい。
自分が育てた作物で、人が喜んでくれることがとても嬉しい。
「農業は大変だ、儲からない、安定しない」と言われるけど、儲かっている、安定している経営体や経営事例は少なからずある。結局は経営者次第、やり方次第。
ということが分かり、農業で起業することに決めました。
実際起業してみてどう?
2022年4月に起業して約8か月経ちました。死ぬほどしんどかったです。誇張無しで、30年間生きてきた中で1番大変な1年間でした。
栽培も販売も販促も全部失敗だらけだわ、いい農地は見つからねえわ、研修しながら経営しなきゃだから時間がねえわ、資金調達のための細かい事務仕事多いわ、その他やるべきこと無限に湧いてくるわ…etc
この8か月間まともに休んだの2日くらいです。それ以外はほぼ毎日16時間働いていました。死ぬかと思いました。マジで。
でも、じゃあ後悔しているか、辞めたいか、というと全くそんな気持ちにはなってないのです。むしろ、農業で起業した先で、自分が欲しかったものは全部手に入る、ということがハッキリわかりました。
今年の失敗を活かして、栽培も販売も販促もしっかり成功させて、ちゃんと食っていける様になれば、最低限起業成功したな、起業してマジでよかったなと言えそうな感覚があります。
しんどいし、大変だけど、間違いなく農業は自分がやりたい事で、自分の理想の姿を達成できる手段だと言い切れます。これまでも、これからも、一生懸命頑張りたいです。
おわりに
ここまで読んでいただきありがとうございました!日々の活動を各SNSで発信していますので、よければフォローお願いします!
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また、当農園の看板商品である小玉スイカ「ピノガール」と「ホワイトコーン」2023年夏発送分を、ふるさと納税で予約を受け付けています。よければこちらもチェックしてください!


コメント
1始めましてとっと農園と申します。
凄い立派な会社から農業に転職されたんですね!!
私も農業始めたばかりです!
いつか、農業でご飯食べていきたいですが!なかなか
今後気になります!!
記事を楽しみにしています(*´-`)