「10代で従軍慰安婦にされ、拒もうとしたら拷問された」、証言の97歳女性が誕生日に口ずさんだ歌は… 大使館前の少女像は移転されないまま、日韓政府の「最終解決」から10年

元慰安婦の朴弼根さん=2025年12月、韓国・浦項(共同)

 旧日本軍の従軍慰安婦問題で、日本政府が韓国の財団に10億円を拠出し「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した両国の合意から、昨年12月で10年になった。日本政府は「解決済み」との姿勢を堅持しているが、韓国人元慰安婦らの思いや、韓国政府の立場は現在どうなっているのか。当時の記憶にさいなまれ、「賠償」を求める女性、息子に闘いを託した母親、アジア各地の元慰安婦を取材する写真家…。100歳に近づく存命の被害者や支援者らの声を聞いた。(共同通信ソウル支局=富樫顕大)

自身の誕生会で、慰安所で日本兵に教えられたという歌などを口ずさむ元慰安婦の李容洙さん=2025年12月、韓国・大邱(共同)

▽兵隊に呼ばれた日本名
 第2次大戦中、旧日本軍は朝鮮半島などの女性を慰安所に動員し、性的被害を与えた。1993年の河野洋平官房長官(当時)談話は、旧日本軍の関与と強制性を認め「心からおわびと反省の気持ち」を表明した。
 韓国政府が認定した韓国人の元慰安婦は年々他界し、現在、存命なのは6人だけだ。
 そのひとり、台湾の慰安所に動員されたという李容洙さんは昨年12月13日、97歳の誕生日を迎えた。南東部大邱で地元の支援者らが開いた誕生会で、慰安所で日本兵に教えられたという歌を口ずさんだ。
 「戦闘機は飛び立つ。見送りをしてくれるのはトシコだけ」。「トシコ」は兵隊に呼ばれた名前だ。
 戦後80年がたっても、当時の記憶がのしかかる。10代の時に慰安婦にされ、兵隊を拒もうとした際に拷問を受けたと証言してきた。誕生日ケーキを前にしても「私はなぜ一生このように生きなければならないのか」とつぶやいた。

▽李在明大統領「気に入らないが…」
 日韓政府の合意は2015年、当時の安倍晋三政権と韓国の朴槿恵政権が発表した。岸田文雄外相が記者会見で安倍首相による「おわびと反省」を述べた。ただ安倍氏本人の直接表明ではなく、翌2016年に安倍氏が被害者へのおわびの手紙を出すことを「毛頭考えていない」と発言したことなどもあり、韓国では反発世論が広がった。
 その後発足した文在寅政権は、日本政府が資金を拠出した財団の解散を発表するなど、合意を事実上白紙化した。日本政府には「苦い記憶」だが、破棄には至らず、現在の李在明政権も合意を尊重する立場だ。
 李氏は今年1月の記者会見で「合意が気に入っているわけではないが、政権が変わったからといって簡単に覆せば、国際的な信頼性に問題が生じる。基本的には尊重せざるを得ない」と述べた。

韓国・大邱の自宅で取材に応じる元慰安婦の李容洙さん=2025年12月(共同)

▽「賠償」と表明してほしい
 日本政府は合意に基づく10億円の拠出について「法的責任はなく賠償金に当たらない」と位置付けた。李容洙さんは法的賠償を求め、合意に反対した。その後、日本政府に損害賠償を求めた韓国での訴訟で2023年に勝訴したが、日本政府は賠償に応じていない。李さんは、日本政府が10億円を「賠償だった」と表明することを求める。
 「日本と韓国は隣国、親戚だ」とも語る。慰安婦問題が「解決」され、その後に、この問題にかつて取り組んだ日本の政治家らの墓参りに行きたいと望んでいる。

▽「母が死ぬ前に…」
 南東部浦項の山間部に住む朴弼根さん(97)は、「(日本とは)息子が闘ってくれれば良い」と、記者に多くを語ろうとしなかった。長男の南明植さん(62)によると、日韓合意に基づく現金を受け取ったが、南さんは「お金は二の次だ。母が死ぬ前に、日本の首相による心のこもった謝罪が欲しい」と話す。
 日本政府が韓国の財団に拠出した10億円を基に、合意時点で存命していた韓国人元慰安婦47人のうち35人、故人199人のうち65人の遺族らが現金を受け取った。
 また、合意には、韓国政府がソウルの日本大使館前にある慰安婦被害を象徴する少女像の問題解決に努めるとの内容も含まれた。だが像は移転されていない。
 日本大使館そばでは1992年から毎週水曜に、慰安婦問題の解決を訴える集会が開かれている。主催する「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」の李娜栄理事長は昨年12月の集会で「被害者の望みは(日本への)報復ではない。持続可能な平和、人間に対する尊重と平等を達成するために、過去を直視して未来へ共に進もうというものだ」と主張した。

元慰安婦の朴弼根さん(右)と支援団体の徐赫秀代表=2025年12月、韓国・浦項(共同)

▽韓国だけでない被害者
 韓国南部・釜山では昨年10~12月、写真家の安世鴻さん(55)による、元慰安婦らの写真展が行われていた。安さんは2012年に東京・新宿ニコンサロンで写真展がいったん中止させられたこともある。
 戦後も祖国に帰ることができず中国に取り残された朝鮮人元慰安婦らの写真が並んだ。慰安所があった荒野に立って地面を見つめる元慰安婦や、赤子の人形を抱く元慰安婦―。人形を抱えるのは故・李寿段さんで、安さんによると、従軍慰安婦を強いられて子どもができない体になり、年を取ってから赤子への執着が強くなったという。
 安さんは1990年代からアジア各地の元慰安婦らを取材、撮影してきた。慰安婦問題が日韓間の外交問題のように捉えられていることを「心が痛い」と話し「アジア全体の被害者の声を知らせたい」と力を込めた。

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