成瀬「心と言葉の英文法」レクチャーシリーズ 003「認識・思考・言語」人の視点、天の視点(1)
「英語の心の仕組み」がわかる!
成瀬がユーチューブで展開しているレクチャーシリーズ(約10分ビデオ40本)のテキストバージョンです。同シリーズでは英語の認識・思考の特性からセンテンスの構造までのすべてを解説しており、英語の心と言葉の仕組みの全容を知ることができます。ユーチューブビデオにはタイトルに提示しているURLからアクセスできます。
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003「思考・認識・表現」 「人の視点、天の視点」(1)
https://www.youtube.com/watch?v=jz_-5pQkCWk&feature=youtu.be
第1回の講義では英語の世界での認識・思考と日本語の世界での認識・思考がじつは同じではないこと、それにあわせて言語としてのあり方や表現も異なっていること、その違いは一般に考えられているよりもはるかに大きいことなどを述べました。
第2回講義では、英語の世界と日本語の世界とが実際にどのように違っているのかを「品詞」という観点から、みてみました。
この第3回講義からは、日本語の世界と英語の世界との違いを「視点」という観点から、いっしょに考えていきます。
私たちの視点には大きく分けて「人」の視点と「天」の視点とがあります。「人」の視点とは、地上の一人の人間の目からまわりをみまわす視点です。「天」の視点とは、世界を上から鳥瞰的にながめる視点のことです。
なお、キリスト教やイスラム教やユダヤ教の信者であれば「天の視点」とはいわずに「神の視点」というのでしょうが、私たち日本人には「天の視点」というほうが、しっくりとくるのではないでしょうか。
この「人の視点」のことを「主観」と呼んでいる研究者が数多くいます。「主観」というのは”Subjectivity”という英語からの翻訳語です。「天の視点」は「客観」と呼んでいます。「客観」は"Objectivity"の翻訳語です。なお「客観」が優れていて「主観」が劣っているとの考え方は間違いですので、気をつけてください。
ここからは「人の視点」と「天の視点」の具体的な対比例をいくつかみていきましょう。
たとえば、皆さんがレーシングドライバーとなってレーシングカーを運転しているところを想像してみてください。あなたはいま、どのような視点からモノやコトをみているのでしょうか。
じつは、2つの視点が考えられます。ひとつは、コックピットのなかから外をみている「人」の視点です。その目にはこのような光景がみえていることでしょう。
もうひとつは上空から地上をみている「天」の視点です。その目にはこのような光景が見えているはずです。
同じことを散歩者の視点でいえば、次のようになります。
私たちは、物理的には「人」の視点で世界を見ているのですが、同時に、可能なかぎり「天」の視点での光景を頭の中で思い浮かべています。そうすることで自分の位置を主観的な認識だけではなく、客観的な認識でも捉えることができるからです。
どの言語でも「人」の視点(主観的な視点)と「天」の視点(客観的な視点)の両方を使って世界を認識しています。しかし言語によって「人」の視点(主観的視点)を強く持つ言語もあれば、「天」の視点(客観的視点)を強く持つ言語もあります。日本語は、「人」の視点から世界を捉える傾向がきわめて強い言語です。それに対して英語は「天」の視点」から世界を捉える傾向がきわめて強い言語です。
具体的な日本語と英語の認識のあり方の違いの例として、「富士山がみえる」と、「I can see Mt. Fuji.」について考えてみます。
レーシングドライバーが運転席からみている図を、もういちどみてみましょう。むこうに、富士山がみえていますね。私たちは、それを日本語で「富士山がみえる」と表現します。「私は富士山がみえる」と「私は~」をつけて表現することはまずないでしょう。日本語の特徴である「人」の視点からみている光景には、「私」自身は見えないからです。「富士山がみえる」にあたる英語は“I can see Mt. Fuji.”です。
このように、英語には日本語の原文の「富士山がみえる」にない「I」(私)が登場します。これは「天」の視点から世界を捉えているからです。
「天」の視点をもつ書き手は、I(私)とMt. Fuji(富士山)の2つの実体のあいだにひとつの「コト」(see)があるとして、そのようすを「天」の視点をもちいて表現しているのです。
上のそれぞれの捉え方をイメージ構造図であらわすとすると、次のようになります
まずは日本語です。これは「人」の視点からみた現実世界の光景です。視線の出どころは話し手の目です。発話者の目の前で何かの「コト」が起こっていいます。何かが「みえて」いるのです。その「コト」の補足情報として「富士山が」という情報が付け加えられています。
次は、英語の”I see Mt. Fuji.”のイメージ構造図です。これは、「天」の視点からみた光景です。視線の出どころは、Iという実体から離れて天にのぼり、その目には、”I“と”Mt. Fuji”という2つの実体と、seeというその実体のあいだの関係性がみえています。すなわちこのセンテンスは、IとMt. Fujiという2つの実体のあいだの関係性を表しているのです。
最後に、日本語の世界のイメージ図と英語の世界のイメージ図とを、並べてみてみましょう。いかがでしょうか。
ところで、明治維新以降の日本は近代西欧世界からに影響を非常に強く受けました。そのため、近代日本語もまた「人の視点」だけではなく「天の視点」も組み込んだ一種の「ハイブリッド」言語へと進化してきました。そしてそのおかげで、現在の私たちは近代西欧的な」世界の捉え方やものの考え方を、近代日本語を通じても、おこなうことができます。
ただ、いくら近代西欧の影響を非常に強く受けたとはいっても、日本語はやはり日本語であって「人の視点」を非常に強く持つ言語であることに変わりはありません。このことを私たち日本人はしっかりと自覚すべきであると私は考えています。
さてこれで、「人の視点、天の視点」の第1回講義を終わります。第2回講義では、日本語と英語の視点の違いについて別の観点から考えていきます。
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【確認テスト】
問1
私たちが世界を認識するときに「人の視点」(いわゆる主観)と「天の視点」(いわゆる客観)の2つの視点を通じて認識していることを、本レクチャーでは、レーシングドライバーと散歩者を例に挙げて説明しました。そのほかに、「人の視点」と「天の視点」の2つの視点を通じて認識している例を、いくつか挙げてみてください。
問2
日本語は「人」の視点から世界を捉える傾向がきわめて強い言語であり、英語は「天」の視点から世界を捉える傾向がきわめて強い言語であることを、本レクチャーでは「富士山がみえる」と”I can see Mt.Fuji.”を例として説明しました。その他の同様の例を、いくつか挙げてみてください。



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