八十人近いアフリカ人護衛?ロックリー氏のおかしな引用&ソウザ氏の意味不明な書き換え
今回は、2010年に書かれた、ルシオ・デ・ソウザ氏の『THE EARLY EUROPEAN PRESENCE IN CHINA, JAPAN, THE PHILIPPINES AND SOUTHEAST ASIA (1555-1590) - The Life of Bartolomeu Landeiro』という本を紹介します。以下『ランデイロの生涯』とします。
ロックリー氏の『信長と弥助』でも引用されている、英語で書かれた本です。内容は、ソウザ氏が“ユダヤ人”だと主張する、ポルトガル商人バルトロメオ・ヴァス・ランデイロについてです。
この本は国会図書館にもなく、日本では東京外国語大学と東京大学の図書館にしか蔵書がありません。ちょうどソウザ&岡夫婦の所属大学ですね。
ツッコミどころ満載で、他の方にもぜひ読んでもらいたいのですが、残念ながらアクセスが難しい本です。
ソウザ氏の推測が多く、物語のようです。ロックリー氏の『African Samurai』に似ています。ソウザ版弥助のようなイメージです。
ロックリー氏はソウザ氏のようなグローバルヒストリアンに影響を受けて、推測(妄想)から物語を作り出すことが「歴史研究」であると勘違いしてしまったのかもしれません。
いつものことですが、ロックリー氏はこの本を引用元としておきながら、この本に書かれていないことを記述しています。
また、ロックリー氏のその記述をもとに、偽史をバラ撒いている人もいます。
今一度、引用元とされている『ランデイロの生涯』を紹介する必要があると思い、この記事を書きました。
今回はこの本の中の、ロックリー氏『信長と弥助』に関係する部分を紹介します。次回はこの本に対する疑義を述べようと思います。
今回の内容をざっくり説明すると、以下のように奴隷の属性についての記述が変遷しています:
原文「ムスリムと奴隷」
ソウザ(2010)「ムスリムと奴隷」(『ランデイロの生涯』)
ソウザ(2013)「ムスリムと黒人奴隷」
ロックリー(2017)「アフリカ人護衛」
ロックリー氏『信長と弥助』(2017)での記述
*太字は筆者による
海賊船船長兼貿易商であり、マカオの初期の開拓者だったバルトロミュー・ヴァス・ランデイロは、斧槍や盾で武装した八十人近いアフリカ人護衛をどこへでも引き連れていたと言われている。ランデイロはユダヤ人だが、喜望峰をまわってから経歴を詐称し、一五六〇年にゴアに到着した頃にはポルトガルの貴族の子孫だと名乗っていた。彼は一五八五年ごろに死亡するまで、日本も含めた東洋の海でビジネスー奴隷貿易、密輸、より適正な貿易活動を精力的に行ない、[25]その悪評と成功から”マカオのポルトガル王”の通り名で呼ばれた。彼の船の乗組員はとりわけ多彩な民族で構成され、中国人、日本人、ヨーロッパ人、フィリピン人、インド人、アフリカ人の船員と海賊が雇われていた。[26]
[25] De Sousa, The Early European Presence in China.
[26] Ibid.
今回見ていくのは、次の2点:
ランデイロは、八十人近いアフリカ人護衛を引き連れていた。
彼の船の乗組員には、アフリカ人が雇われていた。
引用元『ランデイロの生涯』(2010): 該当の原文は「黒人奴隷」ではないと明記
対応するソウザ氏の『ランデイロの生涯』の記述は以下の通り:
*サンチェスの引用箇所のスペイン語を、わかりやすいように改行しました(中段)、続くかっこの中はそれの英訳。英訳が原文に忠実ではない箇所がいくつかあります。原文と英訳を照らし合わせて和訳しました。
Being an unparalleled character, we shall therefore be finishing this biographical sketch with an exceptional passage which corroborates what we have up until now learned about Landeiro. It was written by the Spanish Jesuit Alonso Sánchez, for whom Bartolomeu Vaz Landeiro
era de los mas francos y liverales hombres que ayamos visto y assi los xapones donde el ba muchas bezes con sus navios le llaman el Rey de los portugueses y los Reys de alla lo tratan como a tal y el sabebien benderse porque trae siempre consigo ciertos portugueses sus paniguados y al pie de ochenta moros y esclavos 259 con alabardas y Rodelas y lleva a las yglesias su alhombra de seda cogin y silla de terciopelo carmesi claveteada de oro 260
(was one of the most sincere and liberal men we have ever known; thus, the Japanese, with whom he travelled often on his ships, call him the King of the Portuguese, and the Kings there treat him as such and he knows how to behave as such, because he always brings along a few Portuguese, his servants, and around eighty Muslims and slaves, with their halberds and shields, and, when going to church, wears silk clothes and takes his crimson chair set with gold).
259: Both Charles Boxer and George Bryan de Souza have translated the word slaves as negro slaves, which does not match the original source.
260: Colin-Pastells, op. cit. 1904, II, pp. 300-301.
翻訳:
比類なき存在であったランデイロについてのこの略伝を締めくくるにあたり、我々がランデイロについて学んできたことを裏付ける、特筆すべき一節を引用しよう。これはイエズス会のスペイン人宣教師、アロンソ・サンチェスによって書かれた。バルトロメオ・ヴァス・ランデイロは
「我々がこれまで出会った中で最も率直で寛大な人物の一人であり、日本人は彼がしばしば船団を率いてやって来ると、彼を『ポルトガル人の王』と呼び、現地の諸王も実際にそのように扱っていた。彼自身も自らを売り込む術をよく心得ており、常にポルトガル人の側近たち、そしてハルバードと盾を持ったおよそ80人のムスリムや奴隷 259 を引き連れていた。教会に赴くときには、絹の敷物と金の鋲で飾られた深紅のビロードの椅子を持参していた。」260
原文は「Moros(ムーア人)」であり、かっこ内の英訳も「Muslims(ムスリム、イスラム教徒)」となっています。「アフリカ人」ではありません。
「ムーア人」は肌の黒いイスラム教徒を指す言葉でした。必ずしもアフリカ人を指すわけではありません。以下の記事でも軽く触れています:
また、ソウザ氏は脚注でもはっきりとこのように述べています:
Both Charles Boxer and George Bryan de Souza have translated the word slaves as negro slaves, which does not match the original source.
翻訳:
チャールズ・ボクサーとジョージ・ブライアン・デ・ソウザは「奴隷(slaves)」という語を「黒人奴隷(negro slaves)」と翻訳しているが、それは原文と一致しない。
「原文は『黒人奴隷』ではない」と、ソウザ氏が他の研究者の訳を批判しています。
それにもかかわらず、ロックリー氏はこの部分を「アフリカ人」としています。
つまり、ロックリー氏は『ランデイロの生涯』を引用しつつ、実際の記述とは真逆の内容を記載したことになります。どういうことだってばよ?
ソウザ氏の意味不明な書き換え①: 2013年の論文
ロックリー氏の引用が適当なのはよくあることですが、今回のはおそらく、ソウザ氏の別の論文を読んで、引用文献を適当に『ランデイロの生涯』にしたのだと思われます。
2013年のソウザ氏の論文「Legal and Clandestine Trade in the History of Early Macao」
URL: https://www.jstage.jst.go.jp/article/academiakiyou/2/0/2_KJ00008406280/_article/-char/ja
こちらでは、以下のように書かれています:
His reputation was such that Landeiro gain the soubriquet, "King of the Portuguese." As if to live up to his reputation Landeiro "went everywhere attended by a suite of richly-dressed Portuguese and by a bodyguard of eighty Muslim and negro slaves, armed with halberds and shields." 26 The pirate dressed and acted as a king.
26: Francisco Colin, op cit, 1904 (Madrid, 1663), II, pp. 300-301.
翻訳:
彼の評判は非常に高く、ランデイロは「ポルトガル人の王」というあだ名まで得るに至った。その名に恥じぬようにとばかりに、ランデイロは「どこへ行くにも贅沢な衣装をまとったポルトガル人の付人と、ハルバードと盾で武装した80人のムスリムおよび黒人奴隷からなる護衛を伴って出かけていた」。26 この海賊は王のような服装と振る舞いをしていたのである。
ここでは「Muslim and negro slave(ムスリムと黒人奴隷)」となっています。
2010年の本では、原文と英訳を併記して「原文は『黒人奴隷』ではない」とはっきり言っています。それなのに、ここではそれと180度真逆のことを言っています。どういうことだってばよ?
しかも「ムスリムと黒人奴隷」という解釈はおかしいです。該当の原文を細かく見ていきましょう。
こちらで引用されている原文も『ランデイロの生涯』と同じく、フランシスコ・コリンの『Labor Evangélica de la Compañía de Jesús en las Islas Filipinas』第2巻(1904年版)です。以下のリンクから見ることができます:
https://archive.org/details/laborevangelicam01coli/page/300/mode/2up
該当箇所:
y lo es de los mas francos y liverales hombres que ayamos visto y assi los xapones donde el ba muchas bezes con sus navios le llaman el Rey de los portugueses y los Reyes de alla lo tratan como a tal y el sabe bien benderse porque trae siempre consigo ciertos portugueses sus - pania guados y al pie de ochenta moros y esclavos con alabardas y Rodelas y lleva a las yglesias su alhom - bra de seda cogin y silla de terciopelo carmesi claveteada de oro
翻訳(ChatGPTを使用):
彼は、私たちがこれまでに見た中でも、最も率直で気前の良い人物の一人である。そのため、彼がしばしば自らの船団を率いて訪れる日本では、彼のことを「ポルトガル人の王」と呼び、現地の王たちも実際にそのように彼を遇している。彼は自分を売り込むのが非常に上手であり、常に数名のポルトガル人の取り巻きたちと、ハルバード(長柄の斧槍)とロデラ(丸盾)を携えたおよそ80人のモーロ人および奴隷たちを伴っていた。また彼は、教会へ行く際には、絹の敷物、クッション、そして金の鋲で装飾された深紅のビロードの椅子を持参していた。
「al pie de ochenta moros y esclavos」を分解したら以下のようになります:
al pie de = およそ
ochenta = 80
moros = ムーア人
y = 〜と
esclavos = 奴隷
「黒人」と訳される可能性があるのは「moros(ムーア人)」の方ですが「奴隷(esclavos)」には人種的説明が何もありません。
にもかかわらず、ソウザ氏は「Muslim and negro slave(ムスリムと黒人奴隷)」と訳してしまっています。上記の ChatGPT の訳「モーロ人および奴隷たち」の方が正しいです。
「黒人奴隷」と訳すのは誤りであると、ソウザ氏が『ランデイロの生涯』で他者の訳を批判していたのに、なぜこのように訳してしまったのでしょうか?
また、この論文の他の箇所では、ランデイロの船がアフリカ人奴隷を運んでいたという文脈で、彼自身もアフリカ人の私兵を抱えていた可能性を挙げています:
Captain Landeiro himself, according to Spanish sources, was accompanied by a personal army composed of slaves, some of which possibly African, as they were considered to be the most apt for war. 33
33: Francisco Colin (1663) op cit, 1904, II, pp. 300-301.
翻訳:
ランデイロ船長自身も、スペイン語史料によれば、奴隷で構成された私兵部隊を伴っていた。そのうちの何人かはアフリカ人だったかもしれない。彼らは戦争に最も適していると見なされていたからである。33
こちらも先ほどのコリンの文書を参照しています。
奴隷の何人かがアフリカ人だったかもしれないという根拠は、引用元のコリンの文書には書かれていません。おそらくソウザ氏の想像です。
アフリカ人は戦い向きと考えられていたからだそう。ステレオタイプかな?
ルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子氏が好んで引用するジョン・G. ラッセル氏が批判する振る舞いなんだよね
— ヴォルヴィーノ@読書垢 (@dokushoa) April 19, 2025
先入観を助長するからね
『日本人の黒人観』 https://t.co/oY1mEDK1Q8 pic.twitter.com/N0571oyQUa
ソウザ氏の論文中のこれらの記述では「bodyguard(護衛)」や「personal army(私兵)」となっています。
しかし、原文にはそのような言葉はありません。書かれているのは「ハルバード(長柄の斧槍)とロデラ(丸盾)を携えたおよそ80人のモーロ人および奴隷たち」です。
「槍と盾を持たせているから護衛や私兵なのでは?」というのも、わからなくはないです。
しかし、原文の語「benderse(venderse = 自らを売り込む)」を考慮すると、実用的な兵士というよりも、権威の演出のためだと考えられます。
その上『ランデイロの生涯』には、これらのムリスムや奴隷たちが戦闘するような記述は見つかりません。これを実用的な兵士かのように訳すのは、恣意的に感じます。
そして、ロックリー氏の『信長と弥助』では「ムスリム」と「奴隷」が消えて「アフリカ人護衛」と変化しています。もはや原文と全然違います。テセウスの船かな?
「弥助はヴァリニャーノの護衛だった」という、ロックリー氏の根拠がよくわからない主張も、このあたりの妄想からでしょうか。
ソウザ氏の意味不明な書き換え②: 2015年の論文
ソウザ氏が2015年に書いた、ユダヤ人のディアスポラについての論文「The Jewish Diaspora and the Perez Family Case in China, Japan, The Philippines and the Americas (16th Century)」では「Muslims and slaves(ムスリムと奴隷)」とされています(p.51)。この英訳は、2010年の『ランデイロの生涯』と同じです。
しかし、付されている脚注の内容が『ランデイロの生涯』とは異なります:
Both Charles Boxer and George Bryan Souza translate the term slaves as negro slaves, given that the word “slaves” does not match the original terminology.
翻訳:
チャールズ・ボクサーとジョージ・ブライアン・ソウザは「奴隷(slaves)」という語が本来の用語と一致しないことから「奴隷(slaves)」という語を「黒人奴隷(negro slaves)」と翻訳している。
???
何を言いたいのかよくわかりません。
2010年の脚注は「ボクサーとブライアンは原文にはない negro(黒人)という語を訳文に勝手に入れている」という文意が明らかでしたが、こちらは意図が不明瞭です。
一旦、ソウザ氏の言ってきたことを整理してみましょう:
2010年
訳「ムスリムと奴隷」
注釈「ボクサーとブライアンは『黒人奴隷』と訳したが、原文とは異なる」
要約:「原文は『黒人奴隷』ではない」とボクサーとブライアンの訳を批判している
2013年
訳「ムスリムと黒人奴隷」
要約: 『ランデイロの生涯』で他者の訳を批判していたにもかかわらず、自分で「黒人奴隷」と訳している
2015年
訳「ムスリムと奴隷」
注釈「ボクサーとブライアンは『奴隷(slaves)』という語が本来の用語と一致しないことから『黒人奴隷』と訳した」
要約: 再び原文に忠実に「ムスリムと奴隷」と訳す。ボクサーとブライアンが「黒人奴隷」と訳した理由を説明している(?)
なんだかよくわかりません。ソウザ氏には一貫性がないように見えます。
ソウザ氏の2015年の注釈について、丸一日かけて考えた私なりの解釈を以下に書いてみます。
合っているかはわかりませんが、とりあえず整合性はとれていると思います:
前提: 西洋人は「slave(奴隷)」と聞いて、まず「黒人」を思い浮かべる
日本人は「tea(お茶)」と聞いたらまず「緑茶」を思い浮かべますが、西洋人は「紅茶」を思い浮かべます。
同じ単語でも、育った文化ごとに連想する対象は異なります。
同様に、西洋人は「奴隷」と聞いたらすぐに「黒人奴隷」を思い浮かべるのでしょう。
とりわけ、ソウザ氏が批判した2人の歴史学者の出身国:
・チャールズ・ボクサー: イギリス生まれ
・ジョージ・ブライアン・ソウザ: アメリカ生まれ
彼らが育ったイギリスやアメリカの歴史は、黒人奴隷と切っても切り離せない関係にあります。これらを踏まえると、ソウザ氏の注釈の意図が見えてくるかもしれません。
ソウザ(2010): 批判的
「ボクサー&ブライアンニキ!『negro slave(黒人奴隷)』は原文にはない勝手な訳やで!奴隷=黒人という西洋人特有の偏見はあかんやろ!」
ソウザ(2013): ドジっ子
なぜか自分でも「黒人奴隷」と訳してしまう
ソウザ(2015): 強く言えなくなった
「(アカン、ワイもつい『黒人奴隷』と訳してしもた...うーん、せやっ!)ボクサー&ブライアンは『奴隷』という語に引きずられて『黒人奴隷』と訳してしまったんやろなぁ(すっとぼけ)」
こんな感じでしょうか?2013年の記述が謎すぎて、他に仮説が立てられません。なぜ真ん中で狂うのか。
そういえば、弥助は奴隷ではなかったと主張している岡美穂子氏も、2013年のブログでは「信長のカフル人奴隷弥助」と言っているんですよね。
さきほど、たまたまテレビをザッピングしていたら、信長のカフル人奴隷弥助の話がテーマで、誰が監修したのかなと思いながら、最後まで見てしまいました。
〜10年後〜
原文には「Cafreカフル人」とはっきり書かれており、「奴隷」を想起させる単語は一切入っておりません。「黒奴」としたのは、昭和時代の日本人翻訳者の偏見です。私の過去のポスティングをご覧いただければ。 https://t.co/x0RsSueZ0U
— Mihoko Oka (@mei_gang30266) July 21, 2024
夫婦共々、言っていることがコロコロ変わりがち。
話が脱線してしまいました。結局のところ、ロックリー氏が引用した『ランデイロの生涯』では「アフリカ人」とは書かれていません。
むしろ「原文は黒人奴隷ではない」と言っています。ロックリー氏が『ランデイロの生涯』を引用としたのは、不適切と言えます。
次は、ランデイロの船にいた乗組員の国籍について見ていきます。
船員たちの国籍について
ロックリー氏は「彼の船の乗組員はとりわけ多彩な民族で構成され、中国人、日本人、ヨーロッパ人、フィリピン人、インド人、アフリカ人の船員と海賊が雇われていた」とします。
引用元となっている『ランデイロの生涯』での、乗組員の国籍に関わる記述は以下の3つ:
1.マカオ船の乗組員の国籍について
Nationalisms faded away, as Portuguese, Spaniards, Italians, Chinese and Japanese, among others, have been identified as having worked together on Macanese ships. Nationalisms were invoked only when the economic interests of the merchants of Macau were questioned.
翻訳:
ナショナリズムは消え去り、ポルトガル人、スペイン人、イタリア人、中国人、日本人などがマカオ船で共に働いていたことが確認されている。ナショナリズムが持ち出されるのは、マカオの商人たちの経済的利益が問われたときだけだった。
2.ランデイロの船の乗組員について
there is information from Bartolomeu Landeiro himself indicating that the crew he took on his ships was made Portuguese and Spanish sailors, as well as of other nationalities, which corroborates the idea that Captain Chema worked for him. 85.
85: Question number twelve and related answers:
Información de los méritos y servicios del capitán Bartolomé Báez Landero contraidos en Filipinas,China e isla de Macán, y otras de Asia durante 28 años. Manila, 19 April 1586.AGI. Patronato, 53, R. 2.
翻訳:
バルトロメオ・ランデイロ自身による情報によれば、彼が自分の船に乗せていた乗組員は、ポルトガル人やスペイン人の船員、そしてその他の国籍の者たちで構成されていたことが示されており、これはチェマ船長が彼のもとで働いていたという考えを裏付けるものである。85
3.ランデイロの船に搭乗していた人々の国籍について
As to the new vessel headed for the Philippines, according to written sources available, it was provided with officials and seamen, who were of Chinese origin, excluding the pilot. This information highlights the idea that the crew in Bartolomeu Vaz Landeiro's junks was mainly composed of Chinese or Asian natives and not Europeans, who were in small numbers. 【中略】 In the abovementioned vessel, besides the merchants, Jesuits, Franciscans and Spaniards who had been accompanying Alonso Sánchez in his trip to Macau, there were also Indian slaves, altogether thirty, who belonged to the Spaniards.
翻訳:
フィリピンに向かった新たな船については、現存する文書によれば、操舵士を除いて、役人や船員は中国出身者で構成されていた。この情報は、バルトロメオ・ヴァス・ランデイロのジャンク船の乗組員は主に中国人やその他のアジア出身者であり、ヨーロッパ人は少数だったという見方を裏付けている。【中略】上記の船には、商人のほか、アロンソ・サンチェスに同行してマカオへ向かったイエズス会士、フランシスコ会士、スペイン人たちが乗っていたが、それに加えて、スペイン人所有のインド人奴隷が30人乗っていた。
黒人については商品としての奴隷の記述しかない
『ランデイロの生涯』の中で、アフリカ人に関する記述は次の一箇所のみでした。
Spanish sources give us some detail of the type of merchandise transported by this first Macanese junk:
Merchandise' 164
1- Vizcocho de China (biscuit from China)
2- Bino (Wine)
3- Azeite de Portugal (Olive oil from Portugal)
4- Muchas telas de algodón (many cotton cloths)
5- Lienzos ricos de la Índia (Rich handkerchiefs from India)
6- Alhombras de seda (Silk cloths)
7- Muchos tafetanes gorgorones rasos (many taffetas, soft
grogram silks)
8- Damascos de finos colores (Damasks of fine colours)
9- Cuernos y uñas de animales traponjona de mucho valor
(Horns and nails of animals of high value)
10- Pedazos de madera para el mismo efeto 165 (Pieces of wood
for the same purpose)
11- Muchos esclavos ansi negros como de otras naciones
(Many slaves, black as well as from other nations)
12- Otras menudencias particulares (Other small items)
164:Colin-Pastells, op. cit. 1904, II, p. 301.
D. Pedro Torres y Lanzas, op, cit, p. clxvii.
165: Colin-Pastells, op, cit. 1904, vol. II, p. 301.
翻訳:
スペイン語の史料には、最初のマカオのジャンク船で運ばれていた商品の詳細が記されている:
商品 164
Vizcocho de China(中国のビスケット)
Bino(ワイン)
Azeite de Portugal(ポルトガル産のオリーブオイル)
Muchas telas de algodón(多くの木綿布)
Lienzos ricos de la Índia(インド産の高級なハンカチ)
Alhombras de seda(絹の布)
Muchos tafetanes, gorgorones, rasos(多くのタフタ、柔らかい絹織物)
Damascos de finos colores(良い色合いのダマスク織)
Cuernos y uñas de animales traponjona de mucho valor(非常に価値のあるの動物の角と爪)
Pedazos de madera para el mismo efeto 165(同様の用途に使う木材の一部)
Muchos esclavos ansi negros como de otras naciones(多くの奴隷、黒人と他の国々からの出身者)
Otras menudencias particulares(その他こまごまとした品々)
痛ましいことに、マカオのジャンク船に積まれていた、商品としての黒人奴隷の記述しかありませんでした。
ソウザ氏の論文(2013)でも、乗組員にアフリカ人がいたとは書かれていません:
Portuguese, Spanish, Italian and Latin documents reveal that the majority of the sailors were Chinese, Japanese, Malays, and other Asians, as well as Eurasians. Thus finding non-European captains aboard Landeiro's ships should not be surprising.
翻訳:
ポルトガル語、スペイン語、イタリア語、ラテン語の文書からは、船員の大多数が中国人、日本人、マレー人、その他のアジア人、さらにはユーラシア人であったことが明らかになっている。したがって、ランデイロの船に非ヨーロッパ人の船長が乗っていたとしても不思議ではない。
それにもかかわらず、ロックリー氏はアフリカ人が雇われていたと、引用文献にないことを記述しています(いつもの)。
おそらく、彼はソウザ氏の論文(2013)にある:
「80人のムスリムおよび黒人奴隷からなる護衛」
「(ランデイロは)奴隷で構成された私兵部隊を伴っていた。そのうちの何人かはアフリカ人だったかもしれない」
という記述から「アフリカ人も雇われていた」と自分で解釈して、あのように記述したのでしょう。
グローバルヒストリー界隈あるあるでしょうか。
偽史の拡散にご注意
以下のポストで「要注意人物」とされている Saizwong 氏ですが、上記のロックリー氏の不適切な引用をもとに、適当なことを言っています。
@azukiglg
— 貂の尻尾 (@XeQjOBDNuZujp1r) February 11, 2025
要注意人物です。この人物は以前から岡美穂子に同調して弥助はエリートだったと関係の無い資料で確証の無いことばかりを吹聴しています。
このように「日本国内の弥助観は護衛で落ち着いていた」とまで言っています。絶対に関わらずに無視して下さい。 pic.twitter.com/hEFrwX9CRi
以下のポストでは、私(Naoto)が「なぜか元本(『信長と弥助』)の読みが浅い」と言われてしまっています笑
元ネタ探しをするならまず普通にロックリー氏が書いているものを参照からはじめては?という疑問はあるんですけどね(なぜか元本の読みが浅い)。
— Saizwong/жунжи (@junji_trans) November 14, 2024
この引用にソウザ氏含む複数の学者が東アジア海域で活躍した商人・海賊を書いています。 https://t.co/LOJWu7XjTV
引用元まで遡れば、ソウザ氏は「原文は『黒人奴隷』ではない」と言っているんですけどね。
以下のポストでは、いつの間にか「数百人の黒人戦闘団」になってます。
とはいえ、数百人の黒人戦闘団を持つ商人兼海賊がマカオを中心に暴れ回り、王とまで称される勇名まであり、日本にもその手のは来ているのだから、これだけでも既存認識を改めてもよいとは思うのだけど。
— Saizwong/жунжи (@junji_trans) November 27, 2024
『ランデイロの生涯』を読むかぎり、彼ら(およそ80人)が戦闘したという記述は見当たりません。
偽史を創り上げるのはやめてしい
今回紹介した偽史の発生は、私が以前まとめた、存在しない日本史が海外で勝手に独り歩きしていった過程と似ています。
もうこれ以上、誤読曲解スパイラルでインチキ日本史を創りあげるのはやめてほしいです。
弥助問題718 弥助神話の発生図
— geroppa (@happa23232) April 1, 2025
「黒人観」に関する部分。ややこしい話なので概念図を描いた。要するにハブ空港みたいな本・論文がある。ロックリーさんなどの本もそこからの派生物だといえる。外国人による外国人のための日本研究コミュニティに発生した誤読曲解スパイラル?https://t.co/N39pgpXMEn pic.twitter.com/pKJgkAYdLw
まとめ: 記述の変遷
サンチェスの原文「約80人のムスリムと奴隷」
戦闘の描写はなし。
ソウザ(2010)「約80人のムスリムと奴隷」
注釈で「ボクサーとブライアンは『negro slaves(黒人奴隷)』と誤訳した」と批判的に記述。
ソウザ(2013)「80人のムスリムと黒人奴隷からなる護衛」
自身が以前否定した「negro(黒人)」を使ってしまう。原文にない翻訳。
ソウザ(2015)「約80人のムスリムと奴隷」
再び2010年と同じく「negro(黒人)」がない、原文に忠実な訳。
しかし、注釈で「Boxer と Bryan は『slaves』という語が原語と一致しないため『negro slaves』と訳した」と曖昧な説明。
ロックリー(2017)「八十人近いアフリカ人護衛」
「ムスリム」と「奴隷」は消え「アフリカ人護衛」に変化。
引用元を『ランデイロの生涯』とするも、その中でソウザ氏が言っていることと矛盾。


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