金毛九尾の妖狐
テーマ:信仰、御神業
*「大本神話」には、悪の総大将として、ロシアの地に生まれた八頭八尾の大蛇(おろち)、インドに生まれた金毛九尾の悪狐、そしてユダヤの地に生まれた六面八臂の邪鬼が登場しますが、中でも金毛九尾の悪狐は、出口ナオ開祖の三女で出口王仁三郎聖師の義理の姉にあたる福島久子の身魂を狂惑し憑依して、教団の内部から神素盞嗚大神の救世の神業を破壊しようとしました。出口和明(やすあき)先生の著書「実録 出口王仁三郎伝 大地の母」全12巻(あいぜん出版)には、そのあたりのことが詳しく書いてあります。
“夜半の三時頃、久は敏感にその気配を感じた。
「誰や」
問いかけるまでもなく、半透明の幽体が、枕元にせぐくまっている。
「『親指と小指』でございます。世の末の末の世を持ち荒らしたわたくしでございます。どうかお許しなされて下さいませ。久さまから大神さまにお取次ぎ願います」
「この方の申すことを素直に聞くなら許してあげます。実際お前は何者なのか」
久の見つめる先で、幽体は起き上がった。たちまち色彩はあふれ出し、まばゆいばかりの豪華絢爛たる裳裙が八畳の間も狭いばかりに広がった。
「すっかり白状致します。わたくしは天竺で生まれた金毛九尾でございます。摩羯陀(まがだ)国斑足(はんだる)太子の妃華陽夫人となり、唐土に移って殷の紂王の妃妲己となり、また玄宗皇帝の妃楊貴妃ともなって、貴妃亡き後は吉備真備の帰朝に従って奈良時代の日本に渡ってきたものでございます」
久はちょっと考えて、
「なるほど、悪女ばかりのようや。けれど日本は神国、そなたのような悪霊の住むところではござらん」
ほっほっほっと優美な笑い声を立てて、『親指と小指』が言った。
変幻自在、星の数ほどの眷属を持つわたくし、天地の律法が地に堕ちた世に何の恐れるものなぞあるものですか。ただ二度ばかり……まだ皇子であられた村上天皇に憑って御脳を昂じまいらせた時、十一歳の安倍晴明に祓われて思わぬ恥をかきました。それから鳥羽院の寵愛を一身に受けた玉藻前に化身して、口惜しや、安倍泰親に見破られ、石に封じ込められましたが……」
「そうか、殺生石の芝居にある金毛九尾の狐はお前……」
「恐れ入ります……ようよう玄翁和尚の杖の一打で助かりましたが……」
「その時に改心したんじゃなかったか」
「いいえ、なかなか……それからも一族は皇室の奥深くに巣食うて今まで随分と活躍し、禍をまき散らしてきました。けれど天運めぐり来て、国祖大神が艮よりおでましになれば、もうもうわたしどもなどの思うようにはなりませぬ。お血筋のお米(よね)さまの肉体にも憑って何とか思惑を立てようとしましたが、お年を召されてもう役には立ちません。どうぞ発根悔い改めますゆえ、お母上さまにお取次ぎを……」
『親指と小指』は頭を下げた。そのしおらしい様子に久は吐息して、
「お前のような劫を経た名代の悪狐が……またわたしまで騙すのやないやろなあ」
「決して……そなたさまのご命令通りにいたしますゆえ……」
必死に哀願する美しい姫姿を見ては、久も心を動かされる。
「まず改心の証拠に、便所の掃除をしなはれ」
「はい……」
素直に立ち上がる『親指と小指』を、久は呼び止める。
「待ちなはれ。そんな立派な装束をつけては便所の掃除などできぬ。脱いでゆくのや」
その言葉の言い終わらぬうちに衣裳はかき消えて、白い裸身だけが恥ずかしげに部屋を出て行った。隣室では寝ずの番の夫がまだ眠気に耐えて起きているらしい。咳払いの音が襖越しに聞こえる。他の一人は遠慮のない鼾をかいていた。久と『親指と小指』の問答は夫の耳には入らなかったのか。
久はこの重大な秘密をすぐにでも夫に打ち明けたい衝動に耐えていた。
気がつくと、久の前に手をついたまま震えている白い女身がある。
「どうしたのや」
「はい、確かにこの家のおしもの掃除は済ませました。それから教祖さまの上のよそよそ(厠)のお掃除をと思い、ふと居間をのぞいてしまって……」
「教祖さまはどうなされた……」
「こちらをちらとごらんになったそのお眼の怖いこと。金色のお光りに弾き飛ばされて、もう一散に逃げて帰りました」
「そなた、さては昼間も私に憑いて教祖さまのお部屋に行ったな」
久は、母の威光に恐れて心にもなく部屋を逃げ回った時のことを思いだしていた。
『親指と小指』はしょんぼりと肩を落とした。
「はい、あまりに心が急きますゆえ、一日も早う大神さまにお詫びを……どうぞして、今までの罪をお許しいただきとうて……」
白い面を伏せ、身も世もなげに泣きもだえる。
「まだ改心が足らぬから、教祖さまのお光を怖がるのどっしゃろ。門の井戸で銀明水をいただいてきなはれ。身魂の清まるまで何杯も浴びるのやで」
久が命じると、『親指と小指』は出ていった。銀明水の井戸の方角から、激しい水音が久の霊耳に聞こえた。それは夜の明けるまで続いた。
――わたしの誠の一念できっと悪魔を改心させ、立派な御皇室にお立替え申し上げる。わたしが、わたしが……。
その想像は、久を歓喜に酔わせていた。”(P238~P242)
“「待っとくれやす。まだ肝心の話が……悪の仕組が……」
梅田が真剣な目を向ければ、湯浅も大きくうなずいた。
「そうやがな、それを聞きに来たんやった。管長はん、金毛九尾らは、大洪水の世の終末にも滅びなんだんでっしゃろか」
二人の質問に王仁三郎は腰を据え直し、きびしい表情に変わった。
「奴らも残った。滓のようにしがみついて、ともかくも国祖の慈愛のもとに残してもろたんや。さすがの八王大神常世彦命さえ神性を取り戻し、大峠を超えてしばらくは改心の誠を見せとった。
けど、神でも人間でもない奴らはそうはいかん。いわば神と人との邪悪の火水の寄せ集めから生まれた奴らには、もともと省みる力、直霊などの持ち合わせがないさけのう。神怒を恐れて縮み上がっていたうちは天下も平安に治まっていたが、われよし、強い者勝ちの心が人間どもからなくならん限りは、いずれ勢いを盛り返してくる。
しかも奴らは下々の貧しい、力のない者には絶対憑かん。困ったことには、力あるもの、目的を持つものを選んで憑きくさる」
「目的って、何の目的どす」
「野心じゃ。身欲から出た野心……お筆先にも、『目的者は神は使わん』とあるやろ」
考え考え、梅田が言った。
「金毛九尾が今この時代に日本におったら、何を考えまっしゃろ」
「きまっとるわい。やつらは利口や。型の仕組みを見抜いて、とっくに日本に渡って来とるぞ。
奴らの目的はただ一つ、世界を握って自由にしたいのや。今は世界は九分まで奴らの思いのまま、だから四つ足獣の世や。けど安心せい。九分九厘で奴らの悪の仕組みはくつがえる。いや、くつがえさなならんのや」
「そのことどすわ。その一厘の仕組み……」
王仁三郎が遮った。
「お久はんの説なら、ようく審神(さにわ)せいよ。奴らの思惑を見透かす眼力がのうて、どうして三千世界の立替え立直しがでけるかい。
よいか、悪霊どもが世界を自由にするには、その胞衣であり型代である日本を占領せなならんのや。世界の艮(うしとら)には、奴らの一番恐ろしい国祖の威霊が封じ込めてある。
ところが天運巡り来て明治二十五年旧正月、艮の金神は稚姫君命の因縁の身魂・出口直に下られ、大本を創られた。ついに煎豆に花の咲く時節が来たんや。奴らが必死の妨害に来んはずがなかろう。
金毛九尾だけやない。すでに邪鬼も大蛇も、三邪神系それぞれが眷属を率いて大本に侵入してきとる。奴らはまず血統の身魂に潜り込み、力を得て、何としてでも大本の艮坤二神のお働きを殺したいのや。一度目の立替えの恐怖を体験しとる奴らやさけ、『立替えは二度目が最後、三度目はないぞよ』のお筆先を知って、さぞ慌てるこっちゃろ」
梅田が不思議そうな顔をした。
「金毛九尾は『艮の金神さんの世になったら今までのように悪ではいかんから改心したい』とお久はんを通して詫びに来とるそうどすで。お筆先を知って、国祖の御威光を恐れてきたんなら、結構なことやおへんか」
「馬鹿な、そんなことで改心する金毛九尾かい。真正直で誠一筋のお久はんやから、そういう甘い言葉でころっとだまされる。よう考えてみい。奴らの本性そのものが、天地剖判以来と言っていい悪のかたまりなんや。もし真実改心して善に立ち返りたいと言うなら、奴らの存在そのものが消え失せねばならんのや。そんななまやさしい期待がでけるかい」
湯浅が声を低めて言った。
「金毛九尾は『宮中にまで入って悪さしとる』と白状したそうですなあ。もしほんまなら、お久はんの言葉も嘘とばかりは言えまへん」
まだ半信半疑の二人に王仁三郎はしばし黙したが、ややあって言った。
「お久はんの言葉がすべて嘘やとは言わん。いや、信じさせるためには、金毛九尾の奴、あえて正直な告白もする。下々の人民では知ることのできん真実もさらけ出して、奴らの手のうちを見せる。
ここだけの話やが、奴らが宮中深く入り込んどるのは確かや。天皇(大正天皇)は、御幼少の頃に脳病を煩われた。その後も御病弱で、いろんな重い病気に冒されておられる」
うすうすは聞いていたのか、二人は黙ってうなずいた。
「知っての通り、明治天皇の第三皇子、明宮嘉仁(はるのみやよしひと)親王(後の大正天皇)は明治十二年八月の御誕生、御生母は二位局(にいのつぼね)柳原愛子(なるこ)や。青山御所に入って右側の質素なお局屋敷で生まれられた。そしてその年の暮れ、麹町有楽町(当時の町名)の中山忠能邸へ移られた。ここに明治天皇の御生母であられる一位局中山慶子が居られる。
公式記録では、明治天皇には愛子の他に葉室光子・橋本夏子・千種任子・園祥子と五人の典侍……いわばお妃がおられた。皇后からは一人の御子も生まれず、五人の妃からは親王五人、内親王十人が誕生された。そのうち十人までが三才までになくなられとる。
「十五人のうち十人まで……普通やないなあ」と、湯浅が呟く。
「お育ちになったんは、明宮と園祥子の腹から生まれた内親王四人に過ぎん。園祥子は毎年のように八人の御子を生んだことになっとる。他にも御子を生んだ女官があって、それを祥子も子にされたとも勘ぐれる」
「天地の律法どころやないなあ」と、湯浅が嘆息する。
「天皇家ばかりやない。上に立つものが世継ぎを得るためには、それが当然とされて来た。明治の宮中に徳川将軍の大奥制度をそのまま取り入れたと言うから、腹違いの十五人の御子たちにまつわる空気がどんなものであったか。が、それにしても異常な死亡率と言わねばならん。……”(P294~P299)
(出口和明「実録 出口王仁三郎伝 大地の母」第10巻(あいぜん出版)より)
“八木に帰った久に激しい試練が待っていた。
「いよいよ八木の自宅に帰りました。サァそうするといよいよ夫婦度胸定めの一段、一生懸命の舞台となりました。一番に私は主人にくってかかり手をひとかぶりかぶってとってしまうやら、主人の胸倉をつかみ、『殺してやろう』と申して非常な乱暴をして主人の度胸を見ましたら、なかなかよく度胸がすわっておりますから主人はびくともせず、「なにその方ぐらいが百人千人束になってきたとて驚くものか」というなり即座に私の手足をひっくくり、柱にくくりつけてしまいました。それが二月の七日でありましたが、二八日まで一つも御飯は食べずに竹の根節の高い柄のさいはらいがササラになるところまで打たれまして、顔一面紫色に死んでしまうところまで一生懸命の度胸定めをしられました。その間に私の霊魂は宇宙にあらん限り一昼夜の間に外国へ行ってきたり、また日本国中をかけ歩きましたが……」『神霊界』大正七年三月号「顕幽出入談」
二二日間、久は柱にくくられたまま、飲まず食わずの荒行をさせられ、霊魂は幽体離脱して地獄界を見聞する。寅之助初め役員たちは、これだけ飯も水も口に入れねば命はないものと覚悟していた。ところが久は、突然正気にかえり、みなを驚かす。この異様な体験によって、福島久に救世の激しい使命感が燃えあがる。その結果、久は狂熱的な宣教活動を行ない、横須賀海軍機関学校の英語教官浅野和三郎らを信仰に導き、軍人や知識人らの大量入信の導火線になる。
澄は『上申書』で「教祖は『(久には)どうもこうもならぬ神が守護しておる。あの方の系統(ひっぽう)の霊にはこの神さまは御苦労しておられるのじゃ』といわれました。話かわりまして大槻鹿蔵、米(よね)、鹿蔵は八頭、米は八尾、綾部の大本をつぶさんと永い苦労をしましたがかなわず、乗り替えて八木の久子に、これからさまざまの活動をいたすのでございます」とのべるが、米にかかった霊が久に移ったためか、この年の七日、米は誰も知らぬうちに座敷牢の中で静かに息を引きとっていた。”
(十和田龍「第三次大本事件の真相」(自由国民社)より)
*出口和明(やすあき)先生(1930~2002)は、出口王仁三郎聖師の実の孫で、十和田湖の龍神、南僧坊(男装坊)の生まれ変わりで「みろく神業」を継承すると聖師ご本人が言っておられた人物です。十和田龍のペンネームで書かれた「凶徒」という小説が昭和38年第2回オール読物推理小説新人賞を受賞し、以後は作家として数々の作品(多くは出口王仁三郎聖師に関するもの)を世に出されました。なお、この昭和38年の第2回オール読物推理小説新人賞の受賞者は他にもう一人おり、それが昨日訃報が報じられた西村京太郎先生です。お元気なときはお二人で時々飲みに行ったりしておられたということでした。あと、この「大地の母」の中に、奈良の大神(おおみわ)神社の祭神について、あたかも邪神と誤解しかねない記述がされている箇所がありますが、これは出口王仁三郎聖師が言われていたことではありません(出口和明先生に確認しました)。大神神社は延喜式にも記載のある由緒正しい神社です。
“月鏡、十和田湖の神秘を読んだ者は誰も知っている如く、湖の主が昇天の時、 王仁に約束した言葉がある。『再生の時は大本に生れて参ります』と。……元来は王仁の子となって生れるはずであったが、それができなかったので、八重野が生ましてもらった和明がそれである。十和田の龍神の再生であるから、十和田の和をとり、明は日と月で神を表すつもりでかく命名したのである。私ばかりを慕って、父親はそっちのけで聖師さま聖師さまとつきまとう。霊の因縁は不思議なものである。(昭和七年七月)”
(加藤明子編「出口王仁三郎玉言集 玉鏡」『男装坊の再生』)
*福島久子は「霊界物語」の中の高姫のモデルの一人です。金毛九尾の狐の邪霊に憑依された久子は、その後「日之出神諭」なるお筆先を書き始めます。出口王仁三郎聖師は、「これは悪霊によるものなので関わってはならぬ」と信者たちに命令されますが、久子は開祖の娘であり、根は善良な人物でもあったので、少なからずの信者が惑わされて、久子の信奉者となってしまいました(このあたりの話は「霊界物語」の中にも書いてあります)。この日之出神諭の自動書記は昭和19年に終了し、昭和21年に久子は世を去りますが、出口すみ子二代苑主は、久子に懸かっていた悪霊は、その後大本から出て別の肉体に懸かり、そしてまた再び大本に戻ってくると言っておられました。
*昨日のニュースで、栃木県那須の殺生石が割れた状態で発見されたというのを目にしました。写真を見ると、それまで注連縄で封じてあったのが、注連縄は千切れて殺生石が割れ、中の空洞までがはっきりと確認できました。これを見て、昔の「神の国」誌か「おほもと」誌で、確か信者さんが書かれた記事でしたので本当なのかどうかは分かりませんが、栃木県に大本の信者が少ないのは殺生石があるからで、今なお金毛九尾の悪霊が御神業を妨害し続けている、ということが書いてあったのを思い出しました。疫病がはやり、戦争が起こったこの時期に、かくも不気味なことが起こったのはとても偶然とは思えません。玄翁和尚によって砕かれたとはいえ、まだ本体は封じられたままで、飛び散った破片に宿っていた分身や眷属を使ってこれまで悪さをし続けていたのが、ついに本体が出てきたのか、いずれにせよ今後は更に注意せねばならないように思います。
*もし悪の力が増大しているのであれば、一方の善の力を増大させるための何かしらの神の摂理が働くはずです。以前、「甦るカタリ派(原始キリスト教の再興)」の記事を載せましたが、アーサー・ガーダム博士によると、近年、かつてヨーロッパでカタリ派としての生を送った人々の霊が、続々と現界に生まれ変わって来ておられるようで、やはりこの世に増大しつつある悪の力と対決するために、再び彼らが霊界から呼び戻されているのだと思います。彼らカタリ派の人々は、手を当てる、いわゆるハンドヒーリングで様々な病気を治していたということですが、その力は修練によって獲得されるものではなく、能力者から点火されることによって伝達されるもので、まるでレイキのアチューンメントのようです。転生の教義を持つカタリ派の人々の生まれ変わりは、近年のレイキの流行とも関係があるような気がします。
*出口王仁三郎聖師は、天皇陛下や皇室のために祈るときは、自ら亀岡の出雲大神宮へ行かれ、そこで祈りを捧げられました。側近が、なぜ天恩郷内の神殿でご祈願されずにわざわざ何キロも離れた出雲大神宮に行かれるのかをお聞きしたところ、
「大国主の神様であるから、日本の一大事の時にはここへ来るのが本筋だ」
と言われたそうです(「おほもと」昭和54年3月号)。金毛九尾は特に皇室をターゲットにするようですので、もし出雲大神宮に参拝に行かれる方があれば、どうか天皇陛下と皇室の安泰をも、あわせてお祈りしていただきたいと思います。
・出口王仁三郎聖師の出雲大神宮ご参拝について
“……夜中にも参詣されていたようだ。ハイヤーで乗りつけ、運転手を鳥居の側で待たせた総髪、白衣姿の王仁師は、真っ黒闇の中を拝殿により正座。宿直していた人たちの目撃談によると、毎回はげしい帰神があったらしい。その天地をゆるがさんばかりの感応ぶりを目にするたびに、運転手又当直者は震えおののいたという。”
“さて、大本指導者のかくまで頻繁なる往還があったのは、比較的に近いところということもあろうが、もう一つ大きな理由が伏在する。それは社殿の脇に美しく寄り添う御影(みかげ)山がご神体山として古来から崇められており、国常立尊の陵と一般に伝えられているからだ。その典拠は、あるいは富士古文書にあるのかも知れないが、ともかくこの山は典型的な神体山の形を成している。今の社殿建築ができたのは後代になってからで、もとはこの山が神であった。
御影山は禁足地で、人の手のつかない神々しさを保ち、山頂にはストーンサークルに囲まれた三層の磐座もあるという。王仁師は、当時の宮司の許可を得て登攀されている。
仰ぎ見るさへも畏き御影山は 国常立尊の神の隠れ処(が)
御影山汗しぼりつつ登り見れば かわきを癒す石清水あり
胸突きの坂登りして石清水 むすぶも嬉しき御影山かな
神影山のぼりて見れば亀山は 遠くかすみて壁白く映ゆ
(「人類愛善新聞」昭和57年7月号 『丹波一の宮・出雲大神宮 花祭り』より)
*また、金毛九尾などの凶党界の悪霊は、「霊界物語」の音読によって発せられる言霊を何よりも恐れるというお示しもあります。
“言いおきにも書きおきにもないことを示すのであると御筆先にありますが、全く善悪にかかわらず神界、霊界の有様を暴露せらるるのですから、兇党界には大恐慌をおこしたと見えて妨害につぐ妨害があって、そのたび聖師様はもちろん筆録者一同もずいぶんひどい目にあったことも一切ならずでして、あるとき物語に言霊別(ことたまわけ)の神様が毒殺されんとする場面が出て来ましたが、その御口述のあった日、聖師様初め十六人の人が吐いたり下ろしたりして大騒ぎになったことがありました。
また私は松雲閣の記録場に入って行くことがとても苦しく、門を入ることは槍襖(やりぶすま)の中を歩むような心地で、屠所の羊の歩を運んだことが幾月日だか分からないのでした。某霊覚者が同じ経験を語って、霊眼で見れば正に槍の襖であると申しておりました。悪霊は自分の素性を霊界物語によって暴露せらるるを非常におそれて極力妨害したのであると承りました。筆録者すらかくの如しですから、聖師様のおなやみは又格別で、筆紙に尽せぬ種々の出来事がありました。皆人間を使っての妨害でありまして、使われて居る本人はもちろんそれと自覚しては居りませんでした。”
(「神の國」昭和8年12月号 加藤明子『をりをり物語』より)
*悪霊に使われている人々のほとんどは善良な人物で、自分では神様のために、世界が救われるためにと、心の底からの善意で一生懸命働いているのであって、福島久子もそうでした。彼女の場合は神秘体験が狂信へとつながっていったようですが、ルドルフ・シュタイナーも悪魔アーリマンは人々に様々な神秘体験を与えると言っていました。そのようなものに惑わされないように、「臨済録」の「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し……」の教えが、もっと世に知られるべきだと思います。
・霊縛の話 (悪霊の嫌がる物語拝読)
“昭和二年の秋からボツボツ拝読させていただいていた霊界物語によって、現界の他に神界、幽界があるということを知らせていただきながら、実体としての把握がなかなかでき難かった私にも、折あるごとに神さまは目にもの見せて下さいました。昭和三年の初夏のころ、大阪の北畠に住んでいた私の家へ近所の三十七、八才の奥さんが神さまの話を聞きたいと度々通ってこられました。
ある日、私は階下の奥の間で霊界物語を拝読していると、その人が来て同じ室で父と話しながら、時々顔をしかめ、私の方を見て、「ねえちゃん、頼むからその本読むの止めてちょうだい。頭が痛くてかなわん」と言います。私は不審に思いながら、一間隔てた台所へ行って、また続きを小声で拝読していると、突然飛鳥のようにその人が私の傍までとんで来て、「やめと言うたらやめんかあ」と握りこぶしを振り上げて打ち掛かってきました。この時、奥の間から父の大喝一声「ばかっ」と辺りの空気が振動する位の声がとんで来ました。すると、てっきり脳天を叩かれると思った私の前へ、そのおばさんが棒立ちになり、振り上げた手をそのままに固まってしまいました。そして涙をぽろぽろ流しています。
私は座ったまま呆気に取られてじっと見ていますと、父が奥の間から「もうよろしい」と言いましたが、おばさんは動けません。そこで父は神さまにお願いし、「許す」と大声で申しましたら、やっとおばさんの身体は自由になり、平身低頭、何度も謝って、ご神前のある二階へ行く階段の下まで行って、何かぶつぶつ言い、早々に帰って行きました。
後で父に聞くと、おばさんが血相変えて立ち上がって来た時、とっさに「聖師さま」とお願いするとグッと下腹がふくれて、ひとりでに大きな声が自分の口から出たのだそうです。それから「奥の間にいながら台所へ来たおばさんのありさまが手に取るように判ったが、ふしぎやな」と言って神さまのおかげを何度も何度も感謝しておりました。またこのおばさんは別の日に、自分の腹の中には狸がいて、何時も自分と色々な話をするのだと言っていました。私は当時十才でしたが、「まるで高姫さんのような人やな」と思っていました。後で聞くと私を叩きに来た時、奥の間から大きな火の玉のような光が飛んできて、おばさんの身体にぶつかり、動くことが出来ぬようになった、と言っていました。真(まこと)の神さまのお言葉をいやがる、聞きたがらない霊界があるということを、この時はっきりと見せていただき、有難くて訳のわからぬ涙がぽろぽろと何時までも出て来た事を覚えております。ともあれ、神さまはいつ、どんな時でも、私らの身をご守護下さっているということは、筆舌にたたえ尽くせぬ喜びでございます。”
(「おほもと」昭和47年9月号 中井和子『霊縛をうけた婦人』より)







