植岡喜晴レトロスぺクティヴ ゲストトーク2024年2月17日(土)Dプログラム
上映作品
「精霊のささやき」
参考上映「エロス・なす娘」
ゲスト
加藤賢崇(俳優・ミュージシャン)
一瀬隆重(映画プロデューサー)
バブルの手前、『精霊のささやき』製作時の時代背景
加藤:この映画で、私は「大きな赤い玉を転がす男」役で出演していました。残念ながら出演者は他界された方が多いので、この作品について語れる人間、僕ぐらいしかいなくなってしまったという状況がございます。この作品ができるまでの経緯を一瀬さんにいろいろ伺っていきたいと思います。
一瀬:植岡さんは僕の大学の先輩で、上映会で会ったんです。植岡さんの『眠れる森の吸血鬼』という作品を観てすごく面白かったんで、これはすごい先輩がいるなと思って。
加藤:映画とか美術系の学校だったんですか?
一瀬:関西学院大学です。同級生に『結婚できない男』などの脚本家・尾崎将也くんもいて、彼も同年代で当時、映画を撮ってました。植岡さんとは「一緒に映画作りましょう」となり、『夢で逢いましょう』を一緒に作ることになって、僕は作ってる間に東京に出てプロの世界に入っちゃった。植岡さんは確か広告関係の仕事に1回就かれて、「もう映画やらないのかなあ」と思ってたら、「やっぱり映画やりたいねん」「じゃあ何かやりましょうよ」みたいな話が出発点ですね。つみきみほさんが当時、渡辺プロの新人として華々しくデビューされて、主演映画を渡辺プロから作ってくれないかと言われて。
加藤:つみきみほさんは吉川晃司さんの妹役のオーディションで合格して、大森一樹監督、吉川晃司さん主演の映画でデビューしたんですね。
一瀬:『テイク・イット・イージー』。
加藤:その期待の新人アイドルを売り出さなければいけないという使命のかかった映画、初の主演作がこれだった。
一瀬:自由にやってくださいという話だった。普通のアイドル映画を僕が作ってもしょうがないし、植岡さんも撮れないだろうと思って、植岡さんが前からこの脚本を持ってたのは知ってたので、ナベプロにプレゼンしたら「これで行きましょう」という話になって。
加藤:ちょっと待ってくださいね、一瀬さん。僕が最初に一瀬さんを知ったのはそもそも、怪獣映画の上映会とかに行ってたら怪獣オタクの間で耳にしていた、「あの有名な円谷プロの作品『ウルトラQ』の続編を勝手に作ってる怪しい奴がいるらしい」っていう噂でだったんです。ほんとに作っちゃったんだよね、自主映画で。
一瀬:厳密に言うと勝手にではないです。円谷プロにちゃんと許可を得たんですよ。そのへんは律儀で。まあ、『ウルトラQ』の大ファンで、『ウルトラQ』を自主映画で作ったのが全ての出発点です。
加藤:それで自主映画界に名を轟かせたわけですよね。
一瀬:でも作品としてはもう見るも無惨な出来なので。
加藤:いやいや、面白かったですよ。そんな8mm映画出身で、従来の映画界で下積みとか叩き上げをやってないぼんぼんみたいな人が何でいきなりナベプロの映画を手掛けられるに至るんですか。
一瀬:30分しかないからかいつまんで話すと、西武セゾングループの息子さんに、『星くず兄弟の伝説』っていう映画で出会って。
加藤:手塚眞監督の、やっぱり商業映画デビュー作の。
一瀬:その人に「映画会社作りたいから一緒にやろう」と言われて、それでまだ20代の時に会社を一緒に始めたんですよ。
加藤:1980年代のセゾングループといったら大資本ですよ。そこに20代前半の若造が。
一瀬:まあそうですね。その人にナベプロと付き合いがあったから話が来たんだと思います。
加藤:そんなトントン拍子の話があったんですよ、1980年代には。
一瀬:今では考えられないですけどね。あの頃はまあ、そんな時代でした。バブルの手前あたりですね。
加藤:しかも自由に、セゾングループやナベプロから大事なアイドルのデビュー作を「作っていいよ」と言われて、この映画すごい美しい作品なんですけども、あえて言えばちょっと地味な。
一瀬:でも、渡辺プロが製作するから植木等さんとか谷啓さんに出てもらえたんですよね。植木さん谷さんは、僕も植岡さんも大ファンだったから。
加藤:ですよね、当然。
一瀬:「出てほしい」って言ったら、「わかりました」って割と簡単に出てもらえた。
加藤:だけど一瀬さんが映画界に進出していくにあたって、大物映画監督と仕事しようと思えばできたとも思うけど、やっぱり自分が育った自主映画界の監督をメジャーの世界に行かせてあげたいっていう気持ちだったんですか。
一瀬:まあ、怖いですもんね、大御所の監督は。だからとりあえず友だちとやろうと思って。手塚眞くんと『星くず兄弟の伝説』やって、小中和哉くんと『星空のむこうの国』やって、林海象くんは、『夢で逢いましょう』に出てたあがた森魚さんが「映画を撮りたい」って僕のところに相談に来た時に、助監督で来たのが林海象くんだったんです。あがたさんの映画は撮らなくなったんだけど、今度は林海象くんに「映画を撮りたいから、一緒にやってくれ」って言われて一緒にやったんです(注:『夢みるように眠りたい』(1986年))。『精霊のささやき』が4本目なんで、そういう自主映画の流れでここまでは来たって感じですかね。
加藤:一瀬さんはこの後にまたセゾングループと組んで『帝都物語』という超大作を撮るので、そのための肩慣らし的な感じもあったと思うんですけど。
一瀬:そんなことは考えてなくて、自主映画の人と4本撮って楽しかったんですけど、『帝都物語』はさすがにお金もかかるし、東宝で配給となったら自主映画の監督ってわけにはいかなくなって、もうとにかく大ファンだった実相寺(昭雄)さんに話してみようと思って、ご相談に行ったら「是非やりたい」ということになって。
加藤:実相寺さんはその後で『ウルトラQ』の続編を撮りましたね。(注:『ウルトラQザ・ムービー 星の伝説』)
一瀬:そうですよ。
加藤:やっぱり縁があったんですね。
往年のスター、ミュージシャンなど、幅広いジャンルからの豪華キャスト
加藤:だけど、その大作の前の作品ではあるけど、これけっこうな豪華キャスト。
一瀬:うん、ね。
加藤:どうやって口説いたんですか。
一瀬:特にキャスティングで苦労した記憶はないかな。
加藤:この豪華キャストの中に僕が入ってることがやっぱ不自然。
一瀬:いやいや、だって賢崇さん『ドレミファ娘の血が騒ぐ』もそうだけど、この頃すごくユニークな立ち位置にいましたから。
加藤:伊丹十三監督の『タンポポ』とかね。
一瀬:かの香織さんもそうだけど、有名な人っていうより個性的な人を揃えたいって気持ちがあったんですね。ただ僕が1番覚えてるのは植木等さんが死ぬほど怖かったことです。
加藤:怖かったですか。
一瀬:怖かったですよ。僕はまだ学生上がりでバカだったから、クレージーの『日本一の男』シリーズみたいなキャラでいらっしゃるんだとばかり思ってたんです。そしたら当たり前ですけどすごく真面目な方で。控え室で加藤治子さんが監督に質問して、植岡さんが適当に答えたんですよ。そしたら植木等さんが激怒された。
加藤:植岡さん、ああいう方だからね。
一瀬:植岡さんが「えへへへ」って感じだったのも覚えてます。谷啓さんはあのまんまの感じで、すごく優しい方でした。
加藤:一瀬さんはプロデューサーとして、他のスタッフの配置まで決める方なんですか?
一瀬:監督によりますね。ただ、これに関して言うと植岡さんが商業映画を撮ったことなかったんで、撮影の長田さん、照明の長田さんは『夢みるように眠りたい』の人たちで、音楽は川井憲次さんがやってくれて。
加藤:いい音楽ですね。
一瀬:後に「エヴァンゲリオン」をプロデュースする大月くんと僕が学生時代から知り合いで、「サントラ込みで考えて」って相談したら、「いい作曲家がいるよ」って紹介されたのが川井憲次さんだったんですね。そのへんは自分で決めましたね。
加藤:演出部の助監督の方々とかは。
一瀬:これはね、僕はプロデューサーで、主に企画のこととか、映画を当てるとか、脚本の内容とかをやるんですけど、予算のこととか現場の仕切りとかをやるラインプロデューサー的な立場だった人が助監督を連れてきたんですけど、これがね、ちょっと監督とソリが。
加藤:そうなんですよ
一瀬:合わなくて大変でしたよね。ちょっと失敗したなと思いましたけどね。
加藤:チーフの助監督をされてた方が割とストレートな熱血漢みたいな人で、植岡さんにいちいち食ってかかるのね。「監督、これはどういう意味ですか」「ここは何で引きで撮ってるんですか」てな感じで。
一瀬:植岡さんも「意味はないねん…」とかって言うでしょ。
加藤:そうそう。植岡さんは終始、そういう人を目の前にしてフニャフニャした態度で、僕たち役者もちょっと困ってしまうところが多々あってね。
一瀬:自主映画、『夢で逢いましょう』の時も大変でしたもん。
加藤:そうでしたか。
一瀬:みんな植岡さんの言ってることがわからなくて、「一面に穴を掘れ」とか、ほんとに死にそうになった。
加藤:この撮影の時も、「この玉、どっちに向かって転がすんですか?!」って、みんながメガホンで怒鳴り合いながらやってましたけども。そんな中で主演の范文雀さんと助監督のチームはすごく気が合ってて、一緒になって「あの監督、何考えてるかわからないよね」って言って毎晩飲んでましたけど。結局それがだんだんチームがまとまっていくことになったっていう。
一瀬:みほちゃんがいい子だったからね。
加藤:みほさんもあのまんまの天真爛漫なね。
一瀬:あと観ていただくとわかる通り、それこそ、あそこはセゾングループが当時持ってた八ヶ岳の建物で、タダ同然で撮っていいという話になって、そこに泊めてもらって自炊してやってましたもんね。
加藤:とはいってもプリンス系のホテルに1か月泊まれるんですよ。どうです?みなさん。
一瀬:まだあるんですよね、この建物。
加藤:ホテルの鍵を、僕がロケ中に雪の中に落としちゃって、スタッフに総出で探しに行ってもらった苦い思い出もありましたけどね。かの香織さんもほんとうに貴重な美しい姿を見せてくださってるんですけども、撮影中から「やっぱり女優は向いてないと思うわ」って言われていて、ほんとにこれっきり映画作品には出なかった。非常にもったいないんですけど。
一瀬:魅力的だったけどな。
加藤:白いジグソーパズルの部屋は、息を呑むような美しさでしたね。あと、植木さん谷さんはもともとバンドマン、古い芸能界の人だから、ナベプロの付き人さんがいらっしゃってて、昔の芸能界言葉で、「ヒーコー」とか、タバコのこと「タンベ」っていうんだよね。「タンベ!」ってこうするとね、付き人の人がタバコにサッと火をつけるとかね。そういう光景を見れただけで幸せでした。
一瀬:植木さん、谷さん、加藤治子さんと仕事ができたのは、本当に得難い経験だったと思いますね。
加藤:范文雀さんもほんとにいい方で、ああいう現場ってきっぷのいい姐御肌が1人いるだけで場がまとまるってところあるじゃないですか。桃井かおりさんとか萬田久子さんと仕事した時も思いましたけども、「あんたたち、何やってんのよ」って言える人が1人いるだけで違う。
一瀬:范さんも若くして亡くなった。
加藤:斉藤洋介さんもね。
一瀬:植岡さんまで亡くなっちゃって。
作品と植岡監督のその後
加藤:結果としてこういう作品になったわけだけど、出来上がった後、ナベプロさんとかつみきみほさんのスタッフの反応はどういう感じだったんですか?
一瀬:ナベプロさんは実は、撮影が始まる直前に「やっぱりお金出さない」って言い出して。
加藤:そんなことあったんですか?
一瀬:いや、結局出したんですけど、けっこう減ったんですよ。減った分をセゾンがかぶって、どっかからお金を集めてきた気がするな。たぶん、吉川晃司とつみきみほを担当してるチームの人たちはこの企画にすごい乗り気だったけど、ナベプロのもっと上の人たちが「大丈夫なの?」みたいな話だったんじゃないかと思いますね。みほちゃんは喜んでたし、実は今日も、来てもらえないかって話をしたんですけど、ご本人によると半分引退に近い状態だそうで。
加藤:芸能活動されてませんからね。
一瀬:当時、みほちゃんは喜んでたと思いますけどね。ナベプロがどうだったかは実のところよくわからないです。聞いてもしょうがないので聞かなかった気もします。
加藤:この映画は長年あまり観る機会がなかったですね。
一瀬:権利が転々としちゃって。製作したのはセゾングループの会社だったんですけど、僕が辞めた後、割と早いタイミングでなくなって、なぜかキネマ旬報社に権利が全部移ったんですよ。今は違うんですけど、キネマ旬報社が当時セゾングループだったんですよね。それでキネマ旬報が権利を管理してDVD出したりしましたけど、その後はあんまり上映されることがなかったですよね。
加藤:植岡さんは他の作品だと、すごくユーモラスな可笑しい場面を撮る人だったんだけど、この作品ではそういう部分を極力抑えてましたね。これ、植岡さん自身の思いだったのか、それともプロデューサー側の思いだったのか。
一瀬:いや、僕は何か言ったつもりはないんだけど、共同脚本の人がいて、その人とやっていくうちにそういうトーンになってったのかもな。今思うとね。「コミカルな部分も入れて」っていう話だったけど、映画観るとあんまり出てないですもんね。植岡さんの作品の中でも1番よそゆきな作品になってるかもしれないですね。
加藤:唯一のメジャー作品ですけどね。
一瀬:結局これ以降、劇場映画撮らなかったですからね。「またやろうよ」「企画も出してよ」みたいな話を何回もしたけど…うーん、とにかくなまけもんですから、植岡さんは(笑)そこは彼のいいとこでもあるけど、やっぱり出てこなかったですね。
加藤:撮影途中に林海象さんも心配して一度現場を見に来たんですよね。植岡さんがフニャフニャして助監督に責められたりしてるから、「こういうとこビシッとやんなきゃダメなんですよ」って。海象さんはなぜか…
一瀬:林くんはそのへんうまかった。
加藤:自主映画出身のくせにプロのスタッフにビシビシいうのが得意でしたね。
一瀬:美術の木村威夫先生もちゃんと操ってた。それはすごかったなあ。
加藤:映画監督の監督ってのは、道路工事の現場監督の監督とかとある意味…
一瀬:同じ部分多いですよね。
加藤:まず人をビシビシ配置して仕切るっていう、アーティストとか芸術家以前の問題としてそれができないとね。
一瀬:そうなんですよね。でもあんまりやり過ぎるとただ嫌われるし、そのへんは難しいですね。愛嬌も必要だし。
加藤:植岡さんの成長過程を見ていくような撮影現場でもありました。
一瀬:もう1本とか2本とか撮ってほしかったけどな。
TVドラマ時代
加藤:その後、植岡さんは商業映画ではないんですけれど、テレビドラマをまあまあ撮っていく時期がありまして、このあとご覧いただくのはディレカン製作の関西テレビのドラマダスっていう深夜枠のテレビシリーズで、黒沢清さん、万田邦敏さんとかいろんな監督さんが撮られてますが、その中で植岡さん2本撮られてます。そのうちの1本「エロス・なす娘」という作品をご覧いただきます。それは僕、主演なんですよ。お坊さんの役で。
一瀬:僕もドラマドスで2本撮ってます。そう言えば「世にも奇妙な物語」にも植岡さんを1回誘ったな。「いかレスラー」の河崎実監督、僕と、植岡さんがそれぞれ1本撮った回があるんですよ。(注:植岡さんが撮ったのは「峠の茶屋」)
加藤:それも観たかったですね。一瀬さんが撮った回に僕が出てたんだっけ?またこういう機会があったらそのへんも掘り下げたいですね。それで、「エロス・なす娘」は深夜枠のドラマだからエッチな作品なんですけど、僕の瑞々しい裸体をご覧いただきますので、お楽しみに。一瀬さんはその後、我々のサブカルチャーな世界から離れて、メジャーな大ヒット作、メガヒットホラー映画の世界に。
一瀬:サブカルですよ。メインストリームの映画とか、あんまり興味ないんです。
加藤:一時ずっとアメリカに行かれてましたね。今は日本にいらっしゃるんですか。
一瀬:日本もやりつつアメリカとも韓国とも中国ともやってます。日本の映像業界はますます貧しいんで。
加藤:まあ、そうかもしれないですね。それは向こうで仕事ができるならね。
一瀬:ギャラの問題もあるけど、「こういう世界を作りたい」といった時に、「予算がないからこれもこれも削って」と、例えば雨のシーンでも雨降らせるのはやめましょう、夜のシーンでも照明でお金かかるから昼にしましょう、となってしまうと、「じゃあ何でもいいじゃん」て話になっちゃうんで、それは良くないなと思ってますね。
加藤:時代とともにしょうがない面もあって、この『精霊のささやき』もバブル期に撮られたちょっと贅沢な作品のように見えるんだけど、撮影中、植木さんとか谷さんは、「いや、こんな場面は昔の東宝だったら全部セット組んでやってたんだよ」って。
一瀬:言ってました言ってました。
加藤:1960年代にはさらにもっと豊かな映画の世界があったんだなと。
一瀬:でも今考えたらお金かかってますよ、この映画も。
加藤:そうですね、実は。
一瀬:当時はすごい低予算だと思ったけど。35mmで撮るお金がなかったんで16mmで撮ってますが。
加藤:今回修復されて。
一瀬:35mmのニュープリントです。
加藤:だから今回、フィルム上映で皆さんにご覧いただけたことも貴重な機会ですよね。
一瀬:そうなんですよ。撮影の長田勇市さんが、すごく細かく立ち会ってくださって。
加藤:今回の修復に関わってくださった。
一瀬:当時のフィルムの質感を、どうやったらきれいに残せるかと、けっこう苦労されて。
加藤:皆さん思い入れがあるから、携わってくださる。
一瀬:そうですね。大事な作品ですよ、ほんとに。
加藤:私もキャストの1人として本当にありがたく思っております。次、再上映の機会があったら、つみきみほちゃん、かの香織さんにもぜひ。
一瀬:来てほしいですね。
ゲスト・プロフィール
加藤賢崇
1962年、広島市生まれ。俳優として黒沢清監督『ドレミファ娘の血が騒ぐ』(1985年)でデビュー。植岡監督作品には、『精霊のささやき』のほか、「裸でご免なさい」「エロス・なす娘」『月へ行く』などに出演している。
一瀬隆重
1961年神戸市生まれ。中学時代から8mm映画製作を始め、いちせ会というグループで活動。1994年に劇場用映画のプロデューサーとなり、『帝都物語』『孔雀王』『就職戦線異状なし』『いぬのえいが』『犬神家の一族』『GOEMON』など60本以上の映画やドラマをプロデュース。『リング』『仄暗い水の底から』『呪怨』などのホラー作品は世界中でヒットし、ハリウッドでもリメイクされて大ヒットした。アメリカと合作した『ヤクザVSマフィア』、フランスと合作した『クライング・フリーマン』、香港と合作した『もういちど逢いたくて星月童話』、台湾と合作した『屍憶 SHIOKU』、中国のテレビドラマ『流星花園2018』など、海外作品も多い。最新作は、Netflixオリジナルシリーズ『呪怨:呪いの家』。植岡作品では、『夢で逢いましょう』『精霊のささやき』の2本を製作。
参考文献:「植岡喜晴のみた夢」(銀河書籍):ISBN978-4-86645-293-7 C0074


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