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私はタンザニアで呪術師に出会い、怪談を語るようになった

怪談は、怖いもの。
日常から切り離された、特別な世界の話。

そう思っている人は、多いかもしれません。

でも私は、怪談はもっと日常に近いものだと思っています。

説明できない違和感や、
「あれは何だったんだろう」という感覚。
それは、誰の生活の中にも、ふと紛れ込むものです。

私がそう感じるようになったのは、
タンザニアで呪術師に出会ったことが、
大きく関係しています。


看護大学時代に、医療文化人類学という分野に出会いました。
そこから、現地にしかない病気や治療方法というものに興味を持つようになりました。

学生時代、研修でタイを訪れたことがあります。
そのとき、現地の病院でハーブを使ったマッサージが
正式な医療行為として行われているのを見て、
「治療」という言葉の幅の広さを、改めて実感しました。

そこから、国際看護への憧れが芽生えました。


日本の病院で看護師として経験を積み、
JICA国際協力に応募し、派遣が決まりました。

派遣国は、東アフリカのタンザニア。
初めてその国名を聞いたときは正直驚きましたが、
こんな経験はなかなかできないと思い、すぐに承諾しました。

タンザニアの村の病院に派遣され、
現地の人たちと生活を共にする中で知ったのは、
医療と並んで「呪術」が、人々の暮らしの中に自然に存在しているということでした。

病気になれば病院へ行く。
同時に、呪術師のもとを訪れることもある。

時には、呪術師のもとで状態が悪化してから
病院へ運ばれてくる患者もいました。

けれど、すぐに病院へ駆けつけることができない
現地の人たちの生活環境を知ると、
すべてを一概に否定することはできませんでした。


実際に、病院での治療では改善しなかった患者が、
呪術師のもとで良くなった、という話を聞くことも少なくありませんでした。

医療だけでは救えない人を、
別の形で支えている側面が、確かにある。
そう感じるようになりました。

JICA海外協力隊の任期を終えたあと、大学院に進学し、
現地にある呪術を用いた伝統医療を研究することにしました。

村の呪術師の儀礼や治療の様子を見せてもらううちに、
いつの間にか、弟子のような立場で
その時間を共に過ごすようになっていました。


医療の現場では、
「病気は身体の問題である」と説明されます。

一方で、呪術の世界では、
「病気は呪術的な問題だ」と語られることもあります。

どちらが正しいのか。
医療者である私は、本来であれば
医療が科学的に正しいと断言する立場にあると思います。

けれど、医療は万能ではありません。
救えない命があるのも、事実です。

そして現地で過ごした私は、
呪術をすべて否定することができませんでした。

人は、生きて死ぬというサイクルの中で、
生きる意味とともに、
「なぜ自分は、今この状況にあるのか」という意味を考えます。

人は、自分が生きている世界を理解するために、
“納得できる物語”を必要とする生き物なのだと思います。

それが、科学であることもあれば、
呪術であることもある。

どちらも、人が世界と折り合いをつけるための方法なのだと、
タンザニアで実感しました。


日本に戻ってから、
ひょんなきっかけで怪談を語るようになりました。

怪談師として実話怪談を語り、
怪読師として怪談や怪異譚を朗読しています。

怪談というと、
「本当か嘘か」
「信じるべきかどうか」
そういう話になりがちです。

でも私は、そこを一番大切にはしていません。

それを語った人が、
なぜそう感じたのか。
なぜ怖かったのか。
なぜ忘れられなかったのか。

怪談は、その人の人生そのものを映し出すものだと思っています。
だから私は、体験者さんの話を聞かせてもらう時間が、
いちばん好きです。


私の怪談は、派手な演出や絶叫はあまりありません。

その場で大きなリアクションを引き出すより、
あとから思い出して、
じわっと引っかかるような話が好きです。

帰り道や、夜ひとりになったときに、
「あれ、さっきの話……」
と思い返してもらえたら、それで十分だと思っています。

怪談は、怖がらせるためだけのものではありません。

誰にも話せなかった体験。
説明できなかった違和感。
そういうものに、そっと寄り添ってくれるのが、怪談です。


もちろん、盲信しすぎるのは良くありません。

でも、不思議だと感じたことや、
気持ち悪いと感じた感覚まで、
無理に否定する必要はないと思っています。

信じるか、信じないか。
その前に、
「そう感じた自分」が、確かに存在する。

怪談は、その感覚を置いておく場所なのかもしれません。


もし、
「これ、誰にも話したことがないんだけど……」
という体験があったら、
それはもう、怪談の入口かもしれません。

語ってもいいし、
語らなくてもいい。
無理に忘れなくてもいい。

もし語ってくれたなら、
そこに、その人の人生の断片が垣間見える。
そうやって紡がれていく怪談を語ることができたら、私は嬉しいです。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

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私はタンザニアで呪術師に出会い、怪談を語るようになった|松永瑞香
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