「家族を蔑む人々 フェミニズムの理論的批判」 ~ 老害・矛盾・疑似科学の本~
前回の感想文では、「フェミニズム」に関して辛辣な書評を書いた。じゃあ、私が、アンチフェミニズムまたは保守派なのかというと、うーん…
首肯できない。
そう思う理由になった本を紹介しよう。「家族を蔑む人々 フェミニズムの理論的批判」である。
私はこの本の著者にまっっっっっったく賛同できない。この本の著者を妄言を発し続ける老害だと思っている。前回の「アダムスミスの~」は、目的意識は理解できるが、これに関しては理解も賛同もできない。
理解できるところ(一部)
とはいえ、きちんと筋の通った論もある。
例えば、OECD諸国での女性の労働力率と出生率との関係への反論。
仕事と子育ての両立支援に関する施策を充実させることにより、女性の労働力率が高まるとともに、出生率を回復することにつながるものと期待できる。
OECDは2000年には30か国あったのだが、この表では20か国しかない。そして、そこから削除されたメキシコ、トルコを追加すると実は全く逆の結果が得られる。
そもそも相関関係は因果関係ではないので、女性の社会進出->出生率上昇はとはいえない。
これを内閣府が出すのかぁ… とは思ってしまう。
ちなみに現在はこんな感じになっている。女性の労働力率が上がると出生率が上がるとは一概には言えなさそうだ。
加えて「ブレンダと呼ばれた少年」の紹介がある。
これは、男性として生まれたが割礼手術の失敗によって陰茎を消失した人が性別変換手術によって女性として育てられた。
この例をもって、フェミニストたちは性差を後天的・社会的なものとして喧伝した。(※今ほとんどこの例は使われていない。)
しかし実際には女性として育てる試みは失敗しており、14歳で男性に戻っていた。「ブレンダと呼ばれた少年」は体と心の性の不一致の悲痛な叫びがつづられている。
他にもアンケート調査の批判(嘘をつく可能性、質問文で回答が誘導される可能性など)やジェンダーギャップ指数(当時はGEM,ジェンダーエンパワメント指数)の多用の批判など、現代でも参考になる視点はそこそこある。
穴だらけの理論を平然と使うフェミニストの方に問題があるのではないかと言われればそれはその通りなのだが。
悪いところ
タイトルに着けた通り、この本は20年以上前に出版された本だからか、あまりにも時代に沿わない。「フェミニズムを、理論的・学問的に論破する」と言っているにもかかわらず論理はめちゃくちゃだ。
あまりに単純化しすぎた性別分業
著者は「男は狩猟、女は採集であった」としている文献を引用して、「性差は生まれつきであり、変えることはできない。」といっているが、最近の研究では、男女で厳格な分業をしていたわけではなく、個々人で分業していたのではないかと言われている。
最近の若い者は~という紋切り型の老害言説
著者はジェンダーフリー教育によって、男はだらしなくなり、女は下品になったと言っている。
フェミニズムの流行とジェンダー教育がもたらしたのは、腑抜け男子とふしだら女子である。
無気力からくる引きこもりやニート(学ぶ・働く・訓練する意欲のない者)の大部分は男子である。日本の男子は「男らしさ」を否定されて骨なしの軟体動物のごとく抜けになり、シャツ出しとずり落ちズボンに象徴されるようなだらしない精神になりさがり、刹那的な享楽(ゲーム・セックス)にうつつをぬかしている。
女子はといえば「女らしさ」を否定されて、つつしみも恥じらいもかなぐり捨てて、太股を露出してタバコを吸いつつ汚らしい風体で関歩している。世界中で日本の女子高校生が最も「女らしさ」を否定しており、純潔意識も極端に低い(女子が男子より低い国は日本だけ)。
(中略)
母性の不足は子供たちの攻撃性を増大させ、父性の不足は無気力を蔓延させる。どちらも子供の人格の発達を妨げる。この重要な因果関係を経済界は(政治家たちも)よく理解してこなかった。安易に乳幼児の母親を働かせるという労働政策は、いまや重大な負の結果を突きつけられていると言うべきである。
子供の数が減ることばかり心配しているのは間違いである。むしろ生まれた子供たちを正しく育て教育することのほうが何倍も重要である。ニート五〇万人と言われる現状は、 安易にフェミニズムを利用して家庭をないがしろにする風潮を作ってきた経済界(と政治家)の責任も大きいのである。
これほどまでに「老害」を感じる文章が他にあるだろうか。額縁に入れて鑑賞に値するほどの名作である。
「シャツ出しとずり落ちズボンに象徴されるようなだらしない精神」も「つつしみも恥じらいもかなぐり捨てて、太股を露出してタバコを吸いつつ汚らしい風体」もお前の感想だろ。
フェミニズムの流行をニートに結び付けているが、世界では日本よりニート割合が少なく、ジェンダー平等が進んでいる国があれば、(ノルウェー、スウェーデン、アイスランドなど) 日本よりニート割合が多く、あまりジェンダー平等が進んでいない国(トルコなど)もあり、対応はとれていない。
また、少なくとも刹那的な享楽にセックスは入っていないことは確かである。
なお、こういった意見を想像したのだろう、著者から以下のような反論(もどき)が書かれている。
若者の風俗や言葉遣いに年寄りが文句を言うのは、いつの時代も同じだと言う者がいるだろうが、しかし若者の人格や規範意識の崩れに対して、大人が危機意識を持たないというのは、いままでに決してなかった現象である。それどころかそれを肯定し、応援する大人の数が圧倒的に多い。だからこそ、若者の崩れがこれほどひどくなっているのである。 いままでに繰り返されてきた大人の若者批判とはまったく異なる次元の間問題が出てきているのである。つまり大人が若者化し、若者に見習うという風潮である。 若者の逸脱も、大人社会がそれを批判し、抑制するから、やがて「若気の至り」も是正され、常識へと戻ることも可能となる。しかし現代日本のように、大人(親)がむしろ若者に期び、真似るようでは、若者の逸脱も無気力も人格崩壊も是正されることなく放置される。 批判のない理解は、ただ甘えを助長するばかりである。いまの日本では、人格も規範意識も音を立てて崩壊している。その根本は家庭教育(母性と父性の否定)の崩壊にあり、 それをもたらしたものは躾を不可能にした絶対平等の思想(親子絶対平等・長幼の順の否定) とジェンダーフリー (性差否定) 思想にある。
よくもまあ、恥ずかしげもなくこんな妄言を堂々とたれ流せるのか。こんな年寄り(著者は1937年生)になりたくないと切に思う。
三歳児神話
「三歳児神話」とは、「子供が小さいうちは、とくに三歳までは母親が子どものそばにいて、育児に専念するべきだ。」というイデオロギーである。
この本にはそのイデオロギーが節々に出ている。例えば、「乳幼児期の母親が家の外に働きに出ることは、子供の身体的・精神的発達にとって良い条件を保証しにくい、というより悪条件になりやすい」「家庭育児の減少のために子供が健全に育たない状況が生まれている。」などだ。
はっきりいってこの仮説は実証されていない。
https://dera.ioe.ac.uk/id/eprint/18189/2/SSU-SF-2004-01.pdf
この言説は明らかに「女性は家にいろ」を導く主張になる。それなのに「私は「女は家にいろ」なんて言っていない」は矛盾甚だしい。
悪影響の一つに少年犯罪率が上昇すると言ってるが、実際は(出版時と比較して)減少している。
「質の悪い保育園は子供に悪影響がある」という説明なら、納得できるが、そこについて語ったものはなく、ただフェミニストに対する浅い非難があるのみである。
気になるところ
悪いところというほど有害ではないけど、気になったところを紹介する。
リバタリアンの無視
ジェンダー教育に反対する保守派は「フェミニストは極左マルクス主義で、家庭を破壊しようとしている。」という陰謀論を口にする。
しかしながら、選択的夫婦別姓や同性婚の承認は別にマルクス主義でなくても主張する者がいる。これがリバタリアンである。
リバタリアンは、夫婦同姓や異性に限定した結婚制度を、「個人の契約にもかかわらず、国家が恣意的に介入している」として退け、結婚を民営化することを主張している。
リバタリアンを自認する森村進氏も「共同体の衰退は避けられない」と著書(『自由はどこまで可能か』)と言っており、保守派の言う「家族の破壊」は別に極左に限った話ではない。
男女混合名簿に親を殺されたの?
著者は、学校の男女混合名簿化を「ジェンダーフリー」を推進するものとして猛反対する。この反対があまりに非合理的すぎて、「親殺されたんか」と思ってしまう。
私事になって恐縮だが、私は小中高と12年間全て男女混合名簿で過ごしてきたが、別に男女混合名簿になったからといって、男と女が役割が雲散霧消することはない。事実、この国では87%の学校で導入が進んでいる(出典:朝日新聞)が、フェミニストたちは相も変わらずこの国のジェンダー不平等を訴え続けている。
強いていうなら、システム移行に伴う事務手続きが面倒ではある。(なので、しっかり根回しをして、関係者の同意を得る必要がある。これとか)
正直この程度の制度でジェンダー差別が解消するなど到底思えないが、実施に反対するほどでもない。
調査することが思想の押し付け?
著者は、政府の意識調査にある「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という問いを、調査の目的を「国民の意識を変える」ことから、「思想の押し付け」と暴論を放つ。
著者は「フェミ・ファシズム」と糾弾する癖に、子ども「正しく育て教育する」ことを推奨するのは矛盾の塊ではないのか。
最後に
最近のフェミニストの運動(草津町の件とか)により、私は日本のフェミニズムに対して反感を持っていたのだが、さすがにこんなのを相手にするのは彼らに対して同情を禁じ得ない。(たまに筋が通っていることがあるのが余計に面倒)
どうやら私はフェミニストらしい。
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