【首相が憲法改正を提唱することの憲法的論考】
高市首相は総選挙後に憲法改正に挑戦すると述べました。
それについて賛否の意見が飛び交っていますが、X上ではきちんとした憲法論が余り見当たらないので、愚考を述べさせて頂きます。
古今東西を問わず、権力には腐敗や暴走によって国民に不利益をもたらす危険が常にあります。だからこそ権力を縛って国民の権利を守る立憲主義という知恵が編み出されたのです。
その意味で立憲主義自体が権力に対して懐疑的な立場に立つ考えと言うことができます。
立憲主義を前提にする限り、憲法による縛りを緩めるか否かは権力者を縛っている国民が決めるべきことで、縛られている権力者が主導するものではありません。
換言すると、憲法改正は憲法制定権者である国民意思の発露によりなされるべきもので、縛られている権力者がものを言うべきではないのです。
ましてや日本国憲法上、首相には憲法尊重擁護義務が課されており(99条)、首相にも内閣にも憲法改正の発議権はありません(96条)。
従って、憲法改正は、国民の側からそれを求める自発的世論が高まり、国民的議論が成熟した後に初めて進めるべきもので、首相が先導するものではありません。
政府も昭和55年11月17日政府統一見解において、「憲法の改正については、慎重のうえにも慎重な配慮を要するものであり、国民のなかから憲法を改正すべしという世論が大きく高まってきて、国民的なコンセンサスがそういう方向で形成されることが必要である。」と、同趣旨のことを述べています。
先の総選挙時の世論調査においても、政権に期待する政策として国民多数が求める政策は、物価高・経済対策・景気や社会保障政策で、憲法改正は急ぐ必要はないという世論が多数です。
このような状況下で、高市氏が多数を得たからと言って憲法改正を積極的に提唱するのは、権力者が国民に対して憲法改正を「押し付ける」ことになりかねません。
従って、今、高市首相が憲法改正を提唱するのは立憲主義の理念や憲法尊重擁護義務を定める99条、憲法改正手続きを定める96条などに反するものと言わざるを得ません。
30年の経済停滞、格差と貧困の拡大、かつてない少子化などの状況の下で、今求められているのは、憲法の改正ではなく、個人の尊厳、生存権、教育権、平等権などを定めた憲法の完全実施です。
その意味で、今、憲法尊重擁護義務を負う高市首相がなすべきことは、憲法改正の提唱ではなく、憲法の完全実施の提唱だということを強調しておきたいと思います。
以上、法律家の端くれとして愚考を述べさせて頂きました。不十分な点もあると思いますし、多くの皆様から賛否のご意見を賜って、建設的な憲法論議が交わせれば幸いです。最後まで読んで頂いてありがとうございました。
以上