僕は52歳の就職氷河期世代で、中小企業で営業部長として働き、家族は妻とサボテン、こづかいは月額19000円である。先日、衆議院選挙が終わった。ここ1年超で実施された三回の国政選挙で就職氷河期世代は完全に見捨てられたと実感する。国政選挙が始まる前は、氷河期世代は属する人数が多いからだろうけど、その救済策が話題に登るけれども、選挙がはじまるとトーンダウンし、選挙後にはほとんど触れられない。このお決まりのパターンを繰り返している。施策は行われているけれども、救済が必要な人がまだいるので十分とはいえないし、それ以前に、世代の上の方の年齢が50代半ばに達したので時間切れだ。
もちろん、氷河期世代全員が負けたわけでもない。ほとんどの人は粘り強く戦って生き抜いている。優秀な人間もたくさんいる。僕の観測範囲、僕の周辺では、なんらかの公的な保護が必要なほど困窮している人間はいない。僕も何とかここまで生き残っている。つまり氷河期世代の中でも、うまくいっているグループとそうでないグループがいるということ。どのグループにフォーカスするかによって見方や評価は変わる。たとえば、バブル世代でもバブルに乗り損ねて美味しい思いができなかったグループはある。若い世代も同じだ。ひとつの世代内にあらゆるグループがあり、年齢や通過した社会情勢といった共通項があるぶんグループ内での比較は残酷になる。
つまり、氷河期世代の最大の敵は、他の世代や社会や政治ではなく、なんとか脱落せずに他の世代と渡り合っている氷河期世代の人間になるということ(このことは前にこのブログで書いた)。僕が、氷河期世代への救済措置が不十分だったり、手遅れだったりすることについて文句を述べているのは、当時から問題になることが分かっているのに見過ごしてきた社会や政治に対する怒りが第一であって、正直いって氷河期世代への同情は第二である。
氷河期世代が氷河期といわれるのは、他の世代と比較してまともな仕事に就くチャンスやセカンドチャンスがなかったからだ。それが長い時間をかけて敗北感に変化している。しかし、己の人生の勝ち負けを決めるのは自分自身である。こういってはなんだけど、たかが就職チャンスの有無や大小や多少の違いにすぎない。氷河期世代より上の世代は日本が経済的に絶好調だったからたまたま就業チャンスに恵まれた。今は人不足のために就業チャンスに恵まれている。それだけのことであり、人間の価値には無関係だ。もしかしたら、現在初任給アゲアゲウハウハな現代の若者たちにもイバラの道が待っているかもしれない。たとえばAIに仕事を完全に奪われて、若い頃はよかったなーと嘆くようになる可能性だってゼロではない。
敗北感や終わった感は、自分で「負けた」「終わった」と結論づけたときに、「感」が取れて敗北、終了になる。周りからどう思われても、気にしなければいい。自分をジャッジできるのは自分だけなのだ。「お前は氷河期世代の中でもうまく行っているからそんなことが言えるのだ」「比較的勝ち組にいる貴様には説得力がない」と言われそうだ。都内タワマンに住むような自らは良い暮らしをしながら「平等に貧しくなろう」と発言するような某上野先生と同じレベルの説得力しかないぞ、と。いや、現実的に僕は負けているのだ。負けを認めていないだけなのだ。
最初に入った会社は一部上場の歴史ある優良企業だった。僕が30歳手前のときに直属の上司の不正に巻き込まれ、部署ごと冷や飯を食わされるような目に遭った。で、会社の一部からは共犯みたいに見られたこともあって、面白くなくなり、辞めた。2000年代に入ったばかりの頃だ。まだまだ就職氷河期は続いていた。転職先は見つからなかった。同業他社で同じ仕事を探したけれど空きはなかったし、先輩に紹介された会社は辞めた経緯を知っていたらしくあっさり落ちた。
そのとき僕が実感したのは、道から外れて転落してしまったこと、二度と一部上場企業のようなメジャーには戻れないということだ(戻る気もなかったけど)。そして、再就職したところはまったく別の業界の中小企業だった。このとき僕は負けていた。ただ、負け続けるのはイヤだったから、コツコツと小さな勝ちを積み重ねていこうと決めたのだ。会社は中小でしょぼかったし、業界は地味。でも負けは認めなかった。周りを気にせずに目の前の仕事に集中したから、転落しても、今まで生き残れたのだと思う。つまり戦略で負けていても、戦術的な勝利を重ねていけば逆転できるんじゃないかとありえない絵を自分勝手に描いたのだ。
周りからみれば氷河期世代は終わっているように、負けているように見えるだろう。気にしなければいい。繰り返すけれど、自分の人生をジャッジできるのは自分だけなのだ。負けている状態はまだ勝っていないだけ。終わっている状況はスタート前の静けさ。見方を変えればなんとかなる。極論をいってしまえば、社会から酷い目にあったと思うなら、何もせず世の中のお荷物になってしまってもいいのではいか。武器がなければ、そういう戦いもあるだろう(おすすめはしないけど)。
氷河期世代はいろいろ言われているけれども言わせておけばいい。たまたま前後の世代に比べて運がなかったというだけのことで、人間の価値には関係ない。自分の価値は自分で決めてしまえばいいのだ。はっきりいって現実は厳しいよ。救いや助けはない。祈りは届かない。でも自分の価値は自分が何者であるかは自分で決められる。そして宣言してしまえばいいのだ。氷河期世代は終わったと。(所要時間30分)エッセイ本を出しました。氷河期世代の奮闘記でもあります。→