私が朝鮮に対する関心を持つようになったのは1970年代末である。高校生だった私の友人がチョン高生にカツアゲされたとか、高校の躰道部の部長がチョン高生をしめたら翌日集団で襲われたといった噂話が語られていた。とにかくチョン校はヤバい、彼らとは関わらないことが最良であると知らず知らずに刷り込まれたかもしらん。

父親にチョン高生のことを聞くと、日教組の親父は、日本人が昔朝鮮人に酷いことをしたからチョン高生が暴れるのだと説明し、朝日新聞で読んだ提岩里教会事件や強制連行の記事を読んでいた為、迂闊にも父の話を信じていた。ところが、タクシーの運転手から東京の郊外で中華料理店を営み成功した叔父の朝鮮人観は真逆で、叔父曰く「兄ちゃんは世間知らずだから・・・」と、朝鮮人への見方が当時の基準では偏見に近いと思っていた。

だが、あれから30年以上が経ち、当時は偏見だと思った朝鮮人観が、いまじゃまともな見方だったに違いないと思うようになった。いったい朝鮮人という生き物はなんなのか?1981年明治大学に入学後担当教授の和田先生の昔話から韓国植民地支配の実態がマスコミが報道している内容と異なることなど、日韓関係に興味を抱くようになった。

小室直樹先生がカッパブックスに書き下ろした、1985年に「韓国の悲劇」、1986年に「韓国の呪い」、1988年に「韓国の崩壊」という本が出版されました。

当時1988年のソウルオリンピック前で、新興工業国NIES(韓国・香港・シンガポール・台湾)の儒教圏の経済発展が目覚ましい時期、誰も韓国なんかに興味が無く、朝日新聞はまだ北朝鮮の肩をもち韓国を独裁政権といって韓国をバッシングしていた時代でした。

この3冊は、目から鱗、誰も教えてくれない日韓問題の基本が書いてありました。
今読み返すと、今の嫌韓レベルからすると小室先生は韓国を擁護しているようにも読み取れるが、当時としては画期的な本でした。

当時、嫌韓という言葉は無く、日本の文化は中国、韓国からなんでも入ってきた、日本は韓国に酷いことをしたという韓国の主張を鵜呑みにしていた時代です。

ところが、小室先生は今日当たり前に知られるようになった歴史の真実をわかり易く解説してくれたのです。私は、韓国が国家単位で嘘で固めていた事実とマスコミの自虐史観的報道の真実を知るようになりました。

韓国に怒りを感じたのが金大中事件でした。明らかに日本の主権を踏みにじったことに当時私は小学生だったにもかかわらず強い違和感を感じました。

しかし確か1970年代末頃、朝日新聞の日曜版に載った提岩里教会事件を私は読んで、日本は韓国に悪いことをしていたのではないかと私は漠然思っておりました。

ちなみに、提岩里教会事件とは1919年教会に閉じ込めた教会信者29人を焼き殺したという記事であったが、事件の真相は、日本人巡査殺害事件は起き、暴徒となった朝鮮人29人を射殺した事件であった。その際に教会が消失し、戦後いつしか教会に朝鮮人を閉じ込め放火した事件にすり替えられてしまった事件である。


2002年자 
2002年杉本幹雄氏の著書「植民地朝鮮の研究」(展転社刊)には公文書よりの引用として下記のような箇所がある。
[출처] 児島惣次郎|작성자 남쪽나라

「日本総督府の憲兵隊司令官・児島惣次郎は上司に次のように報告している。
まず当時の状況として〈三月下句、同地方では官公署の破壊焼却されたものが少くなかった。殊に花樹、抄江の両地では巡査を虐殺し、其の死体を凌辱した。また当地在住の内地人の被害頻々として起こり、民心の恐慌・憤怒一時其の極に達した。発安場に於いては三月一二一日、市の日に際し、約一〇〇〇名の暴民が大極旗を押立て路上演説をし、内地人家屋に投石暴行し、終に白昼小学校に放火して高唱する等の暴行を行った。翌四月一日晩より発安場周囲の山上八○余箇所にかがり火を焚き、内地人の退去を迫った。その為、内地人婦女子四一二名は幾多の危険、困難を排し三里離れた三渓里に避難した〉。
このような物情騒然の中、〈有田中尉は、同地方騒擾の根源は提岩里における天道教徒並にキリスト教徒であるとの事を聞き、この検挙威圧の目的で・…:中略……提岩里に到着すると、巡査補に命じて天道教徒及キリスト教徒二〇余名を、キリスト教の教会に集合させた。そして先回の騒擾及将来の覚悟について、二、三質問している問に、一人が逃亡しようとしたので、これを妨げようとしたところ、他の一名と共に打ち掛ってきたので、直ちに之を斬棄てた。この状況を見て、朝鮮人全部が反抗の態度に出て、その一部は木片または腰掛等を持って打ちかかってきたので、直ちに外へ逃げ出て兵卒に射撃を命じ、殆ど全部を射殺するに至った。此混乱中、西側隣家より火を発し、暴風のため教会堂に延焼し、遂に二〇余戸を消失するに至った>
いま、提岩里教会事件の真相を知るにいたり、韓国に対し強い違和感を感じるようになった。

次に呉善花さんのスカートの風(チマパラム) 日本永住をめざす韓国の女たち(1990年 三交社続・スカートの風(1991年)~新・スカートの風(1992年)を読み、韓国社会に対する嫌悪を感じるようになりました。そして1995年井沢元彦氏の「恨の法廷」は私の韓国に対する態度を決定づけるものがありました。ちょうど此の頃から今でいう嫌韓本が出るようになりました。

しかし、1990年代嫌韓は一部のマニアの教養の範囲にとどまり、他人に嫌韓話をするのは憚れる時代であったと思います。

2002年日韓ワールドカップは日本人が公に愛国心を語ることが初めて許される出来事であった。それと同時に戦後日本社会で初めて嫌韓を大声で言えるエポックメイキングな出来事となりました。

1988年のソウルオリンピックなどでおかしな判定で韓国が問題を起こしていることは断片的には知っていましたが、詳細は週刊誌で読む程度でした。

1995年ウィンドウズ95の発売はインターネットで様々な情報を知るようになって、大手マスコミ情報を誰しも疑問を持つようになっていました。しかし、韓国が嫌いだというのは皆の心のうちに止まり、公言はされないものでありました。(高校時代、朝鮮高校の悪行は有名でしたので、まあそのことは別にして・・・)。

2002年ワールドカップは誰しも思っていた嫌韓を初めて公言できる画期的な出来事でした・・・
でも、ネットでの嫌韓は爆発しているのにもかかわらず、TVでは日韓友好ムードの報道で、表のTV番組で韓国の試合は不自然だと本音を言ったのは飯島愛だけだった・・・
以後、表のTVでは韓流でも、ネットでは嫌韓が着実に燎原之火のように広がり今日に至ったと思います。

ここ数日私が読んだ嫌韓記事です























もう面白くって読み切れません・・・