アジアで初の女性宇宙飛行士として活躍された向井千秋さん(73)。夫の万起男さん(78)が千秋さんについて書いた著書を読み、数々の困難を持ち前の明るさで乗り越え、また偉業を成し遂げても飾らない人柄に強くひかれた。記者にとって憧れの女性だ。宇宙飛行士としての任務を終えた今も宇宙分野の第一線で活躍し続ける向井さんに、お話を伺った。【上智大・古賀ゆり(キャンパる編集部)】
「次の夢が始まった」
向井さんの子どもの頃の夢は、医者だった。小さい頃に弟が病気で足が不自由になったことがきっかけで、医者を目指すようになった。そして、慶応義塾大学医学部卒業後は同大の大学病院で心臓血管外科医として勤務。意外にも、幼い頃から星や宇宙に興味を持っていたわけではなかったという。
「人生ってさ、チャンスがどこに転がっているか分からなくて。当直が終わった日の朝、何の気なしに新聞を開いたら、小さな記事で日本人宇宙飛行士を募集するって書いてあった。そこから次の夢が始まっちゃったんだよね」。募集記事を見たのは1983年。成人後も宇宙に特段興味はなかった向井さんの人生が、転機を迎えた。
日本での初の宇宙飛行士を募集したのは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の前身である宇宙開発事業団(NASDA)。アメリカのスペースシャトルの一部を借りて日本独自の宇宙科学実験を行うためのものであった。募集対象は日本国籍で短大(自然科学系)卒業以上の学力を持っていること、過去5年以内に自然科学系の部門で研究などに従事した経験が2年以上あることなどであった。
当時は「ロシアやアメリカの軍人しか宇宙飛行士になれないと思っていた」という向井さん。自衛隊の隊員やパイロットのような特殊技能の保持者ではなく、一般の人が宇宙飛行士に応募できることに驚いたという。
「社会で普通に働く人をテクノロジーが宇宙まで連れて行って、そこで仕事ができる。そういう時代に生きているということにすごく感動して」と、募集記事を見た時の気持ちを生き生きと話してくれた。自分も宇宙から地球を見てみたいなと思い、「宝くじを買うような気持ちで、ダメもとで」応募したという。ただ応募にあたっては、英語を猛勉強したのだそうだ。
そして85年8月、533人の応募者の中から、毛利衛さん、土井隆雄さんと共に選ばれ、日本人宇宙飛行士の1期生となった。
宇宙経験が変えたものの見方
同年11月にNASDAの職員に採用され、国内外での訓練が始まった。そして翌年には同医学部の先輩医師である万起男さんと結婚。その後、94年と98年の2度、宇宙で任務を遂行した。
1回目の打ち上げ当日にスペースシャトル・コロンビア号に乗り込んだ際には、訓練中とは異なり液体窒素や液体酸素の燃料が充塡(じゅうてん)されていたため、その影響で機体から蒸気が出ていた。その様子を見て、「いかにもシャトルが息づいている、生き物みたい」と思ったことが印象に残っているという。米航空宇宙局(NASA)所属の米国籍の男性宇宙飛行士6人とともに搭乗した。彼らはジョークが好きで、発射直前までジョークを言い合っていたというから驚きだ。
向井さんは搭乗中、生命科学や宇宙医学などに関する実験を行った。宇宙からの観点で地球を考える経験を通し、「広い視野から俯瞰(ふかん)的に物事を考えることができるようになった」と話す。さらに、科学者の搭乗者として、さまざまな分野の科学者らと連携して仕事を行う機会が多く、自分の世界が広がっていったという。また、各国の人と仕事をする上で、国際協力に関する意識も高まったそうだ。
また、訓練中や宇宙滞在中に、女性であるがゆえに大変だったことは、ほとんどないという。向井さんは医学部に在学中、スキー部の活動に熱中していた。男子部員ばかりの中で、民宿の大部屋の押し入れで寝ることもあったそうだ。その経験が、男性宇宙飛行士が多い宇宙空間で生活することに役立ったと話す。
宇宙研究の裾野を広げたい
2度にわたる宇宙での任務を終えた後、向井さんは2015年から10年間、富士通で、19年から5年間は花王、現在はTOPPANホールディングスで社外取締役を務めるなど、宇宙分野以外でも活躍している。
日本企業での仕事に興味を持った背景には、宇宙飛行士時代の経験があると語る。NASAは向井さんらNASDA(当時)の職員を温かく受け入れてくれたが、その好待遇は、日本の国力や米国でも大きな影響力を持つ日本企業の底力があったからだとひしひしと感じたという。そのため、日本のグローバルカンパニーがどのように世界で仕事をしているのか興味を持ち、社外取締役を引き受けたそうだ。
そして現在は、東京理科大学で特任副学長を務めており、宇宙に関する研究の裾野を広げるために、企業と連携して活動を行っている。
「国のお金だけでロケットと衛星だけやればいいとしてしまうと、限られた人や企業しか宇宙に関する研究をしなくなっちゃうから。そうじゃなくて、衣食住に関わる研究をやり始めると敷居がもっと低くなり、幅広い分野の企業が自分たちに合わせたお金で投資できる」と裾野を広げることの意義を語る。
向井さんは、宇宙での生活や研究のためだけに開発を行うのではなく、例えば電池を長く持たせるための研究など、宇宙でも地球でも使える「デュアルユース」の技術開発を進めることを提唱している。向井さんは宇宙を「特定の学問を修めた研究者だけでなく、みんなで何かを行うことができるようなコミュニティーにしたい」という。
尽きない夢と願い
現在は民間の宇宙旅行も実現している。今、宇宙に行けたらやってみたいことを向井さんに尋ねてみた。
「月のホテルからマティーニ(カクテル)とかを飲みながらさ、地球を見て、私はあそこに住んでいたのよね。でも来週は帰るんだけど、みたいなことをね」と満面の笑みで答えてくれた。向井さんは宇宙旅行が身近になる未来を描いているのだ。
向井さんが思い描くような旅行はいつごろ実現できそうか聞いてみたところ、「一般の人たちも20~30年後くらいには行けちゃうのではないかと思うんだけど」とのことだった。
さらに、旅行ではなく仕事で宇宙へ行くとしたら、いまだ研究が進んでいない人工重力に関する研究を月でやってみたいと話す。月面の重力は地球の6分の1であるため、長く住むためには人工的に重力を生み出して環境を整えることが必要なのだ。
最後に、若い世代へのメッセージを尋ねた。すると「今は“〇〇ファースト”という、自分さえ良ければいいかのような排他的な考え方が広まり、ダイバーシティー(多様性)や環境重視の考え方が停滞してきている。ただそれは振り子みたいなもので、振り子には揺り戻しがある。若い人の力で、振り子の針をバランスの取れた位置に戻してほしい」と力強く話してくれた。
時折ユーモアを交えながら笑顔で話してくれた向井さん。4月から社会人になる記者は、向井さんのように、目の前のチャンスに前向きに挑戦し続ける人になりたいと思った。
<向井千秋さんのプロフィル>むかい・ちあき 1952年群馬県生まれ。77年慶応義塾大学医学部卒業後、85年まで同大学病院で勤務。同年に宇宙飛行士に選定。94年と98年の2度、宇宙空間で実験を行う。その後JAXA宇宙医学研究室長、宇宙医学センター長などを歴任し、2015年に東京理科大学副学長に就任、16年から特任副学長。