『――旦那くん、しかめっ面はいけないよ。笑顔と余裕のないものの下には、幸運は訪れ――だ、旦那くん!?』
『──トッド』
『なぁ、頼みがあるんだ、フロップさん。宿に戻って、レムから俺の持病の薬を受け取ってきてもらえないか』
『わ、わかった! ここで待っていたまえ! 気を強く持つんだ、旦那くん!』
『──ぁ?』
『う、うああああ――っ!!』
『フロップさん!』
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「──っ! スバル──!」
フロップとスバルが、残虐な暴力の元に晒される。
それを見たベアトリスは、薄く下唇を噛み、
「──トッド……!!」
と、怒りを顕にしながら、悪夢の名を呼んだ。
◇◇◇
「──なんなの、ほんとに……」
フェリスが、呆然とする。
理不尽にもスバルを襲い続けるそれに、フェリスは思わず顔を顰めた。
「何がしたいの……?」
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『旦那くん! 逃げるんだ! 今すぐ逃げ――』
『やめ……』
『せーのっ!』
『俺を……』
『うん?』
『俺を、俺を恨むのは、わかる……でも、周りを……周りを! まき、こむなよぉ……っ!』
『お前さん、恨むって何を言ってんだ?』
『待ち伏せして、罠を張って……俺を、執拗に……! お前は……っ』
『何を勘違いしてんだか知らないが、俺がお前さんを殺すのに恨みも何もないだろ。街でヤバい奴を見つけたんだ。問答無用で殺すに決まってる。毒蛇を殺すのは恨みじゃなくて怖いから。そのためなら使えるものを使って殺す。お前さんは俺と同類だ。――時間はやらない』
『──ま』
『待たない』
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「あんちゃん! スバルちん!」
ミディアムが、一人の男によって行われる邪智暴虐の限りに、瞳を薄く怒りに染める。
「どうして、こんな……っ」
いつも明るい笑顔を浮かべている可愛らしい顔は、不理解と怒りを浮かべていた。
「妹よ……」
フロップも顔色が悪くなるが、それ以上に心根の優しい彼は、スバルが殺された事実に心を痛めていた。
「──話し合いで解決ができないというのは、商人としては辛いことだ」
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『――旦那くん、しかめっ面はいけないよ。笑顔と余裕のないものの下には……ど、どうした? 急に顔色が真っ青になったぞ?』
『──待て』
『――トッド! お前がいるのはわかってる!』
『わわわ!?』
『まったくしぶとい野郎だぜ! あんな目に遭ってまんまと死んだと思ってたのに、生きてやがるとは悪運の強い! だが、今度は逃がさねぇ! ぶっ殺してやる! お前が俺に勝てるとでも思ってんのか? とんだ笑い話だぜ! 笑ってやるよ、はっはっはっはっは! また見てぇぜ、お前が無様に逃げ回るところをよぉ!』
『だ、旦那くん……?』
『し。フロップさん、黙っててくれ』
『ああ、仕掛けてくるならいつでもどうぞ。お望み通り、八つ裂きにしてやるよ』
『――今すぐ、グァラルを出る。俺のハッタリが見破られる前にだ』
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「────」
それを見て、おそらく、多くの面子が、呆気にとられたことだろう。
スバルの作戦にではない。
この土壇場で、あんなに怯えておいて、こんなことが言える、スバルの胆力と度胸にだ。
だが、
「──なるほど……なるほど、なるほど! ああ、すごいですね! 面白い! いえ、考えてみれば、そうなるべきなのですが……面白い! いいですね、バッスー!」
セシルスは、それに、抑えきれないほどの高揚感と、これ以上ないほどの強い期待を覚えたのだ。
「──僕を楽しませてくれますね、本当に!」
◇◇◇
「──なるほど、彼の恐怖心を逆手にとったと……」
ラインハルトが、顎に手を当て、困ったように笑う。
「──考えは理解できるけれど、それを実行できてしまうのがすごいよ、スバル」
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『レム! 無事……うお!?』
『おわぁ! なんだ、あんちゃんたちか! 危うく殺すとこだった!』
『い、いきなりなんなんですか。出ていったと思ったらこんなに早く……』
『何があったんですか?』
『……マズい奴に見つかった。今は何とか時間を稼いだけど、長居はできない。きたばっかりで悪いんだが』
『街を出る、ですか。わかりました。ルイちゃん、荷物を持ってください』
『なんで、荷解きしてないんだ? 宿に入ったのに……まさか、レム、お前……そういうことか……。道理で、すんなりついてきてくれたと……』
『──旦那くん、思うところがあるようだが、それどころではないんだろう?』
『フロップさん』
『妹よ、この三人と一緒に僕たちも街を出るぞ。何でも、この旦那くんを狙っている危険な間男がいるらしい! 奥さんと姪っ子ちゃんを逃がしてあげなくては!』
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「──逃げようとしたわけじゃないんです、スバルくん。確かにこの時のレムは、スバルくんに酷い言い方ばかりしていましたが……それでも、もう、スバルくんを見限ろうとは思っていませんでした」
レムが、届くことのない言葉を、確かに紡ぐ。
「ごめんなさいスバルくん、あんなに酷い目にあったスバルくんに、レムは余計な心労をかけてしまいましたね」
「心労って言うならあ、レムお姉さんはもう指折りと首絞めやっちゃってるんだからあ、気にしなくてもいいんじゃないのお?」
「───────そ、うですね。レムは、本当に……」
「メィリィ、レムをいじめたらダメよ! レムも……今は、そんなことしないと思うもの!」
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『このまま大通りを抜けたら、検問のあった正門に……』
『いえ、そう簡単にはいかないみたいです』
『なに? って、おいおいおいおい! トッドか……! 方針転換して、仲間を呼びやがったな!』
『──てめえら! 逃げられると思ってんじゃねえぞぉ!! よくも魔獣なんぞけしかけてくれやがったな! ぶっ殺してやる!』
『……あいつはシンプルに俺を恨んでるのか。その方がホッとするぜ』
『あんちゃん、しっかり手綱握っててな。頼んだぜい』
『ああ、やってこい、妹よ!』
『──どーん! おらしょぉ!!』
『つ、つえええええ――!!』
『それが女性に対する褒め言葉ですか?』
『他に何を言えってんだよ! これは褒め言葉だろ! ミディアムさん、強ぇ!』
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「す、ごいですわね……ですが、この手勢だと……」
ミディアムの目まぐるしい戦いにフレデリカが感嘆の息をこぼすが、すぐに、分の悪さに目がいく。
「──彼女ひとりに戦わせるとするならば、突破は難しいかもしれないねーぇ」
「──そうですわね。レムも足が悪いですし、スバル様は戦闘面だと少し心許ないですから、かなり困難ですわ」
「昴……」
ロズワールとフレデリカの会話を聞きながら、菜穂子の中に、不安が膨らんでいく。
「お母様、バッスーが心配ですか?」
「──うん、心配。昴、また酷い目にあったりしたら……」
「うーん、ここまでこられたなら僕としても何とかなってくれた方がいいですね」
「そうよね……またやり直すなんて、そんなの、可哀想だわ」
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『これなら……』
『──調子に乗ってんじゃねえぞ、クソアマ』
『うきゃん!?』
『ただでさえ数減らされたってのに、こんな騒ぎで削られてたまるか! とっとと、てめえらは、オレの足下で、ひれ伏せ!!』
『うきゃ! わわ! あんちゃん、こいつ強い!』
『マジかよ! マズい! 距離がない!』
『──妹よ! ──頑張れ!!』
『頑張る――!!』
『これを』
『うお!? レム、何を……ロープ?』
『──眼帯の人!』
『ぐおあ!? な、これは……』
『ミディアムさん!』
『捕まえた!』
『合点承知!』
『これが、川辺でのお返しです!』
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「わ、すごいわ! レム、すごいわね!」
「ありがとうございます。投擲なら、腕力だけでも何とかなりますから」
「腕力だけであの威力出せるのがすごいと思うんですが……」
「腕力だけなら、エミリア様もあれくらいなら軽々とできると思いますよ」
「そうね、私もこういう時が来たら頑張って投げるわ!」
「来ないで欲しいんですけどそんな時は!」
「心配しなくても、そんなことになったらガーフが代わりに敵を殲滅するから心配はいらないわよ、レム」
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『あぶあぶあぶ、危な! 危なかったー! あんちゃん、危なかったー!』
『おお、そうだな、妹よ! 旦那くんと奥さんもよく頑張った! 助かったぞ!』
『ホントホント、ありがと! 助かったー!』
『と、とんでもねぇよ。助かったのは完全に俺たちだ』
『止まれ――! 止まれ! とま……うおお!?』
『――くると思ってたぜ』
『お前さん、やっぱり殺しておくべきだなぁ!』
『あーうー!!』
『邪魔するな、ちびっ子!』
『あうっ』
『――ッ、クソったれがぁ! ――見てんだろ! やってくれ、クーナ! ホーリィ!!』
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「スバル殿……なかなか、攻めた決断をされる」
ルイの顔面をトッドが肘打ちしたことが、スバルの決断を急がせたのかは分からない。
ただ、要所要所で、スバルのルイに対する態度が軟化しているのは、ヴィルヘルムにだって分かっていた。
◇◇◇
「うお!? トッド……どんだけしつこいんだ!」
賢一が、冷や汗をかき、どうにかやり過ごせるようにと祈る。
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『い、今のは……?』
『あの、性格の悪いクソ皇帝……戻ったら、絶対ぶん殴ってやる……』
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「──不敬であるぞ、ナツキ・スバル」
「まあまあ閣下、バッスーが丁寧に話してるほうが気持ち悪くないです?」
「──一理あるな」
「お二人とも、あまりスバルくんを侮辱しないでください。どんな話し方でもスバルくんは素敵です」