大学入試の「女子枠」を社会学的に考えてみる
最近、大学入試に「女子枠」を設ける動きが広がっています。特に理工系学部で目立ちます。東工大(現・東京科学大)が導入したのを皮切りに、各地の国公立大学が追随しています。
女性の理系進出を後押しする施策として注目されていますが、大学教員として、そして社会学を専門とする人間として、これについて少し考えてみたいと思います。
女子枠とは何か
女子枠とは、入試において女子学生専用の定員を設けるものです。一般枠とは別に、女子だけが出願できる枠を設定します。形式としては総合型選抜や学校推薦型選抜に組み込まれることが多いです。
背景にあるのは、理工系学部における女性比率の低さです。日本の理工系学部の女性比率はOECD諸国の中でも最低水準です。この状況を変えるために、入口の部分で是正しよう、というのが女子枠の発想です。
アファーマティブ・アクションの議論
社会学的に言えば、これは「アファーマティブ・アクション(積極的格差是正措置)」の一形態です。歴史的・構造的に不利な立場に置かれてきた集団に対して、機会の平等を実質的に保障するための措置です。
アメリカでは人種を対象にしたアファーマティブ・アクションが長年議論されてきました。賛否は分かれますが、「形式的な平等だけでは構造的な不平等は解消されない」という考え方は、社会学では広く支持されています。
日本の女子枠も、同じ論理です。「試験は男女平等です」と言っても、そもそも理系を目指す女子が少ないのは、小さい頃からのジェンダー規範、「女の子は文系」という空気、ロールモデルの不在など、構造的な要因があるからです。入試の門戸を形式的に開いているだけでは、この構造は変わらない。
現場で感じること
理屈としては分かります。でも、現場の教員としては、少しモヤモヤするところもあります。
まず、「枠を作っただけで本当に変わるのか」という疑問です。入学した後の環境はどうなのか。女子が1割しかいない学部に女子枠で入ってきた学生が、居心地よく過ごせるんでしょうか。授業についていけるサポートはあるのか。研究室の文化は変わるのか。入口だけ変えて、中身を変えないのは、大学がよくやるパターンです。
それから、「学力の担保」の問題です。これは非常にセンシティブな話ですが、避けて通れません。女子枠の選抜では、筆記試験の比重が下がる傾向があります。面接、志望理由書、小論文中心。一般枠と入学後の学力差が出ないのか、というのは教壇に立つ人間としては気になります。
ただ、これは女子枠に限った話じゃなくて、総合型選抜全般の問題です。年内入試で入ってくる学生と、一般入試で入ってくる学生の学力差は、現場ではすでに感じているところです。
構造的な問題に手をつけているか
社会学的に見ると、女子枠は「結果の平等」に近いアプローチです。女性比率が低いから、入口で数字を調整する。これ自体は一つの手法ですが、それだけでは根本的な解決にはなりません。
本当に変えるべきは、「なぜ女子が理系を選ばないのか」という構造のほうです。小中高の教育、家庭のジェンダー意識、メディアの影響、社会全体の空気。大学入試の段階で是正するのは、あくまで下流の対応です。
大学ができることとしては、入学後のサポート体制、女性研究者のロールモデルの提示、研究室文化の改善など、入口以外の部分にもっと力を入れるべきだと思います。枠を作って数字を変えるだけでは、「大学はちゃんとやっています」というアピールにしかならない。
数字を追うことの危うさ
もう一つ気になるのは、「女性比率◯%」という数字が一人歩きすることです。
数字を目標にすると、数字を達成することが目的になる。大学はそういうことをやりがちです。アンケートの話でも書きましたが、手段が目的化する。「女性比率30%を達成しました」と報告書に書くことが目的になって、その30%の学生が本当に活躍できる環境を作ることは二の次になる。
女子枠を設けること自体を否定するつもりはありません。構造的な不平等に対して何らかの手を打つ必要があるのは確かです。でも、それが本当に機能しているのかを検証する仕組みがなければ、形だけの施策で終わります。
問い直すべきは何か
女子枠の議論をしていると、いつも思うことがあります。問い直すべきは、「大学に女性が少ない」ことじゃなくて、「なぜ女性が少ない状態が続いているのか」という構造そのものです。
大学入試は、その構造の最も下流にある一つのポイントに過ぎません。そこだけ変えても、上流が変わらなければ、毎年枠を設け続けるだけになる。
社会学をやっている人間としては、構造に切り込まずに表面だけ変える施策には、どうしても物足りなさを感じてしまいます。というわけ今日はこの辺でノシ


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