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「みいちゃん」呼びへの批判にキレるアンフェの本質は「可哀想ランキング」上位狙いにあった

割引あり

 知的障害を抱える女性を描いた漫画『みいちゃんと山田さん』への批判がバズっていた。大元の投稿は削除されてしまったが (おおかた、アンフェの誹謗中傷が殺到したためだろう。彼らの加害性には参るね)、批判は重要な点をついている。

【みいちゃんと山田さんについて】
#拡散希望RPご協力お願い致します
 批判ではなく問題として取り扱ってください。「みいちゃん」が発達障害当事者女性を差別する言葉で使われています。作者さんに悪意はなくても発達障害をオープンにしてる女性に向けて「みいちゃんだ」と言われるようになりました。TikTokやYouTube、Xなどでも多発してます。性逸脱をせず、倫理観を持ち、指導教育環境を当店では整えており、真面目に働いている私達や他の発達障害の女性にむけて「みいちゃんだ」という言葉を浴びせられることは、とても悲しいことです。そうならないように努力してきています。
 その努力が、一言で水の泡にされてるような状況です。
 ⚠️〈作品を見てない方に向けて〉
 作品におけるみぃちゃんとは、善悪の区別が付きづらく性的搾取され、しっかりした表記はないものの障害者とした描写があります。
 読者の方は作者さんの描写する作品の「みぃちゃん」を発達障害のある女性に当てはめるのはどうかやめてください。作品では簡単に性行為をしてしまう描写や、卑劣な死を遂げると思わせる描写があり、言われる方にとって深い心の傷を負います。
 作品自体は社会問題を取り上げた作品ですが、過激な描写が多く、発達障害、知的障害その他生きづらい環境について詳しくない方々がアイコン的に「みいちゃん」という言葉を使い、実際の人間に当てはめて乱用するのが問題なんです。
 発達障害や知的障害のある方が全員簡単に性的搾取の対象になったり、卑猥な行動に出るということではありません。
あくまで作品の中のキャラクターなのに現実世界の人間と区別がつかない人たちが出てきています…。
 作者さんにも申し訳ないのですが、こういった現象があることを認識していただけますと幸いです。
 この件を踏まえ公式より見解していただければ、たくさんの当事者が救われます。
#みいちゃんと山田さん
@miichan_joho

 なお、この投稿は作品を批判するのではなく、作品の画像を転載したり、発達障害や障害当事者に対して簡単に「みいちゃんだ」と呼ぶことに対するネットミーム化について問題提起をしている投稿です。

ネットミーム化した「みいちゃん」が差別用語的に使われていることへの問題提起ポストが話題に→『みいちゃんと山田さん』公式が対応する必要はあるのか

 そもそもオタク (アンフェの一大産地だ) は、漫画アニメで知った単語を狂ったように繰り返して喜ぶ性質がある。殊更悪いことに、その言葉の良し悪しや使い方の是非を考える脳はない。だから、「みいちゃん」という強烈なキャラクターがバズった時点でこうなることは予想してしかるべきだったかもしれない。

 こうした批判に対してよく見られる、そして的外れ極まりない反応は以下のようなものだ。

 要するに「女も侮辱語を使うのは止めろ!」とのことだ。そもそも「チー牛」なるネットミームを主に女性が罵倒として使用しているという前提自体に根拠がないし、仮にそうだったとしても別に違う話に過ぎない。

 (ちなみに、「チー牛」の発祥は5ちゃんねるの「なんJ」である。5ちゃんねると「なんJ」の利用者の性比は言うまでもない)

 ただ、こうした発言はアンチフェミニストの思考回路の本質を象徴している。それは、アンチフェミニストにとって重要なのは、いかに被害者としてのポジションを獲得し、社会における「可哀想ランキング」の上位を占めるかということだ。

 「可哀想ランキング」というアンフェたちが頻繁に利用するミームは、社会が関心を向け福祉制度などで救済する「弱者」はあくまで「可哀想に見える存在」(例えば女性) が優先され、客観的にそれらより困窮している存在 (例えば「弱者男性」「キモくて金がないオッサン」など) は無視されるという物語を指すものである。彼らは「可哀想ランキング」の存在を批判し「より合理的な社会制度」を求めるが、もちろんこの物語は神話に過ぎない。「より合理的な社会制度」もただ女性を苦しめたいというサディズムの発露に過ぎず、その中に自分たちを救う案はチリほどもない。

 皮肉なことに、彼らは自分たちで存在を批判する「可哀想ランキング」での上位ランカーを知らず知らずのうちに目指している。見方を変えれば、そういう思考回路だから「可哀想ランキング」という幻想の塔を雲の上に見てしまうとも言える。

 今回の記事では、そんなアンフェたちの本質を暴きたてたい。

「みいちゃん」と「チー牛」は全然違う

 まず、最初に例に挙げた、障害を持つ女性を「みいちゃん」と呼び表すことの問題と、「チー牛」呼びの問題について整理して論じる。

 結論から言えば、この2つは問題として全く違うものであり、両者を並べて考えることはできない。前者が構造的な差別を背景にした、極めて加害的・攻撃的な侮辱である一方、後者は精々が馬鹿アホキモオタレベルの悪口に過ぎないからだ。

「みいちゃん」呼びの背後にある構造的差別

 なぜ、障害を持つ女性を「みいちゃん」と呼ぶことに差別的な構造が関係し、かつ、極めて加害的と呼べるのだろうか。批判の中から重要な点をもう一度引用する。

 作品におけるみぃちゃんとは、善悪の区別が付きづらく性的搾取され、しっかりした表記はないものの障害者とした描写があります。 読者の方は作者さんの描写する作品の「みぃちゃん」を発達障害のある女性に当てはめるのはどうかやめてください。作品では簡単に性行為をしてしまう描写や、卑劣な死を遂げると思わせる描写があり、言われる方にとって深い心の傷を負います。

太字は引用者

 ここで重要になってくるのが、障害、とりわけ知的障害を抱えた女性が性的搾取に遭いやすいという現実である。

 知的障害を有する者の一般的な傾向として、権威に逆らうのが得意ではなく唯々諾々と従ってしまいやすいというものがある。加えて、知的能力の制約のために相手の偽りに気付きにくい、性行為の意味やリスクを理解しにくいという問題もあり、彼女たちは性的搾取の加害者からすれば格好の獲物となってしまう。

 事実、セックスワーカーとして働く女性の中に障害を抱える者が一定数含まれることはよく知られている。働く、という明確な形態をとらないまま搾取されている者を含めれば無視できない規模になり得るだろう。『みいちゃんと山田さん』は、(どこまでリアルを反映しているかは不明だが) そうした現状の一側面を切り取った作品であり、鵜呑みにするのはよろしくないが、全く起こっていない出来事を描いているわけでもない。

 障害を抱える女性が搾取される背景には、もちろん、女性差別的な社会構造が影響している。女性差別的な、言い換えれば家父長制的な社会においては、女性は男性に支配されるべきでありそれに抗うことは悪とされる。とりわけ「みいちゃん」のような誰にも所有されていない女性は何をしてもいいことになっている。そのことに文句を言う「所有者たる男」が存在しないからだ。

 (ちなみに、「みいちゃん」呼びを批判した女性がアンフェからのバッシングに遭った原因のひとつも、この家父長制的な社会構造だろう。家父長制を是とする社会においては、男たちの言説に異を唱えることは悪であり、男たちはそういうことをする女性を罰する権利を持つと思っている)

 加えて、こうした社会では、暴力ないしは暴力的な性行為により男性が女性を支配することが正当化され、時に称揚される。「みいちゃん」に暴力を振るう男たちが罰せられないのはこのためである。また、作中では障害を抱える男性の母親が「みいちゃん」を買って彼に性行為をさせる描写もあるが、これも、男は性行為をして一人前になるとか、しないのは情けなく可哀想なことだという家父長制規範を背景にしている。

 こうした背景を踏まえた上で、障害を持つ女性を「みいちゃん」と呼ぶことにはどのような意味があるだろうか。

 作中、「みいちゃん」は性的な逸脱を取りやすい人物として描かれている。とりわけ、あらゆる暴力行為 (決して性行為のオプションの範疇ではないだろう) にも自分が認められると喜んで応じる姿は読者にとって衝撃的だ。

 現実にいる女性を「みいちゃん」と呼ぶことは、その女性をそういう人物であると呼ぶことに等しい。

 そして、こうした認識を突きつけられることは、単なる誹謗中傷以上に加害的な意味を持つ。なぜなら、「みいちゃん」が障害を背景にあらゆる暴力行為を甘んじて受け入れる人物である以上、「みいちゃん」と呼ばれた対象の女性もそうであると意味になり、かつ、「みいちゃん」がそうした行為を受け入れることで生計を立てている背景から、そう呼ばれた女性も呼んだ男性から暴力的な性行為の欲望を突きつけられたに等しいからだ。

 すさまじく簡単に言えば、目の前の女性を「みいちゃん」呼びすることは、相手に対し極めて暴力的なレイプ願望を予告しているに等しい。「みいちゃん」呼びをしている方はネットミームの流行に気楽に乗っているつもりかもしれないが、言われた方にとっては殺害予告と大差ない。これが単なる悪口の類でないことは明白だろう。

「チー牛」は単なる悪口

 一方、「チー牛」の方は話が簡単だ。単なる悪口に過ぎず、背景に差別的な構造はない。

 「チー牛」というミームは、野暮ったい外見とダサい食事のチョイス、そこから連想されるオタクっぽさの3つの要素からなる侮辱である。しかし、その背景となる差別的な構造はない。念頭に置かれているのは男だが、彼らが野暮ったい服装になることにもオタクになることにも、差別的な背景は存在しない。

 そのため、「チー牛」は単なる悪口に過ぎず、差別的で加害的なレッテルである「みいちゃん」と単純に比べることはできない。

 よく「バカ」「アホ」レベルの言葉にヘイトスピーチだと文句を言うレイシストがいるが、彼らが理解していないのは、ネガティブな言葉が全てヘイトスピーチであるというわけではないということだ。単なる罵倒語に過ぎない言葉は社会に溢れている。

「チー牛」に唯一ありそうな差別的構造

 と、ここまで書いて、「チー牛」呼びの背景に唯一ありそうな差別的構造に気付いた。

 それは家父長制である。

 またかよって感じだが仕方がない。家父長制は未だ世界に蔓延る差別的構造のラスボスだ。なにせ、世界人口の過半数が恩恵を受けるのだから。強固になるのも当然だ。

 家父長制を肯定する社会において、家父長制的な規範に従うことを要求されるのは女性だけではない。その実、男性もまた規範への従属を要求される。家父長制は男性の99%のためにあるのではなく、1%の支配層が支配を正当化するため、国家権力の構図に家族というメタファーを混ぜ込むものだからだ。

 家父長制において、男性は「家を守り家族を支配する」役割を求められる。この役割に従う限り、社会は男性に女性を始めとする構成員への支配権を認める。裏を返せば、「家を守り家族を支配」できない男性――つまり「チー牛」的男性はその存在を認められない。

 「チー牛」的特徴が侮辱の対象になるのは、彼らが明らかに女性を支配する力強さと性的能力を欠いているように見えるからだ。家父長制を是とする社会において、それは男として致命的だと考えられる。無論、実際はそんなことないのだが。

 では、「チー牛」呼称を嫌うアンフェたちがこの家父長制に立ち向かうかといえばそうではない。先に指摘したように、「チー牛」ミームは元々男社会から生まれたものだ。しかし、アンフェたちは女性が自分たちの攻撃にこのミームを使っていると認識してようやく批判を始めた。これは、家長たる男性は家長足り得ないものに何を言ってもいいが、女性は男性をそれがどんな男性でも尊重しなければならないという家父長制のルールに従っているにすぎない。

 この記事はアンチフェミニストの本質を暴くものだが、彼らの性質のすべてを説明しているわけではない。アンフェたちの行動原理は、自身が報われない家父長制の維持と肯定にも向いているようだ。

アンフェの本質:可哀想ランキングでの争い

 さて、ここからはアンフェたちの本質の話に入る。ここでは、彼らの本質が「可哀想ランキング」上での争いで優位に立つことであると指摘する。

加害性を隠し被害者になる

 「みいちゃん」呼称への批判に対するアンフェたちの言動で特徴的なのは、自分たちこそが本当の被害者であるという構造である。単に「みいちゃん」呼称への批判が単独で妥当ではないと主張しているアンフェは見当たらない。彼らの幼稚な反発には、必ず「自分たちこそ本当の被害者だ」という物語が入り込んでいる。

 これは奇妙なことである。なぜなら、「みいちゃん」呼称への批判の是非と「チー牛」呼称の問題は本来独立であり、一方の是非はもう一方の是非に影響しないはずだからだ。仮に「みいちゃん」呼称への批判が妥当だったとしても、だからといって「チー牛」呼称をしてよくなるわけではない。「チー牛」呼称への批判は「みいちゃん」を引き合いに出さずともできる。

 この奇妙な構図は、アンフェたちの主張を詳細にひも解くと理解に近づく。彼らは本来無関係である2つの論点を、「女性こそチー牛呼称で男を侮辱していた」というナラティブで結びつけている。先に述べたように、「チー牛」呼称は男社会の規範を背景としており、女性によるムーブメントとは言い難い。

 もちろん、近年は「チー牛」が女性によって用いられやすい罵倒語であることは否めない。だが、「チー牛」と罵倒が飛ぶとき、多くの場合そこには単なるオタクというよりはアンフェたちの姿が想定されている。

 そのアンフェといえば、女性に対し「チー牛」どころの騒ぎではない誹謗中傷を浴びせている。実例は後述もするが、批判者を執拗に罵倒し投稿やアカウントの削除に追い込むことは日常茶飯事で (この記事で扱っている大元の批判もその被害に遭った)、「まんさん」といった性器呼びと言われる侮辱表現もあり、暇アノンと呼ばれる陰謀論的デマも未だ根強い。純粋に被害と加害を比較するなら、女性の「チー牛」呼称は子供の悪口レベルに過ぎない反面、アンフェたちの攻撃は組織的な無差別テロに近づいている。

 このような奇妙な不均衡は、単純に「みいちゃん」と「チー牛」を比較しただけのときにも起きる。既に述べたように、前者が差別的かつ極めて加害的な呼称である反面、後者はただの悪口に過ぎない。日本刀で切りつけるかプラスチックのバットで殴るかというほどの違いがここにはあり、どちらが重大かは明らかだ。

 このような状況下で、「チー牛」の一言をもって被害者のポジションに座ろうとするのは明らかに無理がある。だが、アンフェたちは血道をあげてその席を目指す。被害者の席、「可哀想ランキング」の上位に着くことで自らの加害性を覆い隠し、被害者であるとして自分たちの攻撃をさらに正当化できるからだ。

「キャンセルカルチャー」と下から目線の攻撃

 このような構図には既視感がある。「キャンセルカルチャー」である。ただし、ここでの「キャンセルカルチャー」は「些細な発言で猛バッシングを受けてすべてを失う」という通俗的な物語 (ここでもナラティブだ) ではなく、括弧つきの「キャンセルカルチャー」である。

 『「キャンセルカルチャー」パニック』の訳者である北守氏は、「キャンセルカルチャー」について以下のように説明する。

 要するに、「キャンセルカルチャー」の特徴は加害者による被害者ポジションの簒奪にある、ということだ。アメリカにおいては、トランプやその信奉者が差別的発言で批判され、場合によっては職などを失ったときに「キャンセルカルチャー」が叫ばれることを思えばわかりやすい。元はといえば自身の加害行為による出来事なのに、「キャンセルカルチャー」と叫ぶことであたかも自分が狂気的なまでに加熱した社会正義の被害者かのように振る舞える。

 ちなみに、移民たちが在留資格にかかわらずICEに連れ去られているのを見て「キャンセルカルチャーだ」と言う人を、私は本当に一人も見ていない。キャンセル度合いでいえば失言した白人たちの比ではないはずだが。

 アンチフェミニストの「可哀想ランキング」争いも同様の特徴がある。言い換えれば、彼らは自分たちが女性により、あるいは社会から「キャンセル」されたと主張している。実際には単に社会が女性差別や女性への攻撃を許さなくなっただけなのに「結婚もできない」「子供も作れない」と嘆く。そして、自分たちの誹謗中傷を棚に上げて女性の言葉遣いを云々する。

 彼らの頭の中にはなぜか、女性を攻撃しないという選択肢がない (彼らの言動は攻撃であって許容されるべき批判の類ではない)。彼らはあくまで女性への攻撃を続けながら、厚かましくさらなる「権利」を要求する。

 同様の構造として、レイシズムに対するカウンターがレイシストの言説を「下から目線の攻撃」という趣旨で表現していたことを思い出す。これも、本来加害者であるレイシストが、「在日特権」だとか「外国人の優遇」というありもしないデマを流布することで、自分たち日本人こそ虐げられているという被害者ポジションの占拠を試みているといえよう。

可哀想ランキング上位を目指す試み

 ここからは半ばおまけ編として、アンフェたちの可哀想ランキング上位を狙う最近の頑張りを総ざらいしてみたい。1つ1つ記事にしようかと思ったが、あまりにも馬鹿げていてその気も失せたのでここに全部書いておしまいとする。

公然・真冬・スクール水着

 直近の例で特に衝撃的だったのは、札幌冬まつりでアイドルという人物が行ったパフォーマンスである。彼女は氷点下に達する真冬の札幌でスクール水着を身にまとい、公衆の面前でパフォーマンスをした。(デジタルタトゥーと化すのは本意ではないため、ここでは写真も名前も挙げない)

 こうした姿は衝撃的であり、中には同時期に話題となっているエプスタイン島での数々の暴行や拷問と重ね合わせた人もいた。

 だが、それが逆にアンフェの逆鱗に触れた!

 彼らの理屈では、真冬に女性を水着姿で躍らせた「だけのこと」とエプスタイン島での暴虐を並列し、あたかも日本人男性がエプスタイン島での加害者と同じであるかのように扱うのは酷い侮辱だというのだ。

 何言ってんだてめぇ(笑)。気持ち悪いな。

 ただまぁ、とんでもない愚かさを晒せば「可哀想ランキング」の上位に一気に躍り出ることはできる。これは本当に可哀想だから。救いようがない。仏教徒なのに神にも祈りたくなるほどだ。

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アマチュア犯罪心理学者、兼小説家など。 犯罪について正しい知識を普及することを中心に、いろいろ書いていきます。
「みいちゃん」呼びへの批判にキレるアンフェの本質は「可哀想ランキング」上位狙いにあった|新橋九段
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