女性だけに伝わる悲しみの文字 最後の「伝承者」死去 中国湖南省
中国湖南省江永県の女性だけに伝わる文字がある。世界でも珍しい、その女文字の最後の自然伝承者だった何艶新(ホーイエンシン)さんが2025年10月23日に亡くなった。86歳だった。一人暮らしを続けていた自宅で、倒れているところを近くに住む家族が見つけたという。
何さんは、日本には2度来たことがある。
「女文字は苦しいこと、悲しいことを書いて、少しでも慰めにするためのもの」。2011年の来日時に、はにかみながら、そう説明してくれた。
家父長制に生きる女性が慰め合う手段に
女文字の起源はよくわかっていない。研究者らによると、漢字の楷書の変形と見られる表音文字で、約450字ある。教育を受けられず、漢字の読み書きができない女性たちが、厳格な家父長制度のもと、親の決めた結婚をし、男子を産むことを求められ、しゅうと・夫・息子に従う三従を強いられる中、つらい思いを詩文に託して慰め合う手段として使ってきた。
何さんは、その文字を祖母に習った。幼いころ、歌いながら手のひらに書いてもらった字を木の枝で地面になぞって覚えた。だが、中華人民共和国の成立後は学校に通い、使わなくなった。
伝承者として見いだされたのは1994年だ。きっかけは、女文字の使い手を探していた元文教大学教授の遠藤織枝さん(87)の現地訪問だった。
当初は「書けない」と言い張ったが、「祖母はどんな人だったの?」と水を向けられると、紙とペンを奪うようにして書き始めた。
それまでも台湾や中国の研究者が訪ねてきていたが、「書けない」と答えていた。「昼は野良仕事で、夜は洗濯したり洋服を作ったりして忙しかったから」
だが、生活を心配しながら話を聞いた遠藤さんへの対応は違った。その後も、毎年訪ねてくる遠藤さんの求めに応じ、祖母から習った長い物語や故事を思い出して書いた。
苦労の連続 守り続けた祖母の文字
苦しい心情を吐露したいという思いも募り、自伝もつづった。「漢字では書けないが、女文字だと自然に手が動いた」というその人生は、苦労の連続だった。
1歳のとき、父が地主に殺された。わずかな土地を耕す母に育てられた。祖父と母の必死の訴えで犯人が捕らえられたが、日本軍の侵略があり犯人たちは牢から逃げた。
母が再婚し、ひとりで暮らしたこともある。中学を終えて町で働き、その後、母の恩に報いるために意に沿わない結婚をした。結婚式のときに夫の家に行くと夫は町に出かけていた。夫のいない結婚式だった。
夫に殴られながら、極貧の中で、農業をして4男2女を育てた。子どもの学費に困り、病気になった夫には、看病が足りないからよくならないと怒られた。
女文字を必要とした昔の女性たちの世界を生きてきた人だった。
あとから文字を習得した、現代の学習伝承者が観光資源として見栄えのする大きな文字を書くなどして地元政府に重用される一方、「私は祖母の文字を書く。祖母は泣きながら小さな字を書いていた」と最後まで「伝統」にこだわった。
何さんが、2019年に遠藤さんに贈った歌がある。全21句からなるが、最後の5句を紹介する。女文字の表音から漢字にすると以下のようになる。
対我農村不公平
当時利用認不破
后背殺人穿心肝
穿我心肝猶小可
血汗落在女文章
農村に住んでいるから不公平な目に遭う/そのころ利用されているとはわからなかった/振り返ればその時私を陰で殺すと同じこと/私を傷つけることは大したことではないが/女書(女文字)が犠牲になるとなら血の汗が流れる
遠藤さんによると、本物の女文字が地元政府に捨てられるのがつらく、「血の汗が流れる」と身にしみる思いをつづっているという。
昨夏も現地を訪ね、何さんと会っている遠藤さんはこう語る。「文字そのものは伝承されても、何さんの死は女文字の終焉(しゅうえん)を意味する。悲しい境遇を慰め合った女文字の歴史的使命は終わった」
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- 【視点】
もしかすると、他の家父長制の時代・地域(特にイスラム教国で女性教育を制限する国などが思い浮かびました)でも同じような女文字というものが存在するのかもしれないと、この記事を読んでハッとしました。日本語のひらがなとは少し毛色が違うのかもしれませんが、似た構造を感じます。文字を持ち使うことは、エンパワメントの一つであり、だからこそ識字率向上が重要で、かつ記録をとること、というのがパワーにつながるのだな、と感じました。家庭内暴力や職場でのハラスメントを「記録」でき、それを「伝達」できるということが、虐げられた立場の人たちが求め利用する手段なのだなと改めて実感します。
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