インパール作戦なぜ大敗? 指揮官同士の反発、たたき込まれた“武士道精神”で消耗…イギリス側の視点で分析
「戦闘避けることは不名誉」たたき込まれた“武士道精神”で消耗
命令に背いてコヒマから撤退した佐藤氏は、その判断により部下の命を救ったと称賛されることもある。だが撤退を知らされなかった友軍が多くの犠牲者を出したことや、当時の軍紀に照らせばあり得ない行動だったとして、専門家の間では功罪併せ持った人物とみられている。 ライマン氏は佐藤氏が戦略的に「重大な過ちを犯した」と考える。佐藤氏の師団は、コヒマへの経路上で英印軍の小部隊と戦った。「取るに足らない拠点で足止めされて時間を無駄にした。回避していれば、態勢が整う前のコヒマはほぼ無抵抗で制圧できただろう」と推察する。
佐藤氏のみならず、ビルマ戦線では英印軍のゲリラ部隊などにてこずり、消耗する場面が散見された。ライマン氏は、これを元日本兵が軍隊教育で「武士道精神」をたたき込まれ、「敵を前にして戦闘を避けることは不名誉だという価値観を持っていた」ことに起因すると考える。 「日本兵は戦闘に強かった。だが戦争には負けた」。ライマン氏はインパール作戦を通して、こう結論づけた。
インパール作戦
1944年3月に始まったインド北東部の連合国軍の補給拠点攻略を図る作戦。当時占領していたビルマから進軍するも国境地帯の険しい地形に阻まれ、補給にも失敗。参加した3個師団などの計約10万人のうち、4カ月間で3万人以上が死亡したとされる。中止後は連合国軍がビルマに進撃し、45年5月に当時の首都ラングーン(現ヤンゴン)奪還を許した。
西日本新聞