『──戻ったか。存外、早かったな』
『待テ、スバル。いいカ、顔はやめロ。他なら許ス』
『おらぁ――!!』
『これでチャラになったと思うなよ、クソ野郎……!』
『──ふん、欲の皮の張った男よな』
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「空気悪いですね!」
「当たり前かしら。言い方がいちいち嫌味ったらしいのよ」
「まあー……閣下ですからねえ」
「どういう意味だ」
セシルスの言葉にアベルが眉根を寄せる。
ベアトリスはそれを見て溜息をつき、
「──スバルの心労が想像に容易いかしら」
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『アベルさん、あの方たちは私たちが巻き込んでしまったんです。都市の前で立ち往生する私たちに親切にしてくれた。……ただそれだけの理由で。お二人の協力あって、私たちは無事に帰り着くことができました。代わりにフロップさんたちも、都市の兵士たちに狙われる立場に……』
『違うな、訂正してやる。俺たちや、外の連中を狙っているのは都市の兵ではない。帝国の兵だ。この国に仕えるもの共が、貴様らの敵となったのだ』
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「──スバルくんが怒りそうなことを言いますね」
「本当よねえ。お兄さんはただでさえ怒りっぽいのに、こんなこと言われたらまた怒っちゃうわよお?」
「スバルくんはレムと違って怒ったからと言って相手を見捨てられない方ですから、最悪の事態にはなるはずがないのですが……アベルさんの言い方には、レムも文句を言いたいですね」
「────」
レムがアベルの方に目をやるが、顔を背けられる。
「──スバルくん……」
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『陣地の帝国兵に睨まれたのは俺のミスだ。敵対も、俺が選んだ行動の結果でもある』
『そうだな。『シュドラクの民』と接触する以前から、貴様の結んだ因縁だ』
『その因縁に言い訳はできない。敵を作ったのは、間違いなく俺だからだ。――でも、その因縁のツケを払わされるのは、俺だけでよかったはずだろうが』
『事前にクーナとホーリィに、俺たちを街の外で待つように指示しておいた。俺たちが追われて街から逃げ出したら、それをフォローさせるために』
『……あそこまでヤバい状況とハ、アタイは聞いてなかったけどナ』
『その考えが適用されるのは、クーナとホーリィの二人までだ。――こうなるってことを完璧に予測してたお前に、俺は優しくするつもりはない』
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「──スバル……」
アベルとスバルの間に横たわる空気が、限界まで膨らまされた風船のように、一触即発直前の如き緊張感を帯びている。
エミリアは、何度も殺されたスバルのことを思えば、アベルに「どうして教えてあげなかったのか」と言いたい。
が──
「アベルも、スバルに死んで欲しかったわけじゃないわ。でも、スバルが苦しんだのだって、ほんとで……」
エミリアはどうするべきなのだろうか。
悩ましく、胸が痛む。
「────」
アベルは、エミリアに言葉をかけなかった。
アベルが何を言わずとも、エミリアは自分の中で結論を出して折り合いをつけるだろうと見抜いていたからだ。
だが、
「──何故、俺を……」
終わった話を蒸し返すのは、自分らしくないと、思った。
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『猛然と舞い戻り、俺を一撃したかと思えば、並べるのはつまらぬ恨み言ばかりか? そも、俺は最初から貴様に忠告したはずだ。――容易い道のりではないと。目先の安寧に飛びつき、頭を使わなかった報いと知れ。焼かれた陣の最寄りの街など、敗残兵が目的地とする可能性が最も高い。自明の理だ』
『だったら……だったら、最初からそう言えばよかっただろうが! お前は最初から全部わかってた。俺たちがグァラルで、生き残りの帝国兵と出くわす可能性も、都市から泡食って逃げ出す可能性も、そのどさくさでレムが……とにかく! お前は全部わかってた。なのに、黙ってやがったんだ』
『貴様のような輩は、賢者の忠告よりも愚者たる己の目で見たものを重視する。俺の口から何を語るよりも、降りかかる雨滴の厳しさは雄弁だ。おかげで痛感しただろう。――貴様らに、逃げ場はないと』
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「──正論だネ。性格は悪いけど」
フェリスが、居心地が悪そうに顔をしかめる。
「──あれだけ殺されたのを見たあとだと、正しいって言う気も失せるから」
アベルのしたかったことは、フェリスにもよく分かっている。
そして、愚かだったのはスバルだ。
だが、アベルのやったことは、フェリスにとって、羽虫に耳元で飛び回られるような不快感があった。
「──最悪」
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『──ナツキ・スバル、貴様はこれらを街で拾ったと話したな』
『人を物扱いするな。そもそも、正確に状況を言い表すなら、俺たちがフロップさんに拾われたって表現の方が正しい』
『重要なのは本質の方だ。些事にかかずらわる暇はない。だが、こうして貴様が戻ったことを初めて褒めてやろう。大儀であった』
『僥倖だ。拾い物だぞ、ナツキ・スバル。――都市に親しんだ行商なら、抜け道の一つや二つに心当たりはあろう』
『――城郭都市グァラルを陥落させる。次の拠点として、あの都市が必要だ』
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「──都市を、陥落させる……」
菜穂子が、少し理解が追いついていないと言いたげに、アベルの言葉を復唱する。
「それって、少し難しいんじゃない? 都市の中には、さっきの兵士たちがたくさんいるわよね? それを掻い潜るのは、大変だと思うわ」
「あぁ、そうだな……しかも、戦力差もデカいだろ。ミゼルダさんたちが強そうなのはマジだが、向こうも向こうで強そうだしな……」
二人の言葉が詰まり、菜穂子が小さく口を開き、
「大変ってことよね?」
「そうだな」
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『だが、だったら帝都のことはどうなる? 直接指揮を執るなんて話をするなら、皇帝が人前に出てこないってことはありえないだろ』
『ならば出てくるのだろうよ。俺とよく似せた偽物……皇帝の不在を悟られぬため、最も出来のいい影を使う。――チシャ・ゴールドだ』
『チシャ……?』
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「──なるほどなあ……大変な時に大変な場所へ大変な子が飛ばされたってことやね」
「要約するとそうなりますね!」
「そんな簡単な結論にしないでください」
ハリベルとセシルスの会話に、レムが冷たい視線で言葉を投げかける。
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『延々と否定してもらえなくて怖いのだが、先ほどの先ほどの話をしたい。村長くんは僕に、都市への抜け道について聞いてくれたが……』
『ああ、聞いた。心当たりはあるか、商人』
『ある! と答えしてしまいそうになるところ、申し訳ない。それがグァラルを攻撃するために用いられるなら、お答えしかねる!』
『……それがどんな意味を持つのか、貴様は承知しているのか?』
『無論だとも、何者でもない村長くんよ。僕は、戦いになるというならそれを拒否する。僕自身の知識で誰かを害することも避けたい』
『夢物語だな。現実、害意というものは貴様の事情など顧みずに襲いくる。その全てに掌を突き出し、引き下がるよう頼み込むのか?』
『必要とあらば!』
『実行したとて、成果はない。――ここは狼の国だ』
『狼の国だとて、羊も生きている。僕は狼がお尻に噛みついてくるのなら、牛車に乗って妹と逃げる。今日までそれを繰り返してきたのだよ、村長くん』
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「──顔つきとは裏腹に、随分と芯が強いわね。顔ばかり悪人で中身が釣り合わないバルスとは大違いだわ」
ラムが、深紅の瞳を細め、細く長い足を組む。
その内心に何を思うのか、それを少しも外へ出さぬまま、フロップとアベルの会話に、幾許かの感情の揺らぎを覚えていた。
「──狼の国にも、羊が」
脳裏に浮かぶのは、一体何であっただろうか。
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『──交渉、長引いているみたいですね』
『レム……』
『自分の知識で誰かを傷付けたくない。その気持ちはわかります。でも……フロップさん自身も含めて置かれた状況を思えば、自分の知識を明かさないことで生まれる被害はどう捉えるんですか。それも、知識が誰かを傷付けたと言えるのでは?』
『それは、それは屁理屈ってもんだろ。フロップさんが話さないことで生まれた被害まで、全部フロップさんにおっ被せるなんて、ただの言いがかりだ』
『そうですね。でも、どこまでも逃げるというのは現実的ではないと思います』
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「旦那くん、奥さん、こんな会話をしていたのか!」
フロップが快活にそう口にする。
「あんちゃん、スバルちんとレムちゃんなんかずっと喧嘩してるよね!? 仲直り出来たのかな?」
「どうだろうか妹よ……奥さんが素直になれたなら、なくはないと思うとも」
「フロップさん」
レムが、やや圧を飛ばす。
「──こんな言い方をしたことを、責められるかと思いましたが……そんなわけ、ありませんでしたね」
フロップもミディアムも、優しすぎる。
レムには、それが申し訳なかった。
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『待て、待てよ、レム。お前の言ってることは無茶苦茶だ。戦いは、お前も嫌だって言ったじゃないか。なのに、お前のその口ぶりは……まるで、戦うことを受け入れてるみたいな口ぶりだ。……お前がわからなくて、俺は辛いよ。……お前は、グァラルの宿屋で荷解きしてなかったよな。おかげで逃げ出すまでの時間を短縮できたけど、ずっと引っかかってた』
『あれは……』
『宿についたら、大抵の人間は体を楽にするか、荷物を片付けるもんだと思う。そりゃ、お前がそれに当てはまらない可能性だってあるさ。だけど……だけど、お前はまた、俺から逃げようとしてたんだな』
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「──スバル様……」
フレデリカが、自らの傷跡をえぐるようにものを喋るスバルに、悲痛な表情を浮かべる。
レムが言葉に詰まる度、沈黙して否定しない度に、スバルが傷ついているのがわかる。
「────」
言葉が出ない。
泣きそうな顔をしている彼にかけるべき言葉とは、なんだろうか。
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『俺を……俺を信じられないのは、いい。辛いけど、わかる。記憶が何にもない状態で、お前からは俺が許せない奴の臭いがしてて、信じろって言える根拠が何にもないんだ。俺を信じられなくて、遠ざけたい理由はわかるんだ。でも、お前の帰りを待ってる……お前を大事に思ってる人がいるのは本当なんだ。俺が嫌いなら、口を利かなくてもいい。手を振り払われても我慢する。だけど、離れていこうとするのはやめてくれ。頼むから俺を……俺を、お前の人生から閉め出さないでくれ』
『──あなたを……あなたを、見限ろうとしたわけでは、ないです』
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「──ッ! 大将!」
堪えきれず、スバルの瞳から涙が落ちる。
その表情は、蓄積された痛みに耐えきれなくなった体が、血を塞き止められず流し続けるかのような、そんな響きがあった。
「──スバル、くん……」
レムも、スバルが泣いたのを見た瞬間、体中に嫌な感覚が走った。
後悔? 自己嫌悪? 否、そのどれでもあって、どれでもない、筆舌に尽くし難い感情が、レムの全身を駆け巡る。
「──スバルくん」
その感覚だけが、確かなレムの真実だった。
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『あなたのその目が……』
『あん?』
『あなたのこの子を見る目が、私を惑わせもします。この子は、あなたにこんなに懐いているのに、あなたは』
『……お前は、俺にどうしてほしいんだよ』
『……戦いになるのは、嫌です。でも、逃げ続けることもできないと、そう思います。フロップさんの言葉は現実的ではないと。そして……』
『アベルの意見も肯定できない?』
『……はい。あなたなら……』
『あ?』
『――あなたなら、どうにかできますか?』
『俺は……』
『――俺が、レムの信じた英雄だからだ』
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「────」
ユリウスは、決して言葉にはしなかったが、スバルのその顔に、並々ならぬ感情を覚えていた。
憧れとも違う、賛辞でもない、感嘆したわけでもない。
例えるなら、望みが叶ったような、足りなかったピースがハマった時のような、不思議な満足感だけが、彼の心を満たしていた。
「──スバル、君はやはり、レム女史の英雄なのだな」
と、誰にも聞こえないように、囁いた。
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『なんだ、ナツキ・スバル。建設的な意見の出せぬ貴様の出る幕はないぞ』
『話に進展はあったか、傲慢野郎』
『いや、交渉は難航している。思いの外、この商人は身持ちが固い』
『そうかよ。だったら、口説くのが下手くそなお前の代わりに、俺が口説いてやる』
『なに?』
『――グァラルを無血開城させる計画がある。血の流れない戦いになら、お互いに歩み寄れる算段も成り立つんじゃないか?』
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「──! スバルくん!」
「かッけェぜ大将!」
「それでこそベティーのスバルかしら。でも、無理はしちゃダメなのよ」
「無血開城……そんなこと、出来るの? ううん、スバルができるって言ったんだから、きっと、そうなのよね」
みなが一斉に、スバルを褒め称える。
それを見ながら、
「──バッスーすごいですね!」
「ほんまやね。これなら部下に裏切られて乗っ取られたりせんやろうね」
「貴様、口を閉じろ」
と、こちらもまた賑やかに、主にセシルスが、騒いでいた。