2026年2月21日(土)
×

【今西和男 我が道18】山本浩二さんの広島愛に共感 地元紙やテレビ局の企画で対談

[ 2026年2月18日 07:00 ]

同じ広島出身の山本浩二さんの監督時代
Photo By スポニチ

 1980年代後半、地元紙やテレビ局の企画で広島カープの山本浩二さんらと対談する機会があった。山本さんは1969年(昭44)に法政大学からドラフト1位で広島に入団、中心選手として大活躍し、ミスター赤ヘルと言われた。86年限りで現役を引退、89年から2度、監督も務めた。

 山本さんは、広島の選手がシーズンオフの野球教室を通じて、野球が好きになった子供たちの応援を励みにプレーしていると言っていた。「強くなって巨人や阪神といい試合ができるようになり、カープを応援してくれる人が増えた」という。広島出身の山本さんは郷土愛が強く、家族が被爆していたこともあり、「広島復興のためにも、スポーツで子供たちを元気づけたい」という思いがあった。「子供にスポーツをやるきっかけを与えるのはいいこと。友達もできるし、責任感も出る」という話には強く共感した。衣笠祥雄さんや三村敏之さんにも懇意にしてもらった。

 私は「サッカーも同じようにしたい」と考えた。オフトからもオランダの育成システムのことを聞いていて、サッカーが強くなるためには小、中学生の育成が大切だと思っていた。広島は元々、静岡、埼玉とともに「サッカー御三家」と言われたほど人気だった。私は高校1年生の終わりからサッカーを始めたが、小学校高学年からやっていれば、もっとうまくなったかもしれない。そのためにもスポーツに取り組む環境が大事だ。野球はバットやグラブなど用具にお金がかかるが、サッカーはボールがあればできる。広島の復興のためにも、子供たちの成長のためにも役立つと考えた。

 私は広島出身の元日本代表監督で、日本サッカー協会副会長の長沼健さんに話をした。ちょうど全国の小、中学生の育成のために、ライセンス制度を整備しようとしていたところで、長沼さんから「交通費と滞在費しか出せないが、ライセンスも取れるようにするから巡回指導の指導員をやらないか」と、提案された。既に釜本邦茂やセルジオ越後らがスポンサーとタイアップして全国展開していた。関西でも東京教育大学の先輩で大阪商業大学の上田亮三郎さんがやっていた。会社に相談すると、「自動車を作る会社は、もっと地域に身近な存在になる必要がある」とOKが出た。

 広島は専売広島のバレーボールが強かったので、バレーボールやバスケットボールを含めた球技全体を巻き込もうと考え、各競技団体や教育委員会にも話をした。私は広島や近県だけでなく、四国や九州などで、小、中学生にサッカーを指導しながら、先生たちにも指導者講習をした。子供たちがうれしそうにボールを蹴るところを見ると、やりがいを感じた。マツダも89年に広島市内にサッカースクールを開校。松山市にも、マツダと愛媛県サッカー協会が提携してサッカースクールを開校し、愛媛県協会が運営し、月に一度マツダがコーチを派遣した。他の地域でも同様のスクールを開校し、輪を広げていった。

 ◇今西 和男(いまにし・かずお)1941年(昭16)1月12日生まれ、広島市出身の85歳。広島市立舟入高から東京教育大(現筑波大)を経て東洋工業(マツダ)入り。俊足とハードタックルが武器のDFとして活躍。日本リーグ42試合、日本代表11試合出場。引退後はマツダの監督、総監督を務め、日本初のGMと言われた。サンフレッチェ広島の設立に尽力、日本サッカー協会強化委員、FC岐阜社長などを歴任。

この記事のフォト

「サッカーコラム」特集記事

「日本代表(侍ブルー)」特集記事

サッカーの2026年2月18日のニュース