成瀬「心と言葉の英文法」レクチャーシリーズ 006「思考・認識・表現」(4)「人の視点、天の視点」(4) 日本語の「いく」が英語の”come”になぜ対応するのか
「英語の心の仕組み」がわかる!
成瀬がユーチューブで展開しているレクチャーシリーズ(約10分ビデオ40本)のテキストバージョンです。同シリーズでは英語の認識・思考の特性からセンテンスの構造までのすべてを解説しており、英語の心と言葉の仕組みの全容を知ることができます。ユーチューブビデオにはタイトルに提示しているURLからアクセスできます。
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006「思考・認識・表現」(4)「人の視点、天の視点」(4) 日本語の「いく」が英語の”come”になぜ対応するのか
https://www.youtube.com/watch?v=uQimmd0EdcQ&feature=youtu.be
「認識・思考・言語」の「人の視点、天の視点」の第3回レクチャーをはじめます。
誰かから来てほしいと呼ばれたとき、日本語では、「はい、いま、いきます」と、いいますね。しかし、これにあたる英語の表現は、”I’m going.”ではなく、”I’m coming.”です。この場合、日本語の「いく」に対して、英語では”go”ではなく、”come”が対応するのです。日本語の「いく」に対してなぜgoではなくcomeが対応するのでしょうか。
日本語の「いま、いきます。」をイメージ図で表すと、上の図のようになります。このイメージ図での視線の出どころは「人」つまり話し手/書き手です。話し手/書き手の目からみると、相手のいる場所は前のステージ(四角)の奥のほう(点線の四角)にあります。そして話し手/書き手の視線はそこに向かって「いく」のです。
つぎに、英語の”I’m coming.”のイメージ図をみてみましょう。上のイメージ図での視線は、「天」からのものです。話し手/書き手は、いまこの事態を天上からながめており、その目には、”I”と”the partner”という2つの実体が見えています。そして、”I”が、”the partner”のほうへと移動していこうとしているという関係性がそこに見えています。
この関係性を、もし”I”を認識の出発点として天からながめるとすれば、“I”がthe partner”に「いく」ことになります。その場合には、表現は”going”が適切です。すなわち、“I‘m going to you.”です。それに対して、“partner”のほうを認識の出発点として天からながめるとすれば、”I”が”the partner”に「やってくる」ことになります。この場合には表現は”come”が適切です。すなわち、”I’m coming.”です。さて、いま話し手/書き手の視点は天の上にあるですから、理屈から言うならば、どちらの認識でもOKのはずです。しかしながら、この場合には”I”が”the partner”から呼ばれているのですから、”the partner”を認識の出発点に置く方が、社会的な儀礼にかなっています。そこで、”go”でなく”come”のほうが選ばれるのです。
ここで注目すべきは、
「人」の視点のきわめて強い日本語の場合、こうした「天」の視点的な認識はできない
、ということです。つまり、「いま、いきます」のかわりに「いま、きます」ということはできないということです。「人」の視点においては、相手のいる場所を認識の基点、出発点とすることは、そもそもイメージできないからです。そのため「くる」といってしまえば、相手は話し手・書き手のほうに「やってくる」ことになってしまいます。これはあきらかにダメですね。
しかしながら相手から呼ばれたのですから、相手を中心にする方が社会的な儀礼にかなっているのは、日本語の世界でも同じです。そこで
日本語では、非常に丁寧に表現をしたい場合には、「いま、いきます」の代わりに「いま、うかがいます」というように、言語表現そのものを社会的な儀礼にかなうように変えてしまう
のです。
こうした敬語表現は、文法的には「対人的モダリティ」表現と呼ばれています。
日本語はこうした対人的モダリティ表現の使用が極端なまでに多い言語です。いっぽう、英語はこうした対人的モダリティ表現の使用が極端なまでに少ない言語です。
この点において日本語と英語とはまさに対極にある言語です。
日本語の視点と英語の視点の違いについて、さらに別の例を挙げてみましょう。
日本語と英語での「感情」の表し方の違いです。
英語は、「天」の視点から事態を捉える言語ですので、自分の感情であっても他者の感情であっても、基本的に区別をせずに表現ができます。
たとえば、「嬉しい」といった感情を表現する場合、英語ではI am happy.と自分のうれしさが表現できるとともに、Our teacher is happy.と他人のうれしさについても表現をすることができます。
しかし、日本語での「感情」の表し方は違います。
日本語は「人」の視点から事態を捉える言語ですから、「自分自身でわかること」と「自分自身にはわからないこと」とを、明確に区別します。
したがって「悲しい」「嬉しい」といった感情を表す表現については、自分自身の感情に対しては使えても、他人の感情に対しては直接的には使えません。つまり、自分の感情と他人に感情を区別して表現します。
たとえば、自分の感情であれば「嬉しいです」といえます。しかし他人に感情については、たとえば「先生は嬉しいです」ということはできません。なぜなら、他人の感情については自分自身の「人」の視点からの判断だけでは、わかるはずがないからです。もしも他人の感情が自分にはすべてお見通しだというのならば、その人は、超能力者か、うそつきですね。
ただ、日本語であっても他者の感情について表現したいときがあります。そのときは、「先生はうれしそうです」と、自分自身が相手の感情についてどのように判断しているのかについて述べます。これであれば、話し手/書き手の「人」としての視点からの表現としても問題がありません。
じつは、この自分の感情と他人の感情を区別して表現するという日本語での「感情」の表し方は、英語ネイティブだけではなく中国語ネイティブにとっても習得が難しい課題だと、ある日本語教師の方からうかがいました。
その日本語教師の方の話ですが、生徒である中国人女性が一生懸命に勉強してくれるので、とても嬉しく思っていました。すると、その様子を見たその中国人の生徒さんが「先生は嬉しいです!」といってくれたそうです。
でも、これは日本語としてはおかしいですね。そこで、その先生がここで説明したことをその生徒さんに話すと、その生徒さんはにっこりと笑って「先生は嬉しそうです!」といってくれたそうです。それで、その教師はさらにうれしくなってしまった、とまあ、そんなお話です。
さてこれで、「人の視点、天の視点」の第3回レクチャーは終わりです。つづいて第4回レクチャーに移ります。「人の視点、天の視点」については、この第4回レクチャーでおしまいです。
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【確認テスト】
問1
本レクチャーでは、日本語の「人」の視点と英語の「天」の視点でのコトの動きの方向性の違いについて、「いま、いきます」と”I’m coming.”を対比させて説明しました。その他の同様の例を、いくつか挙げてみてください。
問2
英語では自分の感情も他者の感情も区別せずに表現するのに対して、日本語での「感情」の表し方自分の感情と他人の感情を区別して表現することを”I am happy.” ”Our teacher is happy.”と「嬉しいです」「先生は嬉しそうです」を対比することで説明しました。その他の同様の例を、いくつか挙げてみてください。



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