佐藤淳子という女性がテニスコートの近くで脳挫傷で亡くなっていた。誰かと争い、ベンチに頭部をぶつけたのが死因のようだった。佐藤は街中でゴミをひろっては自宅にためこみ、ゴミ屋敷にして、近隣住民から嫌悪されていた。テニスコートにたびたび近づいては、気持ち悪がられて排除されていた。
そのような佐藤だが、一ヶ月前までは市役所の職員に支援されて、ゴミを少しずつ整理していたという。また、佐藤のゴミ屋敷に花束をもってきていた女性から、特命係は佐藤が人々から距離をとるようになった原因を知ることになる。佐藤は社会の被害者でもあったようだ……
これまでも奇妙な女性の事件をあつかうことが多かった瀧本智行脚本で、事件の謎を解くことで壊れていった女性の半生を知るストーリーが展開される。
構造としては社会派の傑作エピソード「ボーダーライン」に近いが、情報不足で謎解きの納得感がないし、社会問題として視聴者に考えさせるよりも偏見をあおりかねない問題も感じた。
まず、被害者がゴミ屋敷の住人という時点で、まずケアや医療につなぐことができなかったのかと首をかしげた。市役所の職員が親身に支援して寛解していったことは中盤で描かれるものの、どちらかといえば一個人の善意であって、ささいなきっかけから状態が悪化させて受けとめられなくなってしまった。ゴミ屋敷になんらかのミステリらしい合理的な動機が隠されているのかと思いきや、むしろドラマとしてすら必要性がなかった。社会から孤立した女性がテニスに執着するという要素だけで充分に成立する。
佐藤が壊れた原因として若いころの結婚詐欺があったのはいいとして、現在に支援してくれた職員が詐欺師に容貌や趣味が似ていることは偶然でしかない。決定的に壊れる原因となる、詐欺師と職員が似たお守りを贈ってきたことは、不幸な偶然として逆に許せるが、そこまではミステリならば偶然なりに確率を高める工夫をしてほしい。たとえば、多くの職員が佐藤を支援しようとしたが拒否され、たまたま容貌と趣味が似ていた職員にだけ心をひらいた、といった順番にするだけでもいい。
また途中で犯人として通報された男が結果的に麻薬の売人と明かされたことも、本筋と特に関係がない。第三者に罪をなすりつけようとした真犯人の利己的な問題を緩和してしまっている。
何より、杉下が真犯人に気づくきっかけとなった持ち物が画面にまったく映らないことが納得しがたい。もし画面に映せば一目瞭然になるので隠したかったことはわかるのだが、情報を印象づける順序がミステリとして間違っている。
まったく同じ展開でも、これがドキュメンタリならば許されただろう。誰の意図でもない偶然ですら恐ろしい符号として感じてしまうかもしれない。壊れた人間を被写体にすれば、いやおうなく周囲の壊れた様子も映りこむ。
しかし壊れた人間と壊れていない人間の役割りを固定したフィクションでは、社会から排除される壊れた人間を他人事として受け止めてしまいかねない。謎解きミステリならば意外な真相を提示することで、そうした役割りを破壊することもできるのだが、今回はそのようにできていなかった。