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札幌市北区が「屯田区」だったかもしれない件

札幌市に幻の区名があったことをご存知だろうか。
昔の文献を読んでいたら「屯田区」という名称が出てきた。これについて調べてみたので纏めてみた。

札幌市の政令指定都市化

「政令指定都市」とは地方自治法で定められた都市のことである。

大都市に関する特例
第二百五十二条の十九 政令で指定する人口五十万以上の市(以下「指定都市」という。)は、次に掲げる事務のうち都道府県が法律又はこれに基づく政令の定めるところにより処理することとされているものの全部又は一部で政令で定めるものを、政令で定めるところにより、処理することができる。
(中略)

地方自治法より

ややこしく書いているが、要するに国が認めた大都市、中核都市である。
そして、政令指定都市は区を設置する必要があることが地方自治法で定められている。

第二百五十二条の二十 指定都市は、市長の権限に属する事務を分掌させるため、条例で、その区域を分けて区を設け、区の事務所又は必要があると認めるときはその出張所を置くものとする。

地方自治法より

条例で云々、というのは対象都市の条例において区分けをしろ、という意味で、札幌市の条例としては、札幌市区の設置等に関する条例(昭和46年10月9日制定)で定められた。

ということで、昭和47年(1972年)、札幌市は政令指定都市になるにあたり、区を設置しなければならなくなったのである。
なお、この年に札幌で冬季オリンピックがあったが、政令指定都市になったのはこの2ヶ月後であり、オリンピックは政令指定都市下では行われていない。

2024年現在、政令指定都市は全国で20あるが、札幌は7番目に政令指定都市になった。
1956年に大阪、名古屋、京都、横浜、神戸がまず政令指定都市になり、1963年に北九州、1972年に札幌、福岡、川崎が同時に政令指定都市になっている。

さて政令指定都市になった当初の区分けはご存知の通り、中央区、北区、西区、東区、南区、豊平区、白石区の七区で、その後三区増えて合計一〇区ある。

札幌市が発行している札幌市の区勢には区について詳しく載ってはいる。
しかしながら、この制度が最終決定されるまでに紆余曲折あったことは歴史に埋もれてしまっており、インターネットで検索したところでほぼ何も出てこないのが現状である。

当初の案は五区案

さて、前述した通り、政令指定都市になるに当たり、市内を区で分割してある程度の権限委譲をする必要がある。市内を何分割するか、分割後の区分けはどうするか、どういう名前にするか、区役所をどこに置くかなど決めなくてはならない。
制度案としては紆余曲折あり、当初の構想だと以下の五区制だった。

  • 中央区

  • 北区

  • 西区

  • 東区

  • 南区

しばらくの間はこの案で進もうとしていたようだ。

以下は新琴似で発行されていた「新琴似区」という広報誌に掲載されていた記事である。
※なおこの「新琴似区」の「区」は区制の区ではなく、「新琴似地域」という意味合いだと思う。政令指定都市になる以前は新聞等でこのような表現が散見されるが、区制の導入以降は紛らわしい表現なので徐々に減っていったようだ。「新琴似区」自体もやがて「新琴似」というタイトルの広報誌に変更される。

微妙な区域の問題 市案は一応西区だが

札幌市の指定都市昇格問題は、昨年末市議会に調査特別委員会が設置されたことによって本格的に動き出しました。昇格の時期は冬季オリンピックを終えた昭和四十七年を一応の目途としており、調査特別委員会の動きと平行して事務当局も区制実施の場合の移管事務、区役所建物と特別に必要な出所の設置場所、区役所を中心とする交通路線の再編成や区域の広波の調整などについて検討を進め今年の五月中には移管事務についての結論を出すことになっています。新琴似地域は市の原案では一応琴似、手稲などと共に西区に含まれる事になっていますが、実際問題として琴似との経済的なつながりが薄いこと、交通体系なども再編成しなければならぬこと、また北区との密着を希望する市民が多いことなどの諸点から同じような条件にある真駒内(原案は南区)の所属とともに結論は今後に残されているといえるでしょう。

一区の標準は大体二十万人

市としても将来石狩新港が実現した場合を考え、新琴似、麻生、屯田、篠路などの諸地区については別途に検討する必要を感じてるようです。
区制が布かれた場合の区画割りは中央、東、西、南、北の五つとなっており、これについては市議会も現在としては異論もないようです。地域別に見ますと
【中央区】東北区、東区、中央区、桑園区(南)、大通区、豊水区、西創成区、西区、北円山区、南円山区、曙区、幌西区、山鼻区、藻岩区、苗穂区(南)
【東区】菊水区、東札幌区、白石区、東白石区、厚別区
【南区】豊平区、月寒区、美園区、平岸区、真駒内区、石山区、定山溪区
【西区】新琴以区、琴以区、琴以中央区、手稲区、東手稲区
【北区】北区、北栄区、北光区、幌北区、鉄東区、鉄西区、苗穂区(北)、桑園区(北)、元町区、篠路区
となっています。
人口は一区大体二十万人を基準として立案されていますが、四十四年十月現在調査によると、中央214,469、東147,428、西163,394、南195,333、北228,305で、四十七年には全市で108万人をこえる予想で、その時点では名区とも大体20万人をこえる見込みです。

広報誌「新琴似区」1970.5.1

当初は新琴似は琴似と同じ西区扱いだったが、これは陳情の上、撤回される。
もともと琴似と新琴似が物理的に遠すぎることもあるし、感情的な因縁も多少は影響していたのではないだろうか。大正時代には琴似と新琴似の分村問題も勃発している。

分村問題

158 ~ 159 / 915ページ

琴似村では明治四十五(大正元)年に分村問題が発生している。これは大字新琴似村篠路兵村琴似村から分離・独立させて江南村をつくる運動であった。その理由は以下のとおりであった(北タイ 大1・8・23)。

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琴似、発寒の両部落は明治九年頃岩城、岩手、青森等の移民を以て兵村を組織し今日に至るが、篠路、新琴似の部落は明治二五、六年頃より九州、関西の移住民を以て今日に至り、其間人情・風俗等の相違より兎角円満を欠き、一村の発展に障害を及ぼすこと少なからず……
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 ここには同じ屯田兵村であっても、入植時期と出身地による「人情・風俗の相違」が非和解的なものであり、「一村の発展に障害を及ぼす」とされている。この問題の背景には村役場の位置をめぐる問題もあった。すなわち当時の所在地は現在の琴似二条七丁目(現西区役所所在地)にあり、村の南端に偏した位置となっており、新琴似篠路兵村からはあまりにも遠距離となっていたのである。三十九年の二級町村制の施行の際に、役場位置については将来協議することとされ、四十五年四月にいたり、札幌支庁から八軒の位置指定がなされた。ところが新琴似篠路兵村側ではこれを不満とし、分村運動が開始されたのである。この運動と問題は後年まで尾を引くことになった。
 大正五年に村役場の位置を移転することにより解決がはかられたが決裂し、再び分村問題へと発展していった。そして村議会でも五月十五日に全会一致で分村──新琴似村の設置を議決し、札幌支庁でも「其必要を認め意見開申する処あり」とされていたが(北タイ 大6・7・12)、大正八年頃の民力涵養運動などを通して村内の融和がはかられるようになり、九年に八軒に移転・新築することで解決をみた。新役場は工費約一万五〇〇〇円をかけ、九月二十五日に移庁式が挙行された。場所は現在の八軒一条西一丁目(現西区八軒会館所在地)である

新札幌市史 第3巻 通史3

琴似村の出身者は東北が多く、新琴似は九州と関西が多かった。二世三世以降にもなると出身地の意識は希薄だし、アイデンティティはすでに札幌市にあるのでこのようなことにはならないが、一世としては分村問題に発展するほど重要な問題だったのだ。同じ日本人だとしてもこういう問題が発生するのである。

ということで、北区にしてくれと市に陳情を行う。以下がその内容である。

北区(※仮称)編入を要望 指定都市で地区から陳情

指定都市移行に伴う区制の実施によって、新琴似地区を琴似、手稲などの西区に包括させるか、あるいは北区に編入するかについては、地域の大勢は北区説が大半をしめているので、新琴似地区社協は地域民の総意として市に北区に統轄されるよう陳情を、さきの役員会で決議、地域民の署名簿をつけてつぎの陳情届を原田市長に提出しました。市役所としても大局的に新琴似地区が北区と密着していることを理解しており、指定の際は北区に入ることはほとんど確実されています。なお市議会筋の中には市案である五区制に対し、七、八区制を主張する動きも若干ありますが、市財政上当分五区制がとられるようです。

陳情書
▶要旨
指定都市移行による区制について市の素案によれば当新琴似区出張所管内全域が西区(琴似方面)に編入予定のように聞いておりますが、次の理由により是非共北区(仮称)に編入されるよう要望いたします。なお北区役所の位置は北二十四条東一丁目を予定されていると聞いておりますが、異存はありません。

▶理由
当地域は合併まで琴似町でありましたが、当時の人ロ2,000人に対し現在は38,000余、人口比率から言ってもつながりは非常に薄くなっております。交通機関も市中心部と直接しており、西区編入の場合は凡て編成替しなければなりません。市の出先機関をはじめ名官公庁の出先は大部分が北区域に設置されております。

▶結論
区割りに当り当地区が元琴似町地域であったため若しくは各区毎の戸数、人口を平均化するために交通事情や住民感情を無視されることは無いと思いますが、現実を十分御理解の上本陳情要旨の実現を期するため地区住民総意の署名を添えて陳情いたします。

広報誌「新琴似区」1970.8.1

陳情というから低姿勢かと思ったら「交通事情や住民感情を無視されることは無いと思いますが」など、なかなか圧が強めの文章である。

五区案から一転、七区案へ

五区案でしばらく進んでいたが、人口増を加味すると各区が大きすぎるため、制度施行後にすぐ分区を余儀なくされるだろうということで、七区案が提案された。これが1970年の夏で政令指定都市化まで1年半前である。結構ギリギリで驚く。

市も同調の構え 七区制案 早急に肉付け作業

市の指定都市移行について、昨年暮れから作業を進めてきた市議会指定都市調査特別委が十八日の理事会で「区割りは七区編成が望ましい」などの基本的条件をまとめるまでにこぎつけ、意見書案として九月定例市議会に提出されるが、市議会筋の考え方を見守っていた理事者側も、意見書案の文案をみて、「これならやれる」とほっとした表情。区制をめぐる市側の作業は急速に進むものとみられる。
注目の区割りについて、市は四十二年十月に中央、東、西、南、北の五区編成を素案として発表しているが、同辺部の将来の人口増などから、いずれは分区が必要となる、として手直しを迫られていた。
意見書案は、一区当たりの人口を十〜十五万として七区分割を打ち出しているが、これは市にとってもほぼ妥当な線。中央、東、西各区はそのままにして、北区は西にはいる予定だった新琴似を加えて縦割りに二分割、南区も月寒・美園と定山渓沿線・真駒内に割り、計七区とする案などが検討されているようだ。
区役所の位置も、当初の案をほぼ生かし”真駒内区”は団地内の南保健所付近に置く考えも出てきそう。あとは北東方面に予想される区役所をどうするかが、区割りとからんで最大の焦点。定山渓、手稲など遠隔地の出張所は当初案どおり残し、そのほかに将来、区役所に昇格させる含みで厚別出張所が下野幌第二団地に位置を変えて残される可能性もある。
七区案に伴う財政も「区役所建設は用地買収もいれると、一ヵ所約五億円だが、特にこうした臨時的経費が財政を圧迫することはない。ただ、保健所は現在の位置が区制とは関係なく決められたので、スタートから二カ所ふやすのはむずかしそうだ」(河崎財務部長)とほば問題ない受け取り方。
「区役所と、それに付属する保健所などが緊備されるのは三年後。通学区も区割りと合致するのは十年後の五十五年度を考えている」(神保企国部長)と、市側はいずれも意見の七区編成を前提とした作業の見通しをたてている。
今後の作業の進め方としては、具体的な区割りの線引き、区役所の位置などに関しては、明春の統一地方選者含みという配慮や、予算編成作業の日程のつごうもあって、明年度以降に持ち越し。市議会の特別委も九月定例会に意見書案を出して一応解散ということになる見通して、基本線が決まった以上、あとはこれに沿った市の肉付け作業が急ビッチで進められるものとみられる。

北海道新聞 1970.8.20

なお、実際に当時の札幌市の人口増加ペースはかなりのもので、1965年の人口が約80万人だったが、そこから5年で20万増え、1970年には100万人に達した。2024年現在、市というカテゴリだと日本で4位の人口数となっている(横浜、大阪、名古屋、札幌の順)。東京を入れても5番目である。

最初の七区案で「屯田区」が登場

七区の具体案が出てくるのが1970年末、政令指定都市化まで1年3ヶ月前のことである。ここで初めて「屯田区」という区名が登場する。

”素案”より二区増 都心囲んで放射線状に設定
『指定都市移行については、市内を七区に分ける方向で作業を進めている』

三日開かれた市議会指定都市調査特別委で、市が初めて”市内七区”の考え方を問らかにした。
(中略)
区割りの考え方について、市では四十二年十月、市内を五区に割る素案を発表しているが、同特別委では将来の人口の伸びを見込んで、もっと数をふやすべきだなどの意見も出て、こうした考え方を盛り込んだ参考資料を付した意見書を九月の市議会で可決している。
七区案は、これらの意見を参考に市が踏み切ったもの。細かい線引きは今後のこととして一応、将来人口の伸びを予想しながら、中央の区を放射状に囲む区を設定した。名称はこれまで東西南北だったが、それぞれ歴史的に因縁の深い地名にちなんで中、屯田、元町、白石、豊平、真駒内、琴似の各区とした。
(中略)
これに対して委員から「真駒内区の名称は、定山渓を含む広い地区に適当ではない」などの意見もあり、また区役所位置、線引きは本来は条例案で提出すべきだとの疑問もだされた。
(中略)

北海道新聞 1970.12.4
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北海道新聞 1970.12.4
  • 中区(その後の中央区)

  • 屯田区(その後の北区)

  • 元町区(その後の東区)

  • 琴似区(その後の西区)

  • 真駒内区(その後の南区)

  • 豊平区

  • 白石区

増えたのは豊平と白石であるが、七区だと東西南北中では足りなくなる。北東区とか南東区、だとわけが分からないから、白石村(白石村は1950年に編入)だった場所を白石区、豊平町だった場所を豊平区(豊平町は1961年に編入)というように歴史のある名前を転用した。
しかし、それなら既存の東西南北も、ということで、それぞれを独自の名前に置き換えたのだと思う。

指定都市・まず七区制で
三合同庁舎も明年着工

市は、指定都市移行のさいの区割りについて議会内に設けられた調査特別委員会の意向を汲む一方、地域に直接、間接に利害を及ぼす問題だけに慎重に各方面の動向を見ていましたが、さる十二月三日開かれた市議会指定都市調査特別委員会の席上”七区”とする案を表明、九日から二十一日まで招集審議される第四回定例議会にこの案を説明すると同時に、将来区役所に転用するための合同庁舎三カ所分の調査設計費を今議会に補正予算として提案します。区数ならびに区名は当初東、西、南、北、中央の五区制が有力視されましたが、市の将来の発展動向をにらんで七ツに改め、名称も市民に馴染み深く由緒のあるものに改めたわけです。しかし屯田区、真駒内区などの名称には調査委内部にも問題視する向きがありますが、差し当り問題とせず、最終的な親引きと区役所庁舎位置などを決定する四月選挙後の議会で一括審議する姿勢でいます。

広報誌「新琴似区」1971.1.1

新琴似は屯田区に

七区制の内訳は屯田、琴似、豊平、白石、真駒内、元町、中の七つで、屯田区は主として鉄西地帯と創成川以西、つまり幌北、北、新琴似、篠路、札沼線以北、琴似中央の中から新川をもって構成されます。
関係の深い”琴似区"は手稲、東手稲、琴似、琴似中央、新川南(八軒)で構成します。新らしく建設される三合同庁舎は北二十四条西六丁目の市電幌北車庫隣接地に屯田区関係を、南郷通り北海鋼機跡に白石区関係を、琴似小学校前に琴似区関係をそれぞれ建設し残りもできるだけ早く着工したい意向です。補正予算が十二月の定例議会で通れば直ちに作業に入り明春早々には工事に着手する予定ですが、議会内部にも特別大きな異論もないので、格別問題なく通過する見通しです。

広報誌「新琴似区」1971.1.1

これを読むと、すでに現在の北区の構成と同じである。
鉄西と幌北は今でもあるが、正直なところ北区民でもあまり馴染みのない名前だ。
「鉄西」は要するに札幌駅の北側周辺。普通は北大周辺と読んでいるだろう。
「幌北」は北大から北24条周辺である。「幌北」は地区名では「ほろきた」だが、ここにある幌北小学校は「こうほく」であり、わけが分からない(麻生の名前に拘る人はこれをどう捉えているのだろうか)。普通はニーヨン(北24条)とか北18条と呼んでいると思う。
「北」は更に馴染みがないが、北24条から北34条あたりまでらしい。それより北は麻生だが、ここには書いていない。普通は北34条周辺と呼んでいる。
地下鉄が出来て以降は駅名で呼んでいる人が殆どだろうと思う。

おそらく「新琴似」は麻生と屯田も含んでいる。
「篠路」と書いているが、この頃、太平は篠路町太平、拓北も篠路町拓北だった。百合が原は太平の一部、あいの里は地名が存在しない。茨戸は篠路村だったので省略されているのだと思う。
なお、新琴似は前述した通り、陳情の上、西区から屯田区(北区)所属となる。

しかし、この後、屯田区という区名は否決されてしまうのである。結果、元の北区となった。なお、この会議に篠路がいないのが謎である。1971年4月のことである。

屯田区には反対
区名は”北"を連合五町内会

明年四月(予定)の指定都市昇格を控えて市の準備と併行し、民間側も各種の準備を進めていますが去る二月二十七日、七区制となった場合の仮称屯田区に含まれる鉄西(有田連合会長)北(畑同)新川(前合同)幌北(池田同)新琴似(益村同)五氏宅で会合、区の名称について話し合いました。
その結果”屯田"という名称には反対だが適当な名称がないので、これに代る名称を各連合会で検討し、三月十四日更めて会合の上、地区案の実施を市に要望する - ことで別れましたが、十四日の会合では全員”北区”案を支持、三月二十五日ころ市に要望書を提出、実現に進むことになりました。

広報誌「新琴似区」1971.4.1

「屯田区」から「幌北区」に名称変更

しかし決まったはずの「北区」はその後、「幌北区」となってしまったようだ。今や漢字だけなので、これが「こうほく」なのか「ほろきた」なのか分からない。どっちなのだろう?
※麻生のあさぶ読み原理主義者なら「ぽろきた」と呼ばなきゃならないだろう。

その他の区名も変わった。中区は中央区、元町区は北栄区、真駒内区は藻南区となる。琴似と豊平と白石はそのまま。1971年8月。政令指定都市移行の半年前である。そろそろ決めないとマズい時期。

七区の名称、線引き決まる 「名称」はなお流動的

札幌市は三日、来年四月の区制施行に伴う区の名称、位置、所管区域を決定した。区は中央、幌北、北栄、白石、豊平、藻南、琴似の七区、(後略)。

中央区:東北、東、中央、桑園、大通、豊水、西創成、西、北円山、西円山、幌西、曙、山鼻、苗穂(函館本線以南)
幌北区:北、幌北、鉄西、新琴似、琴似中央(新川以北)、篠路
北栄区:北光、鉄東、北栄、元町、苗穂(函館本線以北)
白石区:菊水、東札幌、白石、東白石、厚別
豊平区:豊平、美園、平岸(字澄川を覗く)、月寒
藻南区:真駒内、藻岩、石山、平岸(字澄川のみ)、定山渓
琴似区:琴似、琴似中央(新川以南)、東手稲、手稲

北海道新聞 1971.8.3
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北海道新聞 1971.8.3
  • 中央区

  • 幌北区(その後の北区)

  • 北栄区(その後の東区)

  • 琴似区(その後の西区)

  • 藻南区(その後の南区)

  • 豊平区

  • 白石区

なお、この界隈では有名な名著「札幌の地名がわかる本」には「幌北区」案については掲載されているが「屯田区」案はオミットされている。

最終案でようやく「北区」で決着

1971年10月。政令指定都市まで4ヶ月ということでここでタイムリミットとなり、ようやく条例が制定された。条例には正式な区名を書かなければならない。

結局、当初の五区案の時点での名前に戻ってしまう。
まあ、名前でごちゃごちゃして揉めたのだろう。結局、札幌市に吸収された町、村としてはアイデンティティとして自分がかつていた町の名前を残したかったのだと思う。そういう思いを持つ世代がまだ元気だったのだろう。今の世代は既に札幌市にアイデンティティがあるからこういう声は起こらない。ごちゃごちゃ揉めるくらいならということで、歴史も何もない無機質な名前に決定された。

区名、二転して、”北”
鉄北地区 中福移など東へ

札幌市の指定都市移行のさいの区の名称、区境界、区役所の位置などを決める札幌市区の設置等に関する条例案は、十月四日の定例市議会本会議に提案され、原案通り可決、決定しました。
この条例案は九月の臨時市議会に提案され、総務委員会に付審議の結果、名称、区域、区役所位置につき若干変更の意見が出て原案が市に戻され、この意見にそって理事者が修正し再提出されたものです。決まった区の名称は中央、東、西、南、北、豊平、白石で、当初北区に含まれていた篠路町の中沼、中福移地区、は一部を残して東区に、また大平地区の一部も東区に秒されました。当地区の名称も最初の屯田区から幌北、北と二転して本決りとなったわけです。北区役所の位置は従来と変りません。

広報誌「新琴似区」1971.11.1


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広報さっぽろ 1971.11

上記は広報さっぽろに載った最終案である。面白いのは出張所になった5つのうち、3つが後年になり区として発足しているところだろう(手稲、厚別、清田)。篠路と定山渓はそのままではあるが。

区制をめぐる議論

29 ~ 30 / 1053ページ

 札幌市は昭和四十六年九月六日の市議会第四回臨時会に「札幌市区の設置に関する条例案」を提出した。その主な内容は、①一区あたりの人口を八万から二〇万程度とし、七区に分ける、②区の名称を中央区、幌北区、北栄区、白石区、豊平区、藻南区、琴似区とする、③豊平区役所は当面現在の月寒庁舎を使用し、将来平岸に新築する、④篠路、厚別、清田、定山渓、手稲の五カ所の出張所を設ける、といったものであった。
 議案は市民から二三件の請願・陳情とともに総務委員会に付託され、同委員会は、区の名称変更(幌北区を北区に、北栄区を東区に、藻南区を南区に、琴似区を西区に)、豊平区役所の位置の再検討、出張所の増設などを市長に要請した。市長はこれを受けて原案を撤回し、十月四日市議会第三回定例会に条例案を再提出した。これは全会一致で可決された。
豊平区役所の位置は、四十二年十一月の市の「区制施行及び庁舎新築に関する基本構想」では月寒運動広場(旧月寒競輪場跡)とされていたが、市は四十五年十二月の「指定都市に関する調査特別委員会」への説明で、五区制案を七区制案に変更し、その中で豊平区役所の位置を「検討事項」とした。これをきっかけに区役所誘致合戦が始まり、月寒運動広場の他に、豊平六条八丁目、豊平五条一三丁目、美園五条一丁目などの設置要望が住民から市に提出された。四十六年九月の前記条例案は豊平区役所の位置を平岸四七七番地の一としていた。市は四十七年三月市議会第一回定例会に平岸での豊平区役所庁舎設計料を含む予算案を提出、十五日可決され、豊平区役所の位置問題は決着を見た(以上、十三期小史)。

政令指定都市への移行

30 ~ 31 / 1053ページ

 昭和四十七年四月一日、札幌市は指定都市に移行した。新しく生まれた区は、中央区、北区、東区、白石区、豊平区、南区、西区の七区であった。

新札幌市史 第5巻 通史5(下)

政令指定都市「札幌」発足

ということで二転三転しながら、1972年4月にオリメン七区が誕生した。

  • 中央区

  • 北区

  • 東区

  • 西区

  • 南区

  • 豊平区

  • 白石区

その後はご存知の通り、1989年に西区から手稲区が分区、白石区から厚別区が分区し九区となる。

  • 中央区

  • 北区

  • 東区

  • 西区

  • 南区

  • 豊平区

  • 白石区

  • 手稲区

  • 厚別区

さらに1997年には豊平区から清田区が分区され十区体制となり現在に至るわけである。清田区が出来たのって最近だよな、と思っていたが、もう27年も前のことになる。

  • 中央区(1972-)

  • 北区(1972-)

  • 東区(1972-)

  • 西区(1972-)

  • 南区(1972-)

  • 豊平区(1972-)

  • 白石区(1972-)

  • 手稲区(1989-)

  • 厚別区(1989-)

  • 清田区(1997-)

現在の区分けは以下である。

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札幌市の区勢 令和5年より


おまけ:屯田区という名前への反論

ここから先はおまけ。

屯田区で北海道新聞を検索していたら面白い投書が出てきた。
屯田区案に猛反対する投書だが、あまりにも論旨が適当過ぎるので53年も前の投書を晒してみることにした。

承服できぬ札幌の区制名称

札幌は明年、政令指定都市になるため、種々出備中だという。その一つに区制の施行があり、すでに区の境界線、名称などは市の原家が決まり、あとは市議会の議決を受けるだけだという。それによると、私の住む北大病院前付近は屯田区になるとのことだ。屯田区という名称を、私は絶対に承服することはできない。知人の説明では、最初は北区とするはずだったが、それではあまりにそっけないので、地元の歴史にちなんで屯田区に変更したのだという。
私は生まれながらの札幌っ子だが、屯田ということばを聞いてまず思い出すのは西本願寺わきから山鼻を通っている東屯田通りだ。
今日、市の北部に屯田団地があるが、あれは元、新琴似兵村と呼ばれていたところで、不動産屋が宅地造成をした際、かってに屯田団地と名付けたものである。
私の住所は戦時中の連合公区時代から幌北といわれ、現代ではこの名称が定着している。市のいう屯田には、鉄北、幌北、北光、北区などが含まれるというから、これらに共通の北という文字をとって、新しい区の名称にすべきである。
(札幌市・■■■■■=40歳・会社役員)

北海道新聞 1971.6.29 投書欄より

個人的には、北にあるから北区で良いのでは?という結論はこの人と同じだが、その結論に至るまでの論旨がめちゃくちゃ過ぎる。「生まれながらの札幌っ子」の割には地理と歴史の知識もない。その割に随分と居丈高な書き方だと思う。

地理的には、当時すでに存在していた屯田という地名をこの人が知らないだけであり、「山鼻辺りのことを屯田というのである」はかなり適当。昭和46年(1971年)より15年も前の昭和30年(1955年)に、琴似町と札幌市が合併するが、この前からすでに琴似町大字屯田という地名があり、札幌市との合併後に札幌市屯田なので地名は存在している。

屯田地区の存在を知っている/知らないという問題はあるにせよ、もう少し調べてから書いたほうが良いだろうし、歴史的にも屯田兵が開墾した札幌の土地は、琴似、山鼻、新琴似、篠路兵村(屯田)の4カ所である。琴似が最初で山鼻は二番目であり、最初の開墾地である琴似を無視している。山鼻だけが屯田ではない。

極めつけは「屯田団地があるが、あれば元、新琴似兵村と呼ばれていたところで、不動産屋が宅地造成をした際、かってに屯田団地と名付けた」である。これは2つ嘘が書かれている。そもそも新琴似兵村ではなく篠路兵村であり、屯田団地造成(1966年頃)の前からとっくに屯田という地名になっているし、屯田団地は篠路兵村の屯田兵2世3世の持っていた土地を売って出来た宅地である。

わが屯田部落は北海道の首都札幌市の西北部にあり、札幌市に合併された旧琴似町の北部を占め、北及び西は発寒川によって石狩町に隣接し、東は創成川を以って札幌市内篠路町に界し、創成川に沿つて石狩街道が南北に通じている。
南はわが屯田部落と最もゆかりも深い新琴似部落と接続、新琴似と屯田とを一丸として札幌市役所新琴似出張所がこれを所轄しているのである。
屯田部落は南から北にはほぼ東西に一番通り・二番通り・三番通り・四番通り・五番通りと区画し、屯田部落の中心部に屯田小学校・江南神社があり、部落の興隆を担う土地改良区事務所もここにある。
屯田部落は今二百五世帯(実際百六十三戸)、人口千三百十三人(昭和三四年七月現在)であり、内農家は百九十九世帯(実際百五十五戸)、商家一戸学校職員その他五世帯であつて、純農村部落である。

屯田部落70年史(1959年刊行)より

新琴似兵村と篠路兵村の境が防風林である。防風林の北側に屯田団地があるので、あの場所は篠路兵村である。

そして屯田という地名が正式なものとなったのは1943年である。

こうして篠路兵村は琴似村に移管され、以後は琴似村字篠路兵村、その後、わずか半年の間だったが、琴似町江南と呼稱されたこともあったが、その歴史の大部分は琴似村大字屯田と呼ばれた。
こうして屯田は琴似村の一集落として成長してきたが、太平洋戦争の最中、昭和十七年二月、琴似村に町政が施行されて琴似町が誕生。以後は琴似町大字屯田となった。

屯田九十年史(1978年刊行)より


もともと今の屯田は、篠路兵村という名前で篠路村に属していたが、農民が開拓した篠路と、士族だった篠路兵村のソリが合わず、士族が多く同じ屯田兵が開墾した琴似村に編入したのが明治39年で、西暦1906年のことである。やがて篠路兵村だとややこしいので琴似村大字屯田となった。ただ、実際はこの頃も篠路兵村と呼ばれていたようだ。その後、琴似村が琴似町になり、その翌年(昭和18年、1943年)に正式に屯田という地名となった。
1955年に札幌市に編入する際には、小学校も江南小学校から屯田小学校に変更された。
つまり1955年に札幌と合併する前から屯田だし、札幌に入った時点でも屯田なのである。決して不動産屋が名付けた訳では無いのに思い込みが激しすぎる。

今と違ってすぐに調べられない時代ではあるが、恥ずかしげもなく嘘を新聞に投書してしまっていたり、新聞側もノーチェックで載せてしまっていたりと、改めてすごい時代だなと思う。
今は今なりにインターネットには問題があるのですべて良いとは言わないが、今ならこんな嘘丸出しの投書は載せられないだろう。

仮に自分なら、屯田区の語源である屯田兵が開墾した土地は区内の新琴似と屯田だけであり、その他の大部分の篠路や幌北地区は屯田とは関係ないので網羅性が低く適当ではない。さらに屯田兵が開墾した土地は琴似と山鼻もあるので、屯田という名前をこの地域で独占するのは違うのではないか、と書くだろうと思う。

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札幌市北区が「屯田区」だったかもしれない件|wolfgangness
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