〝職歴30〟〝大学・院は10〟 ウィキ日本語化したネット民の人生 「稼ぐよりもおもしろいことを」
「親をだまして」初PC
中学生になると、バンドをやっている友人に頼まれてエフェクターを修理できるくらいの知識をつけていました。 アマチュア無線の免許をとったり、友人らとプログラムをマークシートに書いて市教委が貸し出していた大型コンピュータで実行してもらったり。 「部活は写真部でした。現像が楽しくて、自宅の押し入れにも暗室をつくった。何事も『これはどうしてこうなるんだろう』とプロセスを考えるのが好きなんです」 中学3年生のときには親を「だまして」初めて自分のコンピューターを買いました。 電器店で買う手続きを済ませてから自宅に帰り、親にお金を無心したのだとか。
裕福ではなかった
実家は裕福ではありませんでした。 「普通受験のときって滑り止めとか複数校受けるでしょう。でもうちはお金がなかったから1校しか受けさせてもらえませんでしたよ」 無事合格した高校では仲間たちとコンピューター部を立ち上げ、プログラムを書いたり、インターネットの前身であるパソコン通信を使ってみたりしていました。 高校卒業後は一度就職して公務員になりました。 事務職を半年から1年ほどやってお金を工面したのち大学に入りましたが、経済的に厳しくなり退学しました。
大学・大学院を10校くらい
「数えてみると学部と大学院合わせて10校くらい通ったと思います」と振り返る梅本さん。 この時期は様々な仕事を経験しながら大学に入っては辞める時期が続きました。 2つめに入った大学では経済学を志しますが、授業料未納で年内で除籍に。 20代後半で3つめの大学にて社会学を専攻して卒業し、社会情報学の修士課程に進みました。 その研究計画を立てるために使い始めたのが英語版のウィキでした。 参考文献を探すとっかかりにしたり、リサーチした内容をまとめる先として使ったり、「とても便利だった」といいます。
ベビーカー押して大学院へ
やがて指導教官がいなくなってしまったため、4つめの大学で博士号(専門職博士課程)を取得。 このころには息子が生まれていて、ベビーカーを押して大学院に通っていました。 修士と博士の課程では、貸与型の奨学金を使って生活していました。 学位取得の前後では、返済の猶予をもらうために放送大学にて異なる専攻の分野で計3回卒業しました。