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「殺生石」とは謡曲で知られる伝承である。

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昔、白面金毛白面九尾の妖狐が化けて、天竺はマカダ国斑足太子の妃華陽夫人となり、唐土では殷紂王の妃〔女旦〕妃(だつき)となって人々を悩ませた。その後妖狐は日本に渡って鳥羽天皇の寵姫玉藻前となったが、安部泰成に正体を看破されて白狐の姿を表し、下野国那須野に逃れて殺生石となり、毒気で近づく者の命を奪った。最後には玄翁和尚の法力によって打ち割られて、妖狐の精は散滅した。

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この話は御伽草子「玉藻の草紙」や歌舞伎にもある。
実存する那須野の殺生石は付近から硫化水素や炭酸ガスなど有毒ガスが発生している。

中国では『山海経』『白虎通』に九尾狐の記載がある。

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九尾狐伝承は韓国ににも伝わっていて映画やドラマにもなったそうですが、九尾狐族なる魔力を持った存在として書かれて、悪女傾国譚と結びついたものではないようです。

といいますか、悪女傾国譚と九尾狐が結びついたのは明代『封神演義』殷紂王の妃〔女旦〕妃が初めなのでしょうか?『金瓶梅』第26回には「こんな乱世の世の中で王になったら、九尾の狐が現れるぞ」という台詞がありますが、これも明代。
〔女旦〕妃伝承は「酒池肉林」という故事成語の起源として有名ですが、彼女は人々が苦しむのを喜んだので、殷紂王は彼女のためにますます苛烈な刑罰を考え出して人民を苦しめたと言います。この伝承自体は『史記』に既にありますが、それと九尾狐伝承が結びついたのがだいたい明代ごろなのだと思います。

恐らく九尾狐の初出であろう『山海経』「南山経第一」では「赤子のように鳴き、人を食う」とあるだけです。その後は瑞祥獣として史書に載ることが多くなります。それはここでも書きましたね。
時代による変遷を大まかにたどれば、
「人を食う妖怪」→「瑞祥獣」→「乱世を告げる獣」「悪女傾国の妖獣」
という感じでしょうか?恐らく単なる妖怪から瑞祥獣になるに当たっては陰陽五行思想と儒教における聖王出現=瑞祥思想の成熟というのが考えられます。瑞祥獣であったものが国家を混乱に陥れるほどの強大な妖獣というところまでに至った理由は正直よく分かりません。文献上で変遷の痕跡を追えるかどうか。

一つ考えられることは、北宋以後の北方異民族南下が影響していることが考えられます。明はそういう時代のすぐ後の王朝です。
たびたびマイナス評価上にとりあげる北宋の朱子学ですが、このころから漢民族の攘夷主義が高まります。北テキ許すまじ、という発想です。例えば金などは現在で言えば東北少数民族居住地域から発したものですので、彼らの一部が信仰していた狐女祖が漢民族の伝承上で「傾国の悪女=女妖狐」として現れた可能性があります。まあ中華皇帝が異民族の女性に入れあげるとろくなことがないのは楊貴妃の時代からの伝統ではあるのですがね。

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ということは日本の殺生石伝承も伝播論で考えるならば江戸時代以降にできたと言うことになります。ただ人間をだます女狐の伝承は『今昔物語』から既にあるので、それを受容する素地はあったということでしょう。しかも殺生石の所在地は下野、今の栃木県ですから東の狐伝承地域に入ると言ってもいいでしょう。

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ところで中国版ウィキに面白い話が載っていました。
1981年香港のとあるレストランで嬰児が突然死亡しました。原因は不明。レストランを経営していた会社はこれを「狐精」のせいであると発表。調査?をした結果、広場においてあった大理石に狐精がついていたことが判明?してそれを取り替えました。

狐信仰は北方が多い、と再三書いてきましたが、香港や江蘇省・セッコウ省にもかなりあるようです。

この伝承の興味深いところは「狐精は石に憑く」という認識ですね。殺生石と同じです。



再び日本の殺生石に戻ると、それを砕いた玄翁和尚は室町時代の人とされているようです。そしてその砕かれた殺生石は日本各地に飛び散ったという伝承もあるとか。私も初耳です。

ウィキによると、
美作国高田(現岡山県真庭市勝山)
越後国高田(現新潟県上越市)
安芸国高田(現広島県安芸高田市)
豊後国高田(現大分県豊後高田市)
と言われているらしいですが、これは現地に伝承があるのか?それとも「玉藻前伝承」でそういっているのか?あとなぜに全部「高田」?

また、四国に飛来したものが犬神になり、上野国(現・群馬県)に飛来したものがオサキになったと言いますが、本当なんでしょうか?仮に現地でもそういわれているとすれば「殺生石伝承」の影響力はものすごいものがあるということですね。

岡山県真庭市勝山の玄翁開山による化生寺境内には殺生石の石塚が存在しているそうで、これも見てみたいですね。また、福島県白河市表郷中寺常在院境内にも、殺生石の破片と言われる石が祀られていて、「玄翁の座像と殺生石の縁起を描いた絵巻「紙本著色源翁和尚行状縁起」が伝えられている」そうで・・・

玄翁は会津示現寺を開いた実在の人物で、曹洞宗のお坊さんだとか。金槌を「げんのう」というのはこの人が殺生石を砕くために槌を使ったことからついた名前だそうです。

「殺生石」。
奥が深い伝承ですね。