「優しい」と言われるのが苦手だった話
最近、「優しい」と言われてようやく嬉しいと思えるようになった。
小さい頃から優しい性格や雰囲気を持っていると言われ続けてきた私は、
言われ慣れすぎて「またか。私にはそれしかないのか!」と素直に受け取れないでいた。
普通に接しているだけで優しくしているつもりなんてない。
だからどうして優しいと言われるのか分からない。
そんな私が優しいと言われることを敬遠していたのには2つ理由がある。
①優しいって便利な言葉だなと思ってしまうから。
例えば食レポの「優しい味」の表現。
私は薄味の家庭で育ってきたので繊細な「ほっこりする」「癒される」というときに使うけど、単に「薄い味、味がしない」という意味でも使われることがある。
純粋に褒め言葉で使っている人とオブラートに包んで無理やり褒めている人の両方がいると感じている。
これを言っとけば褒めてます感が否めなくて抵抗があった。
性格もまさにそんな感じで優しいという言葉は、
当たり障りのなく特に褒めるところが無い人に使われるのかなと穿った捉え方をしていた。
誰にでも使える便利な言葉。
ひとまず言っておけば褒めていることになると本気で思っていた。
だけど社会に出て色んな大人を見て、
「優しい」にも種類があることを知った。
純粋に気づかいができて優しい人、上辺だけ優しさを取り繕っている人、
本当に優しくない人…などなど。
そこで「優しい」って当たり前じゃないんだなと気づいた。
私の場合たまたま優しい人に囲まれていただけで、そうじゃない場合もある。
なんとなく感覚で本物の優しさかどうか見わけがつくようになったから、
誰でも優しいわけじゃない。
②優しいって脆く弱いイメージがあったから。
「優しいからあの人は弱いのよ…」と周囲から心配される対象なのではないかと思っていた。
お人好しとか上手く利用されてしまう人と思われるのも嫌だった。
一人前の大人ではなく子供扱いされているようで反発していた。
(相当負けず嫌い(笑))
周りに心配かけたくなかったから自分一人でなんとかしようとするばかりで、人に頼ることができなくて結果いろいろ押しつぶされることになった。
そんな痛い経験をして紆余曲折した結果、
私は脆いから助けてよ!と開き直って人に頼ることができるようになってきた。
さらに最近私は繊細だと認めてから、
少しずつ自分の弱い部分も受け入れられるようになった。
するとむしろ優しいの持つメリットに目がいくようになったし、
デメリットを自分で把握しているなら、
そうならないようにすれば一枚上手になれる。(笑)
優しいのいいとこ取りだけすればいいじゃんと考えるようになった。
全て私の勝手な思い込みで、
逆に私が優しい人だな~と思うときはそんな風に思っているのか?と
考えてみるとそうではない。
優しさが分かるようになってからは、本当に優しいなと思った時にしか言わないようになった。
じゃないと本当に届いてほしい人に届かないと思ったから。
そしてこれだけたくさんの人に優しいと言ってもらえるのだから、
私の強みの1つが優しさだと認めていいんだと思うことができた。
自分では何の気なしにスルッとできているから、
強みだって認めにくい。
他の人からしたらすごいな~と思うことかもしれない。
逆に私もいいなって思うことがたくさんある。
(しっかりしてるとか…(笑))
隣の芝生は青いってこういうことか。
昔からよく人から言われることは自分の強みに気づくヒントになる。
有難く受けとって大切に心にしまっておこう。


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