小さな王子さまのお話

佐宗 操

第1話 あちらの国の王子様

 むかしむかし、あるところに小さな王子さまがいました。

 珠のように可愛らしい黒髪の王子さまです。

 王子さまの肌は白く、瞳は地上の明け方の夜空を映したような深い藍色をしていました。


 王子さまの国は、人間界の果ての「三途の河」を渡ったところにあります。河の向こうの、長いトンネルを抜けた先にあるのです。

 そこは死んだ人間たちの魂の集められる場所――つまり、黄泉よみと呼ばれる地底の世界。


 王子さまは、人間たちが「死者の国」と呼んで忌み嫌っている、あちらヽヽヽの国の王子さまなのです。



 生きている人間はまだ誰ひとりとして、その国へ行ったことがありません。

 ニンゲンは誰しも、自分の知らない物事を怖がったり、避けたり嫌ったりするものです。だから王子さまの生まれたその国が、たいそう人間たちに怖がられ、不吉に思われていたのも無理はありませんよね。


 でも人間は、死んだら誰もが魂になってその国へ行くのです。たいへん身近な場所だというのに、その死者の国はいつまでも生きた人間たちにくわしく知られることはなく、よって小さな王子さまの存在も、人間たちにはちっとも周知されることはありませんでした。



 王子さまは、まだ三百歳をいくらか超えたぐらいでしょうか。

 人間の頃合いに当てはめると、ちょうど六歳から七歳の間ぐらいです。

 まだとても幼い子どもです。



 王子さまは澄み渡った濃青色の瞳をもち、流れるような黒髪はこのころはまだ短くて、襟にやっとかかるぐらい。白い頬はマシュマロのように柔らかくすべすべで、かぼちゃのような黒の短ズボンとタイツを履き、上着は装飾だらけでぴかぴかでした。

 上着の上から青いベルベットの片袖マントをお召しになり、小さな冠をかぶると、その格好は王子さまの上品なお顔立ちにぴったりでした。精霊たちを従え、いさましく錫杖をついた立ち姿などは、ご立派なのになんだかまだ可愛らしすぎて、周囲が思わずうぷぷ、と吹き出してしまうほどでした。


 ただ、王子さまは遊びたい盛りなので、一日中そんな重たい衣装を着ていることはまずありません。たいてい途中で上着やローブは羽虫の抜けがらのように、王宮の廊下にぽつぽつと落ちていました。

 それを拾うのはたいてい乳母か、乳母の夫か、侍女たちか衛士か、ときにはお父さまのときもありました。

 みんな、そのやんちゃな遊びぶりにため息をつくばかりですが、それでも王子さまの巻き起こす小さな騒動は日々、周囲の心を和ませるものなのでした。


 王子さまは、存在するだけで周りの癒しとなり、皆にその成長を喜ばれているのです。



 小さな王子さまのお生まれについて話しましょう。

 小さな王子さまには、お父さまがいます。

 家族はお父さまだけです。


 お母さまはいません。お母さまは、王子さまが生まれるとすぐ、具合を悪くしてこの世を去ってしまわれたからです。


 お父さまは、冥王さまと呼ばれています。世界がまだ生まれたてだったころ、人間界の上にある『天上界』にいた神さまだったそうです。


 お父さまは、闇と死と混沌を司る神さまでした。ですから天上界の兄弟神たちからは疎まれていて、昔にひとりぽっちでこの地底の死者の国に降りてきたそうです。

 天上界の神さまたちって、生命力にあふれていて、キラキラと光り輝くものが好きですからね。お父さまの『闇』そして『死』という神力を忌み嫌い、すばらしい絹の黒髪までもを気味悪がって、のけものにしていたそうです。


 でも王子さまは、そんなことはよく分かりません。王子さまはお父さまが大好きです。お父さまがどれだけ思慮深い、よい神さまか、わかっています。

 冥王さまはたいへん背が高く、背すじがしゃんとして、美しく、厳しく、気高く、優しくて、おまけにとても強い、ご立派な神さまです。


 小さな王子さまが世間のものごとを、時には失敗しながら少しずつ学んでいくように、お父さまもまた、どう子どもを導けばいいか考え、回り道を繰り返しながら、王子さまと一緒に日々成長しているのです。さすがにもう背は伸びませんけど、親としてね。


 王子さまはこれから成長期を迎えます。このころはまだ小さな子どもですが、すっかり成長しきるまでにはいろいろなできごとがありました。

(そのいろいろなできごとについては、また別のお話の中で語ることにいたします)

 ここでは王子さまがまだ本当に小さかったころのお話をいたします。



 お父さまである冥王さまは、小さな王子さまを心からいつくしみ、将来のあとつぎとして立派に育てようと、常に心をくだいておられました。


 ただお忙しいですから、いつも一緒にいるというわけにはいきません。冥王さまが魔獣退治や、遠くの領地へお出かけになるときなどは、魔族の乳母夫妻が、王子さまを何日かお預かりすることもありました。


 この『魔族』というのは、この地底の国に昔から住んでいた先住種族です。

 姿かたちは人間にも、天の神さまにも似ています。人間よりは寿命がうんと長いです。でも神さまほどではありません。魔族はそのむかし、地底のあちこちに集落をつくって暮らしていましたが、冥王さまが天を追われこの地に降りてきたあとに、冥王さまの元へ集まってきて忠誠を誓ったといわれています。


 魔族の乳母夫婦にはひとり息子がいて、この息子が物心つく前から王子さまの遊び相手になっていました。これまた、大変に活発でやんちゃで始末に負えない魔族の少年なのですが、王子さまとは赤ちゃんの時分からケンカしたり仲直りしたりしながら、一緒にすくすくと成長しました。一日会わないとその日はつまらないと思うほど、ふたりはいつも一緒に遊びました。



 乳兄弟は冥王さまの子どもであることなどお構いなしにイタズラをしかけてくるので、王子さまも本気でやり返して、時にはとっくみあいのけんかもしました。乳兄弟の良いところは、性格がほがらかで後に引きずらないところです。けんか別れをしても次の日にはすっかり忘れて、あっけらかんと王子さまを誘いに来るのです。かれに比べると王子さまは少々、前の日の名残りでふさいだ気分のときもありましたが、かれと遊び始めると次第に忘れて笑顔になるのでした。乳兄弟は幼い時分からすでに、王子さまの気分を明るくさせる名人でした。


 王子さまはといえば、すこし気まぐれなところがありましたが、乳兄弟はたいていその気まぐれに振り回されることを楽しんでいました。はしゃぎすぎてどちらかが怒られるときも、いつも一緒にいました。

 そんなわけで、ふたりは大の親友でした。



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