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なぜ友達を選ぶかのように政治家を選ぶのか

今回は、「けなげにがんばる」という振る舞いが、政治を空回りさせるに至った経緯についてお話します。一人の社会学者として(短くも)丁寧に論じたいので、どうしてもまわりくどくなりますが…。

前回の記事で、政治の一つの側面として「討論(議論)」がある、という話をしました。討論することで、法案・方針はブラッシュアップされて、「使える」ものに仕上がっていきます。

政治のこの活動を効率的に「前に進める」ための装置として、議論するための建物があり、その近くに議論に必要な事実関係を整理してくれるスタッフ(政策秘書や官僚)を、お金をかけて配置することができます。(ほぼ自分でやっている研究者からすればうらやましい限りです。)

代議制もその装置の一つですね。全員で討論するのはお金と時間の無駄ですから、上記の機能を果たしてくれる人を選ぶのです。(実際にはそういう人を選んでないことが多いですが。)一回の選挙で数百億円かかることも珍しくありませんが、それでも全員で討議するよりも節約になるのです。

討論は単に賛否を決めるものではありません。もしそうだったら、国民投票だけやればよいわけで、国会という建物や政治家を、お金をかけて準備しなくてよいのです。つまり討論を忌避する政治家というのは、研究しない研究者、経営しない経営者のようなもので、自己否定ですし、それ以上に国民のお金と時間がもったいない(損をする)わけです。

▼政治とは、「考えて決定する」こと

ただ、政治にはもうひとつの側面があります。それは、「結局は決めなきゃならない」という制約です。政治学が「討論(議論)」の機能について考えるのと同時に、「決め方」の論理(こっちは政治哲学ですが)や影響(小選挙区制にするとどうなるかなど)を扱うのもそのためですね。

この意味で政治家とは、「活動を前に進める」ために討論する人でありつつ、他方では「活動を前に進める」ために「いつかは決めなきゃならない」人でもあります。社会学者N.ルーマンは、「(考えることがたくさんあって)理屈では決められないはずなのに、それでも決めること」が「組織」のコアなエンジンだと論じます。日本という国のリソース(税金)をどう使い、人や団体の行動を制約する規則をどう定めるのか、という決定をするのが政府という組織のひとつの機能です。

あれこれ議論することが優先されて、無理に結論を決めることを禁止しているのが、科学の世界です。根拠や妥当性について、時間をかけてじっくりと練り上げることが許されています。「光の粒子説と波動説で意見が分かれております。エビデンスを集め、議論をそれなりにしましたが、決着がつきません。でももう決めなくてはなりません。投票に移ります」とはなりません。そんなことをしていたら、科学が前に進まず、「光は粒子と波の両方の性質を併せ持つ」という説に辿りつくことができません。

政治では、「早々と決めずにじっくりと考え、討論して、政策をブラッシュアップする」という方針も大事ですが、他方で「まだいろいろ穴がありそうだし、裏目に出るかもしれないけど、決めないといけない」という方針も大事です。両方大事なので、バランスを取らなくてはなりません。そうしないと、政治の世界は前に進みません。

どうでしょう、すごくたいへんな仕事ですよね。かなりの資質が必要です。そういう人を選んで議会に送り出さないと、ちゃんと回りませんよ。

▼ポピュリズムは「スピード重視」?

ただ、政治家が「熟議か決定か」という次元で選ばれているのなら、まだマシです。悲劇的なことに、どちらの力もない人が議員に選ばれることもあります。

「熟議(丁寧な議論)かスピードのある決定か」というのは、政治、そして経営を含む組織のリーダーなどに共通する、「永遠の課題」です。バランスを取らなきゃなりませんが、何がよいバランスかを判断することも難しいので、それこそ議論がつきません。なので、個々の有権者が「この局面ならスピード重視だな」みたいな考えを反映させることには、大きな問題はありません。なぜならこれは立派な政治の言語だからです。

しばしばポピュリズムを巡る議論で、「決定の速さ」を特徴としてあげる研究者がいます。しかし「いろいろ考えなきゃならんし、時間のある限り考えて他の議員や有識者の話も聞いたが、ここでは早めに決めなきゃならない」という判断で「スピード重視で決めた」政治家のことを、ポピュリズムの政治家と言うでしょうか。普通は言いませんね。むしろ誠実で有能な政治家に見えます。

ポピュリズムの問題点は、「熟議かスピードか」という政治の《本来的》文法の次元から外れて政治家が選ばれている点にあります。「イメージ」「好感度」「親しみやすさ」「知名度」「がんばり」などですね。たまたま議論よりも決定の方が「わかりやすいしかっこよく」みえるので、ポピュリズム政治家は「スピード重視」という言葉を好んで使うだけです。仮に「よく考えて無理に決定しない」のがかっこいい世界があるのなら、ポピュリズムの政治家は、あれこれ考えるだけで決定しない政治家を演じるでしょう。

「好感度」「がんばってる」「やってくれそうなイメージ」というのは、友達やサークルのリーダーを決めるとき、あるいはアイドル総選挙やコミックのキャラクターの人気投票には機能するかもしれませんが、政治では全く機能しません。同じく、科学者を選ぶとき、科学の知識、スキル、業績などを無視して人柄やイメージで決めちゃうと、壮大なリソースの無駄遣いになります。「相対性理論の妥当性を、アインシュタイン博士の頑張り具合で決める」ような奇妙な世界です。

▼「面倒」だから「好感度で選ぶ」のか?
ではなぜ、政治を前に進めるスキルがない人が「選ばれてしまう」のか。つまり、「イメージ」「好感度」「親しみやすさ」の文法が、その故郷(日常生活の親密圏)を離れて、公的な領域を浸食し、その結果「活動が空転」してしまうのか。

「考えて調べて選ぶのが面倒」というのは一つありそうな気がしますね。「好感度」基準だと素早く判断できますから(それこそショート動画でも判断できますし、「テレビによく出ている」だけでも好感度は上がります)。

しかし本当にそうでしょうか。「好感度」「知名度」で選んでいる人は、「本当は政策内容や政治家の資質で選ぶべきだけど、ごめんなさい、調べてる時間がないんだわ。Youtubeやテレビでよく見る人に入れます」のような判断をしているのでしょうか。

ちょっと違う気もしますね。

やはり、シンプルに政治の文法を知らないのだと思います。「知らないのでは」と書くと、「上から目線だ」「政治の文法なんて誰が決めた」みたいな返しが来るかもしれませんが、少なくとも議会活動を可能にする建物と制度が現実に存在していて、かつそれが「好感度」の文法からはデザインされていないことは明らかです。

何度も言いますが、「決定と検討」が混同されていることが問題なのではありません。政治でも政治家の選択(選挙)でも、時間や手間がかかるという制約は同じです。つまり「制約の中での決定」こそが政治の一貫した基本文法なのです。では何が問題なのかというと、やっぱり政治の文法と好感度の文法が違うということを《知らない》ことだと思うわけです。

なぜ「光の粒子説vs波動説」を投票で決めることがおかしい(それでは科学は前に進まない)と多くの人たちが知っているのに、政治家を好感度で選ぶことは「おかしい」(それでは前に進まない)と思わないのでしょうか。つまり、自然科学の文法と好感度(人気投票)の文法が違うということは、多くの人が当たり前のように《知っている》のに、政治の文法と好感度の文法が違うということが十分に《知られていない》のはなぜでしょうか。

なにしろ、この区別の欠如につけ込まれて、膨大な資金が、政治を前に進めない「好感度獲得競争」に振り向けられ、「討論をしない」という国民にとって金銭的損失をもたらす振る舞いが「問題なし」とされてしまうわけです。

いろんな答えがあり得ますが、おそらく「諦念」ではないでしょう。「どうせ政治(家)で何か変わるわけではないんだから(誰を選んでも前に進まないのだから)、人気投票でいいだろ」という考え方は、政治のことを少しは知っているからこそのものでしょう。好感度で選ぶ人は、もっと積極的に参加しているのです。

▼パーソナルな関係の文法

考えられるのは、わりと多くの人が、自然の世界は自分の知っている世界ではないのは理解しているが、「世の中(社会)の複雑さを知らない」という可能性です。その場合、人々の中で「いい人→その人が決めること→自分の状態がよくなる」のような、シンプルな関連性が想定されている可能性があります。

こう考えると、今の政治の世界に浸透している一つの文法に思い当たります。それは、親密な世界の文法(親密性コード)です。この文法は、日常の身近な人付き合いの世界では実に機能する、合理的な、「前に進める」文法です。

この場合の「前に進む」というのはどういうことでしょうか。科学では、科学的な知見の発見につながるのが「前に進む」です。政治では、「一定の質の政策が一定の速さで展開される」ことですね。これに対して身近な世界、親密な関係性の世界で「前に進む」というのは、「パーソナルな関係を結ぶ/が続く」ということです。

ではパーソナルな世界とは何か。

パーソナルな関係の特徴は、「要素を限定できない(課題・サービスの種類ごとに切り分けしない)」ということです。社会学の巨匠、T.パーソンズの概念を借りると、近代社会のたいていの人や組織との関係は「限定的(specific)」なものですが、それでも親密な関係の領域は「無限定的/散漫的(diffuse)」な世界として残されている、と記述できます。

タルコット・パーソンズ先生 (1902-1979)

この親密性という活動領域では、相手との関係を用途に応じた限定的=部分的なものにしようとすることは、「関係を前に進めない」、つまりパーソナルな関係を構築させず、毀損し、また終わらせるように作用します。「あなたとは悩み相談の話し相手の関係だけで、食事は別だよ」「時間当たり1000円で友達になって」みたいな関係は、ありえますが、見渡してみれば稀で、続きにくく、また満足・楽しさを毀損します。そしてパーソナルな関係では、「仕草が気に食わない」「食べ方が汚い」「服装がイケてない」ということは、関係を終わらせる立派な、合理的な理由です。「それはそれ」と切り分けることは、公的な世界(仕事、市場、政治、外交)では「前に進む」上での必須条件ですが、親密な世界では逆向きに働きます

このように、パーソナルな関係とは相手を「ぼんやりと(diffuseに)、まるごと受け入れる」ものです。だからパーソナルな関係は、単なる仕事上の(特定目的の=specificな)関係からはじまるにせよ、まずはおしゃべり(内容を問わず時間を区切らない散漫さこそが「おしゃべり」の核心です)の関係を経由して、やがて食事、旅行...と、「一緒にいる」度合いを増していきます。(最終的には共同生活(家族)ですが、深くなるにつれて親密性コードの維持は困難になります)。

もちろん有名人とはそういった関係の展開はないのですが、ここではこの「散漫さ」「all or nothing(人として受け入れるか受け入れないか)」が、親密性の世界での活動を前に進めるコードだ、ということを強調しておきましょう。

パーソナル関係の文法(散漫に、ぼんやりと全体を受容する)が上手く機能するのは、身近な世界においてのみです。つまり親密性コードの故郷は、身近な人付き合いの世界です。それを政治の世界に適用する人がいるとすれば、その人は「社会は身近な世界であるかのように作動する」という世界観を持っている可能性があります。(仲間の不適切行為をソーシャルメディアにわざわざアップロードする人たちの世界観に近いかもしれません。)

▼「最後に残った領域」の逆襲

社会学では、近代化が進むと、散漫な関係のなかに一緒くたにされてきた機能が徐々に切り分けられて、政治、経済、教育...のように「機能分化」していく、という理論を(大筋では)構築してきました(有名な「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ」というやつです)。

それはその通りで、政治には政治の機能=文法に沿った建造物や制度が準備されますし、教育には教育の機能に沿った建造物や制度(学校の建物や学校の制度)が準備されてきました。イギリスの社会学者A.ギデンズは、構造化を「規則」と「資源」の概念で説明しました。各種世界の文法は、物理的資源をも構造化し、それが私たちの行動を、規則に沿った方向に差し向けるのです。議論をするなら議論しやすい部屋のデザインが、おしゃべりするならおしゃべりしやすいテーブルのデザインがなされます。

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アンソニー・ギデンス氏(私、サイン本もってます)

さて、パーソンズ先生が見抜いたとおり、切り分けが進んで最後に残った無限定的な領域が、親密性の世界です。この領域は、切り分けの行き着いた場所ですから、これ以上切り分けできません。「それはそれ」ではなく、まるごと人を受け入れる/排除する世界です。

それをふまえて、人間は「カテゴリー誤認」をする生き物でもあります。特に親密性のコード(切り分けをせず、全体をぼやっと受け入れ、そして拒否する)は、他の世界に侵食してその機能を蝕むことが珍しくありません。学者でも「ウマが合わん」ということで没交流(限定的に付き合うのではなく無限定に付き合わないこと)が生じることはよくあります。もちろんそんな振る舞いは、学問を一歩も前に進めません。

J.ハーバーマスは、「生活世界がシステムに植民地化される」ことに警告を発しました。しかし同時に、公私の分離を通じて私的世界の文法が独自に発達し、やがてそれが公的世界を侵すという現象も無視できません。限定的なコードで構造化されるシステムが、無限定な親密性のコードに浸食される、ということもまた、社会の空回り(どんちゃん騒ぎ)を帰結するのです。

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ユルゲン・ハーバーマス氏(現在96歳)

人々が特定の人物と散漫な(したがって人格的な)つながりを感じてしまうと、今度は(どんな理由・理屈であれ)その人物が詰問されているようなことがあると、詰問している人物の好感度は下がり、まるごと否定されます。「それはそれ」と切り分けることは、関係を限定的にする振る舞いなので、それは最初から選択肢にないのです。こうして政治のコミュニケーションは次々と親密性の概念で再コード化され、政治が空洞化します。

▼親密性コードと外交

親密性コードの浸食は、外交関係にも及びます。

一般の人々からすれば、他国との関係は、散漫な=まるごとの関係にみえやすいものです(坊主憎けりゃ袈裟まで憎い)。しかし実質的な国際関係の政治(経済、金融、人的資源をめぐる関係)は親密性コードでは進みませんから、政治家による外交は高度な切り分けをします。まるで離婚後も続く子の養育を介した関係のように、「切りたいのに切れない」「この部分では切るが別の部分では切らない」ような、コントロールされた付き合いをすることが、国民の利得につながります。(その一環で感情を「利用」することもありますが、それも戦略です。)

しかし、多くの人が他国との関係を「限定的」ではなく「無限定的」に(つまり親密性のコードを通じて)理解するようになってしまうと、政治家は自国の利益を犠牲にしても、人気取りのためにそれに同調することもあります。トランプ大統領が関税政策を通じて(関税は輸出国が払うというデマを放置しつつ、また輸入生産財のコスト増がもたらす負の影響を隠しつつ)やった手ですね。国の経済的損得よりも、外交を無限定なコードに書き換えることで得られる人気が重要なわけです。明確に他国に対して悪意をぶつけることが出来ない場合、国内の排外主義に手を貸すこともあります。国内の政権基盤が強くなると、他国や外国人に対する態度を「軟化」させることがありますが、これも本来は外交の文法からすれば空回りで、お金の無駄遣いです。

▼親密性の浸食

社会学者R.セネットは、このような事態を「親密性の専制(tyranny of intimacy)」という言葉で表現しました。なぜ「専制(暴政)」なのかというと、親密性のコードが、要素を切り分けせずに、気に入らない者や意見をまるごと排除してしまうからですね。(ナチスドイツ研究で有名な田野大輔先生は、A.ヒトラーの専制をこの概念で説明しています(「ヒトラー, あるいは親密さの専制」『社会学評論』)。)

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リチャード・セネット氏(まだ83歳の若さ)

親密性コードがその他の領域に入り込むことで「空回り」する状態は、なんとエンタメ業界でもありえます。「タレント(才能を持つ人)」が、ダンスや歌唱のスキルではなく、「親しみやすさ」「がんばり」「けなげさ」で選ばれる、といった現象ですね。「お金が動いている(むしろそっちのほうが動く)から別に空回りじゃないでしょ」とはなりません。だって、結局は歌ったりダンスしたりするでしょ。

でも親密性コードが限定コードの世界に浸透すると、本業は「ついで」になっちゃうこともあります。それより、「トーク(おしゃべり)」スキルの方が重宝されるわけです(おしゃべりが親密性コードが通用する世界への重要な入口であることを思い出しましょう)。俳優さんでも、バラエティでトークして好感度を上げて、出演するドラマを見てもらうという戦略にはめ込まれています。政治家でも、テレビに出て芸人さんとトークした方が好感度が高まります。決して議論しちゃダメです。議論は限定コードの運用ですから。議論なんかせず、おしゃべりしてください。議論に持ち込まれて劣勢に回ったら、無理にでも親密性コードに戻しちゃってください。「がんばり」「けなげ」がキーワードです。

親密性コードによる社会の「空回り」を、セネットの名言になぞらえて、「親密性の浸食」と呼んでおくことで、いったんお話を終わります。


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コメント

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bumblebee

社会学の教授なのに「人々は友達を選ぶような感覚で投票しておる」とか思ってるんですか?例えば(カマラが落選して)トランプが大統領になったのは「今の生活が変わってほしい。それをやってくれるのはトランプだ」と感じたからであって友達に対する好きとか嫌いで選んでると断じるところから外してい…

社会学(計量分析、家族社会学)。立命館大学教授。博士(社会学、一橋大学)。 https://researchmap.jp/read0192468
なぜ友達を選ぶかのように政治家を選ぶのか|筒井淳也
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